第4章 立山町での地域おこし協力隊

ここでは富山県立山町で行われた地域おこし協力隊の活動をインタビュー調査から得られたデータをもとに述べる。調査概要に関しては第1章を参照。

 

第1節     1年目

 

第1項 受け入れまで

ここでは立山町で地域おこし協力隊を受け入れるまでの流れを見ていきたい。

〜立山町役場企画政策課へのインタビューより〜

○受け入れ理由

山間地域(里山地域)において少子高齢化が進んでいた。また都会の人々は今、田舎に興味がある人が多い。そこで立山町企画政策課では、定住交流推進事業の一環として地域おこし協力隊を始め、新しい人が来ることによる地域の活性化を狙おうとした。
 また、若い人たちを地域行事に誘致して、地域行事を通して自分の町も良いと思ってもらうきっかけを作っていけたらという思いもあったという。町で受け入れ地区の募集をかけたところ、里山地域の一つである新瀬戸地区が受け入れを希望した。新瀬戸地区は、越中瀬戸焼など伝統芸能が盛んな場所であり、コミュニティ活動が盛んな地区である。

他にも東谷地区が受け入れを検討したが、地区の意見がまとまらなかった。20104月からの新瀬戸地区で活動する地域おこし協力隊の募集を募ったところ、11名の応募があった。書類審査で応募動機などを見てから、5名に絞り込み、新瀬戸公民館で地元の人を交えて面接をして1名に絞り込んだという。

 

○待遇

町では、住居(地元の人に空き家を探してもらった)、自動車、報酬 月額20万円、ケーブルテレビ・インターネット利用環境を用意している。

隊員負担としては引っ越し費用、交通費、健康保険料、年金保険料、その他生活費などとしている。その他の費用については相談して決定する。

立山町では、「立山町地域おこし協力隊員」として委嘱を行い、新瀬戸地区公民館を拠点として活動を行っている。

 

○期待

隊員一人にすべての期待をかけているわけではない。今まで地域で活動してきた先導者の人達は、定年をむかえた人達が中心だったが、その人達は年を重ねていく。その次の世代はまだ働いている人達なので、平日は中々難しいが、土日などを利用して、その地区のコミュ二ティ活動をやっていくことで地区自体が元気になり、盛り上がっていけたらと考えている。 それにより活動している人の息子さんや娘さんが大学などで立山町から出て行っても、また地元の新瀬戸地区が住みやすかったということで戻ってきて貰えたらと思っている。
 都会の人達を呼んでもらって、新しく住んでもらうということも全然期待してないわけではない。だがそれよりも、一番は地区の若い人達が地区を離れないで、地区が良かった、良い地区だから住みたいって思ってもらえることが一番だと考えている。

 

〜小島氏インタビューより〜

 ○きっかけ

発展途上国の支援をする中で、途上国の人々の社会(他の社会)ではなく、日本社会(自分の社会)に関わる仕事がしたい、自分の社会に貢献したいという気持ちが芽生えてきたためだと語っている。また、海外から日本を見てきて明らかに日本の元気、特に地域の元気がなくなってきていると感じていたためという。

地域おこし協力隊に関心を持ったきっかけは 、彼が一時帰国をしていた時にテレビで偶然に集落支援員()という制度について放送していたことである。そこで集落支援員がしていた活動は、地域の人々の橋渡し役であった。彼は途上国で組織を繋いでいく立場として同じような仕事をしていたため、「これなら僕にもできるんじゃないか」、「それまでの経験が使えるんじゃないか」と思った。その後は「偶然」の重なりであり、偶然に集落支援員と似た様な制度である、地域おこし協力隊が総務省で始まり、偶然に立山町から募集が出た。その時にここだという縁を感じて応募したとのこと。  

彼の両親が登山好きで、立山の話をよくしていたというのもあるのだろうと彼は語っていた。

 

〜地域へのインタビューより〜

 ○地域での動き

新瀬戸地区は人口約700人、250戸の中山間地域である。地区での少子高齢化が進む中で、子どもの治安維持のために明るく住みやすい地区にしたいと思っている、とB氏は語る。
 このような状況の中で、新瀬戸地区は地域おこし協力隊を受け入れることになった。
 但しこの受け入れの音頭をとっていたのは、住民側ではなく立山町(行政)である。立山町は地域おこし協力隊の受け入れを決定した際、どこの地区が受け入れるか、ということを明確に決めていた訳では無かった。そこでいくつかの地区が候補に挙がったが、ある新瀬戸地区の町議会議員が、自分の地区で受け入れると手を挙げ、新瀬戸地区で受け入れることが決定した。

全体で11組の応募があり意外と多かったことにB氏は驚いたという。小島氏に決まった理由は結婚していて子どももいるのに、この事業に参加するということは、本気なのではないかと感じためだった。
 一方で新瀬戸地区の住民側の受け入れ準備は出来ていなかった、とA氏は語る。事前に受け取っていた情報は多くはなく、地域おこし協力隊が結局どういうことをやり、受け入れ側が何をしたらいいのかわからなかったそうだ。

 

第2項 受け入れ後

〜役場のサポート体制〜

○活動目標、町でのサポート

「『立山町地域おこし協力隊』の概要」には活動内容として次があげられている。

・里山地域等の1人暮らし世帯や高齢者世帯等の生活支援

・特産品など地域資源の開発及び情報発信

・地域行事などコミュニティの支援

・その他、里山地域の活性化につながる活動

具体的な活動は、地域おこし協力隊員と地元の方とで相談して決めている。

立山町では、活動の支援や、活動内容をホームページで公表している。また、毎週月曜日には、一週間の活動内容や悩みを聞くために小島氏に役場に来てもらっていた。

 

〜小島氏の活動〜

 ○小島氏が掲げる5点の活動目標

現在小島氏が掲げている活動目標としては次の5点をあげていた。

1 移住交流活動支援

2 子供たちの教育活動

3 高齢者との活動

4 地元の特産品の開発

5 町と里山地区の魅力を伝える情報発信

 

○よそ者であるということについて

小島氏は自身が「よそ者」であるとし、そのよそ者の視点を地域が取り込むことで、地域内である種の文化摩擦を起こすことが可能だと考えている。地域住民からもそのような視点や経験を期待されていると感じており、これらの点を踏まえ、彼の視点・経験が役に立つと述べた。

移住交流事業においては、彼自身が移住者であるから、他の移住者の気持ちが分かり、それゆえ移住者の気持ちを汲んで人を呼ぶことができると語っている。そして、彼は移住者ではあるがまた地域在住者として、移住者と地域住民との間を取り持つ役割、いわゆる中継役になれるのではと考えている。

 

 ○1年目の主な活動

 「協力隊通信」という自分の存在をアピールする紙媒体を持って地区220世帯をすべて回って配布した。

その他にも地区内でのウォーキングなどの地区での行事に積極的に参加することや自分の国際協力の経験を地区の小学校で話をすることをしていた。地区の小学校と一緒に古代米をつくり、秋には収穫祭も行っている。

夏には人手が足りない農家を支援するためにボランティアを募集し、一緒に農作業をするということも行っていた。

 1年目の活動ブログを見ると高齢者とのふれあいの様子も詳細に書かれている。これは1人暮らしの高齢者の家に定期的に訪問しているためでもある。

 秋以降には、2年目以降も行うことになるイベントである「田園コンサート」や「立山カントリーウォーク」(詳細は後述)といったイベントを行うようになる。

 

〜地域のサポート〜

 ○世話係

 A氏が小島氏の世話係になった理由は、A氏が10年前に愛知県から移住してきており、他の土地から来た人の気持ちがわかるからではないのかと思った地域の住民が、A氏に小島氏の面倒を見てやってくれと頼んだからである。

 小島氏の引っ越しが片付いた時に他の住民たちはみんな帰ってしまったが、A氏は小島氏を家に呼んで一緒に食事をしている。その後も住居の問題や活動方面でA氏夫婦は小島氏に協力している。

 

 ○役職

 B氏によると公民館の活動推進委員のメンバーに入ってもらったという。活動推進委員とは、新瀬戸小学校校下で行っているイベントやスポーツ関係の活動の手助けをしている組織である。また、小島氏に何かあった場合や困った状況の際には相談窓口の役割をするように頼まれているという。

 その他にも「魅力ある新瀬戸地区を考える会」に事務局として小島氏に関わってもらっていた。

  

第2節     2年目

 

1項 特産品コーディネーター

〜立山町役場商工観光課及び石崎氏へのインタビューより〜

○事業を始めた理由 

 主に東谷地区で特産品の開発や販路の拡大、ブランド化の推進をしてほしいということで企画した。しかし東谷地区を中心に活動するということで対象は全町となっている。

 地域力の低下の対策をするために立山町としては特産品の開発や販路の拡大に力を入れることになった。立山町には立山黒部アルペンルートが通っているが立山町の菓子などがなく、だいたい長野や町外の業者の菓子しかなかったという。そこで立山町町内で農産物・加工品を町としてPRしていろんな人に知ってもらうためにこの事業を始めた。

 地域おこし協力隊ではなく「特産品コーディネーター」という名前を付けた理由については、地域おこし協力隊では活動範囲が広くなってしまうためである。

 任期は1年更新で最大3年まで更新可。

 

○選考方法

 7名の募集があった。1次選考である書類審査で3名に絞り、2次選考は立山町役場で面接を行った。

 この選考は企画政策課が担当していたが、実際に事業が始まった後は商工観光課の担当となった。

 

 ○応募した理由

 石崎氏は20年ぐらい前から年に34回立山に登っており立山が好きだったという。それを知っている富山県出身の友人が受けてみないかと連絡を受けたのが理由である。友人に立山行くのはあんたしかいないと言われ、その気になり、企画書を見たときに自分なら可能性があると感じ受験したという。

 

〜活動〜

○方法

 小島氏は任地に住んで活動をしていたが、石崎氏は主に役場の商工観光課内で活動している。具体的な活動内容は石崎氏本人に決めてもらい、それを町がサポートするという形になっている。

 

○住民からのリアクション

 事業を始めてからは町内の事業者や団体がアドバイスを求めるために電話や直接役場に来ることがあった。

 

○特産品開発、販路の拡大

東谷地区のコシヒカリの特産物化を行っている。もともと地域内で求められていた事案であった。都内で何度も行ったマーケッターへの試食から高評価を得ることができた。その後はグリーンパーク吉峰で販売された。

 他にも立山町町内で生産された卵はサンプル配布を経て都内の百貨店で販売されるようになった。

 今後の課題として他のものより優れているという点を一つ一つ証明していかなければならない、中途半端な姿勢では安売りの中で埋もれてしまうという。

 

○住民との交流

 4月後半から毎日東谷地区に行って、農作物の様子を見たり住民と話をしたりしているという。以前から農業の同好会に入っていたため、農業の知識はあった。今後をどうするかという相談をする地区の会合には8月から参加できるようになった。きっかけは住民に誘われたからだという。

 

第2項 イベント

 以下では小島氏が1年目の秋から始めたイベントについての記述である。

〜イベントの詳細〜

○田園コンサート

新瀬戸地区にある陶農館(巻末資料参照)で行われるコンサート。陶農館を多くの人に知ってもらうということと地域の人との交流の場をつくるために企画したもの。だいたい週末の午後に行われる。入場料は500円もしくは1000円であることが多い。

2010/11/20(土)オカリナ・リコーダー・アイリッシュハーブのグループを招いた。

        観客は約60名。

2010/12/11(土)女性ユニットを招いて歌を歌ってもらった。観客は約80名。

2011/3/6(日)デジタルサクソフォンの演奏。観客は88名。

2011/5/22(日)ピアニストを招いて演奏。観客は105名。

バザーと一緒に行い売り上げはすべて寄付した。


2011/9/4(日)リコーダー・アンサンブルの演奏。前日にはリコーダーの体験も行った。

2011/12/4(日)朗読会とゴスペル。観客は45名。バザーも同時に行われた。

 

○立山カントリーウォーク

 外から来た小島氏が里山を中心に素晴らしいと感じたところを地元の人や町外の人に紹介しようと始めた。これまで3回行われている。

 2010/2/6(日) グリーンパークでスノーシュー体験。16名参加。

 2010/2/20(日)国立立山青少年の家でネイチャースキー体験。10名参加。

この回で上記の5月の田園コンサートで演奏してもらうことになるピアニストと知り合う。

 2011/7/9(土) 美女平。10名参加。立山杉の原生林を歩いた。

 

○サウンド・スケープ「里山を巡る音旅in立山」2011/6/5(日)

 5月に行われた田園コンサートで招いたピアニストの案内で立山町の里山を巡るツアー。幼稚園児から高齢者まで20名が参加。越中おわら節に胡弓を取り入れるきっかけとなった「佐藤千代」という瞽女(ごぜ)に関するところを周り、音をスケッチする(紙にどういう音なのか線などで表す)ということを行った。

 

○ノルディックウォーク

 小島氏によれば、地区で一番多い高齢者向けで健康増進に関する企画ができないかと探していたという。元々、高齢者を対象にウォーキングを行っていたが、次第にやる機会が減っていたことから始めた。11月から公民館で始めている。小島氏はインストラクターの資格も取ってきたという。毎週金曜日にやれる点も良いと言っており、地域住民にも好評だという。

 

 ○その他

 市民農園を行って20組中6組農園を貸し出した。余った土地は子供向けのひまわり迷路や枝豆をつくって収穫を行っていたという。他にも立山町役場の若手職員たちと独身者の出会いのサポートのための企画を行った。

 

NPO法人〜

 小島氏の活動を個人から組織として体系的にやるためにNPO法人を20113月に立ち上げた。NPO法人の立ち上げは将来的な経済的な自立と定住のための準備であったが、住民の中に立場を利用して金儲けをすると誤解されてしまったのが原因である。

 

〜外部からの依頼〜

 外部団体から企画が持ち込まれてそれに協力することも多い。小島氏によれば県の企画で小中学生の環境意識向上のために、越中瀬戸焼の陶芸を活用したり、FM富山からの依頼で「出会いサポート企画」に携わったりしたという。また、8月には富山国際大学の2年生がゼミで新瀬戸地区を紹介するイラストマップを作るということに協力していた。他に、JOCA(社団法人青年海外協力隊)が主催する公開講座が富山市内で行われ、そこで国際協力と地域おこしに関する話をしたという。

 小島氏は地域発案の企画をやろうという動きはなかなかでないと語っていた。しかし、A夫婦が5月の田園コンサートの際にバザーを企画している。売上金の多くは東北の震災での義援金に回された。12月の田園コンサートでもバザーは行われている。

 

〜イベントの企画方法や宣伝〜

小島氏によれば人からの紹介やイベントに参加してくれた人とのつながりで企画することが多いという。宣伝は立山町の広報、各新聞社、NHKラジオで流すと言ったことも行っている。

スタッフや協力者は外部の人間が多いが、地域の人も手伝ってくれ、その人数も増えてきているという。音楽や農業、自然などそれぞれの分野で手伝ってくれる人は違うが、それはその人の興味の範囲が違うからであるという。公民館にはイスを貸してもらうことや、配り物の一部をお願いしている。

 

〜問題点〜

小島氏によれば、イベントに関して小島氏は地域外からの来訪者と地域住民との交流の場として地域の資源を使ったイベントをしていたが、一部の地域住民には外部者向けのイベントしかしていないという印象を持たれてしまった。交流してくれる人も決まってきてしまい、小島氏と距離がある人に何をしているのかと思われることになってしまったと語る。

A氏とB氏はイベントに地域住民の参加が少ない事を問題点としてあげていた。参加者に関しては、地域住民の参加者が外部の参加者よりも少ないという。小島氏も1年田園コンサートをしてきて音楽で地域の人を呼ぶのは限界を感じるようになったという。そこでコンサートの際に地域の人に地域の物を売ってもらう機会を設けることにしてみた。それが功を奏し、多くの地域の人に参加してもらうことができ、お金にもなったという。この経験からある程度実益を設けた方が来てもらえることが分かったと語っていた。

また、A氏とB氏はイベントの概要を小島氏1人で決めてしまう点も問題点にあげていた。例えば、522日に田園コンサートが陶農館(巻末資料参考)で行われたが、実はその日は町民体育大会の日だったらしく、同じ日にするとは何事かと公民館の活動推進委員から反発を招いてしまうということが起こった。小島氏によるとイベントに関して、地域の議員などには報告しているが、地域内の有力者全員にはその話は回ってないだろうと語る。許可も特別に取っているわけではないという。