第四章 殺処分に関する問題

 現在、動物の数を減らす手段として行われている方法に殺処分がある。地球生物会議ALIVEによると犬猫の殺処分数は年間減少傾向にある。だが平成19年の全国の殺処分数は前年より約4万匹減少したものの未だ30万匹を超えているのが現状であり、富山県でも年々の処分頭数は減少傾向にあるが平成20年には犬174匹、猫1295匹が処分されている。処分に至る経緯としては、厚生センターや保健所に引き取られたのち最低3日間は拘留される。その間に飼い主が引き取りに来るのを待つのだ。もし飼い主が発見されなかったりした場合は、富山県動物管理センターに送致され殺処分が行われる。処分方法は炭酸ガスによる安楽死で、ガス室に56匹の動物を一度に入れガスを充満させる。これは毎週金曜日に行われ、処分後の死体は焼却され、その後ごみ焼却所へ灰の処理を依頼し、処分は完了となる。

 このような殺処分の流れについては多くの愛護団体から非難の声があがっている。欧米で行われているような過剰麻酔によって一頭一頭の安楽死が望まれることもある。往来の炭酸ガスによる処分は10分近くの時間を要し、意識を失うまで大量のガスを吸い込む必要がある。その間動物たちは徐々に衰弱し、痙攣を起こし二転三転しながら倒れ込む。さらに、一度に収容される動物たちには個体差があるため、中々ガスが効かずさらに時間を要するものもいる。動物たちにとってこの10分間は何が起こっているかわからない非常に苦しい恐怖の時間なのである。そして、中には完全にガスが利かずに生きたまま焼却されてしまう可能性がある。そのため過剰麻酔の安楽死が望まれるのだ。最終的に処分することに変わりはないが、この方法をとることで動物たちは死に至るまで注射の痛みだけで済み、ガス室と言う空虚な部屋に閉じ込められる恐怖やストレス、死ぬまでの苦しみも感じることなく死んでいくことができる。最終的に死という結果は同じでもその過程が異なることで動物の不安を少しでも軽減することを愛護団体は望み、同時にそのような安楽死を行わせることこそ飼い主の責任であるとも感じている。我々も殺処分に対しては現在の炭酸ガスの処分方法に否定的意見を持つ者が多いだろう。

しかし、事は単純ではない。具体的に誰が処分するのか、という問題がある。収容された動物はその多くが飼い主に捨てられたり、はじめから野良として生まれてきたのもたちである。そのため富山県動物管理センターや厚生センター、保健所に連れて来られた動物たちを飼い主が看取ることは不可能だ。そのため職員による処分が行われることになるのだが、処分が実施されるまでの最低3日間、職員は収容された動物たちと触れ合っている。数日と言う短い期間であっても餌やりや掃除といった何かしらの関わりがそこにはあり、懐いてくれることもあるだろうし、愛着を持つこともあるだろう。殺処分というと処分される動物の方ばかりに目がいってしまい、その命を絶つ職員の苦しみは見逃されてしまうことが多い。保健所で働く父親を持った中学3年生の娘さんが父親の様子をこのように語っている。

 

私の父は保健所職員で毎日のように犬や猫を殺す仕事をしています。決して自分で望んでこの仕事に就いたわけではありません。…この仕事は本当に悲しい仕事です。お父さんは子犬や子猫を殺さなければならなかった日は、夜中までお酒を飲みつづけています。私達家族が話し掛けても返事もしてくれません。(ウィズ・あにまるず,2001.2:19)

 

このようなことは多くの保健所職員が感じていることであり、あまり目が向けられていない点である。一頭一頭処分するとなると、その職員の苦しみはさらに増えることとなる。動物の死の恐怖と、処分を実際に行う人間の嫌悪を比べた場合、人間の方を重要視してしまうことは仕方がないことだ。殺処分される動物への同情の声はあっても、殺処分する職員側の心情はほとんど配慮されることがない。殺処分にはこうした職員の精神的苦痛やストレスといったやりきれない感情が問題の一つとして拭い切ることができない。動物の処分という誰かがやらなければならない事を我々は押しつけていることにそのことに気づけていないのだ。このように殺処分においては、動物側の苦しみや恐怖を考慮したいと考える一方で、人間側の精神的負担による問題は回避できないものでありまだまだ課題となる部分が多い。