第6章 考察

 ここまでの調査で、文献を読むだけでは計り知れないダルクという施設と、その入寮者を見ることができたと思う。楽しそうに会話をしたり、プログラムをこなす姿は、私たちと何ら変わりない人々であるように映ったが、ミーティングでの話を聞いていると、人それぞれに、辛い体験や苦しい体験をしてきたことを思い知らされた。本当は薬を使いたい、目の前にあればやってしまうと彼らは何度も語り、それでもやめ続けている姿は立派であると思った。

 近藤ほか(2004)で述べられていたダルクメンバーの回復の特徴は、本論文の調査でも同様と思われる部分があった。メンバーの回復は直線的ではなく、一度退寮してまた戻ってきたメンバーもいるし、スリップ(4)してまた新しくプログラムを始めたメンバーもいた。また、学生のうちから長期間薬物を使用していたメンバーもしっかりと回復している。また、若年からの薬物乱用者についても、勉学の方では不自由しているところもあるのかもしれないが、社会の中で生きていくための知識は、生活の中で学び教えられているようである。そこでは与えられる対象が、親や教師から仲間になり変っているだけなのであると思った。

 ここで、問題関心にもなったダルクが施設である意味は何なのであろうかという疑問立ち返ろうと思う。薬物依存症はれっきとした病気であり、完全な回復というものがないとされている。しかし、断薬を続けることで回復し続けることは可能である。それは誰かに強制されてすることではない。だからといって、ただひたすら薬をやめ続けることが回復ではない。薬に侵された体とともに心も回復、成長し、やがて社会へと戻っていき、その先に本当の回復、再生が待っているのだと思う。そのためには、やはり自分ひとりの力ではどうにもならないことが分かってくる。自分を越えた力、それは、目に見えない何かと抽象的なものかもしれないし、ダルクという居場所、仲間などかもしれない。それは人によって様々で、捉え方もいろいろある。大切なのは、それが自分の新しい生き方にどう影響するのかということである。それがうまくいかないと、スリップ(4)してしまったり、亡くなってしまうこともありうるのである。それをうまくコントロールしていくのがダルクであり、仲間の存在なのではないだろうか。

 また、何度も述べていることであるが、ダルクは集団での共同生活をしているため、生活の姿を隠すことができない、嘘をつけない。しかし、逆に考えてみると、自分が回復している姿をいつでも見てもらえる環境ということもできる。ミーティングだけでは分からないちょっとした言動を、生活の中で見てもらえる。少しの期間しか見ていなかった私でも、クリーン(1)でいる期間が長い人ほど自主性や積極性が多く見ることができた。例えば、ボランティアでほかのボランティアの人と仲良くコミュニケーションをとりながら調理を行っているメンバーは、全員というわけではないが、クリーンが長く続いているメンバーであることが多かった。ということは、毎日その姿を見ているメンバーにはもっとよくわかるのではないだろうか。そのような周りの成長を鏡にしていけることは、何かに悩んだり、薬を使いたいという欲求に駆られたときに支えとなる大きな強みとなっていくのではないだろうか。また、今まで気にしなかったことに注意を向けていく姿勢を、ミーティングなどで他のメンバーにも与えていくことは、自分にもほかのメンバーにもいい影響になる。ちょっとしたことでも、いつでも誰かしら居る環境であるので、相談したりすることで自然と語りの場がうまれお互いに共感していくことができる。そうやって、自分の変化を自分にも周りにも分かるように実現していける環境であるということが、ダルクが施設である意味なのではないだろうか。

 日本では、薬物依存という病気、またダルクをはじめとした回復を支援していく団体やグループへの理解は十分であるとはまだまだ言えない。しかし、少しずつ理解は広まっている。それは、ダルクに属するメンバーたちが、日々様々な活動をしていることによる。それは、地域との関わりや講演などを行う、体を張った活動である。文字だけでは伝わりにくいことを、自分で考え、言葉に乗せて伝えていく。ここに、ミーティングで培った語りの力が発揮されているように思う。当事者が語ることによって、薬物依存という病気のへの理解の大きさは格段に変わる。それがまた、自分への自信にもつながり、社会への大きな役割を果たしていると考えている。