2章 伝統的工芸品としての金沢箔

 

1節 伝統的工芸品

昭和49年に伝統的工芸品の振興に関する法律(伝産法)が制定された。この法律によって伝統的工芸品産業振興対策がスタートしたことにより工芸品の産地組合等からの申請に基づき指定要件を満たすものを、国(当時・通商産業大臣 現・経済産業大臣)が「伝統的工芸品」として指定した物である。伝統的工芸品に指定されたものは消費者が伝統的工芸品を安心して購入できるよう、経済産業大臣が指定した技術・技法、材料で製作される。産地検査に合格した製品には「伝統マーク」をデザインした「伝統証紙」が貼られ、販売される。伝統的工芸品の数は伝統的工芸用具・材料3品目を含め211品目にのぼっている。(平成214月現在)

 

・指定要件

 伝統的工芸品として指定を受けるには、工芸品(熟練した技を必要とする工作物であって、芸術的要素を備えたもの)でかつ次の要件を備えている必要がある。

 

1、主として日常生活の用に供されるもの(主として日常生活で使われるもの)

冠婚葬祭や節句などのように、一生あるいは年に数回の行事も、生活に密着し一般家庭で使われる場合は、「日常生活」に含まれる。

2、製造過程の主要部分が手工業的

すべて手作りでなくても差し支えない。しかし製品の品質、形態、デザインなど、製品の特徴や持ち味を継承する工程は「手作り」が条件である。製品一つ一つが人の手に触れる工程を経るので、人間工学的にも安全性を備えている。

3、伝統的技術又は技法によって製造

伝統的とはおよそ100年間以上の継承を意味する。工芸品の技術、技法は100年間以上、多くの作り手の試行錯誤や改良を経て初めて確立すると考えられている。伝統的技術、技法は昔からの方法そのままでなく、根本的な変化や製品の特徴を変えることがなければ、改善や発展は差し支えない。

4、伝統的に使用されてきた原材料

3と同様に100年間以上の継続を意味し、長い間吟味された人と自然にやさしい材料が使われる。なお、既に枯渇したものや入手が極めて困難な原材料もあり、その場合は、持ち味を変えない範囲で同種の原材料に転換することは伝統的であるとされる。

5、一定の地域で産地形成

 一定の地域で、ある程度の規模の製造者があり、地域産業として成立していることが必要である。ある程度の規模とは、10企業以上または30人以上が想定されている。個々の企業だけでなく、産地全体の自信と責任に裏付けられた信頼性がある。

 

なお伝統的工芸材料・工芸用具は完成品ではないため1にはあてはまらないものである。しかしこれは伝統的工芸品を製造するため不可欠の用具あるいは材料であるため、伝統的工芸品に準ずるものとして扱うこととしている。

・伝統的工芸用具・材料

金沢箔(石川県)

庄川挽物木地(富山県)

伊勢形紙(三重県)

 

伝統的工芸品産業の現状

項目

2002(平成14)年

参考

従事者数

11.1万人

29万人(昭和54年・ピーク)

企業数

18,326企業

34,043企業(昭和54年・ピーク)

生産額

2,740億円

5,400億円(昭和58年・ピーク)

30歳未満の従事者の比率

8.1%

28.6%(昭和49年)

経済産業大臣指定伝統的工芸品のみ・「伝産法」施行後の統計による

2001(平成13年)2月、経済産業省「伝統的工芸品産業の振興に関する法律の一部を改正する法律案について(報道発表)」添付資料

 

2節 金沢箔

 純金の塊に微量の銀と銅を加えた合金を、均一の薄さ(10円玉を畳一枚分ぐらいまで)に叩いてのばし、仏壇や美術品の装飾に使う形に加工したものである。

金沢箔は伝統的工芸品の中でも2品目しかない装飾や加工を施すための製品である伝統的材料である。よって他の伝統的工芸品のように販売される際にそれ自体に「伝統マーク」が貼られ、職人の名前が出て販売されるものではない。また、作品に自分なりのデザインを加えることや、作品を買ってくださるお客さんのニーズに合わせた作品を作り販売することができない。これらの点が他の伝統的工芸品とは違う材料としての難しさである。

 

・製法

金箔の製造は、素材の金を薄く延ばすという一見単純な作業に見えるが、その工程は複雑で熟練した技術が要求される。金沢箔の最大の特徴は1万分の1ミリ(0.1ミクロン)という薄さにある。ほとんどが手作業で行われる伝統的工芸品ならではの妙味であり、厚みを均等に保ちながら、破れないようにミクロンの精度で箔を打ち延ばしていく技術は、非常に卓越した「技(わざ)」といえる。

金沢箔は金の仕上がり上澄までを「澄屋(ずみや)」、それ以降の工程を「箔屋(はくや)」が担当している。

 

・箔の種類

 金箔(縁付金箔、断切金箔)、銀箔、洋箔、アルミ箔がある。

 洋箔とは銅と亜鉛の合金からなる金色をした箔。金箔が高価だったころ金箔の代替品であった。

 使う紙によって金箔の製法は二つに分かれる。雁皮紙(がんぴし)を藁灰汁(わらばいじる)や柿渋(かきしぶ)に漬けて仕込んだ箔打ち紙を使うのが「縁付金箔」、グラシン紙(薄紙)にカーボンを塗った特殊紙を使うのが「断切金箔」である。現在の生産量は縁付が約3割、断切が約7割(インタビューより)ほどである。

 

・工程(縁付の場合)

1、金合わせ

純金に微量の銀、銅を加え1300度ほどに熱された炉茶碗で完全に溶かし混ぜ、冷却する。ここで完成したものが金合金である。

2、延金

出来上がった金合金をロール圧延機で、約100分の1ミリの厚さまで圧延して帯状に延ばす。そしてそれを約6cm角に切る。

3、紙仕込

延金を一枚一枚挟むための和紙を加工し澄打紙を準備する。

4、澄打ち

紙仕込で出来上がった澄打紙に延金を一枚一枚交互に200枚ほど挟み、それを澄打機で打つ。100分の3ミリの延金を1000分の1ミリ(1ミクロン)の薄さまで打ち延ばす。

5、仕立て

打ち延ばされた金を30枚ほど重ね折り曲げる。ここで完成したものが「澄」である。

 

15までが澄屋の仕事である。完成した澄は問屋によって回収され、問屋から澄屋に対して工賃が支払われる。そしてその澄が箔屋へと問屋によって届けられる。

 

6、紙仕込

澄を挟むための箔打紙を仕込む。優秀な職人でも箔打紙が悪ければ質の悪い金箔しか作れない。箔打ち職人が評価される重要なポイントは、この箔打紙を品質のよいものに仕立てていく能力である。

7、引き入れ

澄を切ってできた小間を打紙の間に入れる。

8、打ち前

澄の引き入れを終えた小間紙を重ね、固定する。

9、小間打ち

箔打機を使い打ち前で制作したものを打っていく。標準的には箔打機で3分打ち、15分間熱を冷ます作業を数十回繰り返す。

10、渡し仕事

小間打ちで打ち延ばしたものを、主紙である箔打紙に移し変える。

11、箔打ち

箔打機を使い、箔打紙いっぱいまで更に打ち延ばす。

12、抜き仕事

打ちあがった箔を箔打紙から広物帳に移し変える。ここで一枚一枚箔の良否を識別する。13、箔移し

箔を規格寸法に切り、切紙にのせる。これで金箔が製品として完成する。

 

613までが箔屋の仕事である。完成した箔は問屋によって回収され、問屋から箔屋に対して工賃が支払われる。

 

・用途

 金箔は、金閣寺、日光東照宮をはじめ漆工芸、仏壇仏具、陶磁器、美術工芸品など、さまざまな分野で使われている。金箔はその輝きと色で美術品の芸術性を高めるだけでなく、耐久性においても大きな役割を果たしている。建築、家具、調度品など木を材料としたものが多い日本では、漆とともに金箔がその耐久性を高め、多くの文化遺産を現代へと伝えることができた。

 

・金沢箔の歴史 〜断切金箔の誕生〜

 金沢で金銀箔がいつごろから作られるようになったか、詳しいことはわかっていない。文献上では、加賀百万石の藩祖・前田利家が文禄2年(1593)豊臣秀吉の朝鮮の役のおりに、備前名護屋(佐賀)の陣中から国元へ金銀箔の製造を命じる文章を寄せていることが確認されている。このことから、それ以前から石川県には箔の工人がいたのではないかと考えられる。

 縁付金箔は400年以上前からあった工法である。昭和初期までは石川県の金沢箔は国内で独占的な位置を確立していた。しかし、第二次世界大戦を前に国内が緊張状態になり昭和13年に大蔵省が金の使用を制限した。第二次世界大戦に突入すると金箔の生産はほとんど出来なくなってしまった。戦後もしばらくは金を仕入れられず銀箔や洋箔、アルミ箔などを中心に箔生産を再開した。戦後まもなくして、金沢箔産地はまず金箔以外の銀箔や洋箔で復興していった。

 現在、第一線で活躍している箔打ち職人の多くは、昭和20年代後半から30年代前半の頃に就業している。よってこの頃就業した職人の多くは、金箔打ちの技術習得ではなく、銀箔や洋箔を打つ技術習得からスタートしていることがわかる。

 昭和30年代後半〜40年代前半の高度成長期、「もはや戦後ではない」と言われるようになったこの頃。国民生活は豊かになり生活必需品以外の贅沢品を購入する余裕ができた。仏壇用具などの宗教用具の需要が増大し、その材料である金箔の需要も飛躍的に増大した。生産面でも金の仕入れ制限がなくなり金箔の生産が可能になった。金箔生産を取り巻く環境も増産一色となった。しかし、一方で金箔の生産が増えるごとに、金箔の代替品として第二次世界大戦後に生産が増えた洋箔の需要は低迷した。そして金箔職人が不足し、洋箔職人が過剰になってしまった。このような背景の中で職人の移転が起き、洋箔職人が金箔職人に職替えを行うようになった。

 さらに昭和40年ごろ洋箔を打つ技術で金箔を打つという新しい技術開発も起きた。洋箔は金箔に比べて打つ工程がはるかに少なく、短時間で製品を仕上げることができる。その大きな理由は2つある。1つは、箔を打つ際に利用する箔打紙の材料に仕立てに時間のかかる和紙ではなく、カーボンを塗った硫酸紙という洋紙を使用していること。もう1つは最後の仕上げとなる裁断を金箔は一枚ずつ切って仕上げるのに対して、洋箔が仕上げ用紙に挟んだまま何枚もまとめて裁断することである。この2つの理由により作業時間を短縮できる。この洋箔の技術を金箔で利用できないかと腕の良い洋箔職人がチャレンジし試行錯誤を重ねた。その結果洋箔を打つ技術を応用して金箔を打つという技術が確立された。これが断切金箔の誕生である。

 断切金箔と縁付金箔の違いは箔打ち(箔屋)の工法の違いである。よって材料である澄(澄屋)の合金比率などは変わらない。箔打ち職人の生産性だけで比較すると、断切金箔は従来の縁付金箔に比べ約10倍と言われている。断切金箔の出現により、早く安く金箔を作ることができるようになり、急激に増えた需要をまかなうことが可能になった。

 

縁付金箔と断切金箔の違い

項目

縁付金箔

断切金箔

風合い

和紙模様の微妙な凹凸あり

ピカピカで平坦

透かして見る

溶けて均一な広がり

多少むらがある

使う紙

高級和紙、あく

洋紙

化学薬品使用

使わない(柿渋、卵など自然素材のみ)

カーボンなど

箔打紙の制作

数か月かかる

23日でできる

仕上がりの硬さ

柔らかい

硬い

細工しやすさ

細かい部分の細工に向く

平面加工に向く

工程の多さ

多い(断切の10倍近い作業量)

少ないので作業が早い

箔打作業時間

10時間程度

2時間程度

製品一枚の単価

120円程度

50円程度

(伝統的工芸品産地調査・診断事業報告書より)

 

・問屋

 金沢箔職人にとっての問屋とは自分が材料を受け取り、製品を卸している会社のことである。「製造業者=職人」、「販売業者=問屋」ということになる。職人も問屋も同じひとつの組合に所属している。通常このような産地の組合組織の形態は、利害関係で相対する製造と販売は別組合にし、組織を分ける例が多い中で、特徴的な組織形態ともいえる。このような商工業組合成立に至った最大の理由は、金沢箔産地が古くから完全に問屋主導構造だったことが特徴として挙げられる。問屋主導型産地の長所としては、産地全体として顧客志向でスピーディに対応することが可能であり、各部門間の連携も問屋主導によってスムーズなものとなる。一方短所としては、技術者(職人)の自立心が薄くなり、技術革新を起こしにくい風土となり、資本の蓄積が問屋に集中することが中長期的に業界全体にとってマイナスになることが挙げられる。

 

金沢箔の事業者数、生産金額など

年度

事業者数

従業員数

生産量(千枚)

生産金額(千円)

昭和55

339

1299

 

9,810,000

昭和60

293

1024

 

5,680,000

平成元年

273

1030

 

11,030,000

平成5

260

1103

 

9,295,000

平成10

209

935

58,050

5,850,000

平成15

153

717

30,500

4,322,000

平成20

123

601

19,377

2,054,000

 

金沢箔の組合員数

年度

縁付

断切

合計

昭和60

85

41

126

平成元年

80

47

127

平成5

86

55

141

平成10

49

53

102

平成15

34

42

76

平成20

25

35

60

(石川県箔商工業協同組合資料より)