1章 序章

第1節 問題関心

 

故郷の七尾市で一本杉通りの「花嫁のれん展」というイベントが盛り上がっており、観光スポットとして人気が出ているらしい。それを知った私が抱いた最初の印象はそういえばお昼の時間帯に「花嫁のれん」というタイトルのドラマをやっていたな、でもたしかドラマの舞台は金沢だったような…というようなぼんやりとした花嫁のれんについての知識とも呼べないようなおぼろげな記憶と「一本杉で観光…?」という違和感。私の知っている一本杉とは、閑散とした田舎の商店街でしかなく―…レジャースポットもなければ宿泊施設もない…―おおよそ「観光地」と呼ぶにふさわしいような土地とはどうしても思えなかったのである。

この一本杉通りの変わりようを不思議に思った私はさっそく第9回の「花嫁のれん展」の会期中一本杉通り商店街に赴いた。…まず驚いたのは商店街の賑わいだった。春の大祭が終わったあとの地元はとても静かな町であるはずである。それが終わっている今、この町を訪れている人は純粋に「花嫁のれん展」を見物しに来た観光客なのだろう。予期もせぬ地元の賑わいは驚きとともに、なんだか自分まで嬉しい気持ちにさせてくれる。そして私は、自分の固定観念を破ってくれたこの祭典に、ますます興味を持った。

石畳の街道を歩く。商店中に飾られた色鮮やかなのれんと解放された店の扉に人が吸い込まれていく。私もそれに倣い、商店のおかみさんからのれんの語りを聞き、フィールドノーツをとる。店先でノートをまとめていると金沢から来たある老紳士に出くわす。ノートをとる私の姿を見て彼は「そこののれんはたいしたことないよ。こちらに素晴らしいのれんがあるから案内してあげよう」と自らのれんのガイドを買って出てくれた。のれんの知識を少しでも得たかった自分は喜んで彼についていく。彼はさっと店に上がっていき、のれんを前にして「これは作家ものだから貴重だぞ。ここに判があるから」という具合でのれんの品評を聞かせてくれる。彼はのれんの価値、あるいは美しさに心底感嘆していたようである。そしてこののれんが「いかに価値のあるものか」ということを私に一生懸命説明してくれようとしていた。彼は近くに座っているのれんの所有者の話を聞くそぶりはなく、話を聞かぬままその商店を後にした。私も彼とともに商店を出た。だが、そのことがなんだかひっかかった。

彼と別れたのち、その後町内の呉服屋さんなど商店を回り、町会長さんのお茶屋を訪ね、花嫁のれん展のことや町づくりについての話を聞いた。彼は「花嫁のれん展が開催されて9年たって気づいたことは、一本杉には町の生活文化があるということだ」と語った。あくまで「我々はあるもの、宝を見せるだけ」で新たに観光地を作るのではなく、「観光よりも楽しい町」を目指して町づくりの一環としてこの花嫁のれん展を行っているという。彼は花嫁のれんに関して「それぞれののれんにそれぞれの思いがある」ということを感慨深く語り、この一本杉ののれん展は「品評会にならない」ということ、そして「品評会にしていたらもう終わっている」というふうにも語った。その語りは、数時間前に出会った老紳士とそれと全く違っていて、その違いの鮮やかさが、強く私の心に残った。両者ともにのれんを愛でているということに変わりはない。だがその愛で方が、明らかに異なっていると感じた。

いまやドラマのタイトルになるまで有名になっているはずの一本杉ののれん展であるが、不思議なことに、開催期間外の一本杉はいたって平凡な商店街であり人もまばらなのである。この平常時とのギャップは不思議である。観光地として町おこしをしているのにのれんの展示をパタッとやめてしまうのはどうしてなのだろうか。花嫁のれんを常設しないのはなぜなのだろうか。それには理由があるはずである。その理由を解き明かしていく中で一本杉の観光の事例は現代の観光の主流となっているマス・ツーリズムとは違った観光の在り方を示してくれるのではないのではないだろうか。一本杉通りの町づくりの歴史をたどっていくなかでそのプロセスを読み解きたい。


 

2節 一本杉通りと花嫁のれん展 

 

◆七尾市

石川県の北部、能登半島の中央に位置し、北は穴水町、西は志賀町、南は中能登町と富山県氷見市と接する。人口減少・少子高齢化が進行しており、昭和30年の75,308人をピークに減少し、平成24年には57,948人(11月末現在)にまで減少している。人口減少・少子高齢化により地域経済が低迷する中、限られた資源(人・財源等)を有効に活用し、重点的かつ戦略的に各施策に取り組む必要があるとし、このことを踏まえ、「人口減少下における持続可能なまちづくり」の目標に掲げている。

歴史的には北前船の商売で栄えた港町。現在では全国的に有名な和倉温泉を有していることから温泉街としての知名度が高い。市としても七尾湾と温泉を活かした政策を実施している。地域の特色としては四季折々の祭りが多く、特に春の大祭「青柏祭」や漁師町・石崎町の「奉灯祭り」の時期は全国からの観光客でにぎわう。また古くから能登の中心地であった七尾は水墨画の大家・長谷川等伯をはじめとして直木賞受賞作家・杉森久秀など多くの文化人・著名人を輩出している。

 

◆一本杉通り

七尾市の中心部に位置する600年以上の歴史を持つ街道。450メートルほどの商家や民家が立ち並ぶ商店街である。いわゆる昔の銀座通りで昭和30年代ごろまでは栄えていたが、昭和42(1967)のバイパスの完成、翌年43(1968)の大型店の出店により商店街は次第に衰退し、町に元気がなくなっていく。この状況を打破していこうと平成5(1993)頃からまちづくりに奔走。それから紆余曲折あり平成15(2003)に歴史ある町並みを生かした町づくりを目指し、商店街の5軒の建造物を国の登録有形文化財に登録しようという活動が始まる。また同年、町のおかみさんたちが企画をたちあげ、平成16(2004)、春の祭礼の賑わいに呼応して開催させた「花嫁のれん展」が見事成功を収め、大きな反響を呼ぶ。この2つの特色を得たことで観光客が訪れるようになる。のれん展の成功後は町づくりが評価され全国から数多くの視察が訪れる。翌年17(2005)には「語り部処」を発足させ、のれん展以外の時期の平生観光も充実させるなど「語り」を中心とした町づくりを進めている。


◆花嫁のれん 

北陸伝統の嫁入り道具。今日ではまれになったが、かつて加賀から能登にかけて、格式ばった婚礼の際には、花嫁が嫁入り道具として婚家に持参する習わしがあった。この習わしは幕末明治のころより、旧加賀藩の能登・加賀・越中に根づいた独自の風習であり、民衆に受け継がれた。のれんには生家の家紋を配し、鳳凰や薬玉といったおめでたい文様を描く。婚礼の日に、花婿の家の仏間の入り口に掛け、両家の挨拶を交わした後、花嫁のれんをくぐり、先祖の仏前にお参りをする。嫁いでから数日は、新夫婦の寝間の入り口に一週間かけられ、その間に親戚の女性たちが嫁入り道具を見に訪れ、祝い膳を囲んで夫婦の行く末を祝うという段取りである。その後外されたのれんは、箪笥や長持ちに仕舞いこまれ、その後取り出すことはほとんどない。のれんの美しさが再認識され飾られるようになったのは、ごく近年のことである。

 

◆花嫁のれん展

429日の昭和の日〜母の日にかけて一本杉通り商店街で行われるイベント。平成16(2004)以降毎年行われており現在第9回まで継続されて開催されている。450メートルほどの商家や民家に、150枚以上の花嫁のれんが展示され、「語り部」たちによってそれぞれ一枚の布にまつわる語りが披露される。この語りが人気を呼び、多くのリピーターを獲得している。第2回から毎年、会期の初日に商店街で婚礼の儀を再現した「花嫁道中」が行われ町中がお祭りムード1色になる。

図1−1花嫁のれん展公示ポスター

花嫁のれん展公式サイト(http://ipponsugi.org/noren/index.html

◆花嫁道中

のれん展会期の初日、一本杉の町中150枚のれんが花嫁を歓迎する。式典は商店街の端の御祓公民館を出発し、道中は子供たち30人、デカ山の木やり衆30人、一本杉の婦人会から青年会30人の90人体制で商店街先端の仙対橋まで歩く。仙対橋の上で花嫁のれん展開幕のセレモニーが行われ、その後新婚夫婦は合わせ水の儀式を行い最後は花嫁ののれんくぐりで締めくくられる。

花嫁道中は本物の新婚の夫婦が参加する。参加するにあたっては夫婦がその年に結婚式を挙げる、またはその年に結婚式を挙げた夫婦であることが条件になる。花嫁の衣装代・着付けは参加者側から特別な注文がない限り、商店街が負担してくれる。第8回までは七尾市内、または近在の住民からほとんど申し入れあったが第9回は期日までに申し込みがなく初めて新聞での公募をし、白山市在住の新婚夫婦がこの道中に参加した。

 

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図1−2 花嫁道中(http://ipponsugi.org/hanayomenoren/

 

◆語り部処

観光客が語り部処の目印のある場所を尋ねるとそこの商店の主人や、おかみさん、従業員がそれぞれの目線で自身の仕事や街の話を語って観光客をもてなす。七尾弁でのんびり話す癒し系観光は最低でも1時間半の時間が必要。お茶屋での抹茶ひき体験や仏壇店での仏壇・御輿の制作見学、箔押し体験など体験コースも充実。ふつうの観光ではなかなかできない、思い出深い旅が味わえる新感覚の観光スポット。語り部処イラストマップ(図1−3)で「?」マークで示されている地点にある。全18軒。

 

語り部処のサイン

図1−3

語り部処の目印ののれん

能登・七尾一本杉通り公式サイト(http://ipponsugi.org/kataribedokoro/

 

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図1−4 語り部処イラストマップ 

能登・七尾一本杉通り公式サイト(http://ipponsugi.org/kataribedokoro/

 


 

◆「お茶の北島屋」での抹茶挽き体験

抹茶の原料「碾茶」を茶磨で挽き、能登七尾名物「大豆飴」に、挽き立ての抹茶を掛けて食すという体験ができる。料金は500円。

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図1−5 北島屋外観

和倉温泉 (http://www.wakura.or.jp/p407.html

 

 

◆「漆陶舗あらき」輪島塗沈金体験

漆器、漆芸品に用いられる代表的な加飾技法のひとつで、漆の表面に細く鋭いノミで図案や文様を表すという伝統的な技法を体験できる。料 金は1000円から。

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図1−6輪島塗沈金体験

和倉温泉(http://www.wakura.or.jp/p408.html

 


 

◆「ぬのや仏壇」箔押し体験

仏壇の飾りに使うのと同じ銅板に、金箔を貼り付けてオリジナルのペンダントトップを作れる。店の一階は仏壇売り場・二階は工房になっており職人が作業しており、見学も可能。

http://www.notostyle.jp/Media/yUs9pFRAfcmxgKvJwu.jpg

図1−7 箔押し体験

能登スタイル (http://www.notostyle.jp/index.php?id=529

 

 

◆青柏祭

ゴールデンウィーク中の53~5日の3日間に行われる春の大祭。通称「デカ山」。平安時代が始まりといわれる。高さ12メートルの3つ町の山車が神社から町衆の手で引き出される。山車は船の形をし、とりどりの色の幕で飾り、歴史や芝居の一場面を表した大きな人形と町の子供たちを載せる。音局はダシの幕の中で演奏され、山車の前に「木遣り衆」と呼ばれる若衆たちが立って木遣り音頭をうたう。

山車の車は木で作られており、若い衆が梃を差しながら巨大な山車を誘導する。辻で大梃子に若い連中が鈴なりになって山の前輪を浮かし、地車を入れてくるりと回すのが最大の見せ場。通りでこの山車を引きまわすため、一本杉通りの電柱は高く設計されている。

図1−8 一本杉通りを通るデカ山 

お茶の北島屋ブログ (http://kitajimaya.exblog.jp/13255319/

 

◆奉燈祭

8月に七尾市内の漁師町・石崎町で行われる祭り。一基100人態勢で運ぶ見事な統制、海の男達の威勢のいい掛け声が響き渡る中、奉燈が進む様はまさに圧巻。夜には奉燈に灯火が献じられ、浮かび上がった武者絵や大書の墨字が幻想的な空間を醸し出す。

クライマックスの奉燈の乱舞競演では、担ぎ手、観客の興奮は最高潮に達する。

図1−9 夏の奉燈祭

七尾市観光協会公式サイト (http://www.nanaoh.net/p132.html

 

 

◆和倉温泉

七尾市の有力な観光資源である温泉街。数ある旅館のなかで特に「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」32年連続総合第1位の創業100年の老舗・加賀屋が名高い。和倉温泉の公式ホームページには和倉の春のイベントとして一本杉の「花嫁のれん展」、通年の体験プログラムとして一本杉通りで楽しめる抹茶挽き体験・箔押し体験・箔押し体験が紹介されている。

 

◆華の香号

和倉周辺の観光名所をめぐる観光バス。宿泊旅館フロントで予約が可能で、宿泊客の観光の足として人気。午前と午後でコースを選択できる。午後のコースに一本杉通りが入っており経路として選択した際1時間半滞在できる。

経路:和倉温泉観光会館出発(840分)

→午前のコース (のとじま水族館・能登島ガラス美術館から選択)

のとじま水族館(915分〜11時)・能登島ガラス美術館(925分〜1050分)

→能登食祭市場(11301230分)

→午後のコース(一本杉通り・山の寺寺院群・フラワーパーク能登蘭の国から選択)

一本杉通り(1245分〜1420分)・山の寺寺院群(1255分〜1210分)・フラワーパーク能登蘭の国(135分〜14時)

→JR七尾駅(1425分)→JR和倉温泉駅(1440分)→和倉温泉(1450分)

 

能登食祭市場

観光客が食事をとったり、お土産を買う際に利用される観光施設。海にかこまれた半島ならではの新鮮な海産物をはじめ、 能登の銘産品をショッピングできる「生鮮市場」や「銘産・工芸館」、能登の祭りを体感できる「祭歳時館」、能登の美味を楽しめる「グルメ館」がある。一本杉からの距離が近い。

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図1−10 多くの観光客でにぎわう食祭館

能登食祭市場 (http://www.shokusai.co.jp/event/index.html

 

◆長谷川等伯展

七尾美術館が毎年開催している七尾出生の安土桃山時代を代表する絵師の展覧会。長谷川等伯は狩野永徳率いる狩野派と対抗し、自ら「雪舟五代」を名乗り長谷川派の長として活躍。この頃の絵師としては非常に珍しく、20代半ばから晩年期の6070代までの作品が知られており、中でも水墨による詩情性に溢れた湿潤で大気的な松林を描いた『松林図屏風』や、大和絵の優美さを残しながら豪壮でダイナミックに楓の樹木を表現した『楓図壁貼付』は比類無き傑作として、今も日本絵画史に燦然と輝く。

 

◆国宝『松林図屏風』

日本絵画史上においても類稀な完成度と様相を呈す、等伯の至高の傑作。2005年、春に七尾美術館で開催された「長谷川等伯展」の際に展示された。

 

◆テレビドラマ「花嫁のれん」

平成22(2010) 東海テレビ・制作放送のテレビドラマ。2ヶ月間フジテレビ系列で全国放送された。物語の舞台は石川県金沢市の旅館であるが、花嫁のれんを題材にするのなら一本杉をはずせないということで一週間にわたり鳥居醤油店でのロケが敢行された。このドラマの制作は愛知県の植物園ブルーボネットでの出張花嫁のれん展(名古屋展)に影響されている部分もあるらしい。(一本杉町町会長・北林さん談)第一弾が好評だったため翌年平成23(2011)「花嫁のれん」第2弾が制作・放送されている。

 

東海テレビTV連続ドラマ「花嫁のれん」.jpg

図1−11 テレビドラマ花嫁のれん

フジテレビ 花嫁のれん(http://www.fujitv.co.jp/b_hp/hanayomenoren/index.html

 

TVドラマ「花嫁のれん」のロケ.jpg

図1−12 ドラマの撮影現場となった一本杉通り

 お茶の北島屋ブログ (http://kitajimaya.exblog.jp/14184717/)

 

 


 

3節 一本杉の町おこしに関わる人物のプロフィール

 

●北林昌之さん

一本杉町会長で一本杉のまとめ役。縁あって島根県から茶舗に婿養子として入った。現在は一本杉町会長として一本杉の住民として町に根付いている。このことから分かるように、北林さんは土着の人ではない外部の人の性質も持ち合わせており、ご本人も商工会出版の書『出会いの一本杉』のなかで「僕がこんな言いたいこといえるのは七尾の出身でないからかもしれん。」と語っておられる。

若い時は外国に行きたくて商社に勤務し、中東・アジアあちこちに飛びまわり繊維機械を売りに行っていたらしい。中東で警察に踏み込まれてスパイ容疑で捕まり一週間軟禁状態になったこともある。英語が得意で「Oh-God」の名付け親となったことも、「率直な物言いで市や県の役員にも臆することがない」という刊行資料での評価も、そのような経歴からうらづけられているのだとうなずける。

インタビューの際も北林さんは過去の一本杉の町づくりに関してまとめたレジュメをもとに話しておられた。その時の印象は、話し上手でとにかく勉強熱心。観光に関する勉強もかなりされているようだ。インタビュー中も、長崎のハウステンボスやディズニーランド、さまざまな観光地の事例が飛び交う。振興会長として、長年住民主体の地域振興をけん引し、中心商店街の活性化を果たした役割が評価され、2009年地元の有力紙・北國新聞社から表彰されている。(『出会いの一本杉』、『花嫁のれん冊子』の情報をもとに記述)

 

森まゆみさんから北林さんへの評価

反骨の人で,役所と因習と戦うこと30年、一目置かれるまでになった。口癖は「どもならん」。男ぶりと行動力、責任感で町内に女性の追っかけ多し。(森まゆみさんのブログ200968日の記事から)

 

●森まゆみさん

 1954年東京都文京区動坂に生まれる。早稲田大学政経学部卒業、東京大学新聞研究所修了。出版社で企画、編集の仕事にたずさわった後、フリーに。地域雑誌『谷中・根津・千駄木』の編集人。(森まゆみのブログ プロフィールより)   

一本杉通りの住民とのファーストコンタクトは2002年。取材で能登を回った際、出版社のホームページを制作した人物が七尾市出身であり、その母方の親戚の営む鳥居醤油店に訪れたことに始まる。(『出会いの一本杉』 あとがき 参照)

その翌年も仕事の関係で能登に訪れ、一本杉通りにも足を運ぶ。その際に町会長を含めた町の人たちに登録文化財の審議員として自身が東京で20年以上取り組んできた歴史的建造物の保存活用、国の登録文化財制度の話をする。その話がきっかけになって国の有形文化財の登録されたことのれん展が始まっていったことから交流が親密なものになっていく。

●市川秀和さん

石川県の工業専門学校出身の福井工業大学准教授、能登、七尾市の歴史的建造物について研究をしていた。一本杉通りの建造物を登録文化財に申請のする際、専門家として相談役を請け負い、調査を行う、申請書類作成に携わるなど協力。

 

Oh-God

一本杉町のやり手のおかみさん5人衆。高澤ろうそくの高澤行江さん、昆布海産物しら井白井洋子さん、ぬのや仏壇の布和代さん、鳥居醤油店の鳥居正子さん、中谷内陶器店の中谷内政子さんの5人の総称。

花嫁のれん展の生みの親。東京からやってきた知人が、石崎町の奉燈祭りの際に飾られた花嫁のれんを見て、そのような風習が今も残っていることに驚き羨んだという話を聞き、町会長・北林さんへ商店街で花嫁のれんを飾ってみてはどうかと企画を持ちかける。Oh-Godの命名は町会長・北林さん。おかみさんたちの女性パワーに敬意を表し、得意の英語で命名したという。

 

●花岡慎一さん

加賀友禅の店「ゑり華」の会長で花嫁のれんの専門家。大学卒業後、東京の百貨店に入社。家業が呉服屋であったため呉服部に配属後、17年間勤務。その後、東京国立博物館で染織室の研究者を経て、家業を継ぐために金沢に戻る。加賀友禅の店を営むかたわら着物への探求心を持ち、独自に研究を続け、加賀のれんの蒐集と研究に携わる。一本杉通りの住民とのファーストコンタクトは2003年。一本杉町の役員が花嫁のれんの専門家として花嫁のれん展の開催に向けて協力を求めたことに始まる。花嫁のれん展に協力することは研究者・花岡さんにとっては花嫁のれんとその持ち主に同時に会える願ってもない機会であったようだ。

 

●大田朋さん

語り部処を取材した冊子『出会いの一本杉』の制作に携わったイラストレーター。2002年の春、神戸から能登島のガラス工房に吹きガラスを習うために滞在したおり、ガラス工房のスタッフに勧められて一本杉にふらりと訪れたのが一本杉との出会い。鳥居醤油屋さんを皮切りに少しずつ通りの人と交流を深め、毎年季節ごとに訪れるようになる。『出会いの一本杉』の制作以前にイラストレーターとして高澤ろうそく店の菜の花ローソクのイラストを手がけていた。


4節 調査概要

 

調査概要は以下の通りである。

2012年第9回花嫁のれん展でフィールドワークを行った。商店のおかみさん・観光客・語り部を含む計8名から語りを聞き取り、フィールドノーツに記録した。

●文化出版局季刊『銀華』編集部制作『花嫁のれん冊子』200811日花嫁のれん展実行委員会冊子部発行(季刊『銀華』第百四十一号2005330日発行の一部を抜刷りにてまとめた冊子)一本杉町会『出会いの一本杉』200921日七尾商工会議所発行を取得し、文献から読み取りをなった。

201293日一本杉町町会長・北林さんへのインタビューを行った。

●『七尾・一本杉通りのまちづくり』一本杉町会・一本杉通り振興会(商店街)資料など文献を取得、読み取りを行なった。

●町会長・北林さんブログ「お茶の北島屋」の記事、他関係者のブログの分析を行った

2013115日じゃらんネットより一本杉通りの口コミを取得し分析を行った


 

5節 本論文の構成

 

第1章で本論の基本情報・概要を記述し、第2章では先行研究に論文を展開していくにあたりに必要となる観光社会学の対象・定義、観光の事例など示す。第3章から5章までは一本杉の町づくりの物語を時系列にたどっていく。第3章を「花嫁のれん展の誕生」、第4章を「拡大する花嫁のれん展と語り部の誕生」、第5章を「転換点としての関西展」と題し3つの章に渡って一本杉の歩んできた道のりをひも解いてゆく。時系列に沿った活動記録として一本杉の花嫁のれん展に関する町づくりの年表を章の最初に記載し、そこから物語の中核をなす出来事をピックアップして分析を加えていく。分析には一本杉通りのかじ取り役の町会長・北林さんへのインタビューでの語り、町会の刊行書物などの資料を参照する。こうした時系列に沿った花嫁のれん展のプロセスを追っていくことで、一本杉のギャップのある観光スタイルがどのように生成されていったのかを明らかにする。第6章で全体を振り返り、考察を加える。