第五章 考察

今回の調査では、「鬼嫁」という言葉がメディアにおいてどのようなイメージで描かれているのかを探るため、ブログ「実録鬼嫁日記」、北斗晶に関する雑誌記事、モバゲータウン、発言小町において、「鬼嫁」がどのように語られているかをそれぞれ分析していった。今回の調査の考察を以下に述べる。

 

第一節     鬼嫁と女性役割

今回の調査で、「鬼嫁」という言葉は、「従来の女性イメージ・従来の女性役割」と深く関係していることが分かった。鬼嫁ブームのきっかけとなった、ブログ「実録鬼嫁日記」での「鬼嫁」には、「理不尽な要求をする」「やるべきことをしない」「家計を握っている」「嫁に対して強い」などの特徴が挙げられた。これらの特徴は、従来の女性イメージとは大きく異なっている。気が強く、夫に対して自分の要求を通そうとする嫁は、受動的で従属的な従来の女性イメージを逸脱している。ブログには、普段の生活や、金銭のことに関して圧倒的に夫より妻の力関係が強いという夫婦の権力関係が描かれている。

モバゲータウンでは、男性が語る「鬼嫁」と女性が語る「鬼嫁」をそれぞれみていった。モバゲータウンで描かれている「鬼嫁」も、「実録鬼嫁日記」と同じように、従来の女性イメージから逸脱している。モバゲータウンの男性の語りで特徴的だったのは、鬼嫁がたまに見せるギャップに魅力を感じている男性が多く、妻に対する感謝の気持ちを述べているという点である。逸脱がありながらも、このように夫(語り手)が妻への感謝を示すことで、読者は安心して読むことができ、「鬼嫁」はキャラクターとして受け入れられ、愛されるようになったのではないか。また女性の語り手にも、男性の語り手と同じように、夫への愛情・感謝の気持ちを述べているという傾向は強く見られた。女性側も、夫に対して強い自分の様子を日記に書きながらも、その根底にはしっかりと愛情があるということを示すことで、「鬼嫁」という強烈なキャラクターを中和させているのではないだろうか。また、モバゲータウンの小説の女性の語りからは、夫の特徴として、「弱い」「女々しい」などが多く挙げられた。そういう夫には「鬼嫁」がちょうどいい、バランスがとれている、との語り方で自分の鬼嫁的態度や行動を肯定しているものが多かった。

「実録鬼嫁日記」やモバゲータウンにおいて、鬼嫁は女性イメージから逸脱している存在として描かれていた。「実録鬼嫁日記」やモバゲータウンの小説で「鬼嫁」が「怖い」、「面白い」ものとして読者の間で成り立つためには、「本来は妻が家事をすべきなのに」「本来は妻は夫に暴力をふるったりしない女性らしいものなのに」といった共有される観念を前提にしなければならない。だから「鬼嫁」はそうした共有される観念からの逸脱を描くことで、逆にそうした共有される観念を再生産しているとも考えられる。

北斗晶に関する雑誌記事分析では、北斗晶が「鬼嫁」という言葉の否定的な意味を肯定的な意味に変換しようとしていることが分かった。また、メディアもそれをサポートしていた。北斗はテレビなどで、夫に対して強い「鬼嫁キャラ」であり、その部分は「実録鬼嫁日記」やモバゲータウンの「鬼嫁」と共通している。しかし、北斗晶は「料理上手」「家事をしっかりする」というイメージも定着しているという点で、「実録鬼嫁日記」やモバゲータウンの「鬼嫁」と大きく異なっている。北斗はテレビで乱暴にふるまいつつも、そのような従来の女性役割をしっかりとこなしていることをしっかりとアピールしている。北斗晶やメディアが発信する「鬼嫁」は、従来の女性イメージから逸脱しないものである。そのような部分が、北斗晶が「鬼嫁キャラ」として愛され、受け入れられている理由ではないだろうか。

 このように、「鬼嫁」という言葉は、「従来の女性イメージ・女性役割」と深く関係している。「実録鬼嫁日記」では、女性イメージから逸脱している「鬼嫁」という存在を、おもしろおかしく描いている。このように「鬼嫁」を笑い物にするということは、それはおかしなもの、変なものとしてある意味では否定している。それはつまり、従来の女性イメージを逸脱している女性を否定していることにつながる。また、モバゲータウンや発言小町における女性の語りでは、鬼嫁は従来の女性イメージから逸脱しているものであると認めた上で、それを肯定する女性もみられた。彼女たちは鬼嫁を従来の女性イメージから逸脱する道具として使っているのではないか。さらに、北斗晶は、実は鬼嫁は従来の女性イメージから逸脱していないものであると語っており、女性役割からの逸脱を否定している。このように、「鬼嫁」という言葉が語られる際、「女性役割」との関係について一緒に語られる場合が多い。そしてその関係は語り手によって異なっており、複雑である。

 

第二節 鬼嫁イメージの多様性

今回の調査で、「鬼嫁」という言葉は大きく2つの意味で使われていることが分かった。一方は、女性役割から逸脱している鬼嫁イメージであり、もう一方は女性役割から逸脱していない鬼嫁イメージである。女性役割から逸脱している鬼嫁イメージは、さらに2つの意味で使われている。一方では、非難する対象として使われ、一方では肯定的に使われている。北斗晶自身やその周りのメディアは、「鬼嫁」という言葉を女性イメージから逸脱しない言葉として表現しており、それがメディアによってつくられている鬼嫁イメージである。しかし、発言小町やモバゲータウンでは、鬼嫁は明らかに女性役割から逸脱するものとして描かれており、さらにその逸脱を肯定している人もいる。このように、「鬼嫁」という言葉は、メディアの意図とは違う意味も含んで受け止められている。つまり、メディアが与える鬼嫁像と、社会が期待する鬼嫁像にはズレがある可能性がある。メディアは「鬼嫁」が女性イメージから逸脱しないものであると表現しているが、それは必ずしも全て人々に受け入れられているわけではない。もちろん受け入れられている部分もあるが、「鬼嫁」という言葉を使って女性イメージからの逸脱を肯定したい女性も多くいるのである。女性役割からの逸脱は価値のあることであり、場合によっては必要であるという形で肯定されているこのように、「鬼嫁」という言葉を肯定的にとるということは、今までの女性役割とは違う女性役割を望んでいると推測できる。「鬼嫁」という言葉の語られ方を調査することで、以上のように現代社会において女性役割の受け入れ方に多様性があることがわかった。