第5章 考察

 

 

大学生における将来展望の有無について、将来展望がある学生に比べ将来展望がない学生に特徴的な行動や心理的傾向を明らかにするために、まず質問項目を統合し新たな変数作成のため因子分析を行った。それによって得られた因子を重回帰分析するという2段階を経て将来展望との関連を探ってきた。

本章第1節では、第3項にわたって本論文の結果と第2章の先行研究の結果を比較する。これから各節で何を書くのか。構成を示しておくと、始めに単純集計から分かる大学生

の傾向を要約する。その後、先行研究の結果を第2章に続き再び挙げ、同部分に該当する本論文からの結果にも軽く触れ、比較結果を一目で分かるようにしたい。続いて、詳細にカテゴリー内の因子分析から重回帰分析に至るまでの過程と各カテゴリーの因子が「将来展望」とどのような関連を持っているかについて論述していきたい。

第2節では重回帰分析とは別に実施した、自由記述分析から見た学生の判断基準について考察し、第3節は、総括として全体をまとめる。

 

 

 

第5章第1節  本調査結果と先行研究との比較

 

本節では、たびたび本論文に登場した影響モデルに沿いながら、「経験・行動」「心理・価値観」「社会と自己」の要因カテゴリーごとに項を立てて、単純集計から分かる大学生の傾向を見た後、第2章の先行研究と比較することで、共通点や相違点を明確にしたい。

 

第1項は、将来展望と「経験・行動」の関連、第2項は将来展望と「心理・価値観」の関連を、第3項では将来展望と「社会と自己」の関連について見ていきたい。

 


 

第5章第1節第1項 「将来展望」と「経験・行動」

 

本項では、「経験・行動」に注目し、「将来展望」の関連性を考察する。まず「経験・行動」にまつわる大学生の特徴を述べ、第2章第1節(P5)の先行研究と第4章第2節(P17〜)を比較する。

 

まず、単純集計から分かる大学生の傾向をまとめたい。「経験・行動」カテゴリーにかかわる質問には、サークル・アルバイトと学業態度があった。

図3−1、2から分かるようにサークル、アルバイトに象徴される私的活動への参加率は共に80%を超える高水準で、大多数の学生が参加経験ありと回答した。

その一方で、「まじめ」な活動である「授業態度」に関連する質問を見ると、体調不良以外でも欠席する学生が4割。加えて、学業に優先して長所を伸ばしたいと考える学生が65%にも上る。長所優先の態度は、高校までの熾烈な受験競争からの解放感によるものや個性重視の社会動向に対応して、自分らしさを求めようとする姿の表れなのかもしれない。

私的活動への参加率の高さと学業の優先度低下現象から、彼らの大学生活では学業よりも、サークル、アルバイトなどの趣味活動に重点が置かれている姿勢が見えた。

 

では、先行研究との比較をしてみたい。

本カテゴリーの先行研究として紹介した櫻井らの論文から分かったことは、勉学に対して積極的な姿勢を持つ学生ほど将来計画や意欲的な将来展望を有していたことであった。つまり、学業に対する姿勢や行動が真面目であるほど将来計画があるということだった。

 

 櫻井らの報告と同様な結果が得られたのか本論文を振り返ってみると、今回は重回帰分析から将来展望と学業態度の関連性は見られず、先行研究とは異なる結果となった。

 


 

それでは、再度詳しく「経験・行動」と「将来展望」の関連について確認したい。

「経験・行動」カテゴリーを因子分析したところ「学業重視」「サークル・アルバイト」の2因子が抽出された。2因子それぞれについて影響を見ていこう。

 

円/楕円: 「経験・行動」図5−1 将来展望との影響モデル

 

 

 

 

 

 


まず、「学業重視」との関連について見ていく。本論文での「学業重視」因子は、先行研究における「勉学への積極的姿勢」と同義だと考えられる。先行研究では学業への積極的姿勢があるほど、将来展望があるという影響が見られたが、本論文の重回帰分析では、学業重視の態度は将来展望に影響を与えていなかった(.009 n..)。

つまり、学業重視の姿勢を持つ人ほど将来展望があるという先行研究からの結果とは、異なる調査結果となった。先行研究では、学業態度と将来展望の関連が見られたが、本調査で影響が見られなかった要因を考えたい。今回は、学業重視因子だけではなく、将来展望に影響する複数の因子を含めて重回帰分析した。その結果、相対的に他因子と比べて学業態度が大きな影響を与えず、学業態度が与える影響が他の因子に埋もれてしまったことが要因として指摘できる。

いずれにせよ、本論文での学業態度についての結論は、学業重視態度と将来展望とは何ら関係がなく、学業に積極的な姿勢を持つまじめな生徒ほど、将来展望があるとは言い切れない。

 

 「経験・行動」2つ目の因子「サークル・アルバイト経験」の「将来展望」に対する影響は先行研究では調査されていなかった。両者の影響性を解明することで将来展望に対する本論文独自の新たな関連性が明らかになるかもしれない。

その結果、「サークル・アルバイト経験」はわずかながらも「将来展望」に負の影響を与えていた(-.140*)。つまり、サークル・アルバイトに消極的な学生ほど将来展望がなく、サークル・アルバイト経験がある学生ほど将来展望を持っているのである。サークル・アルバイトを経験する学生は将来展望を持つ傾向にあるということは少なくとも、その経験が将来展望に何らかのプラス作用をもたらしていることを表す。もしかすると、元は見知らぬ他人同士が、一緒になってコミュニティを形成するまでに生まれる葛藤や仲間とのつながりを実感しながらの活動経験自体が将来展望を描くための有益な経験となっている可能性がある。サークルにおける共通する趣味を通じた交友関係の拡大、アルバイトによる就業体験を通して賃金を得るという経験が貴重な材料となり、将来展望につながるヒントが自分の中に生まれてくるのではないか。

また、永井(2005)も「社会的ネットワークの量と質が個人の生きがいに影響を与え、社会活動、趣味、地域社会、仕事はもちろん、家族などのインフォーマルな人間関係は個人の人生に大きな影響力を持つ。より広範囲なネットワークをより多く持つ者が、より多くの社会活動に関わることになり、結果的に生きがいの程度も高くなる」(永井 2005: 103)と述べているように、すでに永井によって趣味的な活動からもたらされる効果は明らかとなっていた。

いわゆる趣味活動と将来展望との関連は先行研究では調査されていなかったが、本論文でいかにサークル・アルバイトを通した活動が、将来展望によい効果を生むかという新しい関連性を発見できた。


 

第5章第1節第2項 「将来展望」と「心理・価値観」

                   

図5−2 将来展望との影響モデル

 

 

 

 

 

 

 

 


 本項では、上図(図5−2)網掛け部分の「心理・価値観」と「将来展望」の関連に絞って考察を行う。大学生の価値観、自立性を単純集計から読み取り、本稿第2章第2節(P6)と第4章第3節(P19〜)を比較し、分かったことを述べる。

 

まずは、大学生の「心理・価値観」について、単純集計から価値観・自立性の傾向を見ていく。

価値観では、高度経済成長期に流行していたような社会的名声や地位の獲得よりも現代の大学生においては自己啓発、倫理性を重視する傾向にあることが平均値の比較により判明した。

「社会や人のために」という高い倫理性に連動して、ボランティア活動への高い参加率も期待した。だが、参加経験がある学生はたった15%にとどまった。倫理性が高いとはいえ、価値観と具体的行動が両立しておらず、これまで守られてきた倫理性という社会規範はとりあえず守っておいた方が無難であるという建前が学生の間に存在しているに過ぎない。

 

 次に、大学生の自立性に話を移すが、経済的、精神的の2つの面を調査した。

経済的自立性については、社会通念の圧力からなのか建前上、自分の身は自分でたてるべきだという学生が81%の高い割合で、親の家計から独立して生活を営むことは当然のことであるかのように捉える学生が多い。そうはいうものの、自分の身をたてる手段となる働くことについては消極的な学生が多い。これは、「早く働きたい」学生が46%にとどまったことから分かる。経済的自立に関しては、自ら生計をたてるべき「建前」と、いざ働くことには躊躇してしまう「本音」が交錯し、学生の葛藤する様子が顕わになった。

 

精神的な面からみた自立性に関しても経済的自立性にも見られたような建前と本音の交錯が見受けられた。

世間におけるパラサイト・シングルに対する非難、大人になれば親から独立すべきだという社会通念がここにも影響しているのか、「早く親から自立したい」という建前を持つ学生は74%の割合で存在する。

だが、その建前に探りを入れると、やはり学生の本音が垣間見えた。早く大人になりたい学生も当然存在するが、半数の51%の学生がまだ子供のままでいたいという本音を持っていたのである。

大学時代は青年期に該当し、一般的に社会的責任を一時的に免除もしくは猶予される期間にあたるとされる。青年期の延長の問題を前面に出したモラトリアム論を主張したのがE.H.エリクソンであるが、エリクソンの説をベースにして1970年代末の若者論としてのモラトリアム論をリードしたのが、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978)をはじめとするモラトリアムをテーマとした論考である。小此木は、モラトリアム心理が、若者だけでなく日本人全体の性格特性として普遍化し、現代の日本人の社会的性格にまでなっている(小此木 1978: 35)」と論じている。

小此木によっては特に若者の時代で大人になろうとしないモラトリアム人間の増加が主張されているように、大人になりたい学生(49%)と、依然として子供のままでいたい学生(51%)に分断される様子が今回の調査で見受けられた。間もなく社会人の仲間入りをする大学期に51%という半数もの学生が大人になることをためらうモラトリアム状態にあると解釈できる。比較データがないため確実には言えないが、小此木の言うとおり以前に比べるとモラトリアム人間が増えている可能性も否定できない。

 

これより、先行研究との比較を行うことにする。

先行研究として挙げた紅林らの論文から判明したのは将来展望と心理・価値観の関連において、自分に対して肯定感を持つことができない学生ほど、将来展望を持てない傾向にあるということだった。

 これは本論文でも言えるのだろうか。重回帰分析の結果から、自己肯定感が低い学生ほど将来展望がない(-.309**)という先行研究と同様の結果が得られた。自己肯定感は将来展望に対して影響を与え、さらに最も値が大きかったことから、将来展望に対して大きく影響しているといえる。つまり、自己肯定感がない学生ほど将来展望がないということは紅林らの結果と同じである。

 

では詳しく、「心理・価値観」カテゴリーに含まれる全因子の結果を振り返ってみたい。

因子分析によって「社会的名声重視」「自立性」「正義感」「選択回避性」「自己肯定感」「努力重視性」の6つの因子が抽出された。この6因子が「将来展望」に与える影響を重回帰分析で検証した。


 

円/楕円: 「心理・価値観」図5−3 将来展望との影響モデル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そうすると、6つの因子中「自己肯定感」「社会的名声重視性」「自立性」の3因子が「将来展望」に負の影響を与えていた。これを解釈すると、自己肯定感や自立性がなく、社会的名声を重視しない学生にこそ将来展望がない学生が多い。

まず、-.309という数値で将来展望に最も影響していたのは「自己肯定感」であった。自己肯定感がない学生において将来展望を持てない学生が多く、紅林らの先行研究と同様の結果が明らかになった。どのようなことであっても、○○ができるという自己に対し肯定的な考えを持てない学生ほど将来展望が描けず、高い影響性であることからいかに将来展望を描く上で自己への肯定感が重要かということを知ることができる。

 

影響が見られた2つ目の因子である、自立性がない学生が将来展望を持てないという関連。自立できず親に依存するパラサイト・シングルが問題視されるなど巷でも時折、自立できない若者に関する批判が見られる。自立性がない、つまり誰かに依存し、誰かに自己を委ねる生き方を選好していれば、誰も進んで自分の将来を設計するようなことはせず、将来展望など立てる必要がない。よって、自立性がない学生が将来展望を持たないことについては筋の通った当然の結果といえる。

 

さらに将来展望に影響した因子の3つ目、社会的名声を重視しない学生が将来展望を持っていないということについて見ていく。社会的名声を重視しないということは、自分以外の他人に自分の価値を承認してほしいという向上的欲求や上昇志向を持たず、外部世界での競争を避ける傾向にあるといえる。

 

一方で、「心理・価値観」の因子分析から得られた6因子のうち、ただ今影響性を述べた以外の「正義感」「選択回避性」「努力重視性」は将来展望に影響しないことが分かった。なぜ、この3因子は影響が見られなかったのだろうか。

 

まず、影響が見られなかった因子の中の「選択回避性」が「将来展望」に影響していないことから、将来への選択を避けているうちに将来展望が描けなくなっているわけではないことが分かる。将来の選択と積極的に向き合っていても、将来展望が描けないという苦境に学生は立たされている。

 

また、「正義感」「努力重視性」については、ルールを守って協調しながら生活を送る正義感、努力をすることなどはこれまでの社会通説として大半の学生が当然のことだと理解し、これらを社会規範として重視しない学生はほとんど存在しないため、分析として比較できるほどの変数のばらつきが表れなかった可能性が指摘できる。このような社会規範は皆一様に保有しているため、その考えを持っているからといって将来展望に大した影響を与えるとはいえないのだろう。

 


 

第5章第1節第3項 「将来展望」と「社会と自己」

 

図5−4 将来展望との影響モデル

 

 

 

 

 

 

 

 


 本項では、上図網掛け部分「社会と自己」と「将来展望」の関連を取り上げて考察したい。社会観に関する単純集計より大学生が社会に対してどのような思いを持っているのか、また、生きづらさを感じている割合について先にまとめ、本稿第2章第3節(P7〜)の先行研究と第4章第4節(P24〜)を見比べる。

 

単純集計から「社会と自己」カテゴリーの社会観について大学生の傾向をまとめると、社会状況の悪化を訴える学生は55%(図4−11)であり、現代社会は競争が激化していると感じる学生の割合はさらに増加し、78%の学生が競争の激しさを感じている(図4−12)。

並びに、生きづらさを感じる学生の割合は31.6%(図4−13)であり、人生80年の時代が到来し、未だ20歳前後の希望に満ちあふれているべき大学生の段階で、もはや生きづらさを感じる学生が3割も存在することは看過できない。

 

そして、先行研究と本論文の比較に入る。「社会と自己」カテゴリーの先行研究として、玄田論文と姜らによる2つの論文を挙げた。これらより分かったことは2つあった。1つ目は、個々人がどんな社会観を持つかによっても希望の有無は左右され、社会の先行き不安、他者への不信感などの悲観的な社会観を有する者ほど、希望をもつ割合は低下しているということ。もう1つは、不安をもつ者ほど未来にネガティブなイメージを持つため、将来計画も立てられない状況が判明した。

 

 では、本論文でも同様の傾向が見られたのだろうか。


 

円/楕円: 「社会と自己」図5−5 将来展望との影響モデル

 

 

 

 

 

 

 


重回帰分析の結果、悲観的な考えを持つ学生ほど将来展望がない(.212**)ことが明らかになった。さらに偏回帰係数は小さく、将来展望に与える影響は少ないものの社会状態の悪化を感じている学生のほうが、将来展望がない傾向が表れた(.143*)。

特に玄田論文と類似した結果であり、先行研究で得られた結果が今回の調査でも同様に見られ、2因子ともが影響していることから社会観が将来展望に与える影響も大きい。

 

「社会と自己」との関連を因子分析の過程から詳細にたどっていくことにする。「社会と自己」カテゴリーからは2因子「悲観的」「社会状態の悪化」が表出したが、ともに「将来展望」に影響する結果となった。社会がだんだん悪くなる「社会状態の悪化」、不信感・絶望感・孤独感など「悲観的」な考えをもつ学生ほど将来展望がない。社会の先行き不安、悲観的な社会観を持つほど将来展望がないというのは、先行研究と同じ結果といえる。

 

私たちは社会の構成員として存在している以上、社会や他人と関わり合いながら日常生活を営むため、そこから生じる感情は日々変動し、受ける影響は大きい。社会や他人との間で生まれる感情や社会情勢をどう捉えるかという社会に起因する個人の主観によっても学生の将来展望は変動することが分かった。

つまり、生き方、価値観などの学生の主体的特性という個人的要因のみならず、学生の将来展望には社会状況を反映した社会観も影響しているのである。


 

第5章第2節 大学生の判断基準

 

 本節では、回帰分析とは別となる大学生の判断基準に着目して行った分析を考察したい。判断基準を探るために「何をもって社会で成功したとみなすか」という社会での成功条件と、「勝ち組、負け組はそれぞれどのような人物、状況を指すか」を自由記述回答で求めた2種の質問を分析した。

 

 まず、「何を社会での成功条件とするか」では31.5%で努力が最も多い回答となった。しかし、努力による万能感を感じている学生は少なかった。それは、「自己の努力次第で何でもできる」と思う学生が約40%にとどまったこと、そして努力が報われない徒労感を持つ学生も34%に上っていることから分かる。

つまり、努力を成功条件に挙げることと、それが報われることや努力によって何でもできることとは一線を画して捉えている学生が多いといえる。さらに、努力の回答が全体に占める割合が3割という低さからも、努力を成功条件とする学生の割合が一概に高いとはいえない。

 

 続いて、勝ち組、負け組に関する自由記述回答の考察に移る。「どのような人物や状況を勝ち組、負け組だと思うか」質問した。分析に際して、回答を主観的基準と客観的基準を採用する者の2類型に分類した。

判断基準を分析すると、自分の尺度に基づき、勝ち組になるか負け組になるかは自己の行動や受け取り方次第であるという主観的基準を採用している学生が勝ち組、負け組ともに7割を占め、大半の学生がこちらのタイプに属する。つまり、判断基準に他人からの視点を取り入れることはせず、自らに適合した基準を探し出して、その独自の基準をよりどころとしている。中でも自分の現状に納得さえできれば、誰でも勝ち組になれると解釈する学生が多い。主観的基準を採用している学生は、自分の行動や考え方次第で誰でも勝ち組になることができ、決して勝ち組が手の届かない存在ではないと考えていることから、判断基準において一種の自己責任を感じているように見受けられた。

一方で、残る3割の学生は客観的基準を採り入れ、他人からの視点も気になるためなのか、誰もがうらやむお金持ちや高い地位、幸せな家庭などのような既存の判断基準に縛られているように思われる。彼らは金持ちになることや高い地位を得ることで自分が満足するのはもとより、他人からも賞賛されることで、二重の満足感を期待するのではないだろうか。主観的基準の学生にはない客観的基準の学生の特徴として、自分の現状に対して他者からの承認も獲得できて初めて満足できる傾向があるのではないだろうか。

また、相関係数より客観的基準の学生で特に将来展望がなく、他者への不信感や社会情勢の悪化を感じる割合が高いことが明らかになった。基準において他人に縛られる学生ほど他者や社会に敏感に反応する傾向があるのかもしれない。反対に主観的判断基準を採用している学生ほど将来展望は明るいことになる。

 

ここで海原(2006)による判断基準に関連する主張を紹介したい。

「現代は自分の可能性に気づく人と気づかない人、自己実現へ向かう人と外的条件を求め続ける人という格差の時代のようにみえる」(海原 2006: 221)と述べている。これは主観的基準を採用する学生と客観的な基準に縛られている学生に二分され、後者ほど悲観的傾向がうかがえた今回の判断基準の結果が見事に反映された引用といえる。

従って、自由回答の分析からは既成の判断基準を採用する学生と、自分なりの判断基準を持つ学生に二分している状況が明らかになった。中でも他者から評価されることや、一般的な判断基準の達成を目指すのではなく、多くの学生は自分なりの基準で現在の状況を受け入れ、納得することを重視している。後者の学生においては、社会や教育現場で求められるようになった個性や自分らしさの追求に適合しようとする姿勢の持ち主だともいえる。

 


 

第5章第3節 総括

 

本論文では「大学生の希望格差」にスポットを当て、「将来展望がない学生は将来展望がある学生と比較して行動や考え方にどのような特徴があり、その特徴の中でも何が将来展望を左右する要因となっているのか」について考察してきた。まず、将来展望を持つ学生と持たない学生を特徴づける行動や心理的特徴を測定する新たな尺度の作成を試みた。そして、その因子が将来展望に与える影響を重回帰分析により明らかにした。

第2章で紹介した先行研究の分析法は、「将来展望と学業態度」や「将来展望と社会観」というように、「将来展望と○○」という1対1の影響度を検証していた。しかし、将来展望に影響する要因をいくつかに集約しようと複数の先行研究を分析すると、将来展望への影響が予想される要因を3つに分類できた。本調査を実施したメリットは、それらを全て一括に独立変数に設定することにより、複数想定される要因の中でどれが最も将来展望に影響しているかを明らかにできたことである。

 

図5−6 将来展望への影響

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「個」は個人的要因、「社」は社会観を表す。線の太さで影響度の大小を表している。

 

将来展望に影響する要因には6つあることが判明した。将来展望を持つために最も必要な第1の要因に、どのようなことであれ自分は○○ができる、という肯定感を持つこと。第2は、とりわけマイナス感を帯びた社会情勢に過敏に反応し悲観的にならず、第3に自己に対しても悲観的にならないこと。第4に社会的名声を重視するなど上昇志向を持つこと。第5に自立性の確立が挙げられる。第6の要因としてサークル・アルバイト経験を積むことである。以上が、本論文での調査を通して得た結論である。

ここでは、将来展望につながらなかった「授業態度」「選択回避性」からも考察したい。

なぜ、「授業態度」が将来展望に影響しないのだろうか。先行研究の通り学業に真面目な学生は将来展望のために勉強に励んでいるのであり、既に将来計画も持っているという勝手なイメージが筆者にはあった。だが、授業態度が真面目であるからといって将来展望が持つことができているわけではなく、また、学業に励むことが将来展望につながるわけではないことも分かった。

このことには、今回の調査で成功条件を聞いた質問において「人柄」と答えた学生の増加や、企業が採用で重視する項目でもトップだった「人柄」が関係していると考えられる。現在、社会から要請される能力となりつつある「人柄」などはポスト近代型能力と総称され、これらは曖昧かつ柔軟な能力で、そもそも努力を通じた取得が困難であり学校教育など机上の学習から獲得できるものではない。ただ、ポスト近代型能力は座学ではなく社会に踏み出し、対人関係の中で育まれる能力であることは確かである。佐藤(2003)が「時代が変わったのだ。独創的な発想、視野の広さ、コミュニケーション能力。そういうものがまず求められる時代には、必死に勉強してよい成績をとるガリ勉人間の価値は下がる。(中略)だから、ガリ勉のような生き方を若者は選べなくなっている。」(佐藤 2003: 46-49)と述べている。

つまり、学業に対する努力が「人柄」の形成に直結しないため、学生が学業に価値を見いだせず、モチベーションが高まらない状況にあると考えられる。社会側がポスト近代型能力の獲得を要請しているため、学生がそれに応じた能力の獲得に奮闘する結果として学業離れにつながっており、学業離れ現象は社会で求められる能力に対応しようとする学生の姿である。しかし、今後も学生が学業と距離を置く状態を継続するとなれば、学業離れ現象を招いている原因が社会背景にあることも知らずに、世間は学生を問題化させるに違いない。

また本田は、「ポスト近代型能力の要求の過剰な高まりこそが格差化を招く」(本田 2010: 239)と述べた上で、若者における新たな問題や格差化が進行する恐れも懸念する。

 

では、「選択回避性」が将来展望に影響しなかったことについても検討してみよう。将来の選択保留が将来展望を描けなくなる状況をつくり出すなど、両者には間違いなく関連があると考えていた筆者の予測は覆された。将来への選択を回避するうちに将来展望も描けなくなっているわけではない。むしろ、現代の学生は選択を回避するというより、将来の進路と真剣に向き合っている姿勢がある。これは、将来について考える学生が87%(図4−1)だった結果に裏付けられる。学生が将来について考えていないわけではなく、将来展望が描けない背景には将来と真剣に向き合っているがゆえに展望が開けてこないという一見矛盾するような問題をはらんでいる。これには、将来への選択の幅が広がり、あれこれ思いめぐらせることが一貫性を失うことにつながり、結果的に将来展望が描けなくなっている可能性がある。将来展望に一貫性を失っていると回答した学生は57%(図4−1)という半数を超えている。

将来展望に一貫性を失う要因としては、学生が多感な年頃ゆえに社会に溢れる情報に振り回されていることが挙げられる。重回帰分析でも社会観に由来する2因子ともが将来展望に影響していたことにもあるように、学生は社会の在りように敏感に反応しているようだ。要するに、将来展望には社会から受ける影響も無視できないのであり、学生の将来展望の有無に対する全ての責任を学生自身や学生全体の問題と押し付けることには難がある。

社会に溢れる情報に翻弄されないために、本調査にも登場した自立性や、自分に合った主観的判断基準を設定し、ぶれない自我の確立が学生にとって必要であると考えられる。将来への選択肢が多様化するメリットの裏には、同時に自己のあり方を自らで定義し、選択してゆくことへの要請が以前にも増して高まっている。情報過多の時代に自分の拠り所をどこに、何に置くかの見極めが難しい課題である一方で、この課題の克服が求められる。

そうではあるが、この総括で主張したいのは社会に溢れる情報に対する対処法ではない。学生が自身の将来展望に対してどのような働きかけをしていくべきなのだろう。

まず、社会状況の動向が将来展望に影響しており、先述して不景気など社会の影響を真っ先に受ける立場にあるのが若者であることを指摘した。だが、いくら2因子ともが影響し、それほど社会から受ける影響が大きいとはいえ、社会はいつ、どう変動するか予測不可能である。若者個人の力で社会を動かし、自己の将来展望に結びつけることは到底不可能である。

それならば、将来展望に影響していた要因で社会に関連しないものには何があっただろう。個人的要因には「自己肯定感」「社会的名声重視」など、自分自身に対してどのような思いを持つかという、自己に関する認識が将来展望に大きく影響していたのだった。

しかし、これらは自己の感情に関わる部分で、精神的なものを無理に転換するのは並大抵のことではないのは周知の通りで、将来展望を確立する自信どころか、かえってあきらめを感じてしまうのではないだろうか。

結果として、偏回帰係数が小さく将来展望に与える影響は小さいものの、自己コントロールが可能な「経験・行動」面、本調査でいう「サークル・アルバイト」から働きかけてみてはどうだろうか。サークルやアルバイトがもたらす効果を既に主張していたのが浅野(2011)であり、趣味・サークル活動から生まれる人間関係を「趣味縁」と呼んでいる。趣味集団はかつて、内閉的な集まりで意識が外側に向かなくなると危惧されていた。しかし、「趣味縁」が若者にとってソーシャル・キャピタル(社会関係資本)となり、公共性や社会参加につながる可能性について論じている。集団内での対立や和解経験、多様な趣味集団に属することで得る自己の多元性などをメリットとして挙げている。

このような主張にも従うと、将来展望がない学生はもちろんのこと、将来展望がある学生にとっても、学業のような「真面目な」活動以上に、サークル・アルバイトのような「趣味縁」を通した経験の積み重ねが、更なる将来展望の進展に一役を買う可能性が示唆される。学生にとっての将来展望を含めた自己像なるものは対人関係の中に身を置いてこそ構築されるものなのかもしれない。少なくとも、サークル・アルバイト経験がある学生ほど、将来展望があり、身近なコミュニティへの参加が将来展望を描く上での有益な経験となっていることはデータから明らかである。

元は見ず知らずの他人だからこそ1つのコミュニティ構築までの困難など様々な思いを共有し、社会生活を体感することに意味がある。また、コミュニティへの仲間入りがアイデンティティを保障し、社会貢献している充実感など自己価値を高める自己肯定感が無意識に生まれる効果も期待できる。願わくば自信にも作用し、将来展望がない学生に不足していた社会的承認を獲得したいという向上的欲求も湧いてくる可能性がある。

さらに、「趣味縁」を通した社会参加の効果はそれだけにとどまらない。将来展望のない学生に多かったのが悲観的に考える傾向だった。因子分析から「悲観的」の構成項目は6つあったが、背景に媒介し6項目を結び付けているのは「孤立感」や「孤独」であると筆者は解釈した。つまり、将来展望がない学生は孤立感や孤独を感じる傾向にある。そこでも、「趣味縁」が効果を発揮すると考えられる。サークルやアルバイトなどの「趣味縁」によって人間関係を築き、そこから生まれる他者との一体感が、孤立感や孤独を解消するための手立てとなるに違いない。

このように、「趣味縁」を通した社会参加を推奨する理由は1つにとどまらず、数々の心理的改善効果が期待できる。アルバイトやサークルという「趣味縁」での経験・行動が単なる活動にとどまらず、自己肯定や自信など心理的発展にもつながり、将来展望がない学生は将来展望確立のきっかけとして、将来展望がある学生にとっては更なる将来展望の開拓につながることが予想される。

そうは言っても、現実には誰もが同じように将来展望を持てるわけではなく、さらにサークル・アルバイト活動に80%を超える大概の学生が参加している現状がありながら、将来展望がない学生の中にはこういった活動に踏み出せない者がいるのも事実である。将来展望確立に至る前に、容易に解決できない個人的問題に苦悩している学生の存在など、即座に誰もが行動へ踏み出せるわけではない。学生それぞれの立場も考慮すると、将来展望がある学生を望ましい姿だと称賛し、将来展望がない学生を非難するのはもってのほかであり、さらには本論文で強調している「趣味縁」を通じた社会参加への要請も抑圧に感じられる学生もいるだろう。

それでもなお、筆者も学生という同様の立場から見つけだすことができた将来展望につながる発見を多くの学生に知ってもらいたいのである。学生の将来展望には社会観や自立性、趣味活動経験など様々な要因が影響しているが、何よりも自分に自信を持ち、肯定的に捉えられるかという心理的要素が影響している。これら心理的要素の改善には、直接心に働きかけるのではなく、経験・行動のような自己コントロールが可能な面から間接的に働きかけることが結果として将来展望の発展につながると考えられる。そこで特に、上述したように「趣味縁」を通じた社会参加が、自己に寄与する多様な有用性を押さえておきたい。サークル・アルバイト活動を単なる活動として終わらせるのではなく、「趣味縁」を生かした経験・行動をどれほど積み重ねることができるかによって、将来展望の明暗が分かれると筆者は訴えたい。