第二章 児童虐待の報道に関する先行研究

 

前章で述べたように、児童虐待は90年代から日本国内の社会問題として台頭し始め、それに伴い報道や議論が急増した。当時から今日に至るまで、児童虐待に関する論文や書籍などが数多く発表されている。本章では、それらの中でも特に、児童虐待の報道がテーマとされたものを先行研究として扱う。児童虐待が問題とされるようになってから、どんな報道がされてきたのか、また、その背景にどのような動きがあったのかをまとめる。

 

第一節 90年代以降の虐待に関する報道と対応の概要と変化

 

ここでは先行研究を通じて、児童虐待問題の報道傾向について述べる。

今日の虐待報道について、山田(2002: 133)は以下のように述べている。

児童虐待の報道は衝撃的で人の興味を煽るようなものが多く、その中には加害者の結婚歴や職歴、出身地や成育歴など、加害者のプライバシーを侵害するような報道があり、内容が不適切であると言及している。メディアは、衝撃的な児童虐待事件の事実のみを報道するのではなく、人権が尊重された表現による報道をすべきだとしている。

上記は主にテレビでの報道について言及しているが、新聞報道においても同様の傾向にあることが「新聞報道に見る児童虐待」(高橋、内藤 2002: 34)では指摘されている。

こういった、現代におけるセンセーショナルな児童虐待報道の傾向はどのようにして形成されていったのだろうか。形成されるまでの流れを上野、野村(2003)の著書を参考にまとめていきたい。

 

第一項 90年代前半のルポルタージュ報道と児童虐待問題の浸透

 

先に述べたように、90年代以降は児童虐待報道が大幅に増加し、児童虐待が国内の問題として認識されていった。野村(2002)は、90年代当初に児童虐待という問題が人々に周知されるにあたって大きな役割を果たしたのは、虐待の事例を詳細なエピソードとして語るルポルタージュ形式の特集記事であろうと述べている。

具体的な「虐待の現場」である家庭を容易にイメージできるように書かれたルポルタージュは、事件報道よりも強烈に問題イメージを伝えたと思われる。現に、朝日新聞で199011月から翌年の3月まで連載された「親になれない」というタイトルのルポルタージュは女性読者の反響を呼び、連載後は単行本が刊行されるなど、読者に大きなインパクトを与えた。

テレビでもNHKで「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」などのルポルタージュ番組が放映され、視聴者が児童虐待を問題として周知する一因となったことがわかる。

当時、新聞であれテレビであれ、これらのルポルタージュを含む90年代からの児童虐待の特集報道は、アメリカの児童虐待の現状と対策に言及しながら、日本がアメリカに後れを取っている状況にあることを伝えるという構成になっていた。

新たな問題がアメリカから持ち込まれ、それが「アメリカに遅れをとってはならない」という論調で紹介されるのは、今までに問題とされなかったことが問題として主張され、社会問題化していくときの常套手段である。こうして人々に児童虐待問題が浸透していった。

また、民間虐待防止団体の電話相談等の取り組みが新聞に掲載されたことで、児童虐待問題への対応が民間にも十分に行き届いていることが伝えられ、同時に、児童虐待は既存の硬直した公的機関では対応できる問題ではないということが描かれた。また、電話相談には育児不安を抱えた女性からの相談が殺到した。

90年代にはこれらの報道による児童虐待に対する啓発と、現代において児童虐待は深刻な問題であるという世論形成のキャンペーンが行われた。

 

第二項 90年代後半の政府の取り組みと有識者の見解についての報道

 

90年代後半からは、新聞では政府の虐待防止の取り組みに関する記事や、厚生省による児童相談所の虐待相談処理件数、児童虐待死の件数などの、発生規模に関する政府からの公式統計が多く新聞に載るようになった。これにより人々は問題が急激に拡大しているとのイメージを持つ様になった。

また、民間団体や病院、大学研究者などの有識者が児童虐待問題の見解についてテレビや新聞等のマスメディアを通じて発表したことで、そのイメージはより強固なものとして人々の間で共有され、やがて児童虐待防止の新しい法律の制定を求める主張に繋がり、2000年には虐待防止法が施行されるに至った。

 

第三項 2000年から2001年の現代における児童虐待報道の傾向

 

この時期は、虐待防止法の施行もあり児童虐待報道がピークを迎えた時期であった。

この時期の報道の特徴としては、児童虐待に関する記事の多くが虐待防止法について言及したものであること、児童虐待事件の詳細な報道が行われたことがあげられる。それらの記事において、児童虐待問題は家庭のありようや母親に原因があるとされ、「専門機関と専門家たちの連合が解決すべき問題」として扱われ、問題解決のための新たな法規定が急務であることが強調されていた。

このように、児童虐待問題をめぐる議論が一枚岩であったのに比べ、虐待防止法と同じ年に成立した改正少年法については、その原因や対策について様々な議論がなされており、どちらの法律も未成年の保護を目的として制定されたものであるのに関わらず、交わされる議論の内容が著しく異なっていると上野(2002: 22-23)は指摘している。

そして児童虐待事件においては、事件の内容から裁判や判決の内容、加害者や被害者に関しては日ごろからの暮らしぶりや生育歴など、読者が事件について具体的なイメージを持つのに十分な情報が、「専門機関が救うべきであった子どもをなぜ救えなかったのか」という枠組みで連日にわたって細かく報道された。

 こうした一連の報道は専門機関への不信感を呼び、より柔軟な民間団体がこの問題に参入すべきであるなど、既存の児童虐待への取り組みに対する改正や充実が求められるようになった。

本節の始めにあった、現代の児童虐待報道におけるセンセーショナルな傾向はこうした経緯で形成されたと考えられる。

90年代に始まり現在も行われている過度なまでに詳細な報道は、プライバシーの侵害等にも繋がる一方で、医療や福祉のごく一部の関係者しか関心を持たなかった児童虐待問題に人々の注目を集めた。それによって児童虐待への関心が高まり、結果として国家の専門機関のみでなく、民間団体においても児童虐待に対する取り組みが推進されてきたと言える。

 

第四項 行政による対応の問題点と民間の対応

 

行政機関としては当時すでに児童相談所が存在していたが、先述の虐待防止法が成立した影響で相談件数が飛躍的に増加した結果、児童相談所は機能不全に陥った。児童相談所の許容量を遥かに超過した数の相談が寄せられ、児童福祉司の数や研修の不足にともなう対応の不備等の問題が浮かび上がってきたのである。その結果、児童相談所の業務が児童虐待事案に集中し他の機能が麻痺する事態が生じた。

そしてもう一つの問題は、関係機関との連携、特に警察の介入と児童相談所の関係である。警察の関心事は主に被害児童の生命及び身体の安全が最優先であるのに対して、児童相談所の関心事は、親との良好な関係の構築が最優先課題であり、それぞれのプライオリティの相違が、両者の連携を困難なものにしている。よりスムーズな連携のために相互理解を進めることが今後の課題である。

これに対して、1990年度には大阪で虐待防止を目的とする民間団体である「児童虐待防止協会」が発足した。これを皮切りとして、それ以降は全国各地で同様の民間団体が続々と設立された。90年代において、これらの民間組織は組織間の壁を越えて柔軟に対応できる民間ネットワークの利点を生かし、電話相談や危機介入、広報、調査・研究活動等が展開された。

 

第二節 児童虐待報道の問題点について

 

 児童虐待に関する報道は、虐待の原因は家庭のありようや母親だとする傾向にあると先述したが、ここでは、その傾向の背景にはどのようなまなざしがあるのかを先行研究を通じて見ていく。

 

第一項 個人の資質による虐待

 

上野(2003: 33-34)によれば、児童虐待が問題として注目され始めた当初から、以下のような議論が繰り返されていたという。虐待の原因は、現代家庭の核家族化による地域社会からの孤立や、世代間の育児知識が満足に継承されないことなどから生まれる、親の日常でのストレスや育児の悩みであるというものである。児童虐待問題は、地域から孤立し、育児に悩む親のストレスに原因があるものとして扱われた。

また、このほかに、虐待の原因として、幼少期の被虐待経験が挙げられる傾向がある。親が幼いころに虐待を受けた経験と、自分の子どもを虐待してしまうことには関連性があるとされており、児童虐待事件が発生した際に、加害者の生育歴までもが詳細に報道されるのはこれによるものである。

こうして児童虐待は、母親の育児不安や生育歴に問題があるから発生するものであり、その要因は、専門家のカウンセリングなどで解決できる心理的な問題として扱われた。

このような、虐待の原因を家庭のありようや母親の育児不安に求めるという報道傾向の背景には、虐待の原因である、母親のストレス・育児不安、幼少期の被虐待経験によるトラウマは個人的資質であって、個人がカウンセリング等を受けることで克服できるものであるといった、虐待は個人の資質によっておこるものだとするまなざしがあると上野(2003: 33-34)は指摘している。

しかし、祖父江(1999: 140)によれば、虐待に至った原因のうち、最も多いのは借金や貧困による経済苦であった。

95年から99年までの5年間に新聞報道された子どもの虐待死の記事を対象に、13紙について検索を行い、虐待死事件の件数や原因について分析を行った結果、多いものから順に、「経済苦」、「親の病気」と「家族関係の不和」(同列)、次が「子の病気または障害」で、「育児の不安や疲れ」がこの分析では最も少なかった。

「経済苦」、「親の病気」、「子の病気または障害」は、個人の資質とは言えず、また、これらを個人が自力で克服することは困難だと言える。

同様に、虐待の原因は貧困にあり、社会の貧困層に多発していると主張する論者にリーロイ・H・ペルトン(1994)がいる。ペルトンは、児童虐待による重症や死亡事例が中・上流階級の層には少ないということだけでなく、同じ低階層の中でも、最も貧困である層に集中していることに注目し、もし虐待が個人の資質によるものであれば、どの階層でも深刻な虐待が同じ割合で発生しているはずであると指摘している。また、カウンセリングへの参加などの自助努力による解決を推奨するのではなく、政府による公的な資金援助が必要だと指摘している。

第二項 ジェンダーバイアス

 

また、虐待は母親に原因があるという報道傾向については、先述の「虐待の原因は個人の資質である」というまなざしとはまた別の目線があると考えられる。

母親の育児不安や生育歴が虐待の原因であるという傾向の背景にあるのが「虐待の原因は個人の資質である」というまなざしだけであるなら、なぜ両親ではなく母親に原因があるとされるのか。

高橋(2002: 33)の児童虐待事件記事に関する新聞調査では、1999年中に全国の都道府県警察が扱った児童虐待事件の検挙者数内訳において、男性の加害者の方が多いと出ているにも関わらず、加害者が母親(女性)である事例が、加害者が男性である場合よりも多く報道されているという結果が出ている。

この報道傾向からは、女性が加害者である虐待事件の方が、男性が加害者の場合よりも重大であるため、より多く報道するべきである、というマスメディアや専門家のまなざしの存在が読み取れる。

高橋(2002: 33-34)は、こうしたまなざしの背景には、育児負担を女性のものとするジェンダーバイアスがあることを挙げており、両親でなく母親に原因があるとされるのも、これによるものと思われる。

また、そうした目線を持っているのはマスメディアや専門家だけではない。本章の第一節、第一項で記述した、90年代以降のルポルタージュ記事に大きく反応したのは女性が多く、民間団体の実施した虐待防止策である電話相談に殺到したのは母親からの育児不安についての相談であった(上野2002: 20ことから、女性の児童虐待問題に対する関心の高さをうかがうことができる。

このように、現状では、マスメディア、専門家、そして母親(女性)にとって、児童虐待は広く女性の問題であると認識されている。