第二章 先行研究

 

第一節 結婚の規制緩和と婚活の必要性

第一項 社会的な規制緩和と未婚率の変化

 バブル経済崩壊後の1990年代頃、あらゆる分野で規制緩和が進み、就職に関しては男女雇用機会均等法により女性も男性と同じく就職戦線に加わっていけるようになってきた。しかし、自由化が進んだのと同時に経済状況の悪化により求人も減少していき就職氷河期が訪れ、非正規雇用者が増加していった。これによりなんとなく就職できる時代は終わり、積極的に就職活動しなければ就職できない時代になってきたのである。

 その一方、山田(山田2010)は結婚の分野でも規制緩和は起こっていると述べている。結婚における規制とは、親による取り決め婚や職場と見合いによる結婚の斡旋があり、自由な恋愛、結婚は出来ないがほぼ自動的に結婚できるというものである。しかし、結婚の規制緩和が起こり始めた1975年頃に男女共に未婚率は上昇し始めた。規制緩和することで、就職の自由化により非正規雇用者が増加したのと同様に、恋愛や結婚の自由化で規制における自動的な結婚が減少していき未婚者が増加したのである。この未婚率の上昇には、初婚年齢に遅れが出る晩婚化も含まれている。

 

 

第二項      独身者の結婚意志

 1975年以降に、未婚率が上昇し男女ともに晩婚化が進んできた。社会的な規制緩和により女性は雇用機会が増え、キャリアウーマンを目指す女性も出てきた。これにより未婚化の原因は結婚意志が薄れていったと語られるようになった。しかし、山田(2010)は未婚化の原因が結婚したくてもできないことにあると述べている。確かに、一生独身でもいい、必ずしも結婚しなくてもいいという考え方も近年見られるようになり、それが晩婚化や少子化につながったとも考えられる。しかし、すべての未婚者が結婚しなくてもいいと思っているのだろうか。山田(2010)は未婚者調査のデータやインタビュー調査から日本社会の結婚願望は衰えていないと言う。結婚そのものの魅力はなくなっているわけではなく、理想的な相手が現われればすぐにでも結婚するであろうが、理想的な相手がいないために結婚できないのだ。未婚者が増えることと結婚したくない人が増えることを繋げて短絡してしまうこと、そして結婚の良さを宣伝しようという見当違いの結婚対策が出てきてしまうことは必ずしも未婚者の結婚に繋がるとは言えないのである。

 

 

第三項 婚活の必要性

 1990年以降の結婚の規制緩和で、男女交際の増大、結婚に対する斡旋の縮小、ライフスタイルが多様化し、自由に恋愛や結婚ができるようになった。自由化が進むにつれて、結婚したくてもできない未婚者が増加した。この原因に関して、山田(山田,白河2008)は結婚における格差が拡大したためであると述べている。つまり、希望通りに結婚できる人、そうでない人に二極化したのである。これは、バブル崩壊後の経済格差によるもので、経済面で女性は男性に依存したいと考えることから、一部の男性のところに女性が集中しその他の男性は女性と付き合うチャンスが減っていくのである。では、結婚したくてもできない未婚者はどうしたら良いのだろうか。山田(山田,白河2008)は婚活の必要性をクローズアップしている。なぜ婚活が必要なのかと言えば、ほぼ自動的に結婚できる時代は終わり、社会経済的に変化してきているのにも関わらず、未婚者の意識そのものはあまり変化していないことに警鐘を鳴らすためである。婚活の必要性をクローズアップすることで、積極的に結婚に向けて活動しなくては結婚できない時代に入ってきたことを認識させ、自ら積極的に活動するように促したのである。

 

 

 

第二節 婚活のひとり歩き

第一項 山田(2010)の意図した「婚活」

婚活という言葉の産みの親である山田(2010)は、失敗を恐れず結婚を希望する未婚者自身が積極的に結婚相手の探索することを推奨している。また、婚活の必要性を唱えると同時に、二つの現実を明らかにしている。一つ目は、待っていても理想的な相手は現われないということである。近代社会の進展により、個々の選択肢は増え、それと共に目的を達成するためには自分で積極的に活動しなくてはならなくなってきた。結婚も同じく積極的に活動しなくては結婚にふさわしい相手にはめぐり合えないのである。二つ目は、結婚しても妻子を養って豊かに生活していけるだけの経済力を持った男性の減少である。女性たちは豊かな経済力を持った男性を結婚相手として求めるが、そのような結婚形態を望む場合、生活の経済負担を背負えるだけの男性の減少によりそれが実現する確率が低くなるというのである。そのため、婚活では男性は結婚後の家事負担を覚悟し、女性は結婚後も仕事を続けることを覚悟する必要がある。山田(2010)は結婚可能性を高める方策として結婚後の共働き化を推進している。共働き化により、結婚後でも経済的に豊かな生活ができるようになり、男性が生活の経済負担を背負う部分が減り、結婚可能性を高めるのだ。しかし、女性がそのように覚悟できるかどうかが難しい点であり、理想をいかに削っていけるかが結婚の鍵になってくると言える。

 

 

 第二項 婚活ブームと二つの波

 『「婚活」時代』が出版されてから婚活という言葉が流行するようになり、メディアでも婚活パーティーの取材が行われ、ドラマや漫画などでも婚活は取り上げられるようになり婚活ブームが巻き起こった。開内(2010)は婚活ブームには二つの波があると述べている。第一の波は200810月頃までで、婚活という言葉が受け入れられていく過程である。婚活という言葉に最初に反応したのは適齢期の子どもを持つ両親たちであり、結婚できない自分の子どもが置かれている状況を理解しようとしたことが第一の波を引き起こした。次にこの言葉に反応したのが結婚するのは大変という事を理解しながらもなんとか結婚したいという未婚者であった。

第二の波は、婚活という言葉をひとり歩きさせた。婚活が本来の意味とは正反対に向かっていったのである。自分なりの結婚を勧めたはずの婚活が、特に女性では不況にもかかわらず、より社会的・経済的に安定した男性を獲得する活動に変容してしまった。また、第二の波は女性たちに「恋愛のような結婚」をあきらめさせ、性・恋愛・結婚という三位一体のロマンティック・ラブ・イデオロギーを解体させた。そして、開内(2010)はこの第二の波が結婚するために就職活動のように活動をするという婚活をしやすい土壌を作り、男女共に結婚情報サービスに参加することや自分からお見合いしたいと申し出ることを恥ずかしく思う空気を一掃し、恋愛至上主義の流れを変えたと述べている。婚活の本来の意味と取り違えている部分はあるが、第二の波は婚活をしやすくするという効果をもたらしたのである。

 

 

 第三項 提唱者の意図しなかった「婚活」

 現在における婚活ブームは白河、山田のような婚活の提唱者の意図した通りになっているのであろうか。山田(2010)は現在の婚活ブームにおける婚活が山田も意図しなかった効果を生み、二つの誤解を生んだと述べている。一つ目は、婚活が合コンや結婚情報サービス産業を勧めているということへの誤解である。結婚情報サービスを利用すればよいというものではなく、待っているのではなく出会いを自分で作り出すことを重要視したいのである。さらに言えば、出会いを増やすことは婚活のすべてではなく、出会いを増やす前に自分を磨くことも大切であり、男性ならばコミュニケーション能力を高めること、女性は男性に依存しすぎないほどの経済力をつけることが必要とされる。出会いの活動が実を結び交際後も相手との将来の結婚生活を目指してお互いの希望をすり合わせることも婚活を成功させるためには必要であると述べている。二つ目は、婚活が高収入の男性を早く掴む活動だという誤解である。山田(2010)は、待っていれば理想的な男性が現われるというのが幻想であるならば、婚活をすれば高収入の男性、理想的な男性に出会って結婚するというのも幻想であると言う。理想と現実を見直して自分が結婚できるように活動していくことが婚活の本来の意味であるが、提唱者も意図しない効果を生み、それが浸透してきているというのだ。


第二節の先行研究に対して筆者が関心を持った部分を以下に示すことにする。

まず第一項に関して、婚活をしている女性たちは結婚において相手の男性の経済力を重視しているのであろうかと考えた。確かに、山田の言うようにそう考えて活動している女性は多いのかもしれない。そこで、女性たちが相手に求めるものとしてどのような基準を設けているのか、必ずしも経済力ばかりを求めているとは限らないのではないかと仮定し、相手となる男性または自身をどのように価値付けし、基準を設けているのか分析していきたい。

 次に第二項に関して、婚活をしている女性たちは「恋愛のような結婚」を本当にあきらめているかという点で疑問に思った。開内の言うように、本来の意味とは異なる部分はあるが、第二の波は婚活をしやすい土壌を作ったと思われる。しかし、女性たちが婚活と恋愛を切り離して考え活動しているかどうかは疑問である。これに関して、婚活の実態を調査することで明らかにしてみたい。

 また第三項に関して、婚活をしている女性たちにとって自身の行う婚活はどのようなものなのだろうかと考えた。合コンや結婚情報サービスに登録しているだけを婚活と呼んでいるのか。自分を磨いたり、付き合っている男性との結婚に向けて前向きに考えたり、現実を見つめなおしてターゲットの幅を広げてみたりなど様々あるが、その実態はどうなのか明らかにしたいと思った。以上のことに関して、調査データから分析、考察を行っていくことにする。