第3章分析
第1節アイドル的要素を持つスポーツヒーロー
第1項調査概要
本調査の目的は、問題関心でも述べたように男性スポーツ選手に見られるスポーツ情報以外で構築されるスポーツヒーロー像を探ることである。そのための調査の一つとして、インターネットのスポーツ新聞スポーツニッポン、日刊スポーツ、産経スポーツ、スポーツ報知、デイリースポーツの5紙を対象とし、各サイトで石川遼、ダルビッシュ有についてサイト内検索をおこなった。見つかった記事の中から(ファッション)、(ルックス)、(ファン)、(ニックネーム)、(私生活)というカテゴリーを定め、それらに当てはまると考えられる見出しを抽出し、選手の特徴や選手を形容する言葉を調査、分析していった。このカテゴリーに該当すると考えられる記事だけを抽出したのは、スポーツの要素以外で構築されるスポーツヒーロー像を探るためである。スポーツ新聞による調査は2008年11月から開始し、そこから約2カ月を目安に2009年7月までサイト内検索をおこなった。その結果見つかった最も古い記事は2007年5月22日のスポーツ報知「遼ちゃん「ハニカミ王子ってなんか気持ち悪い・・・」」で、最も新しい記事は2009年7月1日の産経スポーツ「石川遼、赤い勝負服が話題に/国内男子」である。
また女性誌の女性自身、女性セブン、週刊女性の3誌からスポーツ選手が取り上げられている記事を探し、スポーツ新聞同様にカテゴリーに当てはまると考えられる記事を抽出した。女性誌では石川遼、ダルビッシュ有に限らずカテゴリーに当てはまると考えられる記事はすべて抽出した。これは2人の選手にだけに絞ってしまうと記事の総数が少なくなってしまい女性誌におけるスポーツヒーロー像を探ることが困難になってしまうと考えたためである。また、なぜ女性誌を対象メディアに含んだのかというと、記事を作る際にスポーツ情報を必要とするとはあまり考えられない女性誌においてスポーツ選手が記事になるとしたらその人物のどのような要素によって記事が作られているのかと考え、スポーツ新聞以上にスポーツ情報以外で構築されるスポーツヒーロー像を探れるのではないかと考えたためである。女性誌では2005年1月から2009年9月までの女性自身、女性セブン、2009年1月から2009年9月までの週刊女性のバックナンバーをサイト内検索しスポーツ選手が取り上げられている記事を調査していった。
第2項スポーツ新聞において石川遼・ダルビッシュ有を形容する言葉
インターネットのスポーツ新聞において石川遼、ダルビッシュ有がどのような言葉で形容されているのかを調査した。これらの言葉には記事カテゴリーとは関係のないような言葉も調べられているが、それは、石川遼、ダルビッシュ有のモダンスポーツヒーロー、ポストモダンスポーツヒーローの要素を探るためである。表1と表2はその一覧である。
表1石川遼を形容する言葉
形容する言葉 |
表現された文章 |
見出し(掲載紙) |
天才 |
・16歳の天才少年 |
遼、夢叶う!“恋人”とラウンド実現(スポーツ報知) |
ゴルフ界の宝 |
・石川選手はゴルフ界にとっては宝。 ・ゴルフ界の宝をタレント扱いしない |
ハニカミ王子を守れ!3団体タッグ(スポーツニッポン) 「チェンジ遼」今年のハニカミ効果...視聴率上昇!!藍に匹敵する人気(スポーツ報知) |
スター |
・遼クンもスターだから ・“上がり巧者”ぶりこそがスター性の表れでもある。 |
“ラブラブ光線”古閑、遼にプロポーズ!?(産経スポーツ) 女子と共闘?中嶋が“遼くん悩殺指令”( スポーツニッポン) |
前向き |
・常に前向きな態度と笑顔で期待に応えようとする姿勢 |
遼くんパット不調で“カミカミ王子”に(スポーツニッポン) |
可能性 |
・誰よりも無限に広がる石川の可能性に、父は期待している。 |
父.勝美さんが語る「遼よ、ドライバー勝負だ」(スポーツ報知) |
果敢 |
・アプローチにも果敢に挑戦 |
遼くん眞鍋かをりに発奮2位発進(スポーツニッポン) |
思い切り |
・お気に入りのウェアで思い切りプレーする |
遼くん高校日本一へ新ヘアも披露(スポーツニッポン) |
堂々 |
・石川はその中でも堂々と仕事をこなし |
遼、筋力UPで「13キロ増えた」...初トークショー(スポーツ報知) |
恩返し |
・ポールターへの恩返しになる ・息子の恩返しはまだ続く |
遼くんウェアも予選突破も決めた!(スポーツニッポン) 遼くん思い出の“お宝”大奮発(デイリースポーツ) |
礼儀正しい |
・石川くんは礼儀正しくルックスもいい ・石川の礼儀正しさに感心 |
ハニカミ王子観戦親でも誓約書(スポーツニッポン) 初心者ギャラリーやりたい放題(スポーツニッポン) |
真摯 |
・真摯に受け止めていた |
遼ちゃん「ハニカミ王子ってなんか気持ち悪い」(産経スポーツ) |
感謝 |
・そんな感謝の気持ちは、言葉だけでは収まらない |
遼くん思い出の“お宝”大奮発(デイリースポーツ) |
さわやか |
・さわやかな笑顔を見せた |
遼ちゃん「ハニカミ王子ってなんか気持ち悪い」(産経スポーツ) |
理想の息子像 |
・30代、40代の主婦にとっては理想の息子像。 |
ハニカミ王子観戦親でも誓約書(スポーツニッポン) |
ハニカミ・ハニカミ王子・王子 |
・王子と女王が火花を散らした。 ・過熱するハニカミ人気 ・ハニカミ王子が開会式の会場の視線を独り占めした |
遼“恋バナ封印”古閑さん真剣勝負だ(デイリースポーツ) ハニカミ王子観戦親でも誓約書(スポーツニッポン) 遼くん高校日本一へ新ヘアも披露(スポーツニッポン) |
女性を魅了する |
女性たちを魅了するハニカミスマイル |
“ラブラブ光線”古閑、遼にプロポーズ!?(産経スポーツ) |
表2ダルビッシュ有を形容する言葉
形容する言葉 |
表現された文章 |
見出し(掲載紙) |
エース |
・スーパーエースの痛烈なダメ出しは今年も健在だった。 ・日本のエースを草野球にかり出すのに電話一本で十分?! ・21歳の若きエース ・大一番を迎える星野ジャパンのエース |
ダルが中田にダメ出し!(スポーツ報知) 川崎とダル、WBC前に草野球で結束確認(産経スポーツ) ダルパパ!この日ばかりはデレビッシュ(スポーツニッポン) ダルに嫁さんパワー!夫人が北京入り(デイリースポーツ) |
大黒柱 |
・大黒柱の働きを見せた |
ダルビッシュ ファンに来季の活躍誓う(デイリースポーツ) |
球界を代表する |
・球界を代表するエースは福祉活動に熱心だ。 ・球界を代表するエースのダルビッシュ |
ダル“足長おじさん”になる(産経スポーツ) ダルビッシュ サエコと“直球愛” (スポーツニッポン) |
クール |
・長身でクールな性格 |
日本ハム・ダルビッシュが文学界に進出?(日刊スポーツ) |
イケメン |
・イケメン同士の熱くてクールな友情物語 ・ファッション誌でモデルを務めた経験を持つイケメン ・理由はやはりイケメンだからだ |
ダル、代表落ち危機の岸を“友情支援”(
産経スポーツ) ダルが泣き顔で初の“CDデビュー”飾る(産経スポーツ) [北京にキター!!]女子大生ダル様大好き(産経スポーツ) |
おしゃれ |
・野球はもちろん、おしゃれな2人はファッションなどの話題でも盛り上がり |
ダルビッシュ サエコと“直球愛” (スポーツニッポン) |
抜群のルックス |
・球界一といわれる抜群のルックスで人気は全国区 |
ダルビッシュ サエコと“直球愛” (スポーツニッポン) |
パパ |
・日本のエースがパパになった。 ・お立ち台からファンにパパ報告をする |
ダルビッシュジュニア誕生に大感激(デイリースポーツ) ダルパパ!この日ばかりはデレビッシュ(スポーツニッポン) |
石川遼の記事には「天才」や「スター」、「ゴルフ界の宝」といった言葉がみられ、これらは石川のスポーツ選手としての実力から導かれる言葉であり、石川がスポーツヒーローであるということがわかる言葉である。「可能性」、「果敢」、「思い切り」という言葉は石川の若さから導き出される言葉だと考えられる。ダルビッシュにも「エース」、「大黒柱」、「球界を代表する」という言葉がみられ、ダルビッシュのスポーツ選手としての実力も日本野球界ではトップクラスであることがわかる。ダルビッシュの「エース」という言葉には「日本のエース」や「スーパーエース」などさらに価値を高めるような使い方がされている。これらの言葉からはダルビッシュのカリスマ性がうかがえるのではないだろうか。
石川の記事には「礼儀正しい」や「真摯」という言葉もみられる。これらは日本人的資質でありモダンスポーツヒーローの要素と重なる部分である。「さわやか」や「理想の息子像」という言葉は石川が持つモダンスポーツヒーローの要素から導き出される言葉なのではないだろうか。
石川遼、ダルビッシュ有ともに「ハニカミ・王子」や「女性を魅了する」、「イケメン」などスポーツの情報とは関連がないルックスやファッションに関する言葉が使われている記事が見つかっている。岡本(2004)によれば外見や服装に関する言葉はテレビや新聞が伝えるメッセージとして見逃せないものであり、メディアが創るヒーロー像を考えていくうえで重要であると述べている。ルックスやファッションに関する記事が多くみられることは今までのスポーツ選手にはあまり見られなかったことであるが、これはメディアがスポーツ選手のヒーロー像をスポーツの情報だけで構成するのではなく芸能人と同じような要素を加えることによって先行研究第1節にあるようにヒーローのセレブリティ化をより強いものとしているのではないだろうか。以降はスポーツ選手のルックスやファッション、私生活などのスポーツの情報とはあまり関係がなく、テレビタレントやアイドルと同じようにメディアに描写されていると考えられる要素をスポーツヒーローのアイドル的要素と位置づけ調査をおこなっていく。
第3項スポーツ新聞・女性誌の見出しのカテゴリー別分類
スポーツ新聞ではカテゴリーに該当する記事の総数は128個、女性誌では69個見つかった。表3はカテゴリー別に記した表である。
表3スポーツ新聞、女性誌記事見出しのカテゴリー別分類
スポーツ新聞 |
女性誌 |
ファッション 11 |
ファッション 6 |
ルックス 5 |
ルックス 10 |
ファン 23 |
ファン 4 |
ニックネーム 59 |
ニックネーム 24 |
私生活 30 |
私生活 25 |
計 128 |
計 69 |
カテゴリー別にみてみると、どちらのメディアでもニックネームと私生活に関する記事が多い。スポーツ新聞の記事の内容を見てみると、石川遼は「遼くんファンクラブ、女性95%」(産経スポーツ11/18)や「チェンジ遼 今年のハニカミ効果…女性と子どもが急増ギャラリーに変化」(スポーツ報知2008年12/6)など女性ファンに熱烈にもてはやされている様子が報じられていたり、「のびのびやろう!遼くん原点回帰」(デイリースポーツ2009年3/2)では子供たちにもファンが多いことがうかがえ、年代を問わず人気があることがあらわされている。また、「“激務”ハニカミ王子目が真っ赤!」(スポーツニッポン2007年5/30)や「遼ちゃん「ハニカミ王子ってなんか気持ち悪い…」(スポーツ報知2007年5/22)など「クン」や「王子」といったニックネームで呼ばれている記事が多くみつかった。ニックネームのカテゴリーでは石川の記事がほとんどニックネームで呼ばれていたためこのように多数の該当する記事が見つかった。
石川は熱烈なファンに対しても「王子と呼ばれることに対して恥ずかしくないような態度をとっていきたい。」(スポーツ報知2007年5/22)や史上最年少で一億円プレイヤーとなった際の記事では「「来年以降、成績が残せなかったらまぐれだと思われてしまう。」とうぬぼれることはなかった。」(デイリースポーツ2008年11/19)と真面目に対応し、謙虚な印象を与える記事が多い。この石川の姿勢は橋本が言う日本人的資質でありモダンスポーツヒーローと重なる部分である。
これに対してダルビッシュ有は石川遼に比べるとニックネームで呼ばれている記事は少なく、ダルビッシュは「ダルに嫁さんパワー!夫人が北京入り」(デイリースポーツ2008年8/13)、「日本ハム・ダルビックリ!サエコさん観戦」(産経スポーツ10/19)など結婚した当初や息子が生まれた際、そして2008年の北京オリンピックなど事あるごとに妻のサエコや息子のことでメディアに取り上げられている。これはメディアによって夫や父親としての男性性を強調されているのではないだろうか。
女性誌でカテゴリーに該当すると考えられる記事は全て2006年以降のものであり、2005年でスポーツ選手が取り上げられている記事は不倫や離婚などのゴシップ記事しか見られなかった。2006年では、当時早稲田実業の斉藤佑樹(現早稲田大学)が甲子園に出場したときに、試合中に汗をハンカチで拭いていたことから、メディアで「ハンカチ王子」と呼ばれたことをきっかけに、石川遼が「ハニカミ王子」と呼ばれたり、スポーツ選手のファッションやルックスが特集される記事が多くなっていった。
斉藤佑樹がハンカチ王子と呼ばれ始めたことは、それまで女性誌では主にゴシップ記事のような記事の対象にしかならなかったスポーツ選手が、ジャニーズのアイドルや韓流スターと同じようにアイドル的な存在として扱われるようになり、私生活の記事でもゴシップ記事では暗い面しかとらえられなかったのが、アイドル的な面をとらえることにより、幼少期の生活や結婚生活、夫としてどのような人物であるのかといった明るい面を映し出すようになっていった大きなきっかけになったのではないだろうか。
斎藤祐樹は女性誌メディアにとってスポーツ選手をアイドル的にとらえるきっかけを与えた選手として考えられるが、斎藤がメディアに登場し始めたころは、石川と並んで女性誌では最も多く記事になっていたスポーツ選手の一人であったが、やがて斎藤は女性誌に登場することが少なくなっていく。これは大学野球というアマチュアの世界よりも、プロとして活躍している選手の方がより強い影響力を持っているため斎藤の記事が減少していったということなのだろうか。スポーツ選手のアイドル的要素が女性誌にしか見られないものであるのなら、女性消費者をとらえるためのメディアの1つの戦略であるのかもしれないが、スポーツ新聞という消費者の性別を問わないメディアでもこの要素が見られるということは石川遼やダルビッシュ有がもつスポーツヒーロー像の1つであるといえることは出来るのではないだろうか。
第2節 時系列でみる石川遼・ダルビッシュ有のスポーツヒーロー像の変容
第1項
調査概要
女性誌3誌とスポーツ専門誌Numberにおいて石川遼、ダルビッシュ有に関する記事を時系列ごとに分析していった。この調査の目的はメディアによって作られるヒーロー像に関して時間の経過とともに変化があるのか探り、分析第1節でみることが出来たアイドル的要素がどういったようにスポーツ選手のスポーツヒーロー像を作る際に取り上げられるものかを調査するとともに、石川遼、ダルビッシュ有のスポーツヒーロー像をさらに掘り下げるためである。スポーツ専門誌と女性誌を調査対象に選択したのは対象とする消費者がある程度限定されており、さらに全く違う消費者を対象としているからである。この二つのメディアによって共通した語りが見て取れるならばそれはその人物のヒーロー像と言えるのではないかと考えられる。以下の表2はNumber、女性セブン、女性自身、週刊女性に石川遼、ダルビッシュ有が取り上げられた記事を記したものである。
表4石川遼の時系列分類
Number |
女性誌(女性自身・女性セブン・週刊女性) |
2007年 「NUMBER EYES 沸騰するハニカミ人気石川遼への期待と不安」7月5日 |
2007年 女性自身「胸キュン秘話 石川遼クンほのぼの家族3世代6人のハニカミ教育」4月30日 女性自身「ハニカミ×ハンカチ王子特集 私服もぜ〜んぶ☆「私生活」目撃&証言集」5月31日 女性自身「本誌特製 佑ちゃん&遼くん「暑中見舞い」ハガキ&栞」5月31日 女性自身「ハニカミ遼くん 浦和レッズが心の支え」5月31日 女性自身「3世代6人「ほのぼの家庭教育」秘話&胸キュン素顔!石川遼くん“喘息少年”をハニカミ王子に変えた「母いきつけ美容室」と「父のゴルフ指導」6月12日 女性自身「本誌だけが見た王子2人の“胸キュン”プライベート教えます!」6月26日 女性セブン「ハニカミ遼くん発覚!『メル友』へそ出し美女って?」6月28日 女性自身「遼クン激闘4日間!発見!ヘア&可愛い〜☆妹弟」9月4日 女性セブン「ハニカミ王子迷彩パンツで問う本当のドレスコード」9月20日 |
2008年 「NUMBER EYES 賞金王谷口と石川遼。男子ツアーを振り返る。」1月10日 「[ルーキーの成長と課題]石川遼プロとしての変貌」10月30日 「プロ初優勝に見た“石川時代の萌芽」11月27日 |
2008年 女性自身「僕って雨男なの?遼クンプロツアー初戦は大雨でずぶ濡れデビュー」5月6日 女性自身「石川遼クン プロ転向を祝ったチキンカツ」6月3日 |
2009年 「NUMBER EYES男子米ゴルフツアーは石川遼で“チェンジ”する」2月19日 「NUMBER EYES順当に散るも光が見えた石川遼の全米デビュー」3月19日 「[石川遼密着レポート]マスターズ挑戦譜」5月21日 「「[米メディアの視点と評価]アメリカが見た“RYO”」5月21日 「荒削りでも大胆に。全英に挑む石川遼の姿勢」7月30日 |
2009年 女性自身「遼の心を育んだ“人生の道標”本10冊」 3月10日 女性自身「石川遼“マスターズへの思い”を父.勝美さんが告白!遼は『伊豆の踊子』を読んで心機一転をはかっています」4月14日 女性自身「遼クン劇場inUSA独占公開遼パパが米ツアープライベートPHOTO日記」4月21日 女性自身「石川遼家族“渡米”で大声援−超緊張ほぐした弟妹とのサッカー」4月28日 女性自身「天才ゴルファーを育てた父と子の深イイ交換日記」4月28日 女性セブン「石川遼誰が決めてる?花柄パンツ 全身真っ赤勝負服」7月16日 女性セブン「石川遼選手17才にして敵なしの“落とし穴”」9月24日 |
表3ダルビッシュ有の時系列分類
Number |
女性誌(女性自身・女性セブン・週刊女性) |
2004年 「灼熱の下、ダルビッシュを愛でる」9月2日 |
2004年 |
2005年 「王子はしたたかに勝つ」7月28日 |
2005年 |
2006年 |
2006年 |
2007年 「[天才が完成した日]味方も戦慄した渾身のリリーフ」8月30日 |
2007年 女性自身「告白ワイド天才アスリート12人母の秘策」1月31日 女性自身「球界の美男子特写ソフトバンク川崎vs日ハムダルビッシュ」4月29日 |
2008年 「クール&ホットの二面性こそ最大の魅力。Yu Darvish」4月10日 「[進化するカリスマ]“新時代エースの証明」4月24日 「[ニッポンのエース宣言]最後は笑顔で終わらせる。」8月28日 |
2008年 女性セブン「サエコ ダル立ち会い実現の“良妻”出産」4月10日 女性自身「ダルビッシュ有 母郁代さんが「立ち会い出産」「育児生活を独占告白」4月29日 女性自身「ダルビッシュ両親語る妊娠問い詰めた夜サエちゃんの妊娠、有の覚悟」8月21日 女性自身「イケメンアスリート12人涙の秘話と誓った夢」12月30日 |
2009年 「まだ見ぬ完璧。ダルビッシュ有、22歳の悟り」7月2日 |
2009年 女性自身「WBCエース3人パパ素顔」3月17日 週刊女性「祝WBC2連覇日本中が泣いた笑った侍ジャパン8つの物語」4月1日 |
第2項 石川の時系列分析
石川がNumberに初めて特集されたのは2007年のことである。この記事では女性誌における石川の取り上げられ方にもみられるファッションやルックスに関することが文章に多くみられる。以下は記事の一部である。
「石川遼の期待と不安」
ヘアスタイルは寝ぐせのまま外に出られないタイプなんです。寝坊しても朝は絶対にシャワーを浴びます。サンバイザーと上下のウェアの色がバラバラにならないように気をつけてます。選ぶのに25分くらいかかる時もありますね
15歳のハニカミ王子こと石川遼は白い歯をキラキラと光らせる。試合には必ずヘアワックスを持参するという。お洒落へのさりげない気遣いが世の女性のハートをつかんで離さない。
アピールポイントと公言するドライバーショットは今大会でも300ヤード超えを連発。やKSBカップでの平均飛距離は299,13ヤードで全体3位の記録。高校生のみならず、プロと比べてもその飛距離は目立つ。
スター不在で人気低迷にあえぐ男子ツアーにとってはまさに救世主である。女子ツアーは宮里藍の登場で試合数も賞金総額も一気に増えた。男子サイドも石川の存在によって同じ現象を期待しているのは分かる。ただし、15歳という年齢は考慮されなければならない。(中略)この素材を生かすも殺すもゴルフ界の良識に懸かっている。(Number 2007年7月5日)
Numberで石川が初めて特集された記事では女性誌で多く取り上げられる石川のアイドル的な要素が歓迎される要素となっている。記事の内容では石川のゴルフの実力に関することや石川によって人気が低迷している男子ゴルフの人気が回復するきっかけになるかもしれないということが書かれているが、それは石川のゴルフの実力だけではなく、石川が持っているアイドル的な要素も大きいのではないかととれる文章になっている。
この当時の女性誌では石川はハンカチ王子と呼ばれた早稲田大学の斎藤佑樹と並んでファッションやルックス、私生活に関することで多く記事になっている。
2007年6月12日の女性自身「3世代6人「ほのぼの家庭教育」秘話&胸キュン素顔!」では石川がゴルフを始めたきっかけや小学校時代の練習場や中学校での石川の評判について書かれている。また2007年6月26日の女性自身「王子2人の“胸キュン”プライベート教えます!」や2007年9月20日の女性セブン「ハニカミ王子迷彩パンツで問う本当のドレスコード」でも女性誌において石川はファッションなどで石川がアイドル的にとらえられている。以下は記事の一部である。
「3世代6人「ほのぼの家庭教育」秘話&胸キュン素顔!」
遼くんがゴルフをはじめたのは小学校1年生。銀行員の父勝美さん(50)の練習についていったのがきっかけだ。
練習場の常連客は言う。「すごく上手で、目立っていたよ。礼儀正しくていい子だしね。『石川クン、今日はいますか?』と、遼くんを気にして練習場に来ていた主婦ゴルファーもいましたよ」地元ゴルファーの間ではすでにアイドルだった遼くんだが小学校内では、それほど目立つ少年ではなかった。(中略)中学に入ると、学校内での彼の注目度も一変していた「石川くんはクラスのムードメーカーでした。面白くて人気者です。」(女性自身2007年6月12日)
「王子2人の“胸キュン”プライベート教えます!」
遼くんが史上最年少で男子プロの大会で優勝してから最初の試合とあって、女性ファンを中心にギャラリーが集まっていた。
7月3日からの日本アマチュア選手権(愛知CC)のハニカミ笑顔が待ち遠しい。(女性自身2007年6月26日)
「ハニカミ王子迷彩パンツで問う本当のドレスコード」
“ゴルフファッション”はともすればダサイ服の代名詞。遼くんが風穴を開けてくれることを期待します。
今大会初出場の石川遼くんは杉並学院高校1年生の15歳。アマチュアでありながらプロの大会で、しかも史上最年少で優勝を果たした快挙に、日本中が沸いている。
5月に開催された『マンシングウェアオープンKSBカップ2007』を15才245日の男子ゴルフツアー世界最年少記録で優勝、ギネス世界記録に認定された(女性セブン200年9月20日)
これらの記事では「アイドル」や「女性ファン」、「ハニカミ笑顔」、見出しでは「王子」という言葉が見られ、これらの記事からは石川のスポーツ選手としての要素は女性誌においては必要のない要素にみえる。また、ゴルフファッションという今までお洒落だとみられていなかった部分が石川の登場によって変化がもたらされるのではないかと考えられている。しかし、それはゴルフそのものではなくファッションという部分に限ってのことであり、女性誌読者の関心を集めているのは石川のルックスやファッションにおける部分なのだろう。記事中では「史上最年少で優勝を果たした快挙に、日本中が沸いている。」、「男子ゴルフツアー世界最年少記録で優勝、ギネス世界記録に認定された」と石川のゴルフに関することも書かれていたが、これは石川がこういった人物であるという単なる紹介であるように感じる。このような部分はNumberのように深く掘り下げられることはない。この頃の石川はスポーツ専門誌、女性誌ともにアイドル的な要素がみられる。それは石川が持つ要素として、この頃最も突出していた部分であるからではないだろうか。
Numberにおいて石川は2008年1月10日の「NUMBER EYES賞金王谷口と石川遼。男子ツアーを振り返る。」でも記事に登場している。この記事では2007年の男子ゴルフ最終戦に唯一のアマチュア選手として出場した石川が最終日に最も注目を集めたことやその年の男子ゴルフにとって石川の存在が欠かせないものであると書かれている。以下は記事の一部である。
「NUMBER EYES賞金王谷口と石川遼。男子ツアーを振り返る。」
この日、最も多くの注目を集めたのは、唯一のアマチュアとして出場した石川遼である。(中略)ツアー屈指といわれる難ホールを、ただ一人アンダーパーで切り抜け、スター性のあるところを見せつけた。印象に残ったのは16歳とは思えない落ち着きぶりである。今季ツアー優勝者と賞金ランキングの上位25名までが顔をそろえた、この大会の成績こそ26選手中24位タイと振るわなかったものの、ハニカミ旋風を抜きに、今シーズンの男子ゴルフ界は語れないだろう。(Number2008年1月10日)
記事中には「ハニカミ」という言葉は見られたが、2007年7月5日の記事のように女性誌と似たような石川のファッションやルックスについての文章は見られず、石川のスター性についてもゴルフの実力について語られるだけであった。
2008年10月30日の「石川遼プロとしての変貌」では石川にとって「ハニカミ王子」という言葉が使われなくなり始めたことが喜ばしいことであると書かれている。この記事ではアマチュアからプロに転向した石川の1年間を振り返り、その中での石川の成長や試合で予選落ちが続いていた時期の石川の我慢が書かれている。以下は記事の一部である。
「石川遼プロとしての変貌」
それはむしろ喜ばしい変化だった。結果を出し続けたことで流行り言葉は力を失い、石川遼は自分の名前を取り戻した。(中略)昨年の流行語大賞にも選ばれ、石川の代名詞となったハニカミ王子。どこかかわいげのあるフレーズは16歳のアマチュアにはよく似合っていたが、プロになって悪戦苦闘しながら精悍さを増していく石川の姿とは少しずつ乖離していった。多くのメディアにおいてもハニカミ王子という言葉が使われることは少なくなった。そんな変化も今季の戦いの中で石川が勝ち得たものの一つだった。
「周りの偉大な方々にいろいろアドバイスをもらってるんで、それが自信にもなります。今でもアマチュアのままだったら、プロになった自分とどれくらい差がついていたんだろうと思います。それだけ上達したし、頑張ったからその分成長したんだと思う」
男子ツアーの新たな歴史を紡ぐ石川のプレースタイルは超攻撃的だと言われる。もし石川が小技を武器にパーを拾い集めていくいぶし銀の選手だったなら、果たしてここまで人気が出たかどうか。飛距離にこだわる若さにあふれたプレーは、人を惹きつける“何か”を秘めている。
プロとして活躍する上で欠かせない石川の資質がある。(中略)どんな状況でも物怖じせずに、大舞台でこそ力を発揮できる。これだけは以前から変わらない石川の強さだ。(Number2008年10月30日)
石川が登場した当初、Numberでもハニカミ王子という言葉は使われていたが、それはプロとして結果を出していない石川において若さを強調して使われていた言葉だった可能性がある。結果を出したことによって石川の若さを強調するのはニックネームの代わりに自身のプレースタイルというより強いものができたのである。このことによって石川のアイドル的なヒーロー像は薄れていき、スポーツ専門誌においてはスポーツにおける要素だけでヒーロー像を作るように変化していったのではないだろうか。そしてスポーツ専門誌においては石川遼がアイドル的要素を脱してくれた方がよいのである。それは石川の超攻撃的なプレースタイルであったり、どんな状況でも物怖じせずに、力を発揮できる石川の資質を語る際にアイドル的要素というのは邪魔なものになってしまうからではないだろうか。
またこの記事では試合を戦う上での我慢や周りの人々への感謝のコメントが使われている。石川のコメントの多くは周りへの感謝や我慢などの謙虚な姿勢がみられる。このようなコメントはメディアが石川をモダンスポーツヒーローとして作るには最も適した材料であるのではないだろうか。
2009年になると、石川は昨年の実績から米ツアーに招待された。Numberでは2009年3月19日の「NUMBER EYES石川遼の全米デビュー」で初めて米ツアーに出場した石川の様子を、2009年5月21日の「石川遼密着レポートマスターズ挑戦譜」と「米メディアの視点と評価アメリカがみた“RYO”」では石川が世界で最も有名な大会のひとつであるマスターズに出場した時のことやアメリカツアーでの石川に対するアメリカのメディアの評価について書かれている。以下は記事の一部である。
「NUMBER EYES石川遼の全米デビュー」
ゴルフにはいつも真剣に向き合い、メディアへは真摯に対応。日本で大成功を収めながら浮足立つことのない17歳に対して、「ShyPrince(ハニカミ王子)」のイメージで想像していた人々は「全然シャイじゃないじゃないか」と驚いていた。ビジェイ・シンやザック・ジョンソンといったトッププレイヤーたちも堂々とした立ち振る舞いに感心していたようだった。
「自分では予選落ちしそうなプレーだとは思ってなかった。あの内容でカットラインと3打差だったので、自分のレベルとPGAツアーの差を実感できた」力が及ばなかったことを素直に認めつつも、落胆したり、打ちひしがれた様子はなかった。わずか2日間とはいえ、その中で確たる手応えも残っていたからだ。
石川の挑戦はこれで終わりではない。3月に2試合、4月には夢のマスターズが控えている。今回はあいさつだけで終わってしまったが、プレーで「Hello」の続きを語るチャンスはまだあるのだ。(Number2009年3月19日)
「石川遼密着レポートマスターズ挑戦譜」
ウッズについても対面する時は「今の僕はファンでしかない」と話していたのが、翌日には浮かれ気分は消えて、同じ舞台で戦わなければいけない選手と自覚するようになっていた。
「マスターズはまだ自分にとっては夢の舞台でしかないし、PGAの舞台に立てるだけでも十分夢なんです。どうしても信じられない気持ちでいっぱいで、いつになったら本当に信じられるんだろうと思う。タイガー・ウッズやフィル・ミケルソンにも今の時点では戦いたいとかではなく、ただ会ってみたい。」
常に物事をポジティブにとらえる。もちろんやる気もある。一方で自分に対して過剰な期待は抱かない。これまでのフィーバーで石川が浮足立つことなくやってこられた理由である。ツアー終盤戦の大活躍で周囲の期待が雪だるま式に膨らんでいった昨年末にも、至極冷静に自分の考えを語っていた。
「いいショットでした。でもあのピンに打っていく実力はまだないのかなと思わされた。あの場面でピンを狙いたくなるのもまだまだ気持ちが弱い証拠。あそこに打てる力量がないのに打っていくからミスが生まれる。」
夢は打ち砕かれたが、憧れているだけでは知ることのできない現実が見えた。しかし、夢見るばかりで夢は叶えられない。米ツアーもタイガーウッズもマスターズも、経験と実感の伴った目標に変わった。その変化こそが新たなスタート。17歳の石川は、あの頃抱いた夢へと続く一歩を確実に踏み出した。(Number2009年5月21日)
「米メディアの視点と評価アメリカがみた“RYO”」
彼らが実際に見た石川は「ドライバーショットの軌道の高さと勢い、ストレート性は驚嘆に値する」「テキストブックスタイルのきれいなスイング」。その一方で、ゴルフウィーク誌のジェフ・バビノー記者のように「ショートゲームの精度が低い。パットのルーティーンもできていない」と技術的な未熟さを手厳しく指摘する声もあった。だがそうやって彼らの「賛否」の対象になることは、石川がそれだけ注目されていた証だった。
「アメリカの試合にただ『出る』のではなく、ちゃんと『戦える』ようになりたい」―石川のこの言葉がいつか現実になるとき、米メディアの評価や扱いは再び急上昇するに違いない。それだけは確かだ。(Number2009年5月21日)
「NUMBER EYES石川遼の全米デビュー」では日本で「ハニカミ王子」として注目を集めてきた石川とのギャップに驚く外国の選手や大会に対する石川の反省などが語られている。文章中に現れる「真剣」や「真摯」という石川を形容する言葉や石川の反省からみられる自分の力を謙虚に言う姿勢はモダンスポーツヒーローとしての要素である。この頃からはNumberでは石川のモダンスポーツヒーローの要素が強くみられる記事が多くなる。
「石川遼密着レポートマスターズ挑戦譜」と「米メディアの視点と評価アメリカがみた“RYO”」では自分にとっての目標であったPGAツアーに出場した際も、夢の舞台に出場できるだけで今の段階では満足しているようなコメントや有名なプロとも戦ってみたいというよりは会ってみたいというどこかファンのようなコメントもあったが、試合後の記事では自分の実力のなさについて語り、今後の目標として世界の舞台でも戦える力を身につけていきたいという強いコメントもあった。このころのNumberの記事では、石川が米ツアーという最も大きな舞台で戦ったことを物語のように述べている。橋本(2002)によれば、スポーツヒーローは大衆の思い描くファンタジーを代理的に実現しているのである。これは私たちが石川に思い描いた物語であり、今回の石川の結果は残念なものであったが、そこで語られる石川の反省や新しい目標に私たちがまた新しい物語を描けるようになっているのではないだろうか。そしてメディア側からしてもその期待があるからこそ「プレーで「Hello」の続きを語るチャンスはまだあるのだ。」や「米ツアーもタイガーウッズもマスターズも、経験と実感の伴った目標に変わった。その変化こそが新たなスタート。17歳の石川は、あの頃抱いた夢へと続く一歩を確実に踏み出した。」などの文章が出てくるのではないだろうか。
女性誌でも登場した2007年頃にはファッションやルックスなどで記事になっていた石川だが、プロに転向してからの石川の記事ではそのような記事は登場回数が減ってきている。特徴的なのは石川の私生活に関する記事では石川が幼少期からどのように育ってきたのかという記事が多いことである。2009年3月10日の女性セブン「遼の心を育んだ“人生の道標”本10冊」と2009年4月28日の女性自身「天才ゴルファーを育てた父と子の深イイ交換日記」では石川の父親に対するインタビューの形で石川がどのような本を読んできたのかや父親の教育方針について書かれている。以下は記事の一部である。
「遼の心を育んだ“人生の道標”本10冊」
夢のマスターズに向け、遼クンはまもなく再渡米する。ゴルフの腕だけではなく海外で通用する礼儀正しさと爽やかさを兼ね揃えた彼を育んだ“道標”本を父が公開
これまでの本誌の取材で、遼クンはいろんな本を読んできたと聞いていた。強いだけじゃない。いつも礼儀正しく爽やかな彼の心を育んだのは、幼少期からの読書に違いない。(女性セブン2009年3月10日)
「天才ゴルファーを育てた父と子の深イイ交換日記」
「遼に嘘をついたり、周囲の人をごまかしたり、そういうことだけは絶対にしてはいけないと教えて育てたつもりです」
そんな厳しくも愛情あふれる教育方針こそが、今日の礼儀正しい人格と世界に通用する精神力を生んだに違いない大人たちを感心させる立派な振る舞いにも、納得がいく1ページを見た気がした。(女性自身2009.4.28)
これらの記事では石川がどのように育ってきたのかを述べることによって、メディアに多く語られる石川の礼儀正しさや真面目な姿勢の根本となった出来事を探ることができる。女性誌においての石川遼はモダンスポーツヒーローの要素がより強調される形になっていっているが、ファッションやルックスと同じくらいに石川の礼儀正しさや真面目な態度が女性誌読者をひきつける要素であるのだろう。
石川遼について時系列でNumberと女性誌をみていくと、2007年には両メディアともに石川のアイドル的要素の部分に触れている記事が見られるが、Numberにおいては、石川がプロとなり実績を積むことによってその部分はなくなっていき、むしろそれが喜ばしいことであると語られる。女性誌に関しても、石川のファッションやルックスに関する記事は年々減少していっている。かわりに石川がどのようにして育ってきたのかという子育てに関する記事が多くみられるようになっている。これは多くのメディアによって語られるまだ若い石川の礼儀正しさであったり、真摯な姿勢というモダンスポーツヒーローの要素と石川の活躍と女性誌の読者に子供も石川のようになってほしいという願望からきているのかもしれないが、それは強く言いきることはできない。もしくはNumberが石川の米ツアーの挑戦を物語のように述べたように、Numberとは違ったステージとして石川の人生を物語として描こうとしているのではないだろうか。女性誌においてスポーツ選手が取り上げられるのは、世界規模の大会や有名な大会に出場する前や出場して良い成績を残したあとなど特定の時期であるのがほとんどであるが、石川遼に関しては話題となったマスターズに出場する以前やそれ以降もたびたび女性誌に登場している。このことから石川は女性誌読者やメディアがスポーツ選手に映し出そうとしている情報を常に提供できているスポーツ選手と考えられるのではないだろうか。石川がもつアイドル的要素は女性消費者をとらえる要素として他のスポーツ選手よりも強いものであるのかもしれない。
スポーツヒーローのアイドル的要素は新しいスポーツヒーロー像として考えてきたが、石川の記事を時系列にみていくとファッションやルックスに関して当てはまったスポーツ選手がメディアに登場し始めた時などにはこのアイドル的要素というものは通用するが、やがてそれは薄れていき、また別の要素へと変化していくのかもしれない。
第3項
ダルビッシュ有の時系列分析
ダルビッシュ有が初めてNumberで記事になったのは、2004年高校3年生のときである。この記事では当時高校生だったダルビッシュの投球スタイルについて語られており、それは今までの高校生には見られなかったと書かれている。以下は記事の文章である。
「灼熱の下、ダルビッシュを愛でる」
前例にとらわれず自分のスタイルを通す気持ちが強いのだろう。
彼が球の速さなどにまったく無頓着だというわけではない。夏の予選でも、秋田商業の速球投手・佐藤剛士にはライバル心を見せていたようだし、遅くてよいなどとはおもっていないだろう。それ以上に、彼の関心は勝つにはどうするか、それもひとつ勝つのではなく、去年逃した全国優勝を実現するにはどうするかに向けられている。
若さがないとか、高校生らしくないとか、いくらでも注文をつけられるような投球だったが、本人にしてみれば、お仕着せの高校生らしさを見せるよりも、試合に勝つことのほうがずっと大切で、そのことを的確にやっているだけに過ぎない。(Number2004年9月2日)
この記事ではダルビッシュの試合に対する考え方が今までの高校生にはあまり見られない考え方だったと語られている。それはダルビッシュほどの速い球を投げられる高校生であるならバッターに対して力で真っ向勝負をしていくのがほとんどであった。そしてその姿勢が高校野球においては高校生らしいと賞賛されるポイントなのである。しかしダルビッシュは球のスピードにまったく関心を示してないわけではないが、彼にとって一番重要なのは試合に勝つことであって、そこに真っ向勝負という高校生らしさは必要ないのである。記事中では大阪出身のダルビッシュが東北の高校に進学したことに関して自分のスタイルを通す気持ちが強い。と書かれている。ダルビッシュは自分自身の考えや価値観を常に一番大事にしているのがこの記事からは読み取れる。
Numberにおいてダルビッシュはプロ入りし、初勝利を挙げたあとも記事になっている。この記事ではプロに入ってすぐのキャンプでの怪我のことや未成年での喫煙が発覚し、二軍での謹慎処分が下ったダルビッシュの謹慎期間の生活のことや、一軍に上がってからの初戦、二戦目の登板で調子が悪いながらも勝利したことについて書かれている。以下は記事の一部である。
「王子はしたたかに勝つ。」
この謹慎期間は“実力さえ出せば、何でも通用する世界”と思っていたダルビッシュにとって大切な時間となった。教育係を務めた菅野光夫遼長は、礼儀を基本から教え込んだ。「高校時代からわがまま放題で来ていたから最低限の挨拶からさせた。プロの世界では先輩に声をかけられる子の方が伸びるからね」 3ヶ月後に一軍昇格が決まり、「二度と顔を見たくない」と送り出すと、「いい勉強をさせてもらいました」と素直に答えたという。(中略)デビュー戦の勝利は彼らへの恩返しでもあったのだ。
「剛球王子」といわれた高校時代から、己を知りしたたかに勝てる投手へ。その右腕は、端正な顔立ちとともに札幌を、いや、プロ野球界を沸かせ続ける可能性を秘めている。(Number2005年7月28日)
ダルビッシュはプロ入りしてすぐに、未成年での喫煙が発覚し、キャンプ中の怪我もあって二軍での生活が続いていた。ダルビッシュはプロの世界は実力だけで生きていける世界だと思っていたが、二軍生活で礼儀などについて教わり、高校時代からのわがままな自分ではいけないということを知るのである。デビュー戦での勝利の後、続く2戦目でも勝利し、ダルビッシュはチームの中でその存在を確かなものとしていく。見出しや記事中では「王子」、「剛球王子」や「端正な顔立ち」といったニックネームやルックスに関することが書かれているが、石川の記事のようにファッションやルックスがダルビッシュの人気のメインとなるような書かれ方ではなく、ダルビッシュにおいてはデビュー戦からの連勝という実力がダルビッシュの人気の一番メインとなるものであるように書かれている文章である。
女性誌ではダルビッシュは2007年2月にルックスやファッションの記事で取り上げられている。ダルビッシュがルックスやファッションで取り上げられているのはこの一つしか見つからなかった。以下は記事の一部である。
「球界の美男子特写ソフトバンク川崎vs日ハムダルビッシュ」
「女性ファンが多い?どうですかね。自分ではよくわからないですね」
クールに答えるのは、昨季、北海道日本ハムの日本一に貢献したダルビッシュ有選手(20)。成人式を迎えたばかりの彼が考える野球人気の回復の秘策は.....。「自分は結果を残したといってもたかだか1年。そんなこと言えるレベルじゃないです」またしてもクールに謙遜する彼に、地元オススメスポットを聞いた。「美味しい店?自分外食しないんで分からないです。観光スポット?時計台とかすかね。フツーの答えですみません」」どこまでもクールな“ダルくん”。でも、こう付け加えてくれた。「冬はめっちゃ寒いんで。遊びに来るなら暖かくなってからがいいっすよ」
「今日のファッションのポイント?テキトーっす」とどこまでもクールなダルくん。(女性自身2007年2月13日)
記事見出しでは「美男子」という言葉が見られ、ダルビッシュのルックスが優れていることが女性にも認められていることがうかがえる。この記事ではダルビッシュに対するインタビューで記事が構成されているが、どんな質問に対してもダルビッシュは無愛想なコメントしか返していないが、そんなダルビッシュを記事ではクールと形容している。この記事以降、ダルビッシュをルックスやファッションのアイドル的要素で取り上げた記事は見つからなかったのはダルビッシュのヒーロー像にアイドル的要素というものが似合わなかったからなのではないだろうか。
2007年8月30日のNumberの記事ではダルビッシュがプロ入りしてから初めてのリリーフ経験や見事なピッチングで試合に勝利し、ヒーローインタビューで婚約の報告をしたことが書かれている。2008年4月10日のNumberの記事では、ダルビッシュのペナントレース、クライマックスシリーズ、日本シリーズ、北京五輪アジア予選の成績について書かれていてダルビッシュの実力について書かれている。以下は記事の一部である。
「[天才が完成した日]味方も戦慄した渾身のリリーフ」
このところ連日スポーツ紙はダルビッシュの婚約報道を伝えていた。それに対して沈黙を守っていたダルビッシュだが、佐藤(当時の投手コーチ)に対しては“結果を出して、しっかり話します”と伝えていたのだ。その言葉通り、8回途中に右腕内側に張りが出て降板するまで、8奪三振を記録するピッチング。
楽天戦の勝利後、お立ち台で堂々と婚約を発表。その後の会見で、ダルビッシュは言った。「いろんなことを試しながら、新しい生活を作っていきたい」そこには、私生活でも、本業の野球でも進化し続けるダルビッシュの姿があった。(Number2007年8月30日)
「クール&ホットの二面性こそ最大の魅力。Yu
Darvish」
「日の丸のユニフォームとか、オリンピックといわれても、正直、実感がないし、あんまり興味もないんですよ」
ペナントレースでは、奪三振王に輝き、勝ち星、防御率でもトップを争って、本格派の投手に与えられる沢村賞を受賞した。クライマックスシリーズ、日本シリーズでは4試合に登板して3勝1敗。これだけの活躍をすれば、疲労が残るのは当然である。おそらく台湾でおこなわれたオリンピック予選での状態は、シーズン中の7割、8割がせいぜいだったろう。
それでも先発の責任を果たし、マウンドを降りたあとは、1球ごとに大声援を送ってチームを盛り上げていた。
開幕直後のクールなダルビッシュと、オリンピック予選で見せた熱いダルビッシュ。いったいどちらがほんとうのダルビッシュなのかと疑問に思わないでもない。
しかし、よく考えれば、相反するダルビッシュは、決して矛盾しているわけではない。ダルビッシュは、目の前に敵が見えた時、はじめてその闘争心を全開にさせる選手なのだ。抽象的な戦いへの決意、相手への対抗心などはほとんど持たない。徹底して具体的な男なのだ。(Number2008年4月10日)
ダルビッシュが北京五輪に日本代表として選ばれた時も日の丸に対しての気持ちは冷めた感じであった。普通の選手なら日の丸に対しては熱い思いを感じるのではないだろうか。しかし、実際予選になるとダルビッシュは闘志あふれる戦いぶりを見せる。記事中では「ダルビッシュは、目の前に敵が見えた時、はじめてその闘争心を全開にさせる選手なのだ。抽象的な戦いへの決意、相手への対抗心などはほとんど持たない。徹底して具体的な男なのだ。」と書かれている。これは高校時代からの「勝つこと」が一番重要だと考えるダルビッシュの考え方によるもので婚約を報告した時にも結果を出してからヒーローインタビューでの報告であった。ダルビッシュの宣言したとおりに結果を出してくれる天才ぶりがダルビッシュのヒーロー性なのだと考えられる。記事の中ではダルビッシュのシーズン中の活躍ぶりが書かれているが、これはダルビッシュが天才と形容されることを際立たせる要素となっている。そしてその活躍によって疲労が残っているのではないかと思われる体でもしっかりと結果を出したことによって彼の実力がより大きなものと映るのではないだろうか。
2008年4月24日の記事では、ダルビッシュの投手としての成長が書かれており、そして成長して球界のエースとなったダルビッシュの実力に促されるように同世代の他の選手も次々と才能を開花させていると書かれている。以下は記事の一部である。
「[進化するカリスマ]“新時代エース”の証明。」
去年沢村賞に輝いた球界No.1投手は、今季、さらに成長した姿を見せつけた。その圧倒的な存在感は周囲をも巻き込み、ひとつの新しい時代を築こうとしている。
勝利投手こそ逃したが、貢献度では最も高いダルビッシュが、「自分は成長したなと思う」と胸を張ったインタビューを、テレビの画面で見ていると、時代のページをめくる音がはっきり聞こえた気がした。大投手が引退を表明した翌日、トーチを受け継ぐように若いエースが見事な投球を見せる。世代交代は世の常だが、受け継ぐほうに魅力と能力がなければ、時代の変化に無常を感じるだけである。しかし、この日のリレー劇は間違いなく新しい時代への期待を膨らませてくれた。忘れられない夜だった。
ひとりの優れた才能が、ほかの才能の開花を促す。よく見られることだ。「松坂世代」などがその典型だ。今、ダルビッシュに揺り動かされるようにして、パリーグでは新しい才能がつぎつぎに花開き始めている。(Number2008年4月24日)
この頃になるとダルビッシュは誰もが認めるプロ野球界を代表する投手であり、新しい時代を担う選手として描かれている。さらにダルビッシュの才能によって次々とほかの選手が成長していると書かれている。この様子はダルビッシュが新時代の担い手というカリスマ性を持った大きな存在になっていく物語としてメディアが描いているように感じる。
ダルビッシュが婚約を発表し、さらに子供が生まれ、父親となると女性誌ではダルビッシュの夫や父親の面に触れた記事が登場する。以下に三つの女性誌の記事を紹介する。
「ダルビッシュ有 母・郁代さんが「立会い出産」「育児生活」を独占告白」
「新米パパの生活ぶりを、本誌だけに語ってくれた。「最初、有はお産を見るのは怖いって言ってたんです。だから、その後『立ち会いたい』というようになったものの、どうかなって思っていたんです。男の人ってそういうの見るのを怖がるみたいですし」(中略)病院では、家族は分娩室の外で待機。ダルビッシュだけは、サエコのいる分娩室の中へ。ところが....。
「いざフタを開けてみたら、本人はずっと分娩室に入ったままなんですよ。陣痛が始まってサエコちゃんが苦しがっているのを目の前にして、夫が部屋を抜け出すわけにはいかない!って思ったんじゃないですか。有はサエコちゃんの背中をずっとさすってあげていたそうです」
「男の人って初めて赤ちゃんに触れるとき、ちっちゃくて壊れそうな気がするみたいで、抱っこするのを怖がる人も多いらしいんですけど、有は全然平気でしたね」
郁代さんはその理由をこう語る。
「有は昔から、子供が大好きだったんです。いちばん下の弟とは6歳離れていますからね。まだ弟が小さいころ、嬉しそうにミルクをあげたり、私がおむつを替えているときも、横で見て手伝ってくれたりしていました。きっとそのときのことを覚えていたんだと思います。
サエコちゃんも手際よくチャッチャとおむつを替える有を見て、ビックリしていたみたいですよ」
開幕戦が行われた札幌ドームの大スクリーンには、応援に訪れた彼女がアップで映し出された。その甲斐あってか、ダルビッシュは2けた三振を奪う完封勝利を飾った。(女性自身2008年4月29日)
「WBCエース3人パパ素顔」&選手の「年収&妻」を大公開」
「子供は1歳になっていないので言葉はまだですが、有のことがわかるようになっています。練習するパパを見てすごく喜んでいました。
そんな子供を見て、有も嬉しかったのだと思います。何よりのリラックスになったのではないでしょうか」
昨シーズン終了以来、WBCの使用球以外は一度も手を触れないほどの徹底ぶりというダルビッシュ。本番では熱い投球を見せてくれることだろう。(女性自身2009年3月17日)
「祝WBC2連覇日本中が泣いた笑った侍ジャパン8つの感動ものがたり」
先発に抑えにとフル稼働で、侍ジャパンを引っ張ったダルビッシュ。そんな彼を勇気づけたのは、北京五輪に続いて、今回も現地に同行して夫を見守った紗栄子夫人と、決勝戦の3月24日に1歳の誕生日を迎えた長男であった。
ダルビッシュ本人も決勝戦後のブログでこう書いている。
今日は息子の一歳の誕生日。かっこいいパパは見せられなかったけど、決勝が誕生日だと知った日に、優勝するんやろうなと思いました。一年間最高の笑顔をみせてくれてありがとう。また来年も最高の誕生日になるといいね。
もし決勝で負けていれば、息子の誕生日が来るたびに苦い記憶がよみがえる、なんてことになったかもしれない。ライバル韓国を倒したのは、責任感あふれる“父親力”だった―。(週刊女性2009年4月1日)
記事中ではプロ野球開幕戦やWBCのことが家族と関連付けられて書かれており、私生活の事を書かれる際にもダルビッシュはスポーツ選手としての要素が強いのではないだろうか。上記二つの記事ではダルビッシュの母親にインタビューする形式で記事が進められていく。ダルビッシュ本人のインタビューで無い点は石川遼の父親のインタビューと共通する点である。女性誌において語り手が本人の家族であると言う点は本人が私生活を語るよりもより深い話がでてくるからではないだろうか。ダルビッシュは2007年2月13日の記事では無愛想な態度がクールだと言われていたが婚約や出産の記事では母親によって語られる良き父親として描かれるようになってくる。女性誌にとってダルビッシュの夫や父親としてのイメージは歓迎される要素であるのだろう。
Numberの2008年8月28日の記事では北京五輪の代表に選ばれたダルビッシュに対してのインタビューが軸となっており、その中でダルビッシュの日の丸や試合に対する思いや家族ができて性格が丸くなったことが書かれている。以下は記事の一部である。
「[ニッポンのエース宣言]最後は笑顔で終わらせる。」
―日の丸の重さは?
何の造作もない質問にタメ息のひとつでもつくかと思ったが、絵描きが構図を決めるときによくやるように両手の親指と人差し指で小さな四角形をつくり、淡々と答えた。
「何回も言いますけど、日の丸ってのは僕の中で絵でしかないわけで。何も思わないです」
今とは違いまだ坊主頭だった3年生の夏。阪神甲子園球場で行われた開会式の直後に囲まれた記者団から、優勝旗を見たら欲しくなったのでは、そんな質問が飛んだのだが、案の定、ダルビッシュは乗ってこなかった。「別に欲しいとも思ってないんで」
本人は舞台の大小は意識していないと言い切るが、観る者の鼓動が高まる試合になればなるほど、ダルビッシュの真っ直ぐは球威を増し、マウンドで上げる叫び声も、ガッツポーズも、大きくなっていった。
「普通に、そのまま、自分を出しているだけなんですけどね。モチベーションを上げようとか、そういうことはかんがえたことはない」
つまり、より本能的な部分に根差しているのだろう。余計な成分や湿気を含まない心は、懸かるものが大きければ大きいほど、発火しやすく、また燃え上がるのも早いのだ。
投げたいから投げる―。ダルビッシュの姿を観ていると、投球という行為に理由などいらないのだと思わせるが、そんな見方はやんわりと否定した。
「理由はありますよ。チームに勝利をもたらしたい。そうすればファンも喜ぶし、奥さんも喜んでくれる。みんなが喜んでくれるから、ちゃんと投げたいなって思うんです」
内容もそうだが、そう柔らかく話すダルビッシュは、やはり変わったなと思う。プロに入り、言動や振る舞いが1年ごと急速に大人びてきている。(中略)高校時代のダルビッシュは、常に抜き身のような雰囲気を漂わせていたものだ。年齢と状況を考えればそれもやむを得なかったのだろうが、殺到する取材陣に露骨に嫌な顔をし、素っ気ない言葉を繰り返した。だが今は鞘を手に入れた。それがファンであり、家族なのだ。(中略)ある記者は、「家族が出来てよく笑うようになった」と話していた。(Number2008年8月28日)
記事中では2008年4月10日のNumberの記事のようにダルビッシュにとって日の丸を背負うことによる責任感やプレッシャーを全く感じていないようにみえる文章が書かれている。本来日本代表として日の丸を背負って世界と戦うということになれば多少なりとも「日本のために」という言葉が出てくるのではないだろうか。ダルビッシュからはそのような言葉は一切見られないが試合中の叫び声やガッツポーズから本能的に舞台の大きさを感じ取っていると語られている。高校時代からダルビッシュにとって一番大事なことは試合に勝つことであったが、この記事では勝つことに対しての理由がダルビッシュによって語られており、それは自分が勝つことによってファン、家族が喜んでくれるということである。また記事中では高校時代と比べると家族が出来て性格が丸くなったと書かれており、ダルビッシュに変化をもたらしたのはファンや家族であるということが語られている。女性誌でもダルビッシュは夫や父親として描かれる記事が最も多いが、ダルビッシュに変化をもたらしたきっかけになった家族という要素は家族のために頑張るスポーツヒーローというヒーロー像を作っているのではないだろうか。
2009年7月2日のNumberの記事ではWBCでの抑えの経験やWBCメンバーに対する仲間意識、ダルビッシュの野球に対するプロフェッショナルな考え方が書かれている。以下は記事の一部である。
「まだ見ぬ完璧。ダルビッシュ有、22歳の悟り」
「最近、よく思うんです。野球が好きだって。生活の中に野球があってこその私生活でもあるし、それがなくなった時、どうなるんだろうかと」
さらに、
「ことしはマウンドで笑顔が多くなった。ひとつ野手がボールをさばいてくれたら、そのつど声をかけてますし。ありがたみ、本当にわかるんで。いま、みんなで楽しく野球ができている。北海道のファンは温かい。だから明るいチームでいられる。感謝してます。あれだけ応援してくれるので、僕らも楽しい気持ちを持てて、僕らが楽しんでいるからファンのみなさんにも楽しんでもらえるのだと思います」
―相手が有名であれば、その分、燃えられるのかなと。
「僕は日本でも燃えられるし、かえってアメリカではそのモロさに醒めてしまうかもしれない。でも僕らの仕事は燃えることじゃないですから。見にきてくれるファンに喜んでもらうのが仕事なのであって」
もともとスライダー主体の巧さを追い求めた高校球界の大スターは、入団2年目、貴重なリリーフの経験もあって「150」に開眼できた。力のあるボールを会得すると多彩な変化球と制球の妙はさらに際立った。球界屈指の才能はWBCの舞台へ。そこでめぐったクローザーの務めを果たし、いま、後続投手の心理を気遣う堂々のエースとして札幌市民の偶像となりつつある。
WBCの決勝と日本ハム公式戦の比較。
「同じ野球の試合。大事な試合、大事な場面の重さは変わりません」
もはや「常に完璧を求めなくてもよい」とさえ知ってしまった完全主義者は、そうであるがゆえに到達点を語ろうとはしない。到達点がわからなければ、そこから逆算した過去も簡単に言葉にはできない。(Number2009年7月2日)
この記事ではダルビッシュの野球に対する考えが語られている。ダルビッシュはWBCの決勝もプロ野球の公式戦も同じ野球の試合と位置付けている。このような考え方を持っているからこそ北京オリンピックの時に日の丸に対する意識についてダルビッシュが語ったコメントが出てくるのではないだろうか。記事中では(2008.8.28)の記事のようにファンに対する感謝が語られている。また記事中では「堂々のエースとして札幌市民の偶像となりつつある。」や「完全主義者」などの言葉が見られ、この記事もダルビッシュの野球の実力がうかがえる記事になっている。
ダルビッシュは前述のとおり、その実力によって野球界を盛り上げる存在となっている。そして、その盛り上げ方にはなにかダルビッシュにしかできないようなものがあるように感じる。(2007.8.30)の婚約の報告をした時にも、見事なピッチングで試合を作ってからのインタビューであった。その試合の前にはコーチに「結果を出して報告する」と言い、その言葉通りに結果を出した。また2008年4月24日のNumberの記事では、ダルビッシュが新時代のエースとして描かれている。記事見出しの「進化するカリスマ」や文章中の「新時代」や「世代交代」という言葉が表わしているダルビッシュに対する期待感とエースとしての実力や同世代の選手にも影響を与えているように描かれているダルビッシュはカリスマ性を持ったスポーツヒーロー像として映し出されている。このスポーツヒーロー像は様々な理想を実現するのに必要な優れた素質を持つ人を意味した古典的な意味合いのヒーロー像とも似ているのではないだろうか。
ダルビッシュの性格に関して2008年8月28日のNumberの記事では以前は無愛想に見られていた性格が変わってきたことが書かれている。2009年7月2日のNumberの記事でも試合中に笑顔が多くなったこと、チームやファンへの感謝が書かれている。また自身の仕事についても「ファンに喜んでもらうのが仕事」というファンに対する思いが述べられている。ダルビッシュがプロとなって大人びてきたこともあるが、その変化をもたらした一番のきっかけは家族ができたことではないだろうか。ダルビッシュの価値観は高校時代から「勝つこと」であり、それはプロになってからも一切変わっていない。しかし、女性誌で書かれるように私生活において結婚や子供ができたことによりその価値観にファンや家族に喜んでもらうという新しい要素が加わったように感じる。
試合に対する価値観が変わらないからこそダルビッシュは日本代表としての試合でも日本ハムの選手としての試合でも自分が活躍することによってファンや家族が喜んでもらえる同じ試合として位置付けていて、日の丸に対して興味がないなど記事のコメントもぶれることがないのではないだろうか。Numberの記事ではダルビッシュの実力がメインとなって記事が書かれている一貫性がみてとれる。
Numberではダルビッシュは天才がファンや家族といった新しい武器を手に入れてさらに実力が磨かれていくヒーロー像としてダルビッシュは描かれているのではないだろうか。
Numberにおいて言えば、高校時代からの実績があるダルビッシュには石川のようにファッションやルックスといった要素は記事を作るうえで重要な要素ではなく、結果を出し続けるスポーツ選手としての天才ぶりやカリスマ性、そして他の選手には見られない考え方がダルビッシュをスポーツヒーローとする最も大きな要素となっているのである。女性誌ではダルビッシュはファッションやルックスで取り上げられた記事は一つしかみられなかったが婚約を報告したころから夫や父親として描かれる記事が多く見つかり、WBCに関する記事でも妻や息子のために頑張る父親として描かれていたように思える。ダルビッシュの夫や父親としての男性性はメディアにとってルックスやファッションよりも強くダルビッシュのヒーロー像を作り上げることができる要素なのではないだろうか。