2章 先行研究

 

この章では、社会運動について書かれた文献から社会運動の特性とその種類、各種社会運動論についてレビューし、本研究の調査対象である地方公共交通の存続問題を社会運動のなかに組み込むことができるか検証していく。

 

 第1節 社会運動の射程

この研究の導入として、まず社会運動の定義に触れておきたい。片桐は社会運動を次のように定義している。「公的な状況の一部ないしは全体を変革しようとする非制度的な組織的活動である。」(片桐 1995:73)また、道場と成は「社会運動は、複数の人びとが、社会を変革するために、非制度的な手段をも用い、組織的に取り組むことにより、敵手・競合者との間の相互作用を展開することをさす。」(大畑ほか20045)と社会運動を定義する。この二つの定義に共通するのは、「社会を変革」するため「非制度的」に「組織的活動を行う」ということである。本調査ではこれを社会運動の定義とする。

しかし、ひとことで「社会運動」といっても、よく想像されるような、行政当局に対するデモ行為など、権力の体制に不満を持った人々がそれに対抗するために集団で異議申し立てをする行動のみを、社会運動として扱うとは限らない。それは社会運動のひとつの側面にすぎず「社会運動」という概念は、広い範囲で適用可能なものである。

西城戸は社会運動を「抗議をする」社会運動、「議会に代表を出す」社会運動、「事業をする」社会運動、「自分や他者を助ける」社会運動の4つに分類している(ibid:79-86)。この類型の例を見ても、社会運動が広い意味を持った言葉として扱われていることがわかる。そこで、公共交通の存続運動も社会運動として捉えることができるのではないかと考えた。地方公共交通存続運動を社会運動として捉えるにあたり、西城戸の分類に従って、調査対象であるRACDA高岡が行った万葉線存続運動が社会運動としてどのカテゴリに位置するのかを以降検証していきたい。

「抗議をする」社会運動の視点で考えると、公共交通存続運動は事業者や当局側の「路線を廃止する」という意見に「抗議」するものであるため、この分類にも合致すると考えられる。しかし、万葉線存続運動時のRACDA高岡の活動に限定すると、事業者や行政に対抗し「抗議」するという性格ではない(後述)ため、当てはまるとは言い難い。また、RACDA高岡から議会に代表を送るなどの行為は行っていなかったため「議会に代表を出す」社会運動にも当てはまらない。一方、万葉線の存続が決定したのち、RACDA高岡はほかの団体とともに募金活動の呼びかけを行っている。この募金は市民から集め、新車両の導入や設備の更新の一部に使われる資金で、いわば市民が支える新しい形の第3セクターとしての万葉線の特徴とも言えるものである(後述)。事業そのものに市民が参加していないとはいえ、募金により路線の維持のための資金の一部を市民が負担していることを考えると、募金活動を行ったRACDA高岡は会社の事業の一部に間接的にコミットしていると捉えることができる。よって、RACDA高岡の万葉線存続運動は「事業をする」社会運動の一部に当てはまる。また、RACDA高岡は、万葉線存続運動の過程で、ラクダキャラバンという、住民への情報提供と同時に住民と意見を交わす場を設けていた(後述)。このラクダキャラバンでの住民とのやり取りによって、活動主体側の考えを相手に広めるだけでなく、地域住民に対し自分の住む地域について考える場を提供し、より住みよい地域づくりに貢献したと考えれば「自分や他者を助ける」社会運動にも当てはまると考えることができよう。

よって、RACDA高岡の万葉線存続運動は「事業をする」社会運動と「自分や他者を助ける」社会運動の中間に位置すると考えられる(図1)。行政への対抗を目的としていないRACDA高岡の万葉線存続運動についても、このように社会運動として位置付けることが可能なのである。

   RACDA高岡の万葉線存続運動

 

1:社会運動のなかでのRACDA高岡の万葉線存続の位置づけ

 

時代の変遷にともない社会運動も多様化し、それによりさまざまな社会運動論が登場した。本研究では、そのうち、資源動員論とフレーム分析(フレーミング)の手法を用いて地方公共交通存続運動を社会運動のなかに組み込んでいく。第2節、第3節では、その二つの運動論について触れることとする。

 

 第2節 社会運動論「資源動員論」

資源動員論は、集合行為論へのアンチテーゼとして1970年代に登場した社会運動研究の潮流である。資源動員論は、社会運動を非合理的・感情的・暴力的なものではなく、合理的・理性的・抑制的な行動とみなし、資源の調達や管理、敵手との関係といった点を重視する。

片桐は、資源動員論と集合行為論の相違点を明らかにし、資源動員論の特徴を8つ挙げている(片桐19953)。ここで挙げられている集合行為論との相違点からわかる資源動員論の特徴を見ていくと、資源動員論は組織的運動を対象にしており、まわりとのネットワークを重視する傾向があることが分かる。

その中で本研究と特につながりがあり注目したいのは、他の運動組織等との組織連関についての記述である。資源動員論では人間関係やネットワークがとくに強調される。片桐は、集合行為論と比較したうえで次のように述べている。「運動組織成立後の過程については、集合行為論では社会統制の働きについて言及される程度だが、資源動員論では統制機関、マス・メディア、他の運動組織との複雑な組織連関関係についても言及される。」(ibid:4

また片桐は、社会運動をめぐる組織連関について、政府等の制度的意思決定を持つ組織との関係、マスコミを媒介とした公衆との関係、他の運動組織との関係の三点に絞って考察している(ibid:86-89)。政府等の制度的意思決定を持つ組織との関係については、その運動が統制機関を打倒する敵として見ているかが重要としている。またマスコミを媒介とした公衆との関係については、公衆を支持者、賛同者、関心を持つ傍観者、反対者、無関心層に分類し、運動目標の達成のためには、無関心層や反対者を関心を持つ傍観者へ、関心を持つ傍観者を賛同者へ、賛同者を支持者へ変化させることが重要としている。そして、それにはマスコミの持つ大量報道能力が効果をもつとしている。

他の運動組織との関係については、合併、提携、協働、競争、闘争の5つの関係が生じうる。このなかでRACDA高岡の事例に該当するのは「協働」であると考えられる。しかし、これは他の運動組織との関係のみならず、行政やマスコミなどすべての関連する組織との関係に言えることであろう。

また、構成員の獲得ではフリーライダーの問題も重要である。他人の貢献を待って自らは何もしない人をオルソン(196583)はフリーライダーと呼んだ。社会運動の獲得目標は誰でも享受できる公共財であり(大畑ほか、2004104)、このようなフリーライダーが社会に蔓延することは、運動側にとっても運動を進めにくい要因になる。それに関係して「社会運動組織にとっては、自分たちの目標を支持してもらうこと(合意の動員)も大事だが、支持だけではなく実際に貢献してもらわなければ(行為の動員)、活動はたちゆかない」と樋口は述べている(大畑ほか、2004104)。

 

 第3節 社会運動論「フレーミング」

フレーミングとは、運動を行う組織が自分たちの目標を人々に理解・支持してもらうために、関連する出来事や状態を分かりやすく定義づけする活動のことである。フレーミングは、ものごとをわかりやすくみせ、それまでの定義や解決策とは異なる定義や解決策を示す。そしてフレーミングによって定義づけされたものの見方をフレームという(大畑ほか2004124)。運動者側が人々を動員するためのプロセスとして、自らの世界観を社会にぶつけ、人々にその世界観を共有してもらうことで初めて、敵対者を傍観者に、傍観者を支持者に、支持者を構成員に変化させ、人々を運動に近づけることができると高木は述べている(ibid:120)。

また、高木は吉野川(徳島県)の可動堰建設問題を例に挙げ、自分たちが提示するフレームに人々を引き付ける過程を説明している(ibid:118-131)。吉野川可動堰建設問題とは、吉野川河口から14km地点にある第十堰の改築(第十堰の取り壊しならびに可動堰の建設)を計画した建設省(現:国土交通省)に対し、地域住民が反対運動を行ったというものである。当局側は、第十堰の老朽化や「せき上げ」(注1)の防止を理由に可動堰を建設しようとしていた。それに対し住民は、長良川の先例(注2)などもあり、可動堰建設への反対を表明した。建設省が設置したダム等事業審議員会のなかの審議委員には計画に批判的な人がほとんど含まれておらず、当時の徳島県知事も可動堰建設の旗振り役であった。そのため、審議委員会では住民らの意見はほとんど審議されず、1998年に「可動堰建設は妥当」という結論を下した。それに対し住民側は、「第十堰・住民投票の会」を結成し、住民投票条例を請求するため、署名活動を行った。署名は、199811月からの1ヶ月間で、徳島市の有権者の約半数にあたる101535人分集まり、19996月に住民投票条例は制定された。住民投票には有権者の55%が行き、投票した人の9割が可動堰建設反対の意思表示を行った。住民投票を受け、以前は建設推進派だった徳島市長も「あらゆる可動堰に反対する」と表明することになった。2000年に自民党の公共事業の見直し対象になるなどして、現在ではこの計画は事実上凍結されている。

この例では、当局(建設省)側と運動側が制作した二枚のチラシを提示し、それぞれ提示・主張するフレームを明らかにしている。建設省が作成したチラシでは、現在の第十堰が老朽化や洪水時に治水上の問題があるなど様々な問題を抱えており、可動堰を建設すべきという絵柄になっている。それに対して住民投票の会が作成したチラシでは、可動堰の建設に関しては様々な疑問がでており、多くの住民が反対しているにもかかわらず、計画が着工されようとしていることに対し、吉野川の未来は住民みんなで考える必要があり、そのために住民投票をするべきという絵柄になっている。それぞれが提示する絵柄は、それぞれの組織の達成目標を反映している。そして、この絵柄がそれぞれの提示する「フレーム」となっており、自分たちの活動への参加・支持を人々に呼びかけるための定義として機能しているのである。

 

以上のレビューを踏まえ、第4章では資源動員とフレーミングという二つの社会運動論の視点から分析と考察を行いたい。