4章 分析と考察

 

以上、万葉線の存続までの全体的な流れと、存続運動へのRACDA高岡の参画についてまとめてきた。この章では、これまで述べてきた万葉線の存続運動を、実際に社会運動と絡めながら考察をすすめることにする。

 

万葉線存続運動と各運動論の照合

RACDA高岡の万葉線存続運動を社会運動として捉えるために、2章でピックアップした二つの社会運動論にRACDA高岡の活動を結びつけて考えていきたい。

 

資源

最初に、RACDA高岡が有利に存続運動を展開するための「資源」について考える。第333項で、新湊の連合婦人会長へのポスターの掲示依頼が、婦人会による署名活動につながり存続運動に広がりを与えたということ、そして全国のLRT推進団体に「万葉線SOS」を送付し、その内容が読売新聞の記事にも掲載されたということを述べた。これら既存の地縁団体やマスコミ、他の公共交通支援団体とのつながり、ネットワークはRACDA高岡の万葉線存続運動において特に有効に働いた「資源」であると考えられる。

まず、既存の地縁団体との関係について見ていきたい。ラクダキャラバンは、既存組織の会合などによばれて出向くものが主だったため、老人クラブや自治会の存在は大きいものであっただろう。また、「なくすな万葉線」ポスター掲示運動に触発された新湊連合婦人会が独自に署名活動を行うことで「市民の熱意」を表し、存続運動に広がりができた(図6)など、万葉線存続運動全体に大きく寄与した資源が既存団体とのつながりであった。

また、それらのキャラバンの開催までの過程を、ときにはスムーズにすることもあった当局職員の小神氏という会員の存在(本稿3章第3節第3参照)もRACDA高岡にとっての資源であり、それは資源を獲得するための資源であったとも言えるだろう。

6:組織の連関(RACDA高岡のポスター掲示運動→婦人会による署名活動)

 

以上の動きからもわかるように、ポスター掲示の承諾や婦人会独自の署名活動など、それまで傍観者(フリーライダー)だった婦人会を構成員として運動に取り込むことで、運動に実際に貢献してもらったことが、運動に推進力を与えたといえるのではないか。また、ラクダキャラバンでも活発な啓発と住民との交流を図っていたということも、フリーライダーの問題を克服して問題を全体化する助けになっていたと考える。

 

次に、他の支援団体との関係について考える。ポスター掲示と同時期に全国のLRT支援団体に向けて「万葉線SOS」を送り、富山県知事、高岡・新湊市長への嘆願書の送付を依頼しているが、この動きは島氏が語るように、県外にも存続を願う人がいることをアピールすることに大きく寄与した。全国各地にあるLRT支援団体という自分たちの活動に同調してくれる他の公共交通支援団体を、資源として有効に活用することで、存続運動を推進させたということもできよう。

また、これを記事にして全国に配信した読売新聞の記者とのつながりも、有利に運動を進めるための資源として働いたと考えられる。前述したように、無関心層や反対者を関心を持つ傍観者へ、関心を持つ傍観者を賛同者へ、賛同者を支持者へ変化させるためにはマスコミの持つ大量報道能力が効果を持つと片桐は述べているが、これは本事例にもあてはまることであろう。全国紙である読売新聞で本件が取り扱われることにより、存続運動に広がりが加わったのではないだろうか。この記事は2000825日付読売新聞朝刊の富山地方版(32面)と、同日夕刊の全国版(26面)に掲載された。これにより、県外へは、全国に向けて万葉線問題をアピールし、県内には、県外からも存続の声があることを示すことで存続運動に広がりができたのではないだろうか。

これらをまとめると図7のようになり、周りの組織などとの連関・ネットワークはRACDA高岡が存続運動を進める上での重要な資源となっていたことが分かる。

7他団体とのネットワーク…RACDA高岡から見た相関図

 

また、行政側からみるとRACDA高岡の活動が、市民に存続を訴えかけるための資源として作用したのではないかと考えられる。小神氏はインタビューで「全体的な(*存続へと向けた)雰囲気を作っていくために、(*RACDA高岡には)私から言うと自分のやっとる仕事の、補完的な役割をやってもらった」と述べている(*は執筆時の付け足し)。地域住民に万葉線の必要性を訴えかけ、万葉線問題について考える機会を提供したRACDA高岡の活動は、万葉線存続に向けて動いていた行政側にとっても資源となっていたのではないだろうか。またそれは、RACDA高岡の持つ、行政に対して要望せずに住民に対して訴えかけるという精神があったからこそ作用したものであろう。

2章でも述べたとおり、片桐は、政府等の制度的意思決定を持つ組織との関係については、その運動が統制機関を打倒する敵として見ているかが重要としている。この万葉線の事例では、行政も存続に向けて動いていた側であったため、RACDA高岡は行政を敵対する存在として見ていなく、協働相手として同じ方向に向けてそれぞれ動いていた。そのため、RACDA高岡と行政等の機関が互いに資源となっていたことが、運動そのものをスムーズにしていたとも考えられる(図8)。行政への「陳情型」でもなければ「ぶら下がり型」でもない、「協働型」であるRACDA高岡の活動姿勢が、行政をはじめとした他の機関との連携をスムーズにしていたのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


8:相互的資源

 

フレーミング

次に万葉線存続運動で提示された「フレーム」について考える。

 

■二つのフレーム

万葉線の廃線が問題になった当初は、報道なども昼間のまばらな乗客の映像を使うなど「廃線やむなし」という論調であり(RACDA高岡、200415)、また島氏もインタビューで「赤字が出ていて、利用者もどんどん減っているということだから、時代の流れで昔の馬車が無くなっていくような感じで、なくなるのも必然」というのが社会一般的な感じであったと語っている。これらのことからも万葉線の存続問題浮上当初の社会は「どうせ乗らないから必要ない」という空気であったと推察できる。この状況を「以前のフレーム」とする。

しかし、万葉線は「まちの装置」として重要であり「社会的便益」を評価すると存続させるべきであるという共有された考え方が、存続のために動いていた人々の間に存在し、これが存続運動時、「市民に提示するためのフレーム」として機能していた。これを「運動側(存続に向けて動いていた側)が提示したフレーム」として扱う。

この二つのフレームの違いを表1にまとめた。

 

 

結論

根拠・理由

万葉線の役割

以前のフレーム

廃止

赤字、利用者少ない

単なる交通手段

運動側が提示したフレーム

存続

社会的便益

まちの装置

1:二つのフレーム

 

「以前のフレーム」では、赤字で採算が取れなく、利用客が少ないような路線は果たして必要あるのかというかたちで問題を整理し、廃止にするべきという結論になっている。

このフレームでは経済的な側面だけでの議論になっており、万葉線は単なる交通手段としてしか見られていないということである。しかし、「運動側が提示したフレーム」では、万葉線は単なる交通機関ではなく、「まちの装置」として今後も活用していく必要があるというように問題を整理し、社会的便益のために存続させるべきという結論になっている。

20009月になされた万葉線問題懇話会の提言に視点を向けてみよう。この提言を見ていくと「高岡・新湊両市のみならず、富山県という地域全体の社会的・公共的利益の観点から、万葉線の今後を考えなければなりません」(蝋山、200163)、「高岡・新湊両市は、万葉線の役割を沿線住民の通勤、通学、買い物などの公共交通手段としてだけではなく、ますます進展する高齢社会のもとでの福祉の維持向上、地域や地球規模での環境改善、都市の個性の象徴となっており魅力あるまちづくりへの活用、といった観点からもとらえなければならないと考えています。さらに、万葉線が高岡と新湊という富山県西部の有力な2つの都市を結ぶ絆(紐帯)として他の方法では代替不可能な役割を担っていることもあわせ考えなくてはいけません」(蝋山、200165)といったような社会的便益、まちの装置といった言葉に関係がある文章をピックアップできる(下線部)。この問題懇話会の提言の力は大きく、「世論だけではなくマスコミの論調も、廃止から存続へと向かい風から追い風に変わった」という(RACDA高岡、2004101)。存続に大きな影響を持っていた問題懇話会の提言にも、万葉線を「まちの装置」として残すべきというフレームが盛り込まれていたということが分かる。

 

フレームの転換

これら「以前のフレーム」を「運動側が提示するフレーム」に転換させたことが万葉線の存続へと社会の動きを誘導させる一因となった。そして、そのように人々の意識の枠組みを変化させ、存続に肯定的な見方が出来るようにする(≒フレームの転換)のに重要な役割を果たしたのが今まで見てきたRACDA高岡の活動であったと考察する。

以下、それぞれのデータをもとにRACDA高岡の活動がフレームの転換にどう役割を果たしたのか見ていきたい。

 

1)インタビューデータ、資料の分析

まずRACDA高岡などの運動側がもっていたフレームについて見ていこう。小神氏はインタビューで、路面電車というものをとらえて、教育の問題や高齢化社会などの福祉の問題、環境問題も考えていくというのが、RACDA高岡の考えであると語っていた。また、万葉線は単なる運ぶ手段というだけではなくて、新湊と高岡という都市間のつながり(絆)という役割も持っているということも同時に語られていた。これらのことより、RACDA高岡は、地域における万葉線の重要性(≒社会的便益、まちの装置)を組織内部の統一した考えとして共有していたと分析する。

万葉線再生計画案のようなRACDA高岡の考えを住民側に提案することで「運動側のフレーム」を人々に広めるのに重要な役割を果たしたのがRACDA高岡のラクダキャラバンであった。先述したとおり、ラクダキャラバンでは訪問先の地域の課題と結び付けて、まちづくりのなかにどう万葉線を活用できるかを意見交換していた。第1回目の山町筋キャラバンは高岡市の文化財である「旧室崎家」で開催され、万葉線は「乗らないからいらない」ではなく土蔵造りの街並みと同じく、人のこころを潤すまちの装置という説明を行ったという(RACDA高岡200469)。その地区の問題と万葉線が担う社会的役割とを結び付けて説明することで、「単なる交通機関」ではなく「まちの装置」としての万葉線の役割を地域住民に認識させ、考える場を提供したと考えることができる。このことからもラクダキャラバンが「社会的便益のために万葉線を残すべきというフレーム」に人々を引き付ける役割を担っていたことが分かる。

 

2)「なくすな万葉線」ポスターの分析

フレームの転換にRACDA高岡が果たした役割はキャラバンだけではない。RACDA高岡が作成した「なくすな万葉線」ポスターも重要な役割を果たしたのではないかと考えられる。以下、そのポスターに注目し文面を分析してみたい。なお、「なくすな万葉線」ポスターに関しては、巻末資料を参照されたい。

ポスターの左半分に並んでいる4つの文章に注目すると、今後高岡・新湊周辺の交通を考えるための試金石並びにまちの装置としての活用法として、万葉線の必要性を訴え、大きい文字での呼びかけ文によって、人々の行動を促しているように考えられる。特に「今ある物(ストック)をどう生かすか」という文章では、まちの装置としての万葉線の価値(社会的便益)を「ストック」と表現し、それを「どう生かすか」と万葉線を今後も活用するために存続させることの重要性を人々に訴えかけている。このように、RACDA高岡の作成したポスターは「運動側が提示したフレーム」に人々の関心を引きつける構成になっていたと分析できる。このポスターは前述したように婦人会など地縁組織の力によって多くの場所で掲示された。それにより、多くの人々に考える機会を提供し、フレームが転換するための手助けをしたのではないかと考えられる。

また、ポスター掲示の特性を考えてみると運動にかかるコストが低いことが挙げられる。高木は、問題解決のための運動コストが低いほど、多くの人々の支持が得られるとしている(大畑ほか,2004129)。第2章第3節の吉野川可動堰建設問題の例でも、住民投票フレームが成功したのは、署名や投票という行為のコストが低いため、多くの人々を動員できたことが大きい。これと同様にRACDA高岡が行ったポスター掲示運動を考えると、運動にかかるコストが低かったことが、フレームに多くの人々を動員する一因となったのではないだろうか。

 

このように、当初一般的だった「赤字も出ていて利用者も少ないなら必要ない」というフレームから「社会的便益のために残すべき」というフレームに転換し、人々の意識が変わったことが、路線の存続とその後の市民への負担(出資・募金)の承認へとつながったのではないかとも考えられる。

これまで述べてきたように、万葉線の事例までの地方公共交通存続運動では「乗って残す」という考え方が主流であった。そのため「残す」ということすなわち路線を存続させることのみが目的化しており、存続後のことは議論されないままであった。この「乗って残す」という運動方法で、人々の意識も「乗らないので必要ない」という考えのままなら、もしそのような運動をおこなっても利用者が増えなければ(注6)、存続することはできなかったであろう。しかし「まちの装置として残す」という考えでは利用者の多さというよりむしろ、その交通が担う役割に焦点が向けられるため、利用者が少ない状況でも人々の合意や理解も得られやすかったのではないかと考えられる。

また、高橋・佐野は万葉線存続問題(全体)の推移について「当初は行政主導により、鉄道事業者救済という意味を含みつつ、イベント開催による利用者増加を追求する方向にあった。しかし、その後の市民側の動きや行政による対応を追っていくと、公共交通としての万葉線の存在意義を重視する流れに移行した」(高橋・佐野2007252)と述べている。このような移行の背景には「乗って残す」という考えから「社会的便益を考える」へというフレーミングが深くかかわっていると考えられる。

 

結論

これらのことを総合して考えると、RACDA高岡は自己のまわりとのネットワークを「資源」として活用することで、ラクダキャラバンやポスター掲示などの活動を有利に運び、その活動が「赤字であり、利用者も少ないなら必要ない」というフレームから「社会的便益を評価して残すべき」というフレームに転換される手助けとなった。そしてそれらの人々の意識の枠組みや行動の変化が、路線の存続に強く影響していたということが分かった(図9)。 

 RACDA高岡がポスター掲示などによって、婦人会などに働きかけた結果、関心を持つ傍観者(賛同者)だった婦人会が、独自に署名活動をおこなうなど、新たに運動の構成員(支持者)になり、それがRACDA高岡にとっての資源となった。またラクダキャラバンなどで万葉線の必要性を訴えかけることにより、住民に運動側のフレームを理解させると同時に、無関心層や傍観者であった地域住民が関心を持つ傍観者や賛同者になった。これらの動きが運動に人々を動員し、運動を推進させた要因と考える。

このように、団体間のネットワークという資源を動員し、新たなフレームを社会に広めたことが、RACDA高岡が行った万葉線存続運動の意義ともいえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


9考察の全体図