第1章 問題関心

 

 世間にはいつの時代も、「今時の若者はけしからん」などという若者への批判を耳にする。

 

1980年代の若者論は新人類論で始まり、オタク論で終わった。この時代の若者はそれまでの世代と違い、新しい価値観を持つ世代ということで「新人類」と呼ばれた。新人類論の特徴は、高度なメディアリテラシーと消費性への期待があった。当時、個人向けコンピュータやビデオデッキの発売など新しいメディア環境が急速に整いだし、若者たちは創造的な受け手として大いにもてはやされた。しかし、80年代後半から、今までもてはやしていた態度が彼らに対するオタク叩きへと一変した。

また、この時代の若者は、「仕事は仕事として精を出し、夢を抱かず、他方、消費文化世界でやりたいことや好きなことを自己実現することで、総じて人並みの幸せが得られればそれでいい(浅野 2009: 337)」と考えていた。

 

1990年代に入り「若者論」の終わりが指摘される。もはや若者を一枚岩の集団としてはとらえられないという指摘が相次ぐ。この指摘は、この頃から○○族という若者をひとつの集団として捉える言い方ではなく、○○系という言い方が主流になったことに反映される。

 

そして、2000年代以降は社会と若者の関係を描く形式が多く登場する。例として、山田昌弘の「希望格差社会」、鈴木謙介の「カーニヴァル化する社会」、三浦展の「下流社会」、本田由紀の「ハイパー・メリトクラシー⁽¹⁾化する社会」が記憶に新しい。その中でも「希望」をキーワードとした言論に世の中の注目が集まるようになる。

以下、「希望」がキーワードとなったものを少し紹介したい。

 

◆『希望格差社会』(山田2004

「希望格差社会」とは、勝ち組と負け組の格差が否応なく拡大する中で、努力すれば報われるとの希望が持てる階層と、努力は決して報われないという思いを抱かざるを得ない階層が分断化していく社会をいう。

「希望は、人間の心の底で気力ややる気、生きる力を支えるものであるから、それを奪われることは心の崩壊を引き起こす。現在において、自分の未来に希望はないという閉塞感、希望を持てる人と持てない人に分かれるという考え方は、お金や学歴の有無による格差とは比較にならないほど深刻な事態を引き起こす」と山田は述べる。

 

また、山田は現代を「リスク化」「二極化」という2つのキーワードを用いてとらえている。

「リスク化」とは今まで安全、安心と思われていた日常生活が、危うさを伴ったものになることを意味する。例えば、「大学を出てもフリーターにしかなれない若者もいるし、大企業に入社しても倒産や解雇と無縁ではいられない(山田 2004 : 12)」例が挙げられる。

第2のキーワード「二極化」とは中流化の対義語であり、一般的に生活水準の格差拡大という意味で使われる。この言葉には「格差拡大が進み中流が喪失し、上下両極端に分かれていく(山田 2004: 51)」というイメージがある。

 

「社会がリスク化し、二極化が明白になってくると人々は将来の生活破綻や、生活水準低下の不安を持つようになる。能力や親の資産があれば成功して豊かな生活が築けるだろうが、能力的にも経済的にも人並みでしかなければ不安定な生活を強いられるかもしれない、という不安である。すると多くの人が努力しても報われない、よりよい生活を求めて努力しても無駄であるとあきらめ始める。これが希望の喪失による、やる気の放棄である。そしてリスクフルな現実からの逃走が始まる。こうして「量的格差(経済的格差)」は「質的格差(職種やライフスタイルの格差、ステイタスの格差)」を生み、そこから「心理的格差(希望の格差)」につながるのである。特に、時代変化に敏感で、不安定化の影響を真っ先に受けている若者たちの中には未来に対する不信感、そして将来の自分の人生に対する絶望感にとらわれる者が多くなる(山田 2004: 15)」と主張する。

 

 山田の著書に限らず、社会と若者の関係を描く大半の著書では、低成長時代に生まれた現代若者は、格差社会を生きる不遇の存在として描かれている。しかし、「若者は不幸だ」と考えられていた、従来の常識を覆す主張がなされるものが近年登場し話題となった。それは、古市が著した『絶望の国の幸福な若者たち』である。

 

◆『絶望の国の幸福な若者たち』(古市2011

古市は、馴染みの深い内閣府「国民生活に関する世論調査」を根拠として、2010年時点で20代若者の70.5%が現在の生活に満足し、若者の生活満足度は年々上昇していることを発見した。不幸だと思われていた日本の若者が、他の世代に比べむしろ生活に満足し、幸福度が高いという予想外の結果に我々は驚かされた。

 

以上のように2000年代以降、若者と社会特に「希望」と結びつけた言論が目立つようになった。このような言論の広まりは、「希望」と「若者」が切っても切れない関係になりつつあることを反映しているといえる。

 

 それでは、若者に関連するデータを参照してみたい。

 バブル崩壊以前の1990年代までの若者は自由と豊かさを謳歌していた。しかし、近年は一転して、若者を取り巻く社会・経済状況は深刻化している。2000年代以降は不況の影響を受けて、就職、結婚、社会的自立への移行困難など様々な社会問題に若者が巻き込まれる形となった。

労働力調査によるとニート⁽²⁾状態にある若者は平成14年から17年までの4年間と平成20年に記録した64万人のピーク以降、平成23年まで60万人台で推移している。そして、フリーター⁽³⁾数は平成15年に217万人という最大数に達して以降、5年連続で減少し、その後再び2年連続で微増している。ニート、フリーターなど不安定な状況にある若者はこのように確かに存在しているが、以前と比べて数値に大きな変動が見られるわけではない。

それにもかかわらず、若者に対して「親に依存して自立しようとしないパラサイト、「大人」になりたくない―社会の中での責任を引き受けようとしないモラトリアム、気楽に暮らし気軽に収入を得たいフリーター志向など、若者たちの生きることに対する消極的な価値観に対する批判が目立っている」(市川 2003: 49)状況がうかがえる。

 

このように、社会と若者の関係を描くものが目立っている動向を受けて、本論文では大学生の将来展望(希望)に焦点を当てることにする。

大学生の将来展望を研究テーマに設定したのは、筆者自身も将来展望が不明確な学生の一人であり、同じ境遇にある学生がどれほどいるのか、将来展望を持つ学生と将来展望を持てない学生との違いは何か、を知りたい個人的理由からである。学生の将来展望に影響する要因を明らかにすることで、筆者も含め、将来展望がない学生にとって将来展望確立の手掛かりとなる指標が得られると期待している。

大学生の将来展望の実情や行動・心理的傾向を把握した上で、行動や心理的傾向がどう影響し、学生間における将来展望の有無という違いを生んでいるのかを調査する。

 

本論文の章だてを以下に述べる。

第2章では本調査と比較する先行研究を紹介する。第3章では、今回実施した質問紙調査の概要を述べる。具体的な調査分析に入るのは第4章以降で、第4章では将来展望に関連する要因を探る。各節では、まず単純集計から行動・心理的傾向の結果を示した上で、各カテゴリー内で行った因子分析の過程を記載し、第5節において得られた因子を用いた重回帰分析より将来展望がない学生に見られる傾向を明らかにする。

そして、本論文では回帰分析とは別に、学生の判断基準に着目した分析も行った。それについては第4章最終節である第6節で紹介したい。第5章では、本論文から得られた結果を考察としてまとめることにする。