第三章       考察

第一節 フィルムツーリズムの特徴

第一項 “線”“範囲”の観光

 「ロケ地めぐりに訪れるファンは、高岡中を歩いてくれるため、(普通の観光客と比べ)全然質の違った人たち」と陣太鼓の中村氏は述べる。高岡市内には、高岡大仏や瑞隆寺といった観光地がある。それらは、ひとつの独立した観光スポットとして存在しているが、このロケ地めぐりに関しては、町のところどころに、見所がちりばめられていて、町の空間そのものが観光スポットとなる。ロケ地めぐりは、ある観光資源を目的地とする“点”の観光ではなく、複数の観光資源を観てまわる“線”または“範囲”の観光と呼べる。そのため、人々は、その「町中を歩く」のだ。“線”“範囲”の観光であれば、独立した既存の観光地よりも、町のさまざまな表情をみてまわる機会が増すことが考えられる。つまり、ロケ地以外の町の見所を発見するチャンスがあるのだ。但し、“線”または“範囲”の観光としてのフィルムツーリズムを有効にするためには、その作品が、ある程度限られた範囲内でほぼ全編撮影されること、ロケ地ガイドマップなど観光の手助けとなる資料の存在、利用しやすい公共交通機関の存在などが条件として挙げられるだろう。

 

第二項 地域への影響

また、前章の三、四、五節でみてきたように、邦画『8月のクリスマス』を通じて、高岡市の存在を初めて知った人、高岡市を再認識した人々がいる。それは、映画のロケ地となったことで、高岡の情報を、高岡市民(富山県民)以外へと、市民(富山県民)へという面で、「外」と「内」の両方向に発信することができたと捉えることができる。特に、「内」にむけた発信に注目したい。記念館のノートには、映画によって町の魅力を再確認することができたという声が複数あった。現在は違う土地に住んでいるが、ふるさと高岡が映画で描かれることによって愛着が増したと捉えられる声もあった。地域の人々が自分たちの町に誇りや愛着を感じるということは、フィルムツーリズムとして外部から人を呼び寄せる以前の前提となる部分と考えられる。たとえ、フィルムツーリズムとしての発展が鈍く終わったとしても、町に住む人々が、町を大事に思うことにつながれば、今後の町づくりにプラスに働くであろう。

なお、第二章において、陣太鼓の中村氏が記念館のリオープンを目指し活動中であること、観光協会臨時職員の伊藤氏が記念館に訪れる方々に対して精一杯もてなそうとする姿勢であったことを述べたが、これらの事柄についても注目したい。中村氏、伊藤氏、それぞれ、映画をきっかけに、情熱や熱意をもち活動することとなった。それぞれの人々の周りには、新しい出会いやつながりが生じた。リオープンはまだ実現確定ではない、記念館自体も現在閉館中で伊藤氏は来館者対応を行っていない。しかしながら、映画をきっかけに、特定の人々ではあるが、地域の人々の心に情熱や熱意が生まれたことは、地域の活力づくりの第一歩となったと捉えられるだろう。

 

第三項 作品に依存する観光

 フィルムツーリズムは作品なくしては、成り立たない観光である。作品に依存する観光とは、出演俳優や、ストーリーなどがどのくらい人々の人気を得ているかということに関わってくる。出演する俳優がどんな人物かで、フィルムツーリズムに訪れる客の性別や年齢、雰囲気が違うだろうし、作品の人気具合によってフィルムツーリズムの人気の持続期間も異なってくるだろう。

邦画『8月のクリスマス』においては、俳優且つミュージシャンである山崎まさよしのファンが高岡でのフィルムツーリズムを強力に支えてくれたといえる。陣太鼓の中村氏は、映画を通じて店を訪れる方の多くは「山崎まさよしファンだ」と語り、町なみを考える藤グループの般若氏は、「全国から熱狂的な山崎さんのファンが来ることに驚いた」と語る。さらに、記念館のノートのいたるところに山崎まさよしの愛称「まさやん」が登場するといったように、この映画のフィルムツーリズムを支える人々の多くは山崎まさよしファンであることが伺える。

 また、作品に依存するという面では、フィルムツーリズムの人気の持続期間についても指摘することができる。平成17年8月の『8月のクリスマス』記念館の開館から、当初閉館を予定していた平成18年9月30日まで、入館者数は減少傾向であった。日によってばらつきがあり、多いときだと一日に20人から30人、少ないときでは45人という日もあった。9月30日からクリスマスまで期間が延長された際には、以前より開館日時が縮小され、土・日・祝日のみの開館となった。特定の人々にとっては、いつまでも忘れられないものとなるが、フィルムツーリズムが永続的に人気を維持することは、稀なことだといえるだろう。

 

第四項     既存の観光資源との関係

 何気ない風景がロケ地となれば、その風景は作品によって新たなイメージが加えられる。既存の観光地がロケ地となれば、それもまた、作品によって新しいイメージが加えられる。

フィルムツーリズムとは、ロケ地を観光資源とした観光である。高岡市金屋町は鋳物の町と邦画『8月のクリスマス』のロケ地という二つの資源を所有することとなった。その両者の観光コンセプトが異なるとき、その土地には二重の観光が存在することとなる。町なみを考える藤グループの般若氏は、金屋町に訪れる今までの観光客とフィルムツーリズムで訪れる人々のことを比べ、「層が違う」と語る。これは、記念館を訪れる人、鋳物の町としての金屋を訪れる人、それぞれの関心事が違うことを指す。二つの観光を楽しむ人もいるが、そうでない場合も存在する。既存の観光資源とロケ地としての観光資源、両者を活かす観光のあり方の模索も必要になるだろう。

 

第二節   フィルムツーリズムの可能性

 このような特徴をもつフィルムツーリズムは、どのような可能性をもつものであるかを最後に述べたい。

 前章において、フィルムツーリズムとは、作品に依存するため持続期間に限りがあると指摘した。たしかに依存する側面をもつが、フィルムツーリズムが永続的な観光とならなくても、“線”“範囲”の観光であるため、町を歩くうちに、新しい見所を感じ、それが、再びその町に足を運ぶ原動力となることも考えられる。また、既存の観光地とロケ地といった、観光コンセプトが異なる二重の観光が存在する場であっても、工夫次第では、ふたつの観光が相乗効果を果たすことも可能となるだろう。

 現在、『8月のクリスマス』記念館は閉館したが、水面下でリオープンに向けた動きがある。それは、作品を愛する人々から生じた活動である。ある地方の町で撮られた作品が、人々の心を掴み、新しい活動を生み出した。ロケ地となることが、フィルムツーリズム、町の魅力の再発見、あるいは地域の活力の創造といった、さまざまなきっかけを生む可能性に満ちていることをここに提示したい。