第六章     日本語教室のエスノグラフィ−

 

 今回の日本語教室への参与観察は、子どもたちがどのような学習困難に直面し、指導者がどのようにそれに対応しているのかを調べるために行ったものである。今回登場する子どもたちは、年齢、滞在歴、性格、学習進度ともにバラバラな子どもたちであり、それぞれに、日本語学習に対して難しさを感じる体験をしている。この章では、ある日本語教室の中でそれぞれの子どもたちが日本語のどのような点を難しいと感じ、指導者とどのようなやり取りを行い、指導者がどのような態度で子どもたちと接しているのかに注目してもらいたい。

 今回調査を行った日本語教室は、Hさんが開いている日本語教室で7月5日、7月23日、81日に行われた教室の様子を記したものである。教室の開催頻度は、調査時には、月曜水曜、木曜に行われていた。毎回決まって開かれているわけではなく、子供が来たときに指導を行うという形で教室は開かれていた。授業の開始時間も、あまり厳密ではないようで、弾力的に行っているようであった。一回の授業は、だいたい一時間半から二時間ぐらいであるが、子供に応じて長さは、まちまちである。一回の参加費は二時間までで500円。500円の内訳は、教材費、コピー代、季節ごとのイベント代の積み立てにまわされる。先生は、Hさんを含めて、34人で、すべてボランティアである。なお、この日本語教室は、主催者であるHさんの都合もあり、秋以降はほとんど行われていない。

 

<人見知りするB

75日、4時半を少し回ったところで、立体駐車場に車を止め到着。暑いためか、玄関の扉は開きっぱなし、いつものように入り口付近でHさんが仕事をしていた。まだ、生徒は来ていないようだったので、今日来る生徒の勉強しているプリント見せてもらったりしていた。

 そうこうして10分ぐらいが経っただろうか、Bがやってきた。この子が今日の生徒さんだ。3年生くらいだろうか。初めて見る僕がいたためだろうか、少し警戒しているようだった。Hさんが「今日から、来てくれることになった新しい先生だよ」と僕を紹介してくれた。Bはとても口数が少なかった。Hさんは、僕とBを隣の部屋に連れて行き、僕と勉強をしなさいというようなことを言った。しかし、Bが嫌がったため、入口のカウンターの後ろのほうで、3人で勉強することになった。僕がいることが気になって仕方なかったのか、Hさんと二人でやりたいと言ったので、僕は、少し離れて様子を見ることに、Hさんは、「恥かしがっとるだけやから、様子見ながら、混じってきて」と言ってくれたが、Bの立場になれば、急に知らない人がやってきて勉強を教えてもらいなさいと言われても難しいことだと思い。遠くから様子を見ることにした。Bの視界に入らないように壁の掲示物をみたり、本を眺めたりしていた。

僕がいなくなって気が楽になったのか、Bは饒舌に喋るようになった。Hさんが勉強をするように促すが、Bは一向に勉強をしようとせず、今日学校で図工の時間があって、肘に緑の絵具がついたこと、自分の家のことなどをHさんにひたすら話していた。Hさんは半分あきれたような様子で、彼女の話を聞いている。Bは、勉強を始めたかと思うと、ふざけ始めたり、せわしなくうごいたりと、僕がいることでBは相当警戒していたんだなと感じた。ただ、時々僕のほうを覗き込むこともあった。再三のHさんの促しがありBはやっと勉強をする気になったのかプリントをやり始めた。算数と国語のプリントがあり、Hさんは、算数のプリントをやるよう言ったが、Bが「国語をやりたい」と言ったので国語をやることになった(Hさんに、多くの子どもが国語の学習につまずくと聞いていたので、Bが国語をやりたいと言ったのは意外だった。また、彼女が「国語の方が好きだ」と言っていたのも意外だった)国語のプリントの内容は小学校23年生向けのものだと思われるが、近くで見ようとするとBが気にしてしまうのでプリントの詳しい内容は確認できなかった。

 

<「分らない」算数>

国語のプリントを23枚やったところで、Hさんが「次は算数をやろう」と提案し、Bはごねていたが、結局やることになった。計算式が書いてある問題は比較的スムーズに解いているようだったが、文章題になると彼女の手は止まり、「分らない」と言い出し、注意散漫になりだした。Hさんが「前に教えたやろ」と言い、一緒に問題を解きだした。彼女は引き算をしなければいけない問題で足し算をしたり、足し算をしなければいけない問題で引き算をしたりと文章を読んでそこから、どの様な式を作ればいいのか分からないようだった(苦手な算数の文章題をやりたくなかったために、先ほど国語のプリントをやりたがっていたのだろうか)結局、6時を少し過ぎたところでBのお母さんが迎えにきて勉強は終了。国語のプリントを3枚、算数の文章題を1問解いてBは帰って行った。

 Hさんは、今日は一人だったけど、二人だとどうしようもないと漏らしていたが、今日の様子を見てその光景は、想像に難くない。

 

<「疲れた」中国の男の子と教育熱心な母親>

6時半過ぎにボランティアの方がやって来て、少し遅れて男の子がやってきた。この子も34年生くらいだろうか。Hさんは男の子が来たところで、帰って行った。僕はHさんにお礼と、来週のインタビューもよろしくお願いしますと言ってHさんと別れ、ボランティアの方とともに先程、Bと入ってすぐに出てきた部屋に3人で入った。

自己紹介をして、国語の勉強を始めた。男の子は再三、「勉強したくない」、「疲れた」と訴えていた。ボランティアの方はそれをなだめながら、彼をうまく乗せながら、問題を解かせていた。しばらくして、彼のお母さんが部屋に入ってきてこの問題を教えてほしいと教科書をもってやってきた。その教科書は、高学年向けの教材で、少し彼には難しいように思えた(多分、僕は、教えられない)しかし、お母さんの熱意に押された感じでその問題を解くことになった。男の子はホワイトボード落書きをしたり、部屋の中にいた蚊を捕まえようとしたりしていた。問題はやはり、難しかったのか、すっかり、やる気をなくし、のどが渇いたと言い出し、外で待っているお母さんに買ってきてもらうことになった(お母さんは、カウンターの近くのいすに座って彼の勉強が終わるのをずっと待っている)。お母さんは、男の子の飲み物と僕たちの飲み物まで買ってきてくださった。僕とボランティアの方がもらうのを躊躇していたら男の子が「飲んでいいよ」と僕たちに缶コーヒーを渡してくれた。

勉強の合間に彼が話していることを聞いていると、夜、11時ぐらいまで、お母さんと勉強をしたり、土曜日は違う日本語学校があるらしく、そこで勉強したりしているらしいことがうかがえた。高学年の勉強を教えてほしいとお母さんが申し出ていたこともあり、彼のお母さんは教育熱心なんだなと感じた。8時前になって勉強は終了。お母さんが、部屋に入ってきて、今日勉強したことを確認していた。ボランティアの方が宿題として作文をかいてくることを提案すると、男の子は渋ったが、お母さんは、やらせますと言い、どのようなことをどのくらい書けばいいかとしっかりと聞いていた。(熱心だなぁ)

 

<真面目なE

7月23日、6時ちょっと前に到着。曇っているため薄暗い。Hさんはいつもの所で仕事をしていた。挨拶を済ませる。Hさんは、「もう少ししたら、来ると思うんやけど」と時計を見て言った。5分くらい過ぎた頃だろうか、男の子がやって来た。Eだ。Hさんが「○○は」と聞くと、「後で来ます」と答えていた(先に説明を聞いていた兄弟の弟の方だろうか)。HさんからEの紹介をしてもらう。彼は、来日4ヶ月の中学2年生だと教えてもらう(中学生にしては、小さい印象を受けた)。Hさんが部屋の電気をつけて、以前中国人の男の子と入った部屋へ入った。Hさんから国語のプリントをもらい、「まず、自己紹介をして、それからこの間の続きからやって。」と言われ、僕とEは互いに自己紹介をした。Eは、来日4ヶ月だと聞いていたが、自己紹介を聞く限り、とてもそのようには思えない。

自己紹介を終えると、Hさんに渡されたプリントをやることにした。まず、部屋の中にいろいろな物が描かれている絵を見て、「ボールはどこにありますか」という質問に「ボールは、新聞の上にあります」というように答えを書いていく問題をやった。Eは、ひらがなで問題を解いていった(来日4ヶ月とは思えないくらいきれいで、かわいい字だ)。Eの手が止まる。「となり」の意味が分からなかったみたいだ。Eは、「『となり』は分からない」と言ったので、僕は持っていた筆箱とタオルを机の上に並べて、「筆箱のとなりにタオルがあります」と身振り手振りで説明すると、Eは理解したようで、「あー、分かりました」と言った。そして、僕はEと一緒に絵を見ながら、「窓の隣には、カレンダーがあります」と言ったのを、Eに書かせてみた。

彼を見て驚いたことは、ひらがな、カタカナ、そして簡単な漢字を書いていたことだった(しかしながら、「−」の場所を間違えたり、「つ」なのか、「っ」なのか迷ったりする場面もたびたびみられた)。Eは、背後を指差し、「『うしろ』って、こっち」と確認したりもしていた。「ある」と「いる」の使い分けについてEは、「ものは、『ある』で、人は『いる』」と答え、この二つの言葉の使い分け方は理解しているようだった。

プリントの問題10題を書き終えたので、書いた文を二人で音読をした。僕は、カウンターでコピーをしていたHさんの元へ行き、プリントをやり終えたことを伝えると、「分かったけ」とHさんが聞いたので、僕は、「『うしろ』と『となり』はちょっと分からなかったみたいだけど、大丈夫だと思います」と答えた。Hさんに、「じゃあ、身のまわりの物を使って、実際にやってみて」といわれたので、部屋に戻りさっそく、タオルや筆箱、筆記用具などを机の上に置き、プリントのように、「タオルはどこにありますか」と聞いてみた。すると、Eは、「筆箱のとなりにあります」と答えた。次に、「ペンは、何の上にありますか」と聞くと、「テーブルの上にあります」と答えた。このようなやり取りを5回くらい続けてEはしっかり理解しているようだったので、僕は再びHさんの所へ行くと、Hさんはやりかけのプリント1枚とプリント3枚を渡した。

やりかけのプリントは、動詞の活用によって動詞をグループ分けするプリントだった。Eは「分からない」と指をさし、僕に聞いてきたが、正直、僕もよく分からなかったので、Hさんに聞きに行った、するとHさんは、日本語指導の分厚い教科書みたいなのを取り出してきた。自信がなかったのでHさんに見てもらうことにした。

 

<三人寄れば・・>

Hさんと3人で動詞のグループ分けをしていると、背の高い男の子Mと、眼鏡をかけた小さな男の子Lがやってきた。兄のMと弟のLだ。彼ら二人には、Oさんという方が教えることになった。今までは、割と静かな空間だったが、この兄弟が入ってきてにぎやかな空間になった。Mは、「疲れた」と、ことあるごとにいっていた。どうやら、ここに来る前にアルバイトかなんかで働いてきたようだった。Oさんは、そんなMの話を聞いていた。Mは、好きなミュージシャンの話や映画の話をOさんとしていた。その合間に勉強をしているような感じだった。弟のLはMやEのやっているプリントを覗き込んでは、自分もこっちがやりたいといっていたが、Oさんに宿題をやりなさいと言われていた。以前Hさんに「二人、三人相手になると大変」だと聞いていたが、なるほど、大変そうである。

Eが動詞の活用のプリントを終わらせたので、次に小学校1年生くらい向けのプリントをやることになった。Eは、分からない単語が出てくるとそのつど質問してきた。僕は、身振り手振りを使って説明、それでも分からないとHさんがポルトガル語を交えて説明。Hさんがいないときには、Mがポルトガル語で教えてくれた。Mは、Oさんから、Eみたいにまじめにやって、さっさとプリントをやるようにいわれて、プリントをやり始めたが、分からないところが多いらしく、Oさんをあきれさせていた(あれだけさっきまでしゃべっていた子とは思えない)。8時を回り勉強は終了。M、LとEは迎えが来たので帰っていった。

 

<Eと漢字の書き取り>

8月1日、晴れ。富山が全国で一番暑かったとか・・・。今日は、Jさんのインタビューで来ていたのだが、インタビューを終えるとHさんから、先週教えたEの勉強を見てほしいと頼まれる。Eは、夏休みということもあり、午前中からやってきて大人の日本語クラスに参加していた。クラスが終わるとカウンターの後ろでブラジル人と思われる人と勉強をしていた。

HさんがEを呼んで、先ほどの部屋で勉強することに、やっているプリントを見せてもらうと、小学3年程度の漢字を練習していた。先週は1年生の漢字をやっていたので、進度はかなり早いように思う。Eに聞くと公文に行って勉強しているらしく、家でも宿題をしているそうだ(ちなみに、宿題は国語だけだそうだ)。

開始早々、Eから質問があった「熱」という漢字の書き方がよく分らないので、教えてほしいということだった。僕は、横に座り、一画ずつゆっくり書いて見せた。Eは、一緒に書いていたが、完成した字を見ると、「熱」の「丸」が、「九」になっていたので、そこを指摘すると、Eは恥ずかしそうに点を打った(そのあとに10個くらい「熱い」と練習したが、2個くらい「丸」が「九」になっていた)。そして、以前のプリントで間違えていた問題を復習の意味でもう一回やらせてみた。6,7問中2問不正解という好成績。間違えた漢字は、自らプリントの裏に五個ぐらいずつ書いて漢字を覚えようとする姿勢に彼の熱意を感じた。

 

<Eの苦手な漢字>

次に、以前ぼくとやったプリント(一年生の漢字、かぎかっこのつけ方の練習)が途中になっていた部分があったので、一緒にそれをやった。ここでは、Eは漢字の音読み訓読み、また、読み方の多い漢字にてこずっているようだった(例えば、「生」という漢字、「生きる」「生まれる」「たん生日」「一年生」など)。比較をするほど、まだ子供たちを見てきてはいないが、恐らくEは、相当な理解力を持っていると思うが、そのEでさえ音読み訓読みにて苦戦しているのだから、ほかの子はもっと理解に苦しんでいるのではないかと思った。

次にかぎかっこ(「 」)のつけ方の勉強をした。練習問題を3問やったあと、実際に僕が何か言ったり、Eに何かを言わせたりしたことを実際に書かせてみたりした。

12時半まで勉強できるということだったので、プリントを見ると「黄色」という字を練習していたので、色を指す漢字の練習をすることにした。「白」「黒」「赤」「青」は知っていたので、「茶」と「緑」を教えた。「紫」という漢字は難しいのでまた、今度ということにした。さっきと同じように、僕がゆっくり漢字を書いてそのあとにEが書いて、10個くらい練習をした。次に、「春」という漢字があったので季節の漢字を勉強することにした。Eは、「夏」は書けたので、「秋」と「冬」をさっきと同じ要領で練習をした。「南」という字があったので、方角の漢字を練習しようと思ったが、時計を見ると12時半を少し回っていたので、終了することにした。

 Eは、「ありがとうございました。」とお礼を言って部屋を出た。

 

午後3時半過ぎ、Mから電話があり、今日は来れないとの連絡があった。しかし、Hさんの話によると、以前通っていた子が、久しぶりに来るということだった。その子は、会話は大して問題ないが、文章を読ませると、一文字、一文字読んでいる感じで、文章を理解しているかどうかも少し怪しいということだった。また、以前来た時は、お母さんが横に座り、いろいろ教えたりしていたそうだが、答えが間違っていたりして、お母さんの方も教えてあげたいのに、教えることができない不安や、悩みがあるようだ(僕は、そんな子を教えられるかどうか不安になった)。

 

<答えは「3本」>

 4時過ぎ、小さな男の子と、お母さんがやってきた。お母さんとHさんが、何か話していた。部屋を移して、Hさんが男の子に自己紹介しなさいと言った。男の子は、恥かしそうに自己紹介をした。Fだそうだ。小学2年生。Hさんに僕の名前を聞くように言われ、僕に名前を聞いてきたので、僕は自己紹介をした(なんでも、ポルトガル語に「ムロ」という単語があるようでした)。お母さんは、学校でやっていたであろうプリントをたくさん取りだし、どう教えればいいか分からないとHさんに言った。Hさんは、やりかけの算数のプリントと、漢字プリントをやるようにと僕に言い、お母さんと二人で部屋を出て行った。部屋に二人残された僕は、不安になった。

Fは、ここが分らなかったと指をさした。「百枚の色紙が何枚と十枚の色紙が何枚と色紙が何枚では全部で何枚になりますか」という問題だった。その問題の上の方に同じような問題があったが、それはきちんと解けていた。どうやら、解けていた問題には、挿絵があったので、それを見て解いていたようだった。なので、簡単な絵を描いて、解かせてみた。ちゃんとできた。次に、足し算、引き算の文章題をやった。足し算、引き算自体はちゃんとできていたので、やはり、B同様、文章を読んで、足せばいいのか、引けばいいのかを判断することができないようだった。また、「花壇に赤い花と白い花が全部で、31本あります。赤い花が14本あります。白い花は何本ありますか」という問題では、横の挿絵に白い花が、3本ぐらい書いてあったので、それを見て「3本」と答えたりしていた。文章を読んで得られる情報より、視覚的な情報から問題を解いているという印象を受けた。一問ずつ、ホワイトボードに絵を描いて説明すると、何とか分かるようだった。

 

<不安なFの漢字>

算数のプリントを終え、次に漢字のプリントをやった。どうやら、Fは漢字が苦手らしい。「この漢字分かる」と聞くと、「分らない」と答えていた。分らなかった漢字は、ホワイトボードに一緒に書くことにした。Eは、書き順もしっかり覚えていて、僕に書き順を聞いてくることもあったが、Fは、書き順お構いなしで、漢字を見て、自分の好きなように書いていた(書き順とかもしっかりと教えた方がいいのだろうか)。また、文脈を見ずにその漢字の音だけを拾って、漢字を答えているようだった。例えば、「今日はいい()だな」という問題があったとすると、読みの「ひ」だけを見て「火」と書くような感じである。

 漢字問題をやり終えたところで、いい時間となったので、終了。どうやら、Hさんはお母さんに、どうやって教えればいいのかを教えていたようだった。お母さんは、プリントを片づけてFと帰って行った。

 

 

 日本語教室での子どもたちの様子は、真面目に勉強に取り組む者、おしゃべりにより時間を割き、指導者に促されながら学習を進めていく者という風に多様である。一方の指導者たちは、そのような子どもたちに対して非常に寛容に接していると感じられた。それは、HさんのBに対するやりとりや、MとLに対するOさんの態度などに見ることができるだろう。また、そのような姿勢はOさんが、日本語教室が終了してから、「勉強は教えないといけないけど、話し相手になることが多い」と語っていたことからも伺える。また、日本語教室での観察を通して、ブラジルの子どもたちは、漢字の習得に対して困難さを抱いているのではないかと思われた。Eが苦戦していた、読み方の多い漢字、Fが失敗していた同じ読み方をする漢字群から文章に適切な漢字を選択するとことが、彼らにとって日本語を学ぶ上で困難を伴うものなのではないだろうか。