第5章 考察

 作家の自立や地域の文化活動のサポートを目的として始まったZ projectと、そこから誕生したKapo10月4日から12月7日までのアートプラットホーム会期中には、初心者でも美術館のギャラリーで作品の展示ができるアンデパンダン展や、作品を安価で貸し出すレンタルアートシステム、美大の学生が商店街で展示をするZ space Art projectなど、多岐にわたる活動が試みられた。そのなかには、アーティストのレジデンスには至らなかったM1プロジェクトや、搬入出などでかなりの手間を要することがわかったレンタルアートシステムなど、計画通りには運ばなかった活動もあった。しかし、250点以上の出品を得られたアンデパンダン展や、活発ではなかった商店街の人々の意識改革に貢献できたZ space Art projectなど、よい結果を残すことができた活動もあった。

 アートプラットホーム会期中の企画が終わり、現在はZ projectからKapoとなって、活動を継続する仕組みが模索されている。今後Kapoの活動が継続されていくことで、どのようなことが成果として望まれるだろうか。会期中の活動を分析しながら、これから望まれる成果について、ソーシャル・キャピタルの形成という観点から考察してみたい。

節 ソーシャル・キャピタルとしての可能性

 Kapoの取り組みはまだ始まったばかりだが、アートが媒介となって、人と社会の新しい関わりを生むシステムとして、期待される成果は大きいと考えられる。ここでは、そのアートと社会を結びつける働きに関して、ソーシャル・キャピタルという観点からKapoの可能性を探っていくこととする。

 

第1項 ソーシャル・キャピタルの定義

 

 まず、ソーシャル・キャピタルの概念をレヴューする。

稲葉陽二(2007)によれば、ソーシャル・キャピタルとは、橋や道路などのハードな社会資本ではなく、人間関係ないしグループ間の信頼や規範、ネットワークといったソフトな社会的資本を指す。直訳すると「社会資本」となるが、「社会関係資本」と呼ばれることも多い。信頼・規範・ネットワークは、人々の心に働きかけてはじめて意味を持つ。言い換えれば、市場での売買などが生じていなくても、重要な役割を演じるものといえる。

稲葉によれば、ソーシャル・キャピタルには、公共財・私的財・クラブ財の3つの側面がある。信頼・規範などの価値観が、特定の個人ではなく社会全般に対するものである場合、そのソーシャル・キャピタルは公共財としての性質を持つ。一方、ネットワークは基本的に個人や企業などの間に存在するため、私的財としての性質を持っている。クラブ財は、公共財と私的財の中間として、特定のネットワーク間において発達する信頼・規範、互酬的な関係を指し、ソーシャル・キャピタル論で注目されるのはこのクラブ財である。(稲葉 2007: 5-7

ソーシャル・キャピタルの基本概念の一つに、異質な者同士を結び付けるブリッジング(橋渡し型)なソーシャル・キャピタルと、同質な者同士が結び付くボンディング(紐帯強化型)なソーシャル・キャピタルという区別がある。ボンディングなソーシャル・キャピタルは、既得権の維持防衛と、革新的な変化や部外者の排斥につながる危険性がある。しかし閉じたネットワークのほうが、互酬性の規範が貫徹しやすいという見方もある。(稲葉 2007: 7-8)

規範・信頼・共通の価値観・ネットワークは、個人の社会・経済的活動のあらゆる面に関わっている。ソーシャル・キャピタルの対象分野をすべて網羅することは不可能であるが、まとめてみると、@企業を中心とした経済活動、A地域社会の安定、B国民の福祉・健康、C教育のあり方、D情報化社会の影響、E格差を含めた経済的弱者への対応、F政府の効率の7つの分野で重要な役割を果たしていると考えられる。(稲葉 2007:10-13

 

第2項 地域社会のソーシャル・キャピタル―「ご近所の底力」

 稲葉(2007)では、ソーシャル・キャピタルによる地域社会の再構築に関して、「ご近所の底力」の例をあげて説明している。

稲葉は、市場の需給関係では解決できない身の回りの難問、例えば空き巣、放火、ゴミ、迷惑駐車、お年寄りの引きこもり、若者のたむろなどの問題を、「ご近所」という地域コミュニティのネットワークを通じた助け合いによって解決しようとする動きに注目している。ここで取り扱われる難問とは、解決のために企業が参入してくるほどには儲からないし、行政の対応だけでは不十分な分野で、かといって個人だけでは解決できない問題である。

住民は行政単位よりも小さな非営利のグループを形成し、難問解決に取り組む。こうしてできる「ご近所の底力」の源は、対等で開放的かつ多様で多数の住民間のネットワーク、つまりソーシャル・キャピタルである。

こうした地域のソーシャル・キャピタルには次のような特徴がある。

1.メンバーは対等で序列がなく、肩書きを消した人間付き合いが求められること。

2.コミュニティへの参加・退出は個人の自由であり、契約関係はないこと。

3.商店街、自治会、PTA、マンション管理組合などを母体として、さらに小さなタスクフォース(特定の目的のために編成される部隊)ができ、そこが小さなコミュニティとして独自のネットワークを形成すること。

4.タスクフォースでありながら、長期継続的であること。

5.金銭的な動機はほとんどないこと。地域の住民から見れば切実な問題であるが、難問解決市場が成立するほどの収益性はもともとないこと。

これら「ご近所の底力」的集まりは、ブリッジングなソーシャル・キャピタルであるといえる。ただし、地域における「底力」の担い手は、必然的に地縁的要素があり、地域の絆が根底にあるという意味では、常にボンディングな要素を持っている。(稲葉 2007:141

 

第3項 地域社会のソーシャル・キャピタル―ファンサークルの事例から

 小林(2007)では、「アートの魅力を多くの人々に伝え、分かち合いたい」と願うファンによるサークル活動での、ソーシャル・キャピタル生成の可能性について述べている。

 京都で発足したこのファンサークルの主な活動は、美術館やギャラリーを回ってアートを鑑賞し、そのあと食事をしながら互いの感想を語り合うというものである。そこでの目的は、アートへの多少の関心は持ちながらも深めるきっかけがない人々を対象に、身近な体験としてアート鑑賞に親しんでもらい、参加者が楽しみながら自らアートの魅力や課題に気付く場を提供することである。教養としてのアート鑑賞は一定の普及はしているが、内省や対話を促し多様な価値観の共有を可能とするアート鑑賞は未だ一般化されていないとの判断のもと、このファンサークルの活動は開始された。

すると、当初は比較的受動的だった参加者の中から、より広い市民層にも訴える企画・活動が行われ始めた。例えば、あるメンバーは自宅の町家を改装しギャラリーをオープンさせた。「アーティストの友人だけで盛り上がるギャラリーではなく、一般の人々にもっと気軽に訪ねてほしい」とこのメンバーは語っている(小林 2007: 28)。このように、ファンサークルという形で始まった場が、新しい活動を生成させていったのである。

 「愛好する」という動機のもとに集まった、職業や年齢、性別などを異にするファンサークルのメンバー間にヒエラルキーは存在しない。紹介制はとらず、会員規約に同意すれば誰でも入会できるシステムである。そして、作品の感想を交換する過程で、多様な考え方の存在に驚き、他者を知る体験を繰り返すことで、「お互い様」の精神が醸成されている。

 これらの性質から、ファンサークルは、橋渡し型(ブリッジングな)ソーシャル・キャピタルを生成する場として機能し、人間関係づくりを行うコーディネーターの要素や、コミュニケーションのための公共空間の要素を有しているといえる。(小林 2007

以上、ソーシャル・キャピタルの定義を整理し、地域社会で形成されるソーシャル・キャピタルについての事例を紹介した。「ご近所の底力」の例では、地域の難問を解決するために結成されるグループが「ご近所の底力」の源となり、それがソーシャル・キャピタルとしての機能を備えていること、ファンサークルの例では、人と人、人とアートをつなぐ活動のなかに、ブリッジングなソーシャル・キャピタルが形成されることが示された。

次項では、上記の定義等を参照しながら、Kapoの活動が地域社会でのソーシャル・キャピタル生成と関わる可能性について考察する。

 

第4項 Kapoというコミュニティの性質

金沢21世紀美術館という公設の現代美術館が、まちづくり事業を美術館が担う時代の流れとして、また社会と積極的に関わろうとする現代作家からのニーズを受けて「金沢アートプラットホーム2008」を開催した。Kapoはそのなかの、一企画であった「Z project」をきっかけとして誕生したコミュニティである。

若手作家の自立と、空洞化のすすむ商店街の文化活動を支援するという目的のもと、約70名がスタッフとして登録を行った。その多くは、金沢美大の学生や、金沢で活動する作家らであったが、商店街の住民や、アートを専門としない美大以外の学生たちなど、アートと普段あまり接することがなかった人々の参加も見られた。実際の運営は20代〜30代の若者が中心であったが、商店主や近所のお年寄りも活動に参加するなど、活動全体としての年齢層は幅広かった。このことから、Kapoはブリッジングなコミュニティであるといえるだろう。

さらに、Kapoというコミュニティの性質を整理するにあたって、稲葉が提示した「ご近所の底力」を作り出す地域のネットワークの特徴を、Kapoの事例と照らし合わせてみる。

1.美術館のキュレーターがスタッフをまとめたり、活動の方向性を定めたりすることはあったが、それはトップダウンによる指示ではなく、常に参加者の意思を尊重するボトムアップ方式であった。中村政人のプロジェクトということで、会期中は中村の意思も尊重されたが、市民参加型の展覧会であることによって、あくまで参加者主体でプロジェクトは進んでいた。このことから、Kapoに携わる参加者は、すべて対等で序列がなかったと考えられる。

2.契約関係の有無に関しては、美術館のボランティア登録などは行われたが、みなそれぞれ都合のよいかたちで、自主的に協力をしていたため、参加・退出は自由であったといえる。

3.Kapoは作家の自立と地域の文化活動の支援をタスクフォースとして形成されたコミュニティである。母体となった団体はないが、それまで別々に活動していたいくつかの団体から人々が集まってできたコミュニティであり、その独自性は強いものである。

4.Kapoは作家の自立と地域の文化活動の支援をするため、長期継続的な活動形態を模索中である。

5.非営利団体であり、運営のための資金収入以外の金銭的動機はない。活動の目的からして、収益を上げることは難しい事業である。

 4の長期継続的であることは完全に達成できているとはいえないが、それ以外の特徴は当てはまっている。よって、長期継続的な活動を実現できれば、Kapoはソーシャル・キャピタル形成の条件を満たす、地域コミュニティであると説明することができるといえよう。

次に、ファンサークルの事例とKapoの性質を照らし合わせてみたい。

ファンサークルは、作家の自立や地域社会の支援を目的としているわけではないが、Kapoとは共通点がある。メンバー間に序列がないことや、契約関係がないことなど、基本的なソーシャル・キャピタル形成の条件はどちらにも備わっている。ここで注目したい共通点は、アートの価値を市民に広く発信することで、新たなネットワークや信頼関係を築いていることである。ファンサークルは、アートを愛好するメンバーの集まりであるが、多くの人にアートの魅力に気付いてもらおうと、より開かれた場にすることが目指されている。Kapoの場合も同様に、商店街や空きビルで展覧会を開くことで、アートの価値を市民に広く発信し、アートの愛好を通して、学生や作家、地域の人々を結ぶ新たなネットワークが形成されている。

ファンサークルとKapoの共通点として、さらに注目したいのは、参加メンバーから、新たな活動を主体的に展開する者が現れていることである。ファンサークルでは、自宅の町屋を改装してギャラリーをオープンし、より広い市民層に訴える活動を始めたメンバーが輩出されている。Kapoでは、アートをより身近に感じてもらうためのスイーツプロジェクト(本稿第3章第3節参照)や、3日間限定の展示イベント(本稿第4章参照)などが有志らによって開催された。

これらの共通点から、アートを媒介としてつながる空間には、ソーシャル・キャピタルを形成できる力があること、そしてさらにそこから、参加者の主体的な活動を創出し、市民活動の活発化を促す契機を生み出す場となれることも示すことができたのではないだろうか。

 Kapoは、それまで出会うことがなかった作家、学生、地元住民が共に活動を行う場として、ひとつのコミュニティを形成した。そこで新たなネットワークが生まれたことは、既にソーシャル・キャピタルを形成したといえるかもしれない。しかしながら、まちの社会再生を助け、難問の解決に貢献するほどの、ソーシャル・キャピタルの形成には至っているとは現時点では言い難い。これからKapoが独立した運営体制を確立し、継続した活動を行っていくことで、そうした地域のためとなるソーシャル・キャピタルの形成ができると考えられる。

では、Kapoが活動を継続していくことによって、成果としてどんなことが見込めるだろうか。第2節では、Kapoに期待されるソーシャル・キャピタル形成の可能性について論じていく。

 

第2節 Kapoに望まれる成果

Kapoの活動はまだ始まったばかりであり、この2ヶ月はまだスタートのための準備期間にすぎない。作家の支援と地域の文化活動のサポートを目指す試みは、まだまだこれからである。21世紀美術館キュレーターの鷲田めるろは、最低でも2年は続けないと成果は現れないのではないかと語った。

 活動を継続していくことが、前提であり、課題である。Kapoに関わる多くの人が、この場所の存続を望んだとしても、スタッフはみなそれぞれに本業を持ちながらKapoに携わっており、たくさんの労力を割くことも、たくさんのお金をかけることもできない。この2ヶ月においては、活動のスタートであり、また美術館の展覧会のひとつということもあって、スタッフは多少無理をしてでも、Kapoのためにがんばってきたというところがある。しかしこれから1年、2年と続けていくことを考えると、一人一人の負担をできるだけ小さいものにしなければ、続けることは難しいと考えられる。

大きな組織でなくても、まずは継続していくことが重要であり、継続できれば、成果を出すことができるかもしれない。では、その期待される成果とは具体的には何か。鷲田のインタヴューでの発言から検討する。

 

第1項 作家の自立のサポートに関して

現在日本において、採算性の低い芸術活動のみによって生計を立てることは、多くの場合困難である。とくに地方においては、作品の制作・発表の場が乏しく、作品を社会に出していくプロデューサーも不足していると考えられる。林(2004)によると、「実際アーティストとして活躍していくためには、卒業後10年は制作発表を継続することで、理解者を増やしていかねばならない。アーティストとして生活を始めてから自立するには最低10年はかかるといわれている」と述べられている(林 2004:26)。

若手作家の自立サポートを目指すKapoは、無審査方式のアンデパンダン展やZ space Art projectなどを開催し、若手作家への展示機会の提供などを行ってきた。今後も、継続した若手作家の支援活動が求められるが、Kapoという美術館でも、美大でも、ギャラリーでもない、非営利のアートセンターが行う支援によって望まれる成果とはどのようなものだろうか。キュレーターの鷲田は自身の考えとしてこう語った。

Kapoというものがあるのとないのとの違いで・・・例えば卒業した後も、もうちょっと金沢に残って制作をしようかっていうふうに思うかどうかっていうのは違ってくると思うんですね。そうなってきたときに、Kapoがあるから金沢にいようというような、なんか、例えば空気ができれば、まぁはっきり成果があったと。アーティストが、自立していくとか、金沢で活動していくということに、やっぱり影響を与えたといえると思うんですよね。

Kapoがあるということで、そこで具体的に見てもらえるとか、すごく刺激が得られるっていう、そんなにダイレクトには直結したものではないけれども、そこでそうやっていろいろ活動して、いろいろ試してみて、作品を見てもらったり、いろんな人の声を聞いたりするなかで、金沢で、自分は自分でやっていけばいいんだ、というような、なんかこう自信みたいなものにつながれば、いろんな世の中の情報に惑わされずに、自分はもうここで自分の作品をつくっていこうというふうに思えれば、それはアーティストの自立だと思うんです。

鷲田の語りから受ける、Kapoが作家の自立に与える影響とは、Kapoの存在が作家の精神的支えとなることで、作家が金沢で活動していく契機となりえる、ということではないだろうか。鷲田は、金沢で活動する作家は、自分の作品を見てもらえる機会が少ないのではないか、得られる刺激が少ないのではないだろうかという不安を抱えているという。それは、都会と比べて、ギャラリーの数が少ないのに加えて、作家同士が交流する場も少ないということと関係している。作家の抱える不安は、ひとりで閉じこもって制作に没頭するのではなく、作家同士がネットワークを形成し、情報交換をしていくことで解消されると考えられる。Kapoが単に作品を展示するだけの場ではなく、交流の場として機能していければ、金沢での作家の自立をサポートすることができるといえるだろう。

 

第2項 地域の文化活動のサポートに関して

 作家の自立ともう一つ掲げられた運営理念は、地域の文化活動のサポートであった。もちろんこれに関しても、長期的な継続がなければ成果を見出すことはできない事柄であるが、今後Kapoを継続していくなかでまちにどんな影響を与えていけるか、ということについて考えたい。インタヴューで語られた鷲田氏の見解は以下の通りである。

アーティストがそこに住んだからといって、商店街がすぐに活性化するというかたちにはならないとは思うんですけれども、そのまち全体の文化度が上がることによって、郊外の大きなスーパーみたいな感じではないようなまちがつくられていって、でそういうまちの魅力にひかれてまたくる人たちが集まってくるような環境がもっとできていけば、成功なのかなぁと。

ただその会社勤めをして生活してる人だけというのじゃなくて、アーティストもたくさん住んでいて、自分の作品をつくったりしているという状況が、まちに生まれているということ自体が、地域の文化活動につながっていると思うし、なおかつそれがその人たちが、個々にバラバラでやっているんじゃなくて、お互いネットワークもできていて、っていう状況は、アーティストの側からも文化活動になっていると思う。そういうアーティストがいるっていうことを、許容するような。まちの人たちが、要するに、なんかわけわからん人たちがわけわからんことしてるから、困ったもんだみたいな(笑)そういうことは別に感じててもいいんだけど、感じつつも、しょうがないなぁというふうに、まちがそういう状態を許容できるような。・・・平日からプラプラして、なんか何してるかよくわかんない人がいるっていう状態が、別に普通であると。そういうようなことが、許容されてるまちになってれば、その地域の文化度っていうのは高いと思うんですね。

鷲田は、作家がそのまちで暮らすこと自体が、その地域の文化活動になると考えている。具体的なまちの活性化方法として、住民を巻き込んだワークショップなどもあるが、Kapoの姿勢としてはそうではない。作家の住みやすいまちにすること、作家を許容するまちにすることが、長期的にはまちの活性化につながると考えている。

空洞化の進む中心地に近い商店街の活性化を目指すにあたっては、人々の興味を引く大きな仕掛けをつくる体力はないし、そうした取り組みよりも、美大や美術館が近い立地条件を生かした独自のカラーをつくっていくことが、まちづくりとして成果を上げる可能性を秘めているといえる。

 

第3節 地域の立場からみたKapo

 ここまでは、Kapoが今度活動を継続していくことで、ソーシャル・キャピタルの形成する可能性があるということ、そしてKapoの方向性として作家の住みやすい環境づくりを目指すことについて述べてきた。ここでは、商店街が抱える難問を明らかにし、そこでKapoが形成できると考えられるソーシャル・キャピタルが、どのようにして難問解決の一助となれるかということについて考察する。

 

1項 余裕がない状況

 

Z space Art projectを代表とする、Kapoから商店街への働きかけは、まちの人々の意識改革に貢献できた。しかし、堀田氏のインタヴューからは、商店街の体力的限界という重い現実も垣間見える。

洋菓子店を営む堀田は、商店街の人々の状況を一言で「余裕がない」と表した。商店街に元気があった頃に、もしこういうKapoみたいな活動が起きれば、「商店のおやじが、君らなんかいいことやっとんな、がんばってやれやっつって、差し入れしてくれたりとか、自分のお店に来たお客さんに教えてくれたりとか、そういうことをせっせとしてくれる人たちだったはず」と堀田は話した。

商店主が核となって地域コミュニティが形成され、学生とまちの人々のつなぎ役として商店主たちがいた。しかし今は、直接利益が上がらないことには手を出せる余裕もなく、地域コミュニティは崩壊の危機に面し、人々の意気込みや積極性もなくなってしまった。これは、アートのまちづくり事業に関わらず、まちの公民館や子ども会の行事などでも、コミュニティの中心的な存在であった商店主や働き盛りの30代から50代の人たちの姿が、だんだんと見られなくなっていったという。

 

第2項 KapoKapoのためにあればいい

 兼六大通りは、金沢美大から近く、以前は金沢大学からも近い商店街とあって、学生と親しい商店街であった。「飲み屋さんとかそういう小さなお店で、学生も近所のおじちゃんおばちゃんも入り混じり、飲んだり騒いだりって光景はずっとあったと思うんです」と堀田は言う。

 しかし、学生たちが、新築のお風呂付のアパートなどに好んで入居するようになってから、まちの下宿屋さんや、古い家を活用したアパートなどは利用されなくなった。そうした学生側の事情から、商店街と学生が離れていったという面もある。

商店街には、昔の状況を覚えている高齢者も多く、学生さんはどんどん来て欲しいという、学生を受け入れる体勢は残っている。ただ、今は人々に、学生を呼び込んだり、学生の活動を援助したりする余裕がない。だから、Kapoの活動に関しても、何かやっているらしい、という程度の情報しか知らない人もまちには多い。みな自分の生活でいっぱいいっぱいの状態なのである。

そんな余裕のない商店街の状況を踏まえた上で、堀田氏は、KapoKapoのためにあればいいのではないかと語った。Kapoが独立し、継続した活動を行えるようになることが、最も重要であり、そのためには他人を助ける前に、まずは自分たちのことを優先して考えていかなければならないだろうと。そしてKapoが活動を継続することで、何らかの利益を生み、それに魅力を感じて集まってくる人が増えてくれば、まちにとってKapoは必要な存在になっていくだろうし、Kapoにとってもこのまちが必要なものになってくるだろうと堀田氏は語った。

 

第3項 Kapoの生きる道

 Kapoは地元の若手作家を支える場として、展示機会を提供したり、美大生や作家たちに交流の機会を与えたりするなどの役割が期待される。そこでは、卒業後ばらばらに制作活動していた作家たちをつなげる、新たなネットワークが形成され、信頼関係が構築される。そのネットワークは、作家を中心としているが、アートとの関わりが薄かった市民も参加する、地域に開かれたものである。

 Kapoのなかで形成された、まだ生まれたてのソーシャル・キャピタルが、今後地域の活性化を助けるものとなるためには、Kapoの継続が第一条件である。Kapoの形成するソーシャル・キャピタルが、地域コミュニティの再構築を促すものとなる可能性は、大いに期待できるが、まずは継続のために、作家たちのための場としてどうあるべきかという問題をクリアする必要がありそうだ。そしてそれが成功したときには、まちの社会再生としての価値が、Kapoの活動に生まれてくるといえるだろう。