第4章 調査

責任者とスタッフの方にインタビュー調査を2回、フィールドワークを複数回行った(「スタッフ」については第2章第3節参照)

 

 第1節 ダルクの日常

【普段の生活】

富山ダルクは施設であるのだが、実際のところ、普通の民家で生活しているので、富山ダルクという看板がなかったら、ごく普通の家でしかない。それに、看板自体もさほど大きいものでもない。場所も岩瀬浜の海岸に面しており、周りは住宅街だが、どちらかと言えば閑散としているように感じた。

ダルクでは施設という形態には当てはまらない、個人個人がとても自由に生活しているように見えた。いくつかの規則やスケジュールがあるのだが、その様子を含め、大家族をみているようだった。

朝の9時から行われるミーティングは三種類(ハウスミーティング、ダルクミーティング、ステップミーティング)あり、週の初めはハウスミーティングを行う。用事がないメンバーは全員居間に揃い、スタッフから1週間のスケジュールが印刷された紙をもらい、それを見ながらスタッフの説明を聞く。一通り説明が終わると、病院や散髪に行きたいメンバーに挙手させる。それによって昼食やプログラムの調整をするようだ。それが終わるとメンバーからの注意や要望を受け付ける。ほとんどが、集団生活をする上での注意である。就寝時間にうるさいとか、トイレの使い方とか、みんなで使うものに対して配慮を持つべきだというものであった。

私たちから見れば別段普通のことであり、さして問題化することではないと思うのだが、そのような注意に対して林さんは説教をする。ここは病院でもないし、刑務所でもない、自分のことは自分でやりなさい、自覚を持って自分の生活を整えるべき、仲間は隣を歩いてくれるだけだと語っていた。また、薬(病院で処方されたもの)を飲んでいる人は自分を依存症だと自覚しなくてはいけない、その上である程度飲むことを抑えなくてはならないと言っていた。飲んだら、良くなるというということを考えがちで、薬物と自分の「距離を狭めて」しまうことはいけないとも言っていた。薬物依存症の方は片頭痛持ちが多く、血の巡りなどが追いついてこないことが多いらしく、その上でまた薬の力に頼りがちであるという。それでも痛み止めなどを飲まないで自分の体が自力で治ろうとするからそこで持久力がつくと林さんは語っていた。私は、これは依存症として経験したからこその知恵だと思った。また日常生活での問題を「自分はやっているから大丈夫」と捉えないで、メンバーみんなの問題として捉えていくことが大切だと林さんは言っていた。そうやって関係していき、些細なことでも言い合えるようになることで、少しずつ自己中心的な考え方などをはずしていき治っていく。そして仲間に感謝することで、自分が変わっていくことに気づき、回復していくのだと語っていた。

ほかの二種類のミーティングは人数が多いため、基本的には1階と2階に分かれて行っている。ダルクミーティングでは、その日その日でスタッフがテーマを与え、それについて語るという形式で、各々が自由に語っている。途中で飲み物を取りに行ったりなど出入りが自由な感じであった(これはハウスミーティングも同じである)。大体の流れは、スタッフがまず話を始め、そのあとにメンバーが話すという流れである。誰が話すのかは、挙手によることもあれば、スタッフが指名していくこともある。話したくなければ話さなくてもいいし、強制をさせて話させているという感じはなかった。話の内容としてはメンバーはテーマに対する自分の過去や今の状態を語る。スタッフは、メンバーと同じように過去や現在を語るが、それと共に、テーマに対する自分の考え方なども語ったりする。

ステップミーティングも同じようなものでNAの手引きのような冊子の読み合わせをまず行う。ある章をメンバー全員に回るように読み進め、それからその章について自分の思うこと、考えることを話す。

ミーティングが終わると、円になって手を繋ぎ、「神さま、わたしにお与えください。自分に変えられないものを、受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えていく勇気を、そして、この二つのものを見分ける賢さを」という「平安の祈り(2)」をみんなで唱える。

プログラムやミーティングが終わった後などの自由時間は、1階の居間でみんなでテレビをみたり、自分たちが演奏した和太鼓のビデオを鑑賞したり、2階で昼寝をしたりなど各々が好きなことをしていた。

 その自由時間には、台所でメンバーの数人が語りあう姿を見ることができた。話す内容は、今まで、どんな生活していたとか、どんな薬を使っていたとか、そのようなもので、終始楽しそうな雰囲気であった。個人的にスタッフなどに相談するメンバーもいて、これからの生活とかを話したりするという。そのことについて、スタッフのボーイさんは、「ヤク中はみんなさみしい。さみしいから今のダルクがあるのではないか。NAだけに通っていても、帰ってきたら自分の居場所というものがない。ダルクはそのようなさみしさを埋めるためにもあるのではないか」と語っていた。

また、富山ダルクには、2匹のペットを飼っている。「ボス」という大型犬と、「こんぶ」という小型犬である。ボスは、ランニングのプログラムのときに一緒に走ったり、とても元気で、こんぶはメンバーのアイドル的存在であった。2匹ともメンバーにとてもなついていて、メンバーの癒しの存在であるように思った。ボスについては、ダルクができたころから飼っており、散歩をすればボスは嫌が応にも動くから、運動にもなると言っていた。こんぶはもともと障害者の方が飼っていたのだが、その方が交通事故にあってしまい、2匹飼うのが困難になってしまい、2匹のうち1匹をダルクが受け入れる形で飼うことになったという。

私に対しては毎回両方とも吠える。ボスは撫でてあげると落ち着くのだが、こんぶはある程度時間がたたないと慣れてくれない。しかし、昼食を食べた後からは不思議なほど懐いてくる。

 食事については、何度も、ごちそうになったことがあるのだが、メンバーで卓を囲んでおしゃべりをしながら楽しく食事をしていた。残さず食べることが決まりであるが、たびたび、残す場面も見られた。各自で食べてもいいということなのだが、ほとんどのメンバーは一緒に食事をしていた。後片付けも個人でしっかりとしていた。また、コーヒーなども自由に飲んでいいことになっているのだが、そのせいなのだろうか、コーヒーに依存してしまっている人もいるという。

 午後はハウスミーティングで決めたスケジュールに従ったり、その時の天気や、気分でプログラムが組まれることもある。太鼓の練習は、近くのスタジオを借りて行っている。正面が鏡張りの20畳ほどのスタジオで、メンバーは、全員で太鼓を並べ始めた。太鼓を並べたら、少しの間個人個人自由に太鼓を叩いていた。鏡で自分の姿を見ながら練習しているメンバーもいた。この時、率先して練習をしていたのは、フォーラムでも前の方で演奏していた、比較的年齢が若いメンバーで、高齢のメンバーは端でその様子を見ているという状態だった。

林さんの指揮で各々が位置につき、振りの確認などを始めた。まずは木枯らしという曲目で、演奏するメンバーは掛け声をあげながら演奏を始めた。担当ではないメンバーは端でそれを見守っていた。スタジオが狭いせいもあるのだが、声や太鼓を叩く音がとても響いた。1曲目が終わると、林さんをはじめ、スタッフの方が個人に指導を始めた。見本を見せたり、叩くところでアドバイスなどをしていた。ここで担当ではないメンバーも練習を始め、林さんにいろいろを教え込まれていた。普段から表立ってやらないメンバーは、他のメンバーと比べて腕の振りだったり、叩き方、掛け声の様子がまだまだわからないようだった。そのため、林さんは、思いっきり叩くこと、失敗を恐れないことを、重点的に教えていた。失敗を恐れている様子は失敗するより目立ってしまうからだという。

その次は八丈という曲目の練習を始めた。これは他の曲と違って5人程度でおこなう曲で、モコミチさん、Jr.さん、ピエロさん、林さん、ヨコさんが演奏を担当していた。他の曲に比べて体力をものすごく使うので、滝のように汗をかきながら練習していた。しまいにはクーラーをつけ始めていた。動いていない私にとっては寒いくらいだったが、終始動いているメンバーにはそれでも暑いくらいだった。

また一通り演奏が終わると、リョウヘイさんとソバヤンさんが八丈の練習を始めた。見ているだけではわからないが、実際練習してみると振りが難しいらしく、2人とも戸惑いながらスタッフと練習をしていた。腕を回す動きが多く、ソバヤンさんはなんだか可愛い動きになっていた。リョウヘイさんは呑み込みが早く、見よう見まねだが徐々に動きがそれらしくなっていった。他のメンバーは、そんな二人の様子を笑ったりしながらも見守っていた。このころになると、スタジオを出て休憩しに行く(おそらくタバコを吸いに行く)メンバーが増え、練習しているメンバーは少なかった。それでも練習に打ち込んでいる姿はとてもまじめで、かつ楽しそうであった。

15時近くなり、これで今日の練習は終わり、皆てきぱきと片付けを始めた。10分もしないうちに太鼓は片づけられ車につめられた。

 ほかには映画プログラムと言って、居間でみんなで映画を見るプログラもある。居間は二間あるのだが、テレビに近い方には映画をしっかり見たい人、奥は、昼寝をしたい人で固まっているようだ。テーブルを片づけ、電気を暗くして、毛布を被り、みんな思い思いの体勢で映画を見る。その時間だけはダルクの中はとても静かでゆっくりと時間が流れているようであった。

年に1回ほどはボーリングのプログラムが組まれ、富山駅近くのゴールデンボールへと出かける。出かける前にくじでABCDの4チームに組み分けをした。今回でまだ2回目のボーリング大会らしく、初参加のメンバーもいるようだ。メンバーはみんなテンションが高く、特に林さんが高かった。これのために午前中に仕事を片付けたようだ。メンバーのスキルは、ほとんどの人は大差ないくらいが、モコミチさん、林さん、ピエロさん、ヨコさんは、かなりうまかった。モコミチさんはほとんどがストライクやスペアばかりでスコアがとんでもなかった。

モタイさんは初めてのボーリングだったみたいで、林さんをはじめ、メンバーが手ほどきをしていた。それでピンが倒れるたび、そうそう!といって励ましていた。

ボーリング客はそれほど多くはなかったので、ダルクのメンバーの騒ぎっぷりが目立ったように感じた。特に誰かがストライクをとったときや、うまい人が失敗したときにすごく騒がしかった。3時間くらいこんな感じで時間が過ぎ、3ゲームが終わった。

靴を返し、ロビーでスコアをもらい、順位が発表された。1位はモコミチさん、2位が林さん、3位がピエロさんとなった。チーム優勝は林さんがいたAチームであった。ここでも結構騒がしかった。

 そして、午後のプログラムが終わると、夕食になる。昼食のときと同じように、食事当番が用意をする。夕食が終わると、NAのミーティングへと出かけるのである。

 これが、基本的なダルクの日常の流れである。しかし、皆が皆、プログラムにとても積極的というわけではない。それは、ほとんどの人が、入りたいと思ってダルクに入所してきたわけではないからである。ミーティングの語りでも、このプログラムは嫌だ、などと愚痴をこぼすメンバーもいた。それはメンバーに限らず、スタッフも昔はとてもやる気がなく、暴れたこともあったと話していた。

 

【ボランティア】

ダルクは以前に、自治労が炊き出しを行っていたボランティアに参加していたのだが、食中毒などの衛生面の問題が出たり、今まで炊き出しを行っていた場所が使えなくなったこともあり、現在は、あったか相談村というボランティア団体が行う料理教室に参加し、路上生活者のために腕をふるっている。場所は富山駅北にあるサンフォルテの調理室である。毎回、日時を配布したりして、参加したいメンバーがその都度参加している。

メニューは、そのたびにいろいろなバリエーションがあり、他のボランティアの方とともにお話をしながら、調理をしていた。積極性はメンバーによって様々だが、何度も参加しているメンバーもいる。路上生活者とも他愛無い世間話をしており、林さんいわく、人の役にたつことにもなるし、今の社会を少しでも見て色々な事を感じてもらう為であるという。僕は覚せい剤使ってたころ、ホームレスのことを汚いとか、どこに寝てんだといじめたのに。うちらのこと知らないのにたった1個のおにぎり配るだけで、ありがとうとか、助かったとか言われて。そういうの すごいうれしいんですよね」という、スタッフのボーイさんの発言にもその効果が表れている。また、「もっともっとしらふでいたほうが、いろんなものに出会えると思うし、そんで経験もできると思うし、まだまだ勉強できる部分があると思う」というJr.さんの発言にもボランティアに限ったことではないが、ダルクの屋外活動で社会に触れてみて、しらふで生きていく楽しさというか理由を見つけられたのではないかと感じた。

 

【アルバイト】

 クリーン(1)の状態を1年以上保ち続けているメンバーは就職プログラムとしてアルバイトを探すことから始めるのだが、そこで、現在もアルバイトをしているスタッフのピエロさんは、「いろんな人がいて、勉強になったり、ダルクの話もしている」と語っていた。「アルバイトの中に市販薬の依存になっている人がいるのだが、やっぱりいろいろあるんだなと思った。それでもこうやって自力でアルバイトをしたりしている分、自分たちよりはまだ軽い、底つき(3)はしていないのだな」とも語っている。

 

【薬物再乱用防止フォーラム】

・富山ダルクによる和太鼓の演奏

これは、年1回行う通称ダルクフォーラムである。富山ダルクは、和太鼓のプログラムを組んでおり、フォーラムの時期に近付くと、日々のプログラムに組み込んでいる。

今回、2011年8月6日は婦中ふれあい館で行われた。午後の演目に富山ダルクの演奏があり、客席に座っている人たちは、小さな子どもから、年配の人まで、いろいろな世代であるようだった。また、職業別で見ても教育や行政、医療関係の人もいるようであった。ほかには、富山ダルクの近所に住んでいる方や、ボランティアで知り合った方などもいるようであった。

時間になると、ステージの幕が上がり、照明がつき、客席の照明が落ちた。それと一緒に拍手が起こり、中央奥には、メンバーが一人スタンバイしていて、次にステージの上手と下手両方から一人ずつメンバーが現れ、ステージ手前中央で手をくみあったり、ガッツポーズしあったりと各々が意気込みを見せるようなパフォーマンスをした。客席からは拍手とメンバーの名前を叫ぶ声も聞こえた。メンバーは背中に「海岸組」と書かれた袖なしの長いはっぴをタンクトップや長そでのシャツの上に羽織り、下は白いズボンと靴を着用していた。

林さんがマイクを取り、挨拶を始めた。まずは自己紹介をして、メンバーたちも横1列に並びそれぞれ自己紹介や近況、今日のお礼などを話した。そのたびに客席やメンバーから名前を呼び掛ける声が聞こえた。そこで気になったのは、みんな自己紹介をするとき自分の名前(ニックネーム)の前に「依存症の」と前置きをしていたことだった。あとで聞いたことだが、これも自分の薬物などに対しての無力を認める行為のひとつだそうだ。また、名前を言うと呼び返されるのは仲間だと、受け入れるための行為でもあるという。

演奏はアンコールを含め全4曲で、途中バチがすっぽ抜けたり、太鼓がステージ下に落下したりなどのハプニングがあったが、無事に演奏は終わった。メンバーは一つ一つの振りや動きを大切にしている感じがしていて、本当に太鼓が好きなんだなと思った。

 

 

第2節 プログラムについて (林さんからのインタビューより)

【プログラムにおける段階】

明確な段階はなく最低ラインとして、一年は徹底して自分を見つめる作業をした後、どうしていくか考え行くという方針だと林さんは語っている。

 

【就職プログラム】

人によって異なるが、まず自分自身で就職活動をしていく。そしてダルクから継続して通えることを見につけていく。その就労に関しても一年間行ない続ける。もちろんNAのミーティングに参加し続ける事。すべてが分けられているのではなく、一連の流れである。

 

【午後のプログラム】

一週間の間に病院、他の用事が入ってくる時もあり、それに応じて月曜日スタッフで決めている。その後にハウスミーティングでメンバーと共有する。あと四季に応じたプログラムも行っている。太鼓出演が近くなったら練習が増えたりもする。基本のスケジュールが存在するが、プログラムをあてる曜日が少しずつ異なるだけで、それを少し組み替えているだけとのことである。

以前にボーリングに参加したのだが、これは仲間たちが以前から要望がでていたために行った。

 

【問題行動について】

薬物依存は病気であり、スリップ(4)は仕方の無い事である。しかしその責任は本人にあり、今後もプログラムを続けていくのか、施設を出るのか自分で判断してもらう。施設に残るというのであれば、必要なら入院してもらったりしている。プログラム自体は、始めからスタートとなり、もう一度、自分自身のプログラムの取り組み方などを変えて行っていく。そのまま延長の形で行ってしまうと、一体何がいけなかったのかについて考えない場合があり、それをしっかりと反省して、違う生き方に変えていくためである。施設をでても、やはりダメだったから助けてほしいと言うメンバーに関しては、再度引き受けをしている。

 

 

第3節 ダルクのとらえ方(林さんのインタビューより)

ダルクは、自分自身を見つめなおし、自分は一人で生きているのではなく、生かされていることを自覚し、気づいていく場所である。

「何かの度にクスリ」ではなく、クスリなしに楽しんだり、悲しんだりする。クスリなしに感じられるものがあるということを知る。 また、クスリをやめてもクロスアディクションというものがあり、アルコールやさまざまなものにまた依存してしまう。生き方自体を変えないと社会に溶け込んでいけないため、人生、生き方を変えていく場所である。
 今までお金を薬物に使ってきた人々に、お金は生きるために使うことを感じるために、お小遣いは1日800 と決められている。

 また、ダルクは、我が家と同じだと林さんは述べており、年齢や立場によって区別されることなくメンバーは皆平等であるという。

自立しても、仲間であることに変わりはなく、定期的に自助グループに通い、OBとして交流していく。