第二章 先行研究

 

 

第一節 やおい/BL(ボーイズラブ)とは何か

 

 ここでは、本論文で使用される専門用語について定義していきたいと思う。

やおい/BL(ボーイズラブ)とは、男性同士の同性愛を描いたマンガや小説といった創作物の総称である。このジャンルには、作者が一から考え出した男性同士のラブストーリーを描く「オリジナル」と呼ばれる作品の他に、男性同士の絆を描いた既存の物語を男性同士の恋愛物語に作り変えた「二次創作」と呼ばれる種類の作品がある(東 2010: 249-250)。やおい/BLにおける表現の幅は、性的関係を含むものから恋愛関係の心理描写を含むものまで極めて広い。加藤(2009-02)によると、同性愛に焦点を合わせる以上、当然ながらポルノグラフィックな描写を含む作品も多い(加藤 2009-02)のが現状である。しかし、最近ではポルノグラフィックな表現だけに留まらず、より広い意味での男性間の同性愛に目が向けられており、表現の幅は増大し続けている。

 そのやおい/BL愛好者の女性をさすものとして「腐女子」という言葉がある(加藤 2009-02)。高橋(2005)によると、もともと「婦女子」を転じたもので、こんな嗜好をもつのは「腐れた婦女子だ」という意味で自虐的に用いたものである(高橋  2005: 25)としている。腐女子は、男性同士の同性愛を見たり、妄想したりすることを楽しんでいるのだ。

では、腐女子は具体的にどのようにしてやおい/BLを楽しんでいるのか。腐女子が男性同士の同性愛を見たり、妄想したりすることに関して欠かせない概念がある。それが、いわゆるCP(カップリング)である。CPとは、高橋いわく、恋愛関係とされている二人の男性の組み合わせのことである。CPの「攻め手・男側」を「攻め」「受け手・女側」を「受け」とした上で、キャラクターの名を「攻キャラ名×受キャラ名」と示す表記が定着している(高橋 2005: 23)。「攻め」の男性が「男らしく」能動的に誘う立場であるのに対して、「受け」の男性が「女らしく」受動的に誘いを受ける立場であるというのが一般的である。しかし、「ヘタレ攻め」や「誘い受け」という概念もあり、「男らしく」ない「攻め」や「女らしく」ない「受け」が存在しているのも事実である。加藤(2009-03)は「攻め」と「受け」の組み合わせも一定ではなく、無数のバリエーションがあり、その担い手が物語の中で逆転(=リバーシブル)することもある(加藤 2009-03)とも述べている。腐女子はCPに強いこだわりを持っており、やおい/BLCPなしでは語れないとされる。

以上のような、やおい/BLの「オリジナル」や「二次創作」のCPに触れるというスタイル以外の楽しみ方も定着してきているように感じる。それは、もともとやおい/BLを標榜せず、また一般的にはそうみなされてもいないマンガや小説など(以下「原作」とする)に対しても、男性同士が密接に関わり合う場があるのならば、やおい/BLとしてみなして男性同士をCPしてしまう行為である。その範囲は、「原作」であるマンガや小説のキャラクターだけでなく、タレントから身近な知人などの実在する男性たち(生モノ)にまで及んでいる(加藤 2009-03)。つまり、複数の男性同士が密接に関わり合う世界でなら、現実であれ虚構であれ、腐女子がCPをする場となるのだ。また、先程も述べたように「攻め」と「受け」の組み合わせも一定ではないので、腐女子の妄想によって多彩なCPが生み出されてきた。

 このように、腐女子は男性同士のCPを見たり、CPしたりすることを楽しんでいる。本論文で取り上げていくのは、その中でも「原作」であるマンガや小説のキャラクターや、タレントや身近な知人などの実在する男性同士をCPすることを娯楽としている腐女子たちである。

 

 腐女子だけに限らず、とあるキャラクターや人物に対して好意を抱くことがあるが、そのうち最もよく言われるのが「萌え」という感情である。「萌え」とは、「キャラクターや人物に対する愛情、情熱、欲望」として理解されることが多い。一般的に恋愛感情、またはそれに近い感情を抱く様子を指すが、必ずしも恋愛感情だけを意味するものではない。対象はキャラクターや人物そのもののみならず、特徴や仕草、または状況に対して、またはその全てであったりもする。

ここで「萌え」の成り立ちについて辿ってみることにしよう。オタ((1))特有のスラングであり、1990年頃からマンガやアニメ、ゲーム愛好者の中で使われ始めたという。そのため、対象もはじめはコンテンツ上のキャラクター(マンガ・アニメ・ゲームなどの登場人物やアイドルなど)といった架空の人物が中心であった。2004年に流行語大賞にノミネートし、2005年には「萌え〜」として流行語大賞トップテン入りを果たすと、架空の人物のみならず、実在する人物に対しても使われるようになっていった。また、「萌え」という言葉を使用する人々に関しても、オタクの層だけにとどまらず、一般層にまで浸透していき、現在では「キャラクターや人物に対する抽象的愛情表現」として広く認知されている(はてなキーワード 2010)。

以上のことを踏まえると、本論文で取り上げていく腐女子は「原作」であるマンガや小説のキャラクター、もしくはタレントや身近な知人などの実在する男性同士が密接に関わり合う場を「やおい/BL」とみなしてCPすることにより、「萌え」を感じているのだと捉えることができる。また、近年では「やおい」という言葉よりも「BL」という言葉の方が使われることが多く、「BL」という言葉の意味も社会に知れ渡ってきているように感じることから、本論文では「原作」であるマンガや小説のキャラクター、もしくはタレントや身近な知人などの実在する男性同士が密接に関わり合う場を「BL」と表記していきたいと思う。

 

 

第二節 やおい/BLの成り立ち

 

 次にやおい/BLの成り立ちについて触れていこうと思う。

 男性同士の同性愛を描いたマンガや小説といった創作物を「やおい」もしくは「BL」という呼称が授けられ、また今日にいたる巨大な市場を形成する起点となったのは、同人誌の領域である(高橋 2005: 22)。

1960年代末まで文字通り同人内部の回覧誌という形をとっていた同人誌は、1970年代に印刷技術の発達によって大幅な流通が可能となった。同時期にホモセクシュアルを扱った映画がヒットし、少女マンガ界では少年愛を扱ったものが流行していた。1975年には同人誌を発表し交流する場として初のコミックマーケット(コミケ)が開催され、女性同人誌においてはホモセクシュアリティをテーマにしたアニメのパロディ(アニパロ)が作られるようになる。その後に現在あるような「既存のキャラクターを用いてホモセクシュアリティを描く」ものに発展した。(高橋2005: 22-23

 1979年に、波津彬子責任編集の同人誌『らっぽり やおい特集号』で、「やおい」という言葉が使われるようになる。ひたすら好きなキャラクター同士のセックスを描いていた同人作家たちが、男性同性愛をテーマにしたアニパロなどを指して、半ば自嘲を込めて「やまなし、おちなし、いみなし(でもセックスはある)」という意味で使われた。しかし、「やおい」という言葉自体は1985年頃に『キャプテン翼((2))パロディサークルが登場してから、男性同性愛関係(多分に性描写を含む)を扱ったアニパロを指すものとして広がっていった。また、やおいアニパロが大流行した198789年にかけては「やおい」という言葉そのものも定着した(山根 1998)。

 199293年にかけては、商業出版において「男性同性愛をテーマにしたオリジナルの作品」である少年愛小説の静かなブームが起きた。これは、「やおい」の流れの中から起きた動きである。よって、現在では「男性同性愛をテーマにしたパロディ」と「男性同性愛をテーマにしたオリジナルの作品」の両方を含めて「やおい」と呼ぶのが一般的である(山根 1998)とされている。

 この流れを受けて、1990年代中頃に「BL(ボーイズラブ)」という言葉が出てきた。この言葉は「男性同士の恋愛モノ」全般を指すものである。しかしこの言葉には、山根(1998)いわく、デガダンス的、アンダーグラウンド的な響きは感じられず、比較的あっけらかんとでもいうような明るいイメージが伴う(山根 1998)とされており、このジャンルがオープンな雰囲気に変化してきているといえる。

 やおい/BLの雰囲気の変化も伴ってか、2000年頃にはやおい/BLの愛好者を指す「腐女子」という言葉がインターネット上で広まった。「腐れた婦女子」という表現は、彼女たち特有の一種自虐的な自称である。北村(2010)いわく、「腐女子」という言葉が現れるまで、やおい/BLを愛好する者に対する名称すらなかった状況にあり、「腐女子」の名によって彼女たちが主体として前景化した(北村 2010: 33)のである。つまり、「腐女子」という言葉の出現により、やおい/BLのジャンルが広く認知されたと捉えることができる。またこの頃から、腐女子の活動範囲はインターネット上にも及ぶようになっていった(北村 2010: 33)とされる。個人のホームページや動画・イラスト投稿サイトで自分の作品を発表するほか、個人のブログを通した活動も盛んに行われており、インターネットにおいての腐女子の活動はますます活発になってきている。

 

 やおい/BLの成り立ちについて時系列に表したものは以下のとおりである。

 

表2 やおい/BLの成り立ちの概要

年代

出来事

1960年代末

同人誌=同人内部の回覧誌であった

1970年代初頭

ホモセクシュアルを扱った映画がヒット、少年愛を扱ったもの(「少年愛」モノ)が流行

1975

初のコミケ開催、アニメファンが増したことによりホモセクシュアルをテーマにしたパロディ(アニパロ)が作られる

1979

波津彬子責任編集の同人誌『らっぽり やおい特集号』で「やおい」という言葉が使われる(やおい=「やまなし、おちなし、いみなし」)

198589

やおいアニパロの流行により、「やおい」が広がり、定着していった

199293

「やおい」の流れを受け、商業出版において少年愛小説の静かなブームが起こる

1990年代中頃

BL(ボーイズラブ)」という言葉の出現により、「男性同士の恋愛モノ」に対する雰囲気がオープンなものへと変化する

2000年頃

やおい/BLを指向する主体である女性たちを指す「腐女子」という言葉がインターネット上で広まる(腐女子=「腐れた婦女子」)

2000年頃〜

腐女子のインターネット上での活動が盛んになる

 

(高橋 2005、山根 1998、北村 2010 より作成)

 

 

第三節 やおい論の展開

 

 この節は、やおい/BLが腐女子にとってどのような機能を果たしてきたのかについて、2つの見解をレビューしたものである。本論文ではこれらを「やおい論」とし、やおい/BLがもたらす娯楽について検証していきたいと思う。

 

 

第一項     「性的欲望の主体」としてのやおい/BL

 

山根(1998)は、藤本(1998((3))の論文を受けて「少年愛の姿をかりることによってそれまでタブーとされていた「性」の領域まで踏み込むことを可能にしたともいえる」(山根 1998)と述べる。藤本は、『風と木の詩』(竹宮恵子(1976)の少年愛作品)はその主題が人間の性的欲求にあり、さらにそこに描かれたのは登場する少年たちの能動的な性欲ではなく、受動の苦しみ、常に欲望を喚起する存在であり、それはまさに女性の特性であると考えた。それが男の身体に仮託されることによって、しかも現実と切り離された舞台設定をされることによって、読者の側には痛みを伴わずに描き出すことに成功したと説明している(藤本 1998: 141)。

また、藤本は、今のところやおい本は過激な男女関係の安全なシミュレーションの域を出ていないが、これによって女は一方的に犯(や)られる側の立場から解放され、犯(や)る側、見る側の視線をも獲得した (藤本 1998: 142)と述べている。これを受け、山根も、「犯(や)る、見る側の視点」というものは、やおいとやおい少女を考える上で重要な論点の一つである(山根 1998)と主張している。現在の同人誌の主流は、まさに「犯(や)る側」の視線で描かれているものであり、描き手や読み手の、キャラクターへの愛情、カップリングへのこだわりが、やおい本の構成要素の内で大きな割合を占めるといってもよいだろう(山根 1998)。

一般に好きなキャラクターは「受け」になり、好きなキャラクターが「受け」を演じる物語であれば、「攻め」は誰でも良いという人も多い(そのような状態を「総受け」という)(山根 1998)と山根は述べる。「受け」は愛の対象であり、愛の主体であるやおい少女は明確に欲望しているのである。その場合「攻め」は欲望を仮託する道具なのである。それは、やおい少女がよく言うセリフである「男になってホモになりたい」に端的に表されているといえる(山根 1998)。

次に、高橋(2005)の論文に注目してみよう。高橋は、少年マンガを題材にした同人誌に登場する、「やおい」に立ち会う、または「やおい」を見いだす存在として描かれている女性キャラクターに着目し、そこに「男同士の関係を恋や性愛に読み替える」という腐女子自身の姿を見いだしている。女性キャラクターは主体的に、ホモセクシュアルのインターコース(交際、性行為)や好きな男性キャラクターの喘ぐ姿を望んでいる(高橋 2005: 33)のである。

 ここで高橋の主張をまとめたい。腐女子の視線は、「性的欲望の主体」を「男」という性別カテゴリーに、「性的欲望の対象」を「女」というカテゴリーに強固に結びつけるという異性愛体制においては黙殺されがちな、〈「女」が「性的欲望」を持ち「男」を「性的対象」として見る〉という立場を確保する。その際、彼女たちの「性的欲望」が、男性キャラクター同士を「性的関係」と見なす行為を通して喚起されるのだ(高橋 2005: 34)。

 性的欲求に対して受動的であり、性的欲望の対象としてみなされるのが異性愛体制においての「女」である。しかし、男性同士のホモセクシュアルな関係を描いた「やおい」を読む腐女子たちは、主体的に、好きな男性キャラクターの喘ぐ姿や男性同士の性愛関係を見ることを欲望する。「女」が「男」に対して常に欲望を喚起する立場を確保するのだ。つまり、「女」が「男」を性的対象として犯(や)る側、見る側の視線を獲得したことになる。よって腐女子は、性愛の対象である男性キャラクターそのもの(特に「受け」キャラクターである場合が多い)を性的な視線で見ることを快楽としているといえる。

 

 

第二項     「腐女子同士の妄想・解釈の増大」としてのやおい/BL

 

 東園子(2010)は、『やおい((4))は、「原作」からキャラクターの人物相関図を取り出し、「原作」でなされる「友人」や「ライバル」といった関係性の説明を、「恋人」といった恋愛的なものに置き換えて物語を作るものとして捉えることができる(東 2010: 254)と述べる。つまり、「原作」で提示されたキャラクター同士の関係性や物語の背景が『やおい』を語る上で必要不可欠ということになるのだ。

そう考えると『やおい』における恋愛という要素は、男性キャラクター同士の関係性を解釈/表現するための1つの手段であることがわかる。もし『やおい』に恋愛的な要素がなかったとしても、家族関係など社会的に何らかのイメージがある他の人間関係と代替可能だということなのだ。それなのに、なぜ『やおい』ではとりわけ恋愛的なものにこだわるのだろうか。それは、恋愛感情はどんな人間関係においても発生しうるものだとされており、あらゆる物語のあらゆる男性同士の関係に適用できる(東 2010: 261)からである。

 東は、物語の舞台設定や世界観に関心を向ける狭義の「物語消費」(大塚英志 2001)=東の言葉では「世界観消費((5))と、キャラクターやその構成要素を物語世界から切り離して集積する「データベース消費」(東浩紀 2001((6))を参照しながら、それとは異なるものとして、『やおい』的な二次創作に見られる作品消費のあり方を「相関図消費」と名付けている。『やおい』は、キャラクターの原作を物語世界から切り離すが、「原作」で描かれる人間関係からは切り離さない。キャラクター単体に関心を寄せるのではなく、複数のキャラクター間の関係性に目を向けるのである(東 2010: 253)。

 以下は、東による『やおい』を「解釈ゲーム」だとする指摘である。東は、『やおい』系女性オタクたちが行っているのは、男性同士の同性愛を描いたものである『やおい』を用いての、「原作」の人間関係の解釈を競い合う解釈ゲームであると述べる。『やおい』は、「原作」で描かれる男性同士の親密な関係を、恋愛関係として解釈/表現したものとして捉える事ができる。「原作」の人間関係の解釈の指示こそが重要であり、それを通した『やおい』コミュニティ内でのコミュニケーションが志向される。『やおい』読者は孤独にキャラクターと向き合うのではなく、コミュニティのほかの読者の解釈を聞くことを快楽とする(東 2010: 256-257)。東がインタビュー調査を行ったXさんによると、自分が萌えている「原作」の『やおい』を書く人が減ってくると、「他の人の解釈が読めなくなる」ために、Xさん自身の「原作」に対する熱も冷めていくという(東 2010: 257)。相関図消費における二次創作という物語への欲望には、自分の好きなものに対して他の人がどう考えているのか知りたいという、他者の存在と結びついた場合がある。東が「共同的行為」と述べるように、他人の妄想=解釈を聞くことは新たな妄想=解釈を呼び起こしそれがまた別の人の妄想=解釈を引き出して、妄想=解釈が増大していくのである(東 2010: 258)。

 この考え方をもとにすると、腐女子がやおい/BLを楽しむ際には男性キャラクター同士の関係性を重視しているのであって、キャラクター単体に関心を寄せているのではないことがわかる。「原作」で描かれる男性キャラクター同士の親密な関係を、恋愛関係として捉えることに楽しみを見いだしているのだ。つまり、腐女子は「原作」の人間関係の解釈を通した『やおい』コミュニティ内でのコミュニケーションを楽しみ、腐女子同士の妄想・解釈の増大を快楽としているということがわかる。

 

果たしてこの節で述べた2つの見解は、腐女子が「原作」であるマンガや小説のキャラクターや、タレントや身近な知人などの実在する男性同士をCPすることを娯楽する行為にも組み込むことができるのであろうか。実際に男性同士をCPしている腐女子のブログ記事とブログについたコメントの調査、さらにはインタビュー調査を行うことによって明らかにしていきたい。