第三章 調査

第一節 調査概要

 

 富山市に住むAさん、Bさん、Cさん、高岡市に住むDさん、Eさんにインタビュー調査を行った。Aさん、Bさん、Cさんは、一対一のインタビューを行った。DさんのインタビューではDさんの子供に通訳をお願いした。Eさんへのインタビューでは、Eさんの夫にもインタビューに答えてもらった。

 

 

国籍

家族構成

Aさん

ブラジル(日系人)

日本人の夫と、3人の子供

Bさん

タイ

日本人の夫と、1人の子供

Cさん

インタビュイーの意向により省略

日本人の夫と2人の子供

夫の両親と親戚と同居

Dさん

ブラジル

日系人の夫と、2人の子供

Eさん

ブラジル

日系人の夫、3人の子供

 

 

主な質問項目

・家族構成と家庭内での使用言語

・子育てをしていて困難に感じたこと

・他に子育てに関してどのようなサービスがあったらいいと思うか

・子供はどのような言葉を使っているのか、母語を維持してほしいと考えているか

・子供の進路、教育、学校に関してどのような悩みがあるか

 

第二節 外国人の子育ての状況

 

第一項 Aさん

 ブラジル出身で看護師として働いていたが、1989年に研修生として来日した。Aさんの両親は日系人で、ブラジルにいるころは日本人学校で日本語の勉強もしていたため、来日前から日本語をある程度話せた。夫は日本人で、Aさんが研修生として来日した際に出会った。現在大学1年生の長女、中学3年生の次女、中学1年生の長男がいる。とやま国際センターでポルトガル語担当の相談員として働いた経験を持つ。

 

●社会サービス利用における諸問題

「日本での子育てで大変だと感じたことはありますか」という質問には「まあ言葉の面では、あまり不自由はしなかったから、そういうのは、さっき言ったみたいに、読めなかったりとか、全部は今もはっきり言って読めないけども、そのある程度問診票とか、そういうものは答えることができたし、まあ病院行っても、そういう自分でその子どもの症状説明できたりとか、そういうこともできたし」とAさんは話した。ある程度日本語を理解していたので問診票や医師とのコミュニケーションに困ることは少なかったという。しかし、Aさんの子供は喘息を持っていて、何回も病院に行って本当に大変な思いをしたそうだ。「まだ言葉が通じたからなんとなくこうやってなったけども、逆にもし自分が言葉通じなかったらどうしとったかなとかって思いますよ。すごい不安だと思いますよ。症状も上手く説明できんければ。難しいことじゃないですか。多分日本語がわかってても、下手に親がね症状を説明したら先生だって神様じゃないんだからね、間違えることだってあるじゃないですか。だからそこでそういうエラーが起きないのかなって心配になりますよね。」と語った。

 

●情報の不足・欠如

 Aさんは病院や市役所で日本語がわからないために不自由することは少なかったという。それでもAさんは「日本の手続きって言葉が喋れるとか喋れないとか抜きにして、なんかだれも教えてくれないじゃない。子ども手当があるよーとかこういう制度があるよーとか。自分から情報を探しに行かないといけないっていう面があるよね。そういう部分では言葉とか関係なくもともと難しいものだと思う」と語った。Aさんは看護師として働いた経験があり、「なんとなく同じような仕事しとる人見て比べると、日本だったらパンフレット渡すとか健診とかに行くとするじゃない。そしたらなにか知りたいなとか聞きたいなとかとか思っても大体なんか準備されてて、資料でパンパンと渡してくるんですよね。そういうのだって渡されても読めなければ訳に立たないわけじゃない。それはなんか困るよね。私もはっきり言って100%日本語読めるわけじゃないから。まあなんとなくそれ渡されたけど、まあ日本人もそうだと思うけど、帰って読みもせん。時に私全部読めないから。めんどくさいから読まない。もしかしたら大切な情報があるかもしれないけどそんもままになっちゃうかもしれないしね」と語った。

 

●人付き合いとソーシャルサポートの問題

来日したばかりの頃、Aさんの住む地域にブラジル人は多くはおらず、近所にブラジル人の知り合いは「ほぼいないのと同じ」だったという。知り合いのブラジル人はいたものの、遠くに住んでいたり、「なかなか電話で連絡取るってこともないし、そんなに知り合いでもない」と言う。人からブラジル人の人を紹介されても、「だからといってなんでもかんでも相談できるわけじゃない」ので「もしかしたら他の人は仲良くなっていくかもしれないけど、私はできなかった」と語った。一方で日本人の母親とは、保育園や小学校を通して知り合いになることもあったという。今でも子供を通して付き合いがあり、悩みを相談できる友人も数人いるという。その人たちとは同い年の子供を持つ者同士、共通の悩みを持っているので互いに話しをしたりするそうである。

 一時期子供が不登校になってしまったことがありとても悩んだという。その時は同級生の母親に会ってAさんが励まされたり、仲良しだと思った子に「(自分の子供に)声をかけてね」と頼んだりしたそうだ。子供の不登校を回りの日本人に支えられて乗り越えた経験をを持つAさんは「やっぱ喋れんかったら悩みも言えないんだろうなって思いますよ。ただでさえ私でさえもなんか、喋れてでも誰にでも悩みを言える、でもないわけじゃない

」と語った。

 

●経済的問題及び就労と保育の問題

 Aさんは家で商売をしていたが、友達と遊ばせたい、仕事が忙しくて面倒を見れない、という理由で長女は3歳、次女は2歳、三男は1歳半の時に保育園に入れた。また、一番下の子供が小学校に上がったのをきっかけに、以前から話を聞いて知っていたとやま国際センターの相談員として今年の6月まで働いていた。

 

●子供の学校、進路に関する問題

 Aさんは子供たちの学校生活について「最初はちょっと心配したんだけども、自分が国籍がブラジルだから、お母さんはブラジル人だからーとかって、差別されるのかなあーっていう心配みたいなものはあったけど、おかげさまでそういうのはなかったかな」と語った。

 

●親子関係に関する悩み

Aさんの子供たちの国籍はブラジルだが、子供たちは自分たちが日本人であるという意識が高く、なぜブラジルの国籍があるのか問われることもあるという。Aさんはそんな自分の子供たちの様子にやりきれない気持ちを抱いているように感じた。

Aさんは「うちの子供たちはこっちで生まれたし、あの子たちに聞いても、あの一応国籍はブラジルの国籍もってるんですけども、うちの子たちはもう自分たち日本人だと思ってますよ。そんななんでブラジルの国籍があるのって。私にしてみればちょっと寂しい話。ポルトガル語も話しませんし」「なんでそんなもんあるのかって思っているくらいだよ。誇りにも思ってないんじゃないかな」と語る。

Aさんは相談員の仕事を通して、自分のブラジル国籍に反発する子供たちを見てきた。「日本は残念ながら、あの、外国の人にはその生まれたなりしの国籍は与えられないわけじゃない。申請するか、自動じゃないからね。子供たちはその狭間にいる…ていうかね」と語った。

 

●子供とポルトガル語

 Aさんの子供たちとは、家でも日本語を使って会話をしている。Aさん夫婦は共働きのため、子供が3歳くらいの頃から保育所に預けていたことと、夫が家でポルトガル語を使うことに賛成しなかったため、ポルトガル語を使って会話する習慣があまりなかったという。長男が小さい頃は「小さい頃にポルトガル語を話したほうが言葉覚えるかな」と思い、ポルトガル語で話しかけていたが、夫の反対もあり、「自分としては納得いかなかったけどやめちゃったね」と語った。そのため、子供たちはポルトガル語について、いくつかの単語しか知らないし、それは仕方がないことなんだと語った。

Aさんはインタビューを通して、子供たちにポルトガル語を教えられなかったことへの後悔を語ることが多かった。「ポルトガル語を覚えてほしかったですか」と聞くと「ほしかったね。なんか制限がなければ。自分は教えたい気持ちがある」と語った。「それは自分の言葉だから?」と聞くと「それもあるし二つの言葉喋れるってことは特なこともあるだろうし、一応ブラジル国籍も持ってるしね」と語った。Aさんから見て子供たちはポルトガル語に関心はあるようで、たまにAさんが友達と電話でポルトガル語を使って会話していると、興味深々になって聞き、言葉を一生懸命真似したりすることがあるという。また、Aさんの弟家族も日本に住んでいて、弟の子供たちは日本語とポルトガル語両方話せる。Aさんは、子供たちが従兄たちが両方の言葉を話す様子を見て「(子供たちは)喋れたらいいなって心のどこかで思っていると思う」と語った。また、言葉の修得という点に関して、  

Aさんがブラジルに住んでいたころどのように日本語とポルトガル語を覚えたのか多く語ってくれた。Aさんの両親は日本人なので、小さい頃から両親との会話や日本のテレビ番組を通じて日本語を覚えていったという。「外では全部ポルトガル語なんだけど、私もそうやって覚えたから、自分もこうやって喋れるんだなって思うし、日本語学校にも通わせてもらったし、それで自分としてみれば今となってはそのことが小さいころにあったから、いわゆるベースがあったから、こっちに来ても上達の方も早かっただろうし、読み書きもある程度できとったから、上達してくのが、何も知らないより早いわけじゃないですか。そう思ったら自分の子もポルトガル語覚えて、そのようにして少しでも覚えてほしかったなって思うのね。小さい時に親しんでおけば絶対に大きくなった時にすごくたぶん違うと思う。覚えて欲しかった。今となれば手遅れですけど」と語る。

 

第二項 Bさん

 タイ出身。5年前にタイで日本人の夫と出会い、1年後結婚をきっかけに来日した。来日後約2年間はアパート暮らしをしていたが、妊娠をきっかけに、夫の両親と同居を始めた。2歳9カ月の子供がいて、来年から保育所に入れる予定。

 

●社会サービス利用における諸問題

 Bさんは一人で子どもを病院に連れて行った時、医師の言葉がわからなくて困ったという。うまく言葉が通じない時は医者に手紙を書いてもらって、それを夫に読んでもらっている。保育園も同じように保育士に手紙を書いてもらうこともある。また、Bさんは運転免許を持っていないので夫と病院に行くこともあるという。「私まだ運転のまだ持っていないから結構大変です」と語り、秋から母国に帰り国際免許を取得する予定である。

Bさんの子供は来年の春から保育所に入るので「赤ちゃんあるから(日本語)頑張らないといけないなって。保育所入ったら手紙から紙から書かないといけないとですね」と語った。

 

●人付き合いとソーシャルサポートの問題

 日本に来たばかりのころは日本語が全くわからず、夫とよく喧嘩をしたという。友達から「言葉がわからないのになぜ喧嘩できるのか」と聞かれることもあったというが、Bさんは「言葉がわからないから喧嘩します」と話した。また、夫の親戚が集まった時、周りが何を話しているのか全くわからず困り、後から夫に内容を聞いたりしていたという。

 Bさんは来日後約2年間はアパートで暮らしていたが、出産をきっかけに現在は夫の両親と同居している。姑には子供の面倒を見てもらったり、Bさんの日本語の勉強のために一緒に書道をやっているという。

Bさんは、「(子供が)夜中熱あるときすんごい困った。だけど下におばあちゃんおるから、結構安心だ」「おばあさん仲良しかな。おばあちゃん明るい人だから。助かること多いです」と語った。また、実家で暮らすようになって「おばあちゃんと一緒に日本語で話したり、それで日本語覚えていった」と語り、アパートで暮らしていたころよりも日本語がうまくなったという。

夫の妹の子供は自分の子供と誕生日が一週間違いで、よく実家に遊びに来る。「なんか問題あると相談する」「旦那さん妹乗っけて、(夫の妹が)友達こんな人ありますよー子供。心配ないですよー、もっと遅い人ありますよーとか言って」というように夫の妹に会う時は、子育ての相談もしているという。また、アパートで暮らしている時は知り合う人が少なく、同じ出身国の友人ばかりだった。しかし実家に来てから、近所のお祭りやビーチバレーのチームに参加するようになり、日本人の知り合いがふえたという。また、年に何回かタイ出身者の集まりにも参加しているという。

 

●経済的問題及び就労と保育の問題

 Bさんの子供は来年から保育所に入れる予定である。今はBさんがどこか出かける時は姑に面倒を見てもらうことが多いという。「日本の子育てで大変なことは」と聞くと「漢字読めないこと。あと、仕事」だと答え、来年子供を保育所に入れたらゆっくり仕事を探すという。

 

●子供の言葉について

 2歳9カ月になる子供とは、普段は日本語で会話するが、時々タイ語や英語も使うという。将来は子供に日本語だけでなく、タイ語や英語も覚えてほしいとBさんは考えている。理由を聞くと「英語は仕事しないといけないでしょ、大きくなったら勉強するでしょ。日本語は日本(では)当たり前だから。(タイ語は)ママはタイ人だから、時々(タイに)帰りますから」と語った。Bさんは日本語だけでなく他の言葉を覚えさせるために、小さいうちから毎日いろんな言葉で喋りかけてるという。

 

第三項 Cさん

 2009年に来日。それまでは10年程アメリカに住んでいたが、夫の仕事の関係で来日した。夫は日本人だが10年以上アメリカに住んでおり、夫婦間では英語を使う。子供は3歳半の兄、1歳半の弟の二人で、両方ともアメリカで出産した。

 夫の両親、夫の妹とその子供と同居している。今年の4月から英会話教室を兼ねた託児所を自ら開いている。

(国籍はインタビューイーの意向により省略)

 

●社会サービス利用における諸問題

病院や市役所などへはいつも誰かに連れて行ってもらっているため、困ったことはあまりないという。病院に行く時は姑や夫の妹に頼むこともあり、医師から言われたことを姑、夫の妹が家に帰ってから夫に伝え、それをCさんに伝えている。「その時大変」とCさんは言う。家族だけでなく、英会話教室で知り合った友人たちに頼ることもあるという。

また、行きつけの小児クリニックがあり、風邪をひいたときや予防接種のときはいつもそこへ通っている。予防接種の前に書かなくてはいけない問診票は「ふりがなもついてないし、漢字読めないし、ひらがなとカタカナ読める」という。Cさんには無理なので、夫にかわりに書いてもらうという。一回だけ一人で病院に行った時、問診票の書き方が分からなかったため、前に夫が書いていたことをそのまま同じように書いてしまったらしい。

 また、病院に行く時に家族誰かに同伴を頼むのは、言葉の問題だけでなく、Cさんが車の運転免許を持っていないことも理由にあるようだ。Cさんはアメリカで運転免許を取得しているが、その免許の変更手続きに時間がかかっていて今は運転できない。免許センターに行っても、必要な書類が足りなかったり、運転免許の書き換えが大変だという。子供が病気になった時、運転免許があれば自分でも行けるのにとCさんは語った。

 また、乳幼児健診に一人で行った時、保健師に子供のことで何か問題はあるか、と聞かれた時に、日本語でどのように表現したよいかわからず、言えなかったことがあるという。

 

●情報の不足・欠如

 現在通っている日本語教室は、仕事の面接を受けに来た時、たまたま同じ建物内にあった富山市民国際交流協会の掲示を見て知った。子供と一緒に参加できる日本語教室は珍しく、費用も一回300円と安い。Cさんは通っている日本語教室について「ここに来ない人は知らないと思う。だからもっと広告するのがいいと思う」と語った。

 予防接種の時期については自宅に届く手紙で知る。Cさんは漢字があまり読めないので、夫に読んでもらっている。そのため、夫が忙しい時などは困るという。長男の3歳半の検診は手紙が来たのに忘れてしまったらしい。

 

●人付き合いとソーシャルサポートの問題

 Cさんは8人という大家族の中で暮らしているが、日本とアメリカの生活習慣の違いや、姑との価値観との違いを感じているという。特に夫の両親は全く英語を話さないため、コミュニケーションをとるのが難しい、とCさんは言う。夫の母親もCさんの子供の世話を積極的にすることはなく、たまに助けてもらう程度だという。

「子育てについてどんな人に相談していますか」と質問すると「今教えている(教室の)ママたち」と答えた。Cさんが開いている英会話教室では2歳から6歳までの子供たちが4人から6人、夏休みなど多いときは8人くらい来る。今年の秋からは朝から夕方まで子供を預かっている。晴れている日は公園に出かけたり、お弁当を一緒に食べている。

 インタビューでは保育園の話はあまり語られず、保育所では送り迎えでの際に会う母親と挨拶を交わす程度だという。来たばかりの頃は特に日本語がわからず、保育士との会話も一緒に来た祖父に任せてしまったという。

 

●経済的問題及び就労と保育の問題

来日したばかりのころは、日本語を殆ど話せなかったので、仕事先を探すのに苦労したという。自分の英語力を活かして英語の講師の仕事につきたかったが、日本語が全く使えない状況だったので、面接で落とされてしまった。そこで、Cさんは自分で英会話教室を兼ねた託児所を開こうと思ったという。自分で開けば自分の子供の面倒も一緒に見れるので、一番いい方法だと思ったという。

 今年の秋からは別の広い場所を借りて、朝から夕方まで子供たちを預かっている。場所を探す時には、自宅と保育園から近く、自転車で通える範囲で探したという。朝は自転車で保育園に長男を預けて、そのまま次男と自分の託児所に向かっている。祖父や祖母に車で長男を保育園に連れていってもらうこともあるという。

 

●保育園の選択と子供の言語修得

 Cさん家族は1年前までアメリカに住んでいた。アメリカにいる頃は夫しか日本語を話さなかったため、長男は日本語をわかっていたかもしれないが、日本語を喋ることはなかったという。来日後、Cさんは長男を自分が運営する託児所に通わせたいと希望していた。しかし、日本語をしっかり覚えてほしい、Cさんのところでは英語ばかりで日本語を覚えない、という夫の思いから近所の保育所に預けることになった。また自分の子供に英語を教えるのは他の子供と違って難しい、とCさんは感じているという。

長男は保育所に入ったばかりのころは日本語をほとんど話せなかったようであるが、だんだん日本語を喋るようになり、自分よりも上手になってきた、とCさんは言う。また、最近では祖父母の問いかけにも日本語で答えられるようになったという。Cさんは、子供が保育所に通って日本語に囲まれた生活になれば、子供はどんどん日本語を吸収できると考えていて、「だから私(日本語は)心配しない。だから私英語だけ教える」と言う。また、子供たちの将来についての質問に対し、「バイリンガル、一番いい」と語った。小さいころは「スポンジみたい」に覚えが早いので小さいうちに英語を教えていきたいし、日本の教育でもっと早く英語を教えるようになればいいと語った。Cさんはインタビュー中でも長男と英語で会話をしていて日本語を一切使っていなかった。Cさんは自分と会話している時は必ず英語を使わせるようにしていて、長男が日本語で尋ねてきたらわざと答えないようにしているという。

 

第四項 Dさん

 日系人の夫と、高校3年生の長男、小学6年生の次男の4人家族。1992年にブラジルから日本に来た。ブラジルと日本を何回か行き来し、砺波市や新湊に住んだ後、13年前に高岡に来た。ブラジルにいたころは教師をしていたが、現在は工場で働いている。インタビュー中は長男が通訳をしてくれた。長男は6年前に来日し、定時制の高校に進学した。

 

●社会サービス利用における諸問題

 病院へはDさん一人で行くこともあるが、夫や長男がついていくこともあるという。市役所には通訳がいるので、難しいことは通訳を利用している。また、来日して間もないころ利用した保育所では、保育士と会話するのも難しかったという。

 

●情報の不足・欠如

仕事の情報や、勉強したい人のために学校の情報など、ポルトガル語で書いてほしいとDさんと、Dさんの長男は語った。

 

●人付き合いとソーシャルサポートの問題

高岡のブラジル人の集住地域に住むDさんには、近所に住むブラジル人の友人が多い。Eさんやもう一人の友人については「親友みたいなもの」と言っており、来日した時期も近く子供たちの年齢も近いことから、「みんな一緒に頑張った」と語った。また、日本人の友達もいて、休日に一緒にバーベキューをすることもあるという。また、Dさんの住む場所は住宅が密集した地域である。ブラジルは治安が悪くて、子供を一人で学校から帰らせるようなことは考えられないそうだ。しかし、今住んでいるところは、近所の人が声をかけてくれ、安心だと語った。

 

●経済的問題及び就労と保育の問題

 次男が保育所に通っていた時は、まだ運転免許を持っていなかったため、自転車で送り迎えをするのが大変だったという。また、「たまに子供のために会社休む時は会社がもう首っていうんですよ」と話した。さらに、仕事を探している時に子供がいるとわかると採用してくれないこともあったという。今の仕事も朝の7時から8時くらいまであり、家に帰るのがいつも遅いという。また、会社は日本人の上司に仕事の状況を説明するのが難しいとDさんは語った。

 8年程前に新しい仕事を始めるのに免許が必要となり、ブラジルで国際免許を取得した。また、子供が病気になったと保育園から連絡があった時にすぐに行けるように、免許は必要だったという。

 

●子供の学校、進路に関する問題

長男は中学校入学当初、日本語がほとんどわからず、学習についていけなかったり、いじめがあったと長男は話した。また、日本語や日本の文化に馴染むのにもとても苦労したという。家に帰ってから、漢字の勉強をしたり、趣味の漫画を読んで日本語を勉強したという。英語や数学はまだついていけたが、日本史や国語はひどかったと長男は話した。中学生の頃は一週間に2回日本語教室にも通い、学習支援も受けていたという。卒業後は、教師や親の応援もあり、定時制の高校に進学することができた。高校卒業後は漫画の専門学校に通う予定だという。

次男は日本で生まれたが、2歳の頃に1年ほどブラジルに帰り、ポルトガル語を勉強したという。日本に帰国後、すぐに保育所に入ったため、ポルトガル語を忘れてしまったというが、今でもDさんとポルトガル語で話す様子も見られた。Dさんは次男はずっと日本にいるので、できれば大学まで進んでほしいと思っているという。

そして、Dさんは子供たちの言葉に関して、「ずっと日本にいるかわからない、もしかしたらブラジルに帰るかもしれないから子供たちにはポルトガル語も覚えていてほしい」と語った。また、日本で勉強した人はブラジルで仕事が見つかりやすいから、ポルトガル語と日本語、両方大切にしてほしい、とDさんは言う。「もっとポルトガル語の本を読んで、ポルトガル語を覚えて欲しい」と感じていて、長男に対しても、まだまだ勉強が必要、といった様子だ。また、次男は来年中学生になり、近所にあるポルトガル語教室に通わせるという。

 

●親子関係に関する悩み

 Dさんと子供たちはポルトガル語で会話をしているが、兄弟間の会話は日本語が多い。子供同士で喧嘩をしている時など、子供たちが何を言っているのかわからないことがあるという。

Dさんは次男はポルトガル語があまりうまくないと語った。長男は自然とポルトガル語で話すことができるが、次男は少し考えてからポルトガル語を話すという。長男も「日本語は上手だけど、ポルトガル語話す時かむこといっぱいある。言葉も忘れたし」といい、インタビュー中も母親の言葉がわからなかたり、ポルトガル語に何と訳せばいいかわからず行き詰る場面も何度かあった。次男に「お母さんとうまく話せない時はある?」と聞くと「めっちゃある」と答えた。どのように話せないのかと聞くと、「うまく(ポルトガル語で)表現できない」と答えた。

 

●子育てに関する不安

 次男が来年から中学校に通うので、先輩との変な付き合いがないか、ブラジル人の子供だとわかっていじめが起こらないか心配だという。Dさんはもしいじめが起きたら、学校に行ってすぐに話を聞きに行くと話した。ブラジルでは「先輩後輩」という考え方がなく、育ててくれた親の指示を大切にするという風習がある。長男は「なんで後輩は先輩の言うことをきかんなんか」と語った。

 

第五項 Eさん

 ブラジル出身で日系人の夫と結婚。1991年に、夫の仕事の都合で来日した。小学校6年生の長女と、小学3年生の次女、2歳の三女の3人の子供がいる。新潟に住んでいたこともあったが、高岡にいる夫の親戚を頼って高岡に移り住んだ。約11年間ブラジルには帰国していない。Eさんが住むアパートはブラジル人の集住地域にあり、近くに住むブラジル人の友人が数人いるという。Eさんの夫のほうが日本語を話せる様子で、インタビューに参加してくれた。インタビューの途中から、Eさんの友人でブラジル出身の母親も参加してくれた。

 

●社会サービス利用における諸問題

 Eさん夫婦は高岡駅近くにある小児科に子供が小さいころから連れていっている。その病院に通訳はいないが、ポルトガル語の訳がついた問診表も用意してある。診察中医師からの説明を受ける際にも、わからなければポルトガル語で書かれたものを用意してくれるという。また、子どもをその病院に連れていくときは必ず夫婦2人でいくそうだ。Eさんは車の運転免許を持っていないので、夫も一緒に行くしかないという。

また、母子手帳、予防接種については日本語とポルトガル語で書かれたものを持っているという。予防接種などに関してEさんは「簡単じゃないよ、すごく難しい」と語った。

 

●人付き合いとソーシャルサポートの問題

 Eさん一家の住む地域はブラジル人の集住地域で、近くにブラジルの食べ物を売る店もあり、近くに住むブラジル人の友人もいる。 以前はEさんと同じアパートに、夫の両親と兄家族も住んでいた。しかし、2年前に兄家族がブラジルに帰国してしまったため、今はEさん一家のみ残されてしまった。近年は不況の影響で、Eさんの夫が知っているだけでも20人以上帰国してしまったという。Eさんの夫は、ブラジル人の親戚や知り合いが減ってしまったことについて「寂しいは寂しい。たまにインターネットで話して、そん時なんか帰りたいな―っとかそういう気持ちもある。一緒に何かしたいな、とか。そん時は帰りたいな、とか」と語った。

 

●経済的問題及び就労と保育の問題

 Eさんは仕事をしていない。Eさんは車の運転免許を持っていないため、運転免許が必要な仕事にはつけないという。また、送迎バスのある会社は残業がある場合が多く、「子供が小さいから遅くまでできない」ため、なかなか仕事が見つからないという。

 

●子供の学校、進路に関する問題

 Eさんの子どもが通う小学校には毎週月・火曜日にポルトガル語の外国人相談員が来る。学校では月に一回配られるお知らせのプリントが配られるが、日本語とポルトガル語両方書かれたものを、必要な子供たちに配っている。たまに配られないこともあり、その時は親が子供に言ってもらってくるという。

学校ではあまりポルトガル語を使わないようにと言われているという。ブラジル人が集まってポルトガル語で話していたら、周囲は何を言われているのかわからなくなりトラブルの原因にもなるからだという。以前にもそのようなトラブルがあったとEさんの夫は言う。また、なるべく1クラスにブラジル人が固まらないように振り分けられ、1クラスに多くて2〜3人のブラジル人がいる。長女はまだ日本語があまり使えないブラジル人と同じクラスになり、担任から通訳を頼まれたという。

Eさんの長女と次女に、学校の勉強で何が難しいか質問したところ、歴史と国語が難しいと答えた。歴史では、周りの友達が日本の歴史用語についていくつか知っているのに、自分はほとんど知らないという。また、歴史で習う用語は漢字が難しく、「ひらがなでしか覚えられない」と話した。国語は、長文問題が苦手だという。漢字と違って暗記だけでは対応できないのでEさん夫婦も困っている様子だった。Eさんの夫は子供たちの学習について「私らが間入らんからそれは。見てもわかるかもしれんけど、でも自分のやり方で教えたら逆に頭ぐちゃぐちゃになるから教えない。」と語った。Eさんの夫はブラジル人の友人から「自分のやり方で子供教えたらだめやって。子供がそのやり方でやったら学校でだめになるかもしれん」と言われたそうだ。

 

●親子関係に関する悩み

 Eさん一家には、小学校に通う長女と次女、保育所に預けている三女がいる。長女と次女は普段から日本語を使っているが、ポルトガル語を聞き取ることはできるようだ。インタビュー中も両親のポルトガル語の会話を聞いて、日本語で言い返す様子も見受けられた。Eさんの夫は「(子供たちは)ポルトガル語で聞いたらわかるかもしれないけれど、返事する時は日本語」と話す。Eさんは日本語を聞き取ることはできるが、難しい単語はわからないし、ポルトガル語を使うことも多い。子供たちが学校の話をしてくれても、内容がよくわからなかたり、子供たちが何を話しているのか全くわからないこともあるようだ。Eさんの夫が「子どもが何言っているかわからない時ある。(子どもたちが)頑張ってポルトガル語で説明する時もあるけれど、(子どもたちは)ポルトガル語もよくわからないから、やっぱ難しいね」と言うと子供が「だから(話すことを)あきらめる」と言い返す場面もあった。

親子間で日本語能力に差がでているようで、Eさんは「今は逆に(子供に)日本語を教えてもらう立場」と言い、Eさんの友人の母親も「(日本語で)間違ったことを言うと、お母さん違う違うやり直してって子供にいわれる」と話した。

このようにEさん夫婦は子供たちの話す日本語がわからず、親子の会話に困ることもあるようだ。それもあって、Eさんは子どもたちにポルトガル語を覚えて欲しいと考えている。毎週土曜日に近所のポルトガル語の教室が開かれていて、Eさんは子どもたちに通わせたいと思っていたが、子どもたちは習い事があって教室には行っていない。一度、家で日本語を使うことを禁止してみたが、すると子どもたちは全く話さなくなってしまった。それ以来、家ではポルトガル語と日本語が混ざった状態になっている。しかし、Eさんはなるべくポルトガル語を使ってもらうために、子どもに日本語で話しかけられたら、ポルトガル語で言い換えるまで、聞こえないふりをすると言っていた。実際に子供がEさんに日本語で質問をして、Eさんがわざと聞こえないふりをする様子も見受けられた。また、Eさんがブラジルのよさを子供たちに言い聞かせてみても、関心のない素振りをする様子も見受けられた。

 

●近所にあるポルトガル語の習得

 Eさんの家の2キロ程先にはブラジル人が教えているポルトガル語教室がある。ここでは毎週土日に開いていて有料である。しかし長女と次女は学校の部活の活動が土日にあるため、この教室には通ったことがない。高岡駅近くにも無料で開いているポルトガル語教室があるが、1ヶ月に1回程度しか開かれていないため通っていないそうだ。また「覚えるの早いけど、でも使わないとすぐ忘れるよね」という不安もあるようだ。Eさんの友人の子供は土日にポルトガル語教室に通っていて、土日にポルトガル語を勉強しても平日中学校に行くとすぐに忘れてしまう、という話を聞いたという。Eさんの夫が「ポルトガル語やっぱ難しいわ」と話すとEさんも「(ポルトガル語)全然使わない、だから全然覚えない」と言った。

 Eさん夫婦は近いうちにパソコンでポルトガル語の学習用のプリントを印刷して、長女と次女に勉強させる予定である。一番下の子にもやらせるのかと聞くと「まだ(下の子は)小さいから」と言い、まずは日本語を覚えさせるつもりだという。

 

●子育てに関する不安

 Eさんは子供たちが中学校に入り、上下関係のある環境に置かれ、先輩たちからのいじめがないか心配している。Eさんの夫は仕事仲間から、子供が中学校の先輩からいじめを受けて逃げるように他県へ引っ越した話を聞いて、自分の子供にもそのようなことが起こらないか心配しているという。Eさんの夫は「どうしても子供らは日本のやり方でいっとるから。(子どもたちが)自分たちが上の人が先輩だと思ってどうなるのか心配」と話す。ブラジルでは「先輩後輩」という考えがなく、学校の先生や親の言うことを大切にする風習がある。Eさん夫婦もそのような環境で育ってきているため、日本で「先輩後輩」の話を聞くと疑問を感じるという。また、子供たちも「先輩後輩」に従い、Eさん夫婦の見えないところでトラブルを抱えてしまうのではないか、心配になるそうである。Eさん夫婦は常に子どもたちと話合うことを意識している。なにか困ったことがあったら言ってほしいと子どもたちに言い聞かせ、何かあったときには必ず親が間に入るようにしているという。小学校でも何かあれば学校に行き担任の先生に相談し、それでも解決しないときにはEさん自ら行動を起こして解決を図ってきたという。