第2章 Kapoの誕生

第1節 金沢アートプラットホーム2008

200810月4日から127日の約2ヶ月に渡って、金沢21世紀美術館主催の展覧会「金沢アートプラットホーム2008」が行われた。これは金沢のまちを舞台にしたプロジェクト型の展覧会で、商店街や神社、空き家や空きビルなどを会場に、国内外19組のアーティストが展示を行った。

金沢21世紀美術館館長であり、本展覧会のディレクターを務める秋元雄史は、入場チケットとなるパスポートの中でこう述べている。

近年、多くのアーティストが、社会と直接的に関わる活動を展開している。どのような活動を通して社会に影響を与えることができるのか、どうすれば見えない未来に向かって新しい提案ができるのか、このような問いを抱えながら、アーティストは生きた社会を実践の場と捉え、アートの可能性を探っている。このような姿勢を持ったアーティストにはいくつかの特徴がある。表現者として先立つよりも、場や基盤をつくるコーディネーターのような立場に身を置き、仕組みや状況の建設へ向かうこと。また、協働的であり、関わり合う人たちとの了解、合意、ときに反発などを含めた相互関係を重視すること。展覧会の形式や、美術、建築、デザインといったジャンルに捕われず、横断的に表現の可能性を捉えていること。そして、非日常であることよりも日常や場所との親和性、継続性に重点を置いていること―そこでは、協働性と現場主義が優先され、さまざまな人たちと関わりあうことが求められる。(『金沢アートプラットホーム2008 パスポート』はじめに より)

「金沢アートプラットホーム2008」は、このようなアーティストと継続的にプロジェクトを行うことによって、金沢のまちに暮らす人々とアーティストが協同する場を生み出すことを、そしてアートを介して人々が出会い、対話を生み出し、都市がいきいきとした活動の場となることを目指している。3年ごとの開催を予定しており、その1回目となる今回は「自分たちの生きる場所を自分たちでつくるために」というテーマが掲げられた。そこには、アーティストと一緒に社会と関わり、活動していく「プラットホーム」を共に作り上げていこうという思いが込められている。

<参加アーティストとその活動>

1.八谷和彦「オープンスカイ」

2.小沢 剛「金沢七不思議」

3.松村泰三「光の箱」

4.フランク・ブラジガンド「自然の要求とこころに必要なもの」

5・高橋治希「ウシミツ」

6.友政麻理子「カミフブキオンセン」「お父さんと食事」

7.八幡亜樹「ミチコ教会」

8.カミン・ラーチャイプラサート「31世紀こころの美術館」

9.丸山純子「空中花街道」

10.牛嶋 均「ころがるさきの玉 ころがる玉のさき」

11KOSUGE1-16AC-21」「どんどこ!巨大紙相撲〜金沢場所〜」

12.トーチカ「PIKA PIKA PROJECT in KANAZAWA 2008

13.藤枝 守「エオリアン・ハープ・リザウンディング〜樹木をつなぐ声」

14.中村政人「Z project

15.アトリエ・ワン「いきいきまちやプロジェクト」

16.塩田千春「His Chair

17.青木千絵「BODY08-1」「BODY08-2

18.高橋匡太「夢のたね2008―金沢」

19.宮田人司「みんなの思い出」

 

第2節 Z project

金沢の中心市街地のあちこちで、市民と積極的に関わろうとするさまざまなアートプロジェクトが展開された「金沢アートプラットホーム2008」。そのなかでも、「自分たちの生きる場所を自分たちでつくるために」という今回のテーマに正面からぶつかり、実現に向けた取り組みをみせたのが、中村政人による「Z project」であった。

Z project」は、アーティストの自立や地域の文化活動をサポートしていくことを目的として、金沢の兼六大通りに面した空きビルをアートセンターにするプロジェクトである。「Z project」の「Z」は「絶望」の「Z」であり、「Z軸」の「Z」でもある。二者択一の価値に対して、Zという第三の価値を見つけ出すことにより、絶望的な状況から何かを始める勇気・創造を生み出すプロセスを発芽させようという思いが込められている。

金沢21世紀美術館キュレーターの鷲田めるろによれば、「金沢アートプラットホーム2008」の参加アーティスト19人は、金沢21世紀美術館の4人のキュレーター(秋元雄史、鷲田めるろ、黒澤浩美、高橋律子)がそれぞれにアーティストの候補を挙げて、そこからディスカッションをして選出された。中村政人は、秋元が早くから候補として名前を挙げており、比較的早い段階で参加が決まった。もともと、秋元が携わっていた瀬戸内海の直島でのアートプロジェクトに中村政人が参加するなど、以前から二人の間には交流関係があった。

中村政人は、アートを社会活動と位置づけ、早くからアートによるコミュニティづくりを実践しているアートプロデューサー的な存在である(中村政人の詳しい活動歴に関しては、本稿第1章第4節を参照)。「Z project」は中村政人の一連の社会参加型アートプロジェクトの一つである。「Z project」は秋田、沖縄、氷見など、全国に拠点があり、それぞれ独立して活動が進められている。

■秋田県大館市「ゼロダテ」

 中村政人の出身地である大館市で行われているZ project。中村の呼びかけで大館市出身のアーティストが結成し、空洞化が進んでいた大館市の再生のため活動を開始した。まず2007年1月に東京で「ゼロダテ/東京展」を開催し、その後2007年8月に「ゼロダテ/大館展2007」を大館市の大町商店街を中心に開催した。20ヶ所以上の空き店舗を利用した展示や、120人の地元作品出品者と展覧会などを実現した。20088月には「ゼロダテ/大館展2008」として、アーティストが旧小学校に滞在し、大町商店街で制作・展示を行った。

■富山県氷見市「himming(ヒミング)」

 2003年の蔵再生プロジェクト、20045年のビデオアートプロジェクト「氷見クリック」、 20067年のサスティナブルアートプロジェクト「ヒミング」と活動を展開。2008年には「アートNPOヒミング」として法人化し、築100年の石蔵をアートセンターとしてオープン。展覧会やアーティストのレジデンスプログラム、カフェなどが行われている。

■沖縄県沖縄市「ano week in KOZA(アノコザ)」

 2008年3月15日〜22日の一週間、コザ商店街を中心に開かれたアートプロジェクト。NPO法人前島アートセンターが主催し、2006年に創られた沖縄におけるアーティスト主体のネットワーク「ano(アートネットワークおきなわ)」により企画された。期間中は、野外上映会や路上ライブなど、コザのまち・人々を巻き込む多数の活動が行われた。

 

第3節 金沢でのZ project

第1項 活動場所

 兼六大通りにある空きビルをアートセンターにするという活動が行われた金沢でのZ projectであるが、鷲田によると、まず兼六大通りという活動エリアの選定は、21世紀美術館のほうで行われた。兼六大通りをアートプラットホームの会場のひとつにしたいということが最初に美術館で考えられ、そこで活動してもらうアーティストとして中村政人にお願いしようということになったのだ。その後、美術館のキュレーターが中村と兼六大通りを何度も歩き、そのなかで中村が山越ビルという古い空きビルに目をつけた。美術館からビルの所有者と交渉をし、山越ビルを借りて会場として使うことが決まった。

山越ビルとは、印刷会社の株式会社山越の旧本社ビルのことで、1994年まで印刷工場として使用されていた。山越ビルのある兼六大通りは、兼六園下交差点から賢坂辻交差点へと続く通りで、金沢21世紀美術館から歩いて約15分のところの、金沢の中心地からも近い場所にある。2006年に金沢外環状道路(通称山側環状)の全線開通に伴い、山側環状から市中心部への通行道路として兼六大通りの車の交通量は増加した。しかし、中心地にあった石川県庁、金沢大学の移転などから始まる郊外化のなかで、兼六大通りは郊外と中心地の間の単なる通過地点となってしまった。

兼六大通りで洋菓子店を営む堀田茂吉によると、5年ほど前から閉店・廃業する店が増えてきたという。とくに山側環状の開通後、通りの状況はさらに悪い方向へと進み、5年前と比べるとお店の数は3、4割減っているのではないか、と語られた。

 

第2項 人集め

金沢でのZ projectは美術館のキュレーターである鷲田が中心となって、始動に向けた準備が進められた。鷲田は活動する上でのリーダーとして、作家の村住に声をかけた。村住知也は、金沢美術工芸大学の卒業生で、現在でも金沢を中心として国外でも広く活動している。金沢の大野町でのアートプロジェクト(醤油のまちとして知られる大野町で、寂れゆくまちの再生のために、市からの援助の下、醤油蔵をギャラリーやアトリエに改修し、数々のアートイベントを開催したプロジェクト)に参加した経験を持っていた。

また村住は、会場の兼六大通り近くに住んでいるということもあって、鷲田が呼びかけ、2008年3月頃に村住がプロジェクトのリーダーとして加わることが決まった。鷲田や村住を通して協力者が募られるなかで、最初の活動として、5月に山越ビルの清掃をするキックオフをやろうということになった。

 

第3項 キックオフアクション

2008年5月17日(土)に、会場の山越ビルで、金沢でのZ projectのキックオフアクションが行われた。内容は2部構成で、パート1は「清掃&ミーティング」(13:0019:00)、パート2は「キックオフパーティ」(19:0021:00)というものだった。地元の新聞や、21世紀美術館のホームページ、口コミなどを通じて広く参加を呼びかけ、当日は50人ほどが集まった。そのうち、7割ほどは大学生で、そのほとんどが金沢美大の学生であった。そのほかは、兼六大通り商店街の方や、21世紀美術館で活動しているボランティアの方などだった。

 当日は中村政人も参加し、鷲田や村住を中心として活動は進められた。清掃は、会場として利用が決まっていた4階建てのビルの1階と2階部分で、参加者は二手に分かれてそれぞれの階の清掃をした。主に床と窓ガラスを磨く作業で、13:00から16:30近くまで行われた。17:00からは、清掃した1階スペースにプロジェクターや椅子代わりの板などを置き、ミーティングが行われた。中村から、このプロジェクトの主旨について解説され、過去の実践例である大館市のZ projectを取り上げたテレビの特集番組を、中村の説明を聞きながら全員で見た。

今日の清掃のように、大館市民が空きビルの清掃をしているシーンが映ると中村は「アートといえば、魔法のようにそうじもアートの一部みたいに思えてくる。でも掃除は掃除なんだけどね」といって周囲の笑いを集めた。

ミーティングでは、参加者との意見交換の時間も設けられ、これからここでのZ projectを成功させていくにはどうしたらいいか、ということについて話し合われた。そのなかでは、兼六大通りで洋菓子店を営む堀田の「今の通りはまさに“Z”な状態で、商店街の動きはかなり鈍くなっている。商店をたくさん集めればいいという時代でもないのかもしれない。違う意味での活性化が求められていると思う」という語りや、ビル所有者である山越氏の「ここがZだったからこそ土地を提供した、Zじゃなかったらしなかったかもしれない。これから具体的にどうなるかはわからないけど、何かまちに還元していけたらいいと思う」という語りが、とくに商店街の危機的状況を強く印象付けた。

 ミーティングのあと、参加者にアンケート用紙が配られた。そこでは今日の感想を求めるとともに、今後この活動にコアスタッフとして、もしくはサポートスタッフとして協力できるかどうかということも尋ねられた。

 

第4項 全体ミーティング

キックオフ後、コアスタッフ約20人、サポートスタッフ約50人が集まった。それに伴いコアスタッフが、毎週月曜日に「全体ミーティング」を行って、10月のアートプラットホーム開催に向けた準備をすすめることとなった。

多忙の中村が常時金沢に滞在することはできないため、中村からの、活動の内容や運営に関する指示は、スタッフリーダーとのIP電話を使用したスカイプミーティングやメールによって伝達された。美術館からおりる活動費が中村に支払われており、現地で活動費を使おうとなった場合に、中村の判断が必要であったということもあり、中村とリーダーとのスカイプミーティングは度々行われた。しかしながら、Z projectの活動主旨は「独立した運営団体をつくること」であり、活動に向けた取り決めの多くは、コアスタッフの判断に委ねられていた。

 中村からアドバイスを受けながら進められていった全体ミーティングであるが、そこではまず、金沢でのZ projectの活動として、大きく7つの企画がまとめられた。それぞれの企画の詳細については第3章で説明する。

@アンデパンダン展

Aレンタルアートシステム

B賢坂辻商店街共同企画(Z space Art project

C山越ビル1階ショップ

D山越ビル1階カフェ

E山越ビル2階企画展示

FM1プロジェクト

コアスタッフは各役割・企画ごとの班で分かれて、それぞれ準備を進めた。そして毎週月曜日の全体ミーティングで各班の担当者がそれぞれの進行状況について報告しあうというかたちをとった。

<組織図>

リーダー

広報

会計

web

|

アンデパンダン展

レンタル

Z space

ショップ

カフェ

企画展示

M

 

第5項 Z projectからKapo

活動内容が徐々に決まっていくなかで、独立団体として活動していくにはどうすればよいかということについても議論が交わされていった。この山越ビルを拠点とした活動は、アートプラットホーム開催期間のみの活動ではなく、アートプラットホーム終了後も継続して活動していくことが望まれている。全国のZ projectもみなそうであり、それぞれに「ゼロダテ」や「ヒミング」といった独立団体となり、中村の手を離れ活動を続けている。

 金沢でのZ projectの場合、アートプラットホームの中では中村政人の「Z project」として活動が行われる。そして、アートプラットホーム終了後、独立団体へと変化し、自分たちでの運営がスタートするという流れが想定された。

独立団体への変化は、アートプラットホーム終了後のことであり、すぐに独立団体についての具体的な議論が必要であるとは、当初は考えられなかった。しかし、アートプラットホーム会期中の活動、Z project名義での活動に向けた準備の段階でも、会期後の団体を意識せざるを得ない事柄が生じてきた。例えば、口座の開設や、webで使用するドメイン名の取得などであり、早急に固有の団体名を決定しなければならなくなった。そうして、話し合いの結果「金沢アートポート(Kapo/カポ)」という団体名に決まった。8月中旬のことである。

 自分たちの名称がKapoと決まってからは、アートプラットホーム会期後にKapoに生まれ変わるというよりも、会期中もKapoの名前を出していき、周知期間としてKapoの浸透に努めるという方向性に変わった。よって会期中はZ projectからKapoへの移行期間で、Z projectでもありKapoでもあるという2枚看板を背負ったかたちで活動することとなった。

 

第6項 運営資金

金沢でのZ projectを行うための運営資金は、2つの流れに分けられる。1つは、美術館からおりる活動費で、家賃と、旅費、改修費の支払いに充てられる資金である。家賃は、山越ビルの賃貸料で、1階と2階それぞれ2万円、合わせて月4万円が美術館から山越に支払われる。旅費は、中村が来るべきときに必要となった金額が支払われる。改修費は、シンクや壁の材料を買ったり、配管の工事をしたりなど、山越ビルの改修にかかった費用である。これらの費用は、美術館がアートプラットホーム開催のために出す予算であり、会期中のみ提供される資金である。

 そしてもう1つの流れは、Kapoが自立的に回しているお金である。それは、例えばアンデパンダン展の費用があてはまる。アンデパンダン展は、参加費として1点3000円を徴収し、その収入でアンデパンダン展にかかった費用を払う仕組みをとっている。カフェについても、1杯300円でコーヒーを出し、材料の仕入れはそこの売り上げからすべて出されている。オープニングパーティなどのイベントに関しても、1000円のチケットを売ることで、そのときにかかった費用をまかなえるようにしている。

アートプラットホーム終了後は、美術館からの予算が途絶えるため、いかにKapoだけで資金を調達していくかが問題となる。会期中はその仕組みづくりを模索する取り組みとして、アンデパンダン展やカフェの運営は重要であったといえる。

 

図1 山越ビル入り口風景