4章考察

今回の調査では石川遼、ダルビッシュ有がメディアにどのようなスポーツヒーローとしてヒーローイメージが作られているのかについてモダンスポーツヒーロー、ポストモダンスポーツヒーローの先行研究を参考にスポーツ新聞、スポーツ専門誌、女性誌から探り、また今までの男性スポーツ選手にはみられなかった要素をスポーツヒーローがもつアイドル的要素として位置づけ調査をおこなっていった。結果、石川遼は取材に答える態度や自身のコメントから「礼儀正しい」や「真摯」という言葉が導き出され、モダンスポーツヒーローの要素が濃く映し出されており、ダルビッシュは高校時代からその実力が注目されていて、スポーツ専門誌では一貫してその実力によって記事が書かれていることが分析から見て取れた。またダルビッシュは試合に対する自分の考えが変化することもなく、自分自身の価値観を貫き通す姿勢はポストモダンスポーツヒーローの要素であるといえるのではないだろうか。しかしダルビッシュの記事ではファンに対する感謝などが語られる部分もあり、これは恩や義理を大切にする日本人的資質としてのモダンスポーツヒーローの要素なのではないだろうか。モダンスポーツヒーローとポストモダンスポーツヒーローの概念は現在のスポーツヒーローを考える際にははっきりと区別できるものではなくなってきているのではないだろうかと今回の調査を通して感じた。

今回の調査の最も大きな目的であったのがスポーツ選手のアイドル的要素とはどういったものであるのかということである。分析の第1節第2項、スポーツ新聞において石川遼・ダルビッシュ有が形容される言葉においていえば、「王子」や「おしゃれ」、「イケメン」など彼らのスポーツ選手としてのアイデンティティとは関連がないようなことが語られる場面があった。また第3項ではスポーツ新聞、女性誌のカテゴリー別分類をおこなったが、ここでもスポーツ選手が試合や大会の結果などのスポーツ選手としての情報だけではなくファッションやルックスに関して取り上げられている記事を見つけることができた。女性誌において言及すれば、男性スポーツ選手のアイドル的要素が見られるようになったのは2006年以降であった。それ以前は、男性スポーツ選手は離婚や家族問題などゴシップ記事の対象にしかなっていなかった。男性スポーツ選手のアイドル的要素が女性誌において見られるようになった大きなきっかけは2006年夏の甲子園で話題になった斉藤佑樹の登場である。斉藤が試合中に汗をハンカチで拭くというスタイルから彼は「ハンカチ王子」というニックネームがつけられ話題になっていったことから彼の人気が女性誌でも取り上げられるようになっていった。斉藤のハンカチで汗を拭くという行為は今までの男性スポーツ選手の「厳つさ」や「豪快さ」と比べれば、「紳士的」な真逆の行為であり、それがメディアにとっては今までにない男性スポーツ選手のイメージだったのではないだろうか。斉藤の登場によって男性スポーツ選手のアイドル的要素というものは多くのメディアで見られるようになっていったが、斉藤自身がメディアでアイドル的にとらえられる場面は2007年ころからは激減していっている。これは斉藤が活躍する場所が石川遼などと比べると大学野球というアマチュアの世界であるのが原因であるのかもしれないが、それは強く言いきることはできない。斉藤が大学を卒業し、プロの世界で戦うようになり、ダルビッシュのように日本プロ野球界を代表する選手の一人となれれば、メディアによって斉藤のアイドル的要素というのはまた大きく映し出されるようになっていくのかもしれない。

分析第2節ではスポーツ専門誌、女性誌において石川遼、ダルビッシュ有を時系列で分析していった。石川とダルビッシュを時系列でみていくと、ダルビッシュは2004年のNumberでスポーツ専門誌に取り上げられている。この初めの記事からダルビッシュは自身の実力が記事を作る際のメインの要素となっている。それ以降のNumberでもダルビッシュは一貫して実力で取り上げられてきたが、ニックネームやルックスを形容する言葉(「王子」、「端正な顔立ち」)なども記事には出てくるが、それが記事を作る際の要素として大きくなることはない。また婚約報告などでダルビッシュの私生活をクローズアップされている文章もあるが自分が勝つことによって家族が喜んでくれるなど、今までずっと持ち続けてきたダルビッシュの試合に対する価値観にファンや家族が喜んでくれるという新たな要素を加えた出来事として描かれており、私生活の要素もスポーツ選手としての部分にくっつくように取り上げられていると考えられる。石川はダルビッシュとは違って最初から実力で取り上げられたわけではなく、Numberにおいても初めて登場したときにはニックネームやルックス、ファッションの要素が記事中では強くでていた。石川のようにルックスやファッションといったアイドル的要素が石川のイメージを作る際に先行して取り上げられるというのは男性スポーツ選手にとっては特異なパターンなのではないだろうか。石川がメディアに取り上げられ始めたころはまだプロに転向しておらず、アマチュアの選手であった。ダルビッシュも高校時代にNumberに登場しているが、高校野球というアマチュアのスポーツでも一、二を争うほど知名度が大きい舞台とアマチュアゴルフという舞台ではその選手の実力を書いたとしても大多数の人々には理解しがたいものであるから、石川はこの特異なパターンを辿ったのかもしれない。実際、石川がプロとなり大会で優勝するなどして実績を積むとNumberにおいてはアイドル的要素というものは排除されるようになっていき、それが喜ばしいことであると書かれている。スポーツ専門誌というメディアに限っていえば、スポーツ選手はスポーツイメージだけで作られるほうがよいということなのではないだろうか。

今回の調査では、スポーツ新聞、スポーツ専門誌、女性誌の3つのメディアによる分析をおこなったが、スポーツ専門誌と女性誌の2つに関して言えば両メディアは、対象とする消費者を限定されているそれぞれ特質化したメディアと言える。ダルビッシュのスポーツヒーロー像を探った際、スポーツ専門誌、女性誌の両メディアに強い共通点は見られなかったが、石川には2007年ごろの記事には両メディアともにファッションやルックスといったアイドル的要素が記事中に多くみられるという共通点が見られた。女性誌において、男性のファッションやルックスといった要素は容易に結びつく要素であると考えられるが、スポーツ専門誌においてこの要素が強く出てくるというのは今までにはなかったことではないだろうか。橋本(2002)によればヒーロー像は私たちがその時代や文化に値するヒーロー像を選んでおり、そしてメディアによってそのヒーロー像が映し出されるとしている。石川において言えば、登場し始めた当初であるがそれぞれ特質化した両メディアからでさえ共通した要素が見られるということはスポーツヒーローがもつアイドル的要素というものは現代の価値観を映し出した要素であると考えられる。

今回の調査では男性スポーツ選手がスポーツそのものとは結びつかないファッションやルックス、私生活という要素を男性スポーツ選手がもつアイドル的要素として位置づけ調査をおこなっていった。女性誌でいえば、石川、ダルビッシュともにファッション、ルックスといった要素で取り上げられている記事は見つかったが、ダルビッシュに関しては該当する記事は1つしかみつからず、石川はメディアに取り上げられ始めた頃と比べると、時間の経過とともにそのような要素はだんだんと薄れていき、石川は良き息子として、ダルビッシュは良き夫、良き父親として描かれる私生活を映し出す記事が多くなっていく。男性スポーツ選手が持つアイドル的要素は斉藤佑樹の登場によって導き出された要素であり、最初はファッションやルックスといった要素が強く出てくるが、これらの要素は徐々に映し出されなくなっていってしまう。それはファッションやルックスといったアイドル的要素はもともとある男性スポーツ選手のヒーロー像とは相反するものであるから徐々に映し出されなくなってしまうのかもしれない。Numberでのダルビッシュは一貫して自身の実力が記事を構成する主な要素となっていたし、石川のNumberにおける描かれ方の変化をみてもそれは強く言えることである。女性誌において石川、ダルビッシュが良き息子、良き夫として描かれる記事が多くみられるように変化していったのは、スポーツ選手がもつ様々な面を映し出すためにまた違った要素として私生活における家族、家庭生活の部分が現れたためではないだろうか。そしてこの要素は「幼少期からこのような生活を送ってきたから今、活躍出来ている」「妻や息子が応援に来てくれたから活躍出来た」といったように、スポーツヒーローイメージと結びつきやすい要素である。スポーツ選手が持つアイドル的要素は様々な要素があるが、時間の経過とともにスポーツ選手の要素と結び付きやすいものへと変化していくのかもしれない。しかしこの変化の過程においてスポーツ選手としてのアイデンティティとは関連のない要素がみられるということは今回の調査ではみてとれた。

テレビ番組でも「スポーツバラエティ」といった分野もある。スポーツという私たちに感動を与え、私たちの夢を代理的に実現してきた分野とバラエティという私たちに娯楽としての楽しみを与えてきた分野が融合され、スポーツ選手の様々な要素が映し出されている。現代ではスポーツというもの自体が様々な要素をもつものとして変化していっているのである。それは多様化する現代社会の価値観を満たすものとしてスポーツも位置付けられているからではないだろうか。そのために私たちがメディアに求めるスポーツヒーロー像も変化し、様々な要素が取り上げられ多様化しているのである。今回の調査で取り上げたスポーツヒーローのアイドル的要素は多様化したスポーツヒーロー像の一つであるといえるだろう