第二章 先行研究レビュー

 

 

第一節 外国籍児童への公的支援制度について

ここでは、池上(2001)を基に静岡県の事例をあげる。

<外国人児童生徒相談員>・・・1992年度から外国人児童生徒相談員制度が開始された。相談員は、ブラジル人相談員と日本人相談員がいる。日本人相談員は、ブラジル滞在歴がありブラジルの学校教育事情を理解している人たちが選ばれている。主な業務内容としては、小中学校を訪問して生徒と母語で面談をしたり、教員の相談に乗ったりする。事務所にいるときは、電話相談や文書の翻訳などを行っている。

<加配教員>・・・199851日現在において静岡県内の公立小中学校には90人の教員が「外国人等日本語指導対応に係わる加配教員」として加配されている。しかし、加配されるのは特別な経験や外国人児童生徒指導のノウハウを有しない普通の教員であり、通常の人事異動の中で突然外国人児童生徒教育に従事することとなる。

<外国人児童生徒指導協力者>・・・1998年度から静岡県独自の制度として外国人児童生徒指導協力者制度が始まった。指導協力者の主な業務は、外国人生徒の指導に当たる教員の手助けや、学校側と外国人保護者との橋渡しである。相談員と異なる点は、外国人児童生徒相談員が市町村の教育委員会と調整を図って日程を決めるのに対し、外国人児童生徒指導協力者は、各教育事務所が立てた訪問日程にあわせて必要に応じて学校を訪問する点である。この制度により、これまでの相談員制度では対応できなかった言語への対応が可能となった。

外国人生徒たちは日本語指導だけでなく、教科指導も受けることとなるが、日本語能力の不足により授業の内容を理解しきれないことがある。特に日本語の理解が不可欠な国語・社会などを苦手とする子供は多い。そこで、教科指導として「Team Teaching(T.T.)指導」や「取り出し授業」が代表的に行われている。T.T指導では、原学級の授業で加配教員が外国人生徒の横で授業の補足説明を行う。日本人生徒と同じ内容の授業を理解するという点で、教科理解には効果的である。一方、取り出し学級では外国人生徒のみで授業が行われ、その場で教科指導などを行っている。ともに、主に日本語指導が基礎である。

以上のような静岡の例を踏まえて、富山県においてはどのような、政策が行われているのかを次章以降で明らかにしたい。

 

第二節 言語の問題

外国籍の子どもたちが、まず最初に直面するのは日本語習得の問題であろう。この問題に関して太田(2000)、渡辺(2003)は、「社会生活言語」と「学習思考言語」という二つの言語の関係によって説明をしている。この考えの基になっているのは、カナダの言語学者のカミンズの研究である。

カミンズによると言語(ないし言語能力)には2種類あり、ひとつは文脈依存度の高いもので、個人間の会話では、顔の表情やジェスチャーなど言語内容を理解するのに役立つ「非言語的要素」を多く含んでいる。子ども同士が遊ぶ際には単なる言葉のやり取りだけでなく、行動で示すなどして言語の意味が相互に伝えられる。このような言語の意味理解の助けとなる多くの「非言語的要素」を含む状況において用いられる言語をカミンズは、‘context-embedded language’と呼び、日本の文献の中では「社会生活言語」と呼ばれている。この種の言語能力における認知レベルは決して高くはなく、子どもが第二言語としてこのような言語(能力)を習得するには12年かかるものと考えられている。

 もう一方の言語をカミンズは‘context-reduced language’と呼び、日本では「学習思考言語」と称されている。「学習思考言語」は、言語それ自体のほかに言語の意味内容を理解する手がかりとなる非言語的要素がない(もしくは少ない)状況で用いられる。たとえば、イラストや写真が掲載されていない書物を読む場合、内容理解はテキストそれ自体を理解する以外に手がかりとなるものはない。このような場合は抽象的思考に必要な言語能力が求められることになる。諸文献ではこの「学習思考言語」が、学習理解に必要な言語能力であると言及している。また、「学習思考言語」は「社会生活言語」に比べてより複雑で高いレベルでの認知能力が必要となるため、習得期間も5年程度は要するといわれている。また、第二言語習得に関する研究によれば、目標言語による伝達内容が理解される時にのみ言語習得が起こるといわれている。つまり、ニューカマー児童・生徒が第二言語である日本語による教科の授業の理解できることが「学習思考言語」の習得にとって肝要である。

 社会生活言語と学習思考言語という二つの言語の関係は、日常会話では流暢に意思伝達ができるのに、学習となると言葉の意味が分らなくなってしまうという外国籍児童生徒を理解する上で重要な概念であろう。しかしながら、少数のエスノグラフィーを除いて具体的な言語の問題を示したものは少ない。

 

 第一節、第二節を踏まえて、本論文では、日本語教室への参与観察、指導経験者、家族への聞き取りを通して、より具体的な事例を取り上げながら、先行研究と対照し、日本語指導を受ける側の日本語獲得までの過程の何が難しくて、そのむずかしさを日本語を指導する側は、どのように克服しているのかに着目しながら考察を深めていきたい。