第2章 グリーン・ツーリズム概要

宮崎(2002)によると、グリーン・ツーリズムという用語は、日本では1992年農林水産省の「新しい食料・農業・農村政策の方向」で初めて政府の公式文書に用いられた。同年にはグリーン・ツーリズム研究会から「グリーン・ツーリズムの提唱―農山漁村で楽しむゆとりある休暇を―」と題した中間報告が発表され、日本のグリーン・ツーリズムの方向が示されることとなった。

DATUMS Advocacy1994)によると、グリーン・ツーリズムの提唱(1992)は農村空間を「ゆとりとやすらぎのある人間性豊かな生活を享受し得る国民共通の財産」であり、「居住空間」「余暇空間」としてとらえ、都市にも開かれた美しい村づくりにより、「都市と農村の新たな共生関係を実現」しつつ、「都市の活性化を図る」ことが必要であるとしている。そして、その役割を担うのがグリーン・ツーリズムであると提言している。グリーン・ツーリズムの特徴は「大規模な開発に頼らず、農村の自然、文化、人々の交流等地域資源を最大限に活用する」ことであり、本物の農業・農村を気軽に楽しむこととされている。

井上(2002)によると、このようにグリーン・ツーリズムが取り上げられた背景には、西欧諸国で広く定着している農村での余暇活動が、農村地域の活性化につながっていることがあるとされている。グリーン・ツーリズムは、過疎化、高齢化によって低下した農村地域の活性化の手法の一つとして注目されたのである。また、DATUMS Advocacy1994)によると、週休二日制の定着、リフレッシュ休暇の導入など、連続休暇の増加という社会的条件の変化、「物の豊かさ」より「心の豊かさ」を重視する国民の価値観の変化、国民の旅行感が受動的なものから、より能動的で自己実現にむけた旅を希求する方向にあることも、グリーン・ツーリズム推進の背景とされている。

文献から、グリーン・ツーリズムが余暇活動の新たな形態の一つであるだけでなく、農村地域の活性化政策の一つとして重視されていることがわかる。また、グリーン・ツーリズムの登場には、日本の社会的条件や国民の価値観の変化、あるいはその兆しが影響しているといえる。

 

第1節 グリーン・ツーリズムの歴史

青木(2004)によると、グリーン・ツーリズムが注目を浴びるようになった背景には、マス・ツーリズムの矛盾の顕在化がある。1970年代以降、航空機産業をはじめとする交通機関の発達や宿泊業の成長、発展途上国を含めた大規模な観光開発の展開に伴い、国際的な観光産業は急成長を遂げた。その主軸となったのが、大規模開発、大量輸送、大量消費を目的とするマス・ツーリズムである。マス・ツーリズムは旅行の低価格化と大衆化を可能にし、特に目立った産業のない国々においては、観光事業による経済効果は経済発展の有望な手段として注目された。

現在も観光・ツーリズムの大半を占めているマス・ツーリズムだが、一方で観光地の自然環境の破壊や文化の侵害など、その負の側面について指摘されることも多い。観光開発時点における自然環境破壊、観光事業展開過程における景観破壊や、観光客による騒音、ごみの増加・不法投棄といった諸問題は、1980年代にはすでに顕在化していた。そして、これらの問題に対し、マス・ツーリズムの問題性を超えることを目的として登場したのがオルタナティブ・ツーリズムである。オルタナティブは「代替の」「もう一つの」と訳され、オルタナティブ・ツーリズムの具体例としては、主に動植物の生態を直接接触せずに観察するエコ・ツーリズム、農村で休暇を過ごすアグリ・ツーリズム,地域における歴史や文化を訪ねるルーラル・ツーリズム、本論文でとりあげるグリーン・ツーリズムがあげられる。

しかし、オルタナティブ・ツーリズムはマス・ツーリズムに対峙する概念という前提があるため、抽象的になりやすく、概念にも幅が出やすいという欠点がある。グリーン・ツーリズムもその例に漏れず、確たる定義はないまま現在に至っている。

 

第2節 グリーン・ツーリズムの分類

青木(2004)によれば、グリーン・ツーリズムの要素は3つに分類される。ひとつは自然環境資源を活用するという自然的要素、2つ目は農山漁村の文化的資源を活用するという文化的要素、3つ目は農林業のような産業資源を活用するという産業的要素である。三つの要素をすべて含むのが狭義のグリーン・ツーリズム、どれか一つでももっていれば広義のグリーン・ツーリズムと仮に定義する。三つの要素のうち一つしかもたなければ一過性の観光体験となり、三つの要素をすべて持つことで持続可能で継続的な交流活動が可能になると考える。また、自然的要素は自然を中心とした現象を主な対象とし、自然保護、環境問題への志向性を持ったエコ・ツーリズムに、文化的要素は農村で休暇を過ごすアグリ・ツーリズムに、産業的要素は地域における歴史や文化を訪ねるルーラル・ツーリズムに、それぞれ対応させることができる。

グリーン・ツーリズムの概念はそのままでは抽象的であるため、本論文におけるグリーン・ツーリズムの位置づけと事例の分類には、この定義を活用することとする。

 

第3節 ヨーロッパのグリーン・ツーリズム

井上(2002)は、グリーン・ツーリズムを、ヨーロッパで起こった比較的新しいツーリズムの形態であるとしている。もともとイギリス、フランス、ドイツといった西欧諸国の一般労働者には、一週間、二週間と週単位でまとまった休暇をとることが可能な社会制度と慣習があった。また、西ヨーロッパの農村地域では自然保護がいきとどき、地域の伝統文化が保存されていることもあり、日ごろ自然とのふれあいの少ない都市住民の多くが農村へ行って休暇を過ごすという生活スタイルが一般化していた。この都市住民の農村での余暇活動が農村の地域活性化につながっていることが注目され、WTO体制への移行に伴う農政転換の中で行政支援の対象として取り上げられるようになったのが、グリーン・ツーリズムの始まりとされている。

ヨーロッパ連合(EU)は、農村地域の活性化を目的とする農村政策の一環としてグリーン・ツーリズムの振興に取り組んでいる。EU農村ツーリズム委員会は「グリーン・ツーリズムとは、農村空間あるいは田園空間そのもの、そこに住む人々、遺産、文化、生活様式などを体験してもらうもの」と定義している。

 

第4節 日本のグリーン・ツーリズム

農林水産省ではグリーン・ツーリズムを農山漁村地域において自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型の余暇活動として位置づけている。この「滞在型」は「周遊型」に対する概念で、必ずしも宿泊を含むわけではない。この根拠法となっているのは、「農山漁村余暇法」、または「農山漁村滞在型余暇活動のための基盤整備の促進に関する法律(農村休暇法)」であり、同法の第2条において「農村滞在型余暇活動」の定義を「主として都市の住民が余暇を利用して農村に滞在しつつ行う農作業の体験その他農業に対する理解を深めるための活動」としている。

宮崎(2002)は、日本でグリーン・ツーリズムが農村政策の一つとして注目された理由として、西欧諸国で広く定着している農村での余暇活動が、農村の地域活性化につながっていることをあげている。そのため、政府のグリーン・ツーリズム推進には当初から、農業・農村の活性化、自然・景観・文化などの農業・農村の多面的機能の保全、都市住民のゆとりある余暇活動という目標が掲げられたとしている。具体的には、グリーン・ツーリズムの推進による地域の活性化、地域の個性的な農林業生産活動あるいは地域の多様な資源を活用した新しい事業起こし、農村経済の多角化である。さらに、農村経済の多角化によって地域の就業機会を創造・拡大し、所得向上を図り、定住条件を広げることで地域を活性化することも期待されているとした。また、日本のグリーン・ツーリズムとヨーロッパのグリーン・ツーリズムを比較して、以下の点が指摘された。

 

(1)     滞在型の宿泊旅行のみを対象とするヨーロッパに対して、日帰り旅行も対象とする日本のグリーン・ツーリズム

(2)     農場民宿の家族(個人)経営を主体とするヨーロッパに対して、地域の経営体を中心に運営される日本のグリーン・ツーリズム施設

(3)     リピーターや地元農林水産物利用など、顔の見える相互取引を重視する日本のグリーン・ツーリズム

 

このように日本のグリーン・ツーリズムは、日本の社会的条件に適応していく過程で、ヨーロッパのグリーン・ツーリズムとの差異が生まれている。そのため、あえて「日本型グリーン・ツーリズム」という用語が用いられる場合がある。

 

第5節 日本におけるグリーン・ツーリズム政策の展開

日本におけるグリーン・ツーリズムは、農林水産省の主導で推進されてきた。主な政策は以下のとおりである。

 

1993 「農山漁村でゆとりある休暇を」推進事業(グリーン・ツーリズムのモデル整備構想の策定と推進手法の調査研究)。

1994年 農山漁村滞在型余暇活動のための基礎整備の促進に関する法律(農村休暇法)の制定。

1995年 ()農林漁業体験協会による農林漁業体験民宿の登録制度の開始。

1998年 農政改革大綱と農政改革プログラムでは、「グリーン・ツーリズムの国民運動としての定着に向けたソフト・ハード両面からの条件整備」を明記。

1999年 食料・農業・農村基本法では、「都市と農村との間の交流の促進」(36条)を明記。

2000年 食料・農業・農村基本計画では、「農村における滞在型の余暇活動(グリーン・ツーリズム)の推進」を明記。(宮崎,2002

 

2005年 6月に「農山漁村余暇法」が改正され、同年12月から施行される。(農水省,2009

 

上の年表から、グリーン・ツーリズム推進の根拠法となる「農山漁村滞在型余暇活動のための基礎整備の促進に関する法律(農村休暇法)」が、制定から10年あまりたって改正されていることがわかる。

ヨーロッパから取り入れたグリーン・ツーリズムを日本で展開するためには、法的制約という社会的条件の違いが障害となる。そのため、グリーン・ツーリズムに関連した分野での規制緩和が必要となる。農林水産省(2009)によると、規制緩和の取組として、法律上の要件の撤廃や特区制度の活用があげられる。事例としては、農林漁家が民宿を行う場合の旅館業法上の面積要件の撤廃や、農家民宿の法律上の扱いの明確化、農林漁業体験民宿業者の登録の対象範囲の拡大がある。これは、グリーン・ツーリズムの推進にとって重要な役割を担っている農林漁業体験民宿の経営を安定させ、開業しやすい環境を整備するためのものである。このような国レベルの規制緩和の取組みのほか、都道府県レベルの規制緩和の取組みも進んでいる。都道府県段階における規制緩和の事例としては、農家民宿に関する食品衛生法上の取扱いに関する条例改正等の要請があげられる。

一連の規制緩和の動きによって、日本のグリーン・ツーリズムを行う環境は整いつつある。2007年の法改正は、グリーン・ツーリズムが日本の社会に適応していく過程で必然だったといえるだろう。