第2章 先行研究のレビュー

 

本論文を展開していくにあたりに必要となる観光社会学の対象・定義を、遠藤秀樹,2005,「観光社会学の対象と視点」須藤廣・遠藤秀樹,『観光社会学 ツーリズム研究の冒険的試み』明石書店,14-39からまとめる。

今研究の調査対象である一本杉通りは観光によって町おこしを行う自治体である。このような自治体の行う目指す観光事業は地域経済の活性化とともに町・地域の活性化を得ることを目的とする。観光事業を行っていく道のりの中、で2つの方向性を持って進んでいく。その一方は地域の観光事業の活性化により地域の経済のうるおいをもたらすことを目指すものであり、もう一方は町・地域の活性化によりそこにいる人々が活き活きとできる、こころのよりどころを得られることを目指すものである。一本杉通りの観光を分析していく前に、その2つの方向性が乖離した観光の事例と町・地域の活性化に重きを置いた観光の事例をそれぞれまとめる。

 

「観光社会学の対象」

観光をめぐって3つの立場が存在する。第1の立場に「ツーリスト」(観光を消費するもの)第2の立場は旅行会社、宿泊業者、交通業者をはじめとする「プロデューサー」(旅を制作するもの)第3の立場に「地域住民」とである。観光社会学ではこれらの3つの立場が分析の対象とされていく(遠藤2005: 15)

 

G・ドクシーによる「イラダチ度モデル」

「地域住民」と「ツーリスト」の相互関係をめぐる分析の一例。この定義によれば観光開発が地域住民の価値体系を次第に破壊し地域のアイデンティティを喪失させるにつれて地域住民にストレスを与えはじめ、地域住民が観光という行為やツーリスト達に対する「イラダチ」が増大するとされている。そのプロセスは1,幸福感⇒2,無関心⇒3,イラダチ⇒4,敵意⇒5,最終レベルと時系列に進行されていくとする(遠藤2005: 19-20)

 

北海道・札幌「YOSAKOIソーラン祭り」の事例

このイベントは高知県の「よさこい祭り」と北海道の「ソーラン節」がミックスされて生まれた新しい祭りで19926月に第一回の祭りが開催されて以来、札幌の初夏を彩る街の風物詩として定着するに至っている。この祭りによって多くのツーリストが6月の札幌を訪れるようになった。しかし本来高知県の祭りであった「よさこい祭り」を北海道の「ソーラン節」に取り入れたことで、地域の伝統やアイデンティティが変容してしまい、そのためこの祭りに対するアンビバレントな想い(注1)が地域住民に生じている(遠藤2005: 17-18)

 

大分県湯布院の事例

由布院のまちづくりは、大手の業者による「開発」に対する「対抗的」な理念に端を発している。ダムの建設への反対から町の在り方を主体的に考える気運が町の間からおこり、湯布院の素朴な景観と人間関係を守ろうと町を挙げて取り組んだ。由布院は由布岳の自然美、静かでのどかな田園風景、ホストとゲストの親戚のような人間関係、手作りのイベントというような反近代的な「対抗的」価値が「由布院らしさ」を作っていき、「開発」の「人工性」に反対することによってそのイメージ作りをしてきた。この「開発」反対運動が守るべき主役は観光ではなく住民の生活であったため、町を映画のセットのように作り変えるようなことはあえてしてこなかったのである。

しかし現在旅館など宿泊施設が増え、レストラン・お土産業者窓が町内外から数多く移り住み、親密な人間関係が持つ対面的なコミュニケーションを限定にした「手作り」の町づくりは危機に瀕している。由布院の町づくりを長く見つめてきた木谷は「新設されていく宿泊施設や土産店などの建物そのものが由布院らしい景観を壊していった」[木谷,2004,『由布院の小さな奇跡』,新潮社]と分析した。由布院の周りにはすでに都市の「人工的」な文化が取り巻いており、都市の不毛な文化の侵食がすぐそこまで進んでいるのである。これ以上都市の不毛な文化に浸食されれば、住民の生活と接触しない範囲ではあろうが、「人工的」な町づくりへとシフトしていく気運が高まっていくことも予想されている(須藤2005: 172-203)。

 

このような先行研究を踏まえ、本論文では観光開発が「イラダチ度モデル」に見られるような「地域住民」の価値体系を次第に破壊し地域のアイデンティティを喪失させ、ストレスを与えるという相互関係を持っているということと、自治体の目指す観光事業の活性化と町・地域の活性化との両立が、2つの方向性を持って進んでいくという2点の項目に注目していきたい。
 その2つの方向のうち、地域の経済にうるおいをもたらすことに重きを置くことで、2つの方向性が乖離した場合は、マス・ツーリズムの要素が強まっていく。それは地域の伝統や地域住民のアイデンティティを変容させ、地域住民にとってのストレスになりうる可能性がある。逆に、町・地域の活性化によりそこにいる人々が活き活きとできる、こころのよりどころを得られるという方向性に重きを置く場合は、対面的なコミュニケーションを限定する性質上、マス・ツーリズムの要素は弱まっていく。

これらの先行研究の事例、指摘は一本杉通りが花嫁のれんを常設しない理由と関係していると思われる。その理由を解き明かしていくとともに、一本杉通りの観光がどのようなパターンの観光として位置づけられるのかということを検証していく。