第二章      邦画『8月のクリスマス』が高岡にもたらしたもの

第一節 邦画『8月のクリスマス』とは

2005年に発表、長崎俊一が監督をし、山崎まさよし、関めぐみ、井川比佐志、西田尚美、大倉孝二が出演する。写真館で働く主人公(山崎まさよし)は病に冒され、余命わずかであったが、そのことを周囲には話さず静かに毎日を過ごしていた。そんななか、臨時教員のヒロイン(関めぐみ)と出会い、お互いに惹かれあっていく。写真館で繰り広げられる温かなエピソードと切ない恋を描いた物語である。オリジナルは韓国版『八月のクリスマス』。99年に日本公開され、『シュリ』と並び、現在の韓国映画ブームの火付け役となった。日本でも女性を中心に圧倒的な支持を受けており、今もなお愛され続ける韓国恋愛映画の金字塔的作品といわれている。(Amazon.co.jp、『8月のクリスマス』公式ページより)

 メインロケ地となった高岡市は「日本情緒が残る美しい町並み」「雪の降る町」という条件を満たしたため選ばれた。高岡FCの北本氏によると、高岡市金沢市でロケ地について選考が行われていたが、作品中重要な役割を果たす写真館を設定することが可能だったのが、高岡であったため、それが決めてとなり、高岡がメインロケ地となった。なお、一部に富山県魚津市石川県金沢市でのロケも行われた。

 

第二節     調査方法

 本章における調査はインタビューとフィールドワークによる。平成18年の8月9日〜平成181224日の間に行った。

インタビューイーは、以下に挙げる方々である。高岡市観光協会の北本氏、『8月のクリスマス』のロケ地のひとつとなった高岡市内の居酒屋「炉ばた焼陣太鼓」代表の中村氏、記念館がある高岡市金屋町の「町なみを考える藤グループ」代表の般若氏、『8月のクリスマス』記念館で観光客への対応・案内を行う高岡市観光協会の臨時職員の伊藤氏の計4名である。記念館の伊藤氏を除く3名は、あらかじめ会う日時を決め、インタビューシートを用いて、録音をしながらお話を伺った。伊藤氏については、特に約束をとらずに、私が記念館を訪れた際に録音なしでお話を伺った。

またフィールドワークとして、ロケ地めぐりと計5回の記念館訪問を行った。なお、記念館には、訪れたものが自由に書き込めるノートが置いてある。記念館を訪れた人々の思いを探る資料として、そのノートを参考にした。

 

第三節     記念館

 邦画『8月のクリスマス』の中で、主人公が、ヒロインや客、友人などと交流する場に、「鈴木写真スタジオ」がある。この建物は、映画撮影のために、空き家となっていた元床屋を改修したものである。

「鈴木写真スタジオ」は、当初は撮影後すぐに取り壊す予定であったが、せっかくだからと、『8月のクリスマス』記念館(以下記念館)として一般公開されるようになった。平成17年8月24日〜平成181224日まで期間限定、無料での公開であった。この建物は、高岡市金屋町にある。なお、金屋町については、本章第六節にて詳しく述べる。記念館の情報は、高岡FC、山崎まさよし、映画の配給会社である東芝などの各ホームページ、映画『8月のクリスマス』公式ホームページに載せられた。もともとは、平成18年9月30日までの予定であったが、北日本新聞朝刊2006107日付けによると、作品の題名にあわせてクリスマスまで公開を延長した。

見覚えのある公園、その向かいにそれはある。建物を取り囲む風景は映画のままである。そして、外観も。建物の壁に取り付けられたKodark の黄色い看板、青い雨よけに映える白地の「PHOTO SUZUKI STUDIO」の文字、窓ガラスに張られた「スピード仕上げ45分」のシール、そっくりそのままの写真館の姿で残っている。映画を見ていない人は、外観だけを見ると本物の写真館と勘違いしてしまいそうである。扉に近づくと、そこには『8月のクリスマス』記念館の開館日時が記された張り紙がしてある。その扉を開けて中に足を踏み入れると、カウンターの奥から中年の女性がにこやかに「いらっしゃい。どうぞゆっくり観ていってください」と声をかけてくださる。その言葉に促され、中を見渡すと、そこにはまた劇中の通りの配置が広がっている。長いソファにカウンター、一段高くなった撮影スペース、カウンターの奥の壁に掛かる写真の現像時間を示す二つの丸い掛け時計、あっという間に劇中にタイムスリップしてしまう。 視覚だけではない。館内には、劇中で使用していた山崎まさよしの曲がかけられ、記念館の空間をやさしく包んでいる。また、館内にはテレビが置かれ、メイキング映像や、出演者のコメントが終始流れている。

 この『8月のクリスマス』記念館だが、200610月時点で入館者数は一万人を突破している(北日本新聞朝刊2006107(23))。館内に置かれたA4のノートには、来館者が思い思いの内容を綴っていく。開館当時から現在までで、4冊目に突入している。どのような人が来て、どんなふうに記念館を感じているのかをノートを通じて探ってみた。

 

抜粋1) 記念館の魅力、ロケ地めぐりの魅力、高岡の人との出逢い

A: この場所で本当に撮影していたんだなぁということが実感として伝わってきた。映画のせつなさが再来しました。よかった、ここに来れて。

B: 今、やまざきさんがいた空間に自分がいるということに大感激しています。

C: 映画もよかったですが、実際にロケの場所が、時間をおいて公開されて見ることができて、あの感動がまたよみがえると、映画館だけの楽しみじゃないのが、とてもうれしいです。

D: いつ来ても変わらない落ち着いた町とその町に良くなじんでいる写真館。来るたびに安心します。

E: 今日みたいな暑い日の中、撮影していたんだなぁ。いろいろな場面が思い出され、とても感慨深いです。

F: どこにでもありそうな風景なのに一つ一つの場所に感動します。素敵な時間をゆったり過ごせたことに幸せを感じました。自然と笑顔になる不思議な空間で、また是非訪れたいです。陣太鼓・・・超おいしかったです。

G: 時間が止まったような空間に涙が出てきました。遠くから来てよかった。いつまでもいつまでも帰りたくない場所。

H: 2日間ロケ地を見て回って、本当に静かで良いところだなと思います。ロケ地マップを片手に同じアングルで写真をとってみたり、楽しい2日間でした。

I: 美しい高岡の町とともにスタジオがいつまでも残っていてほしい。高岡の町と人の温かさに触れてとてもステキな2日間でした。この出逢いも、まさやんのおかげです。

J: 伊藤さん、陣太鼓の中村さん、町の良さ、そして町並みも、すべてがステキな出逢いでした。

 

抜粋2)高岡市、富山県に対する思い

K: 探しながらあの場所もこの場所も映画のシーンにあったよねと確認しながらの道中でしたよホント、地元民ながらこんな町並みがあったものかと感心しました。

L: 来館5回目です。さっき古城公園に行ってきました。この映画のおかげで高岡の良い所をいろいろ再発見できました。

M: 雰囲気の優しい映画の空気がそのまま残っていて不意に泣きそうになりました。生まれた町をこんなに優しい小奇麗ないい町に映してくれた長崎監督、やまざきさん、関さんをはじめとした、たくさんの人々に感謝です。

N: 高岡を出て東京に住み始めて12年が過ぎました。(中略)私はすてきな場所に生まれたことに感謝します。

H: 富山に嫁いで数十年。10年経って、少し富山が好きになりました。富山に来てつらいこともたくさんありましたが、この時ほど、富山に嫁いできたことを幸運に思ったことはありません。

(『8月のクリスマス』記念館のノートより)

 

 ノートを読み、まず気がついたことは、多くの方がリピーターであるということである。2度目、3度目、5度目、多い方では10回、また数え切れないほど来ているという声もあった。記念館は、人々を惹きつける何かをもっているといえる。それは、抜粋1)A,C,E,F,Gのような、映画の世界観を味わえるということであったり、Bのような、山崎まさよしファンが感じる喜びであったり、D,I,Jのような、落ち着いた土地柄、人との出会いであったりと様々である。また、F,Hのような、ロケ地めぐりをするなかで、風景や町の景観が放つ映画の世界観を感じることができるということも、人々が記念館へと足を運ぶ一要因として考えられる。ノートへの書き込みは自由な形式で、自分の出身地を載せる方もいる。北海道、青森、東京、名古屋、京都など様々なところから、来られていることが分かる。記念館で、来館者の対応にあたる高岡市観光協会の伊藤氏は、リピーターの多くは北陸三県(富山、福井、石川)からの方が多いと述べる。また、伊藤氏自身、リピーターの方に対しては、少しでも以前来たときと比べ館に変化をつけたいと、自分なりに工夫をしているという。たまたま、私が来館した12月上旬には、クリスマスシーズンに合わせてクリスマスツリーとポインセチアを用意しておられた。また、ノートからは、その伊藤氏にあてた感謝の書き込みがあった。伊藤氏自身も来館者に対して少しでも協力できることがあればと、撮影の裏話などを積極的にお話しているという。館で対応にあたる者と訪れる者とのコミュニケーションが良好であることも感じられた。

次に、抜粋2)からは、高岡市あるいは富山県という土地に対して、映画を観たことで新しい思いが加わった人々がいるということが分かる。抜粋2)のK〜Hからは、高岡や富山に対するイメージが増したことが読みとれる。また、K,M,N,Hは故郷が富山である人、または富山在住の人の思いと分かるが、映画によって、富山の魅力を再認識することができているといえる。

また、抜粋1)2)の他で、ノートを読んで、気がついた点は、ノートのところどころに「まさやん」の文字が見られるということである。これは、主人公、寿俊を演じた山崎まさよしの愛称である。彼は、シンガーソングライターとして活躍する一方で、1987年に、映画『月とキャベツ』でスクリーンデビューもしている。山崎まさよしの最新曲について、またコンサートの感想などの書き込みなどもあり、もともと山崎まさよしのファンであった方が、邦画『8月のクリスマス』という作品、そして記念館へ熱い思いを寄せているということが感じられる。

 そして、書き込みの中で、もっとも多くの方が触れていたことが、この記念館が期間限定での開館ということである。映画公開の前から開館し、20061224日に閉館した。もともとは2006年9月30日までであったが、クリスマスまでに開館が延ばされた。このことについて、いつまでも館を残してほしいという思い、期間が延長されたことについての感謝の意が寄せられていた。特に期間限定を嘆く声、惜しむ声が圧倒的であった。

 

第四節     ロケ地めぐり

 第一章一節で述べたフィルムツーリズムとは、簡単に言えばロケ地めぐりの観光と呼ぶことができる。邦画『8月のクリスマス』においても、記念館へ足を運ぶ人々はロケ地めぐりをしに来ていると呼ぶことができるだろう。高岡FCでは、市内のロケ地をシーンごとに写真と地図でまとめた“ロケ地ガイドマップ”(巻末に資料として添付)を1万5千部作成した。北本氏が別の仕事で京都に出張した際にも、現地で配布を行った。また、映画『世界の中心で愛を叫ぶ』でブレイクした香川県のFCを見習って、ロケ地マップの縮小版を映画『8月のクリスマス』プレミアム・エディション(初回限定生産)DVDへ特典として付けた。このことについて、ロケ地のひとつとなった居酒屋炉ばた焼陣太鼓の中村氏は、DVD発売の3月以降に、映画を観て訪れる客がぐんと増えたと述べる。

 平成1811月某日、私も、この『8月のクリスマス』ロケ地ガイドマップの徒歩でのコースガイドを参考に、ロケ地めぐりに出かけた。以下で、3つのシーンを取り上げ、ロケ地めぐりの魅力に迫る。なお、各シーンについて、巻末に『8月のクリスマス』ロケ地ガイドマップを添付したので、そのなかの写真を参照していただきたい。

 

■ シーンA

片原町交差点(北陸銀行高岡支店前交差点)

ロケ地イドマップ3 

<映画のシーン説明>

久俊が風を受け気持ち良さそうにスクーターを運転し、電車とすれ違うシーン。(ロケ地マップより抜粋)

<ロケ地>

高岡駅前の大通りであり、路面電車「万葉線」も通る交通量が多い交差点。交わる道路はそれぞれある程度横幅があり、交差点の真ん中は大きく開けたスペースになっている。路面電車の線路は交差点の真ん中に入ると急カーブする。また、その交差点はかるく傾斜した坂道になっている。路面電車を走らせるためか、交差点の空中には太い黒い電線やケーブルなどが幾数本ある。線路沿いの大通りは両側に3,4階のビルが隣接し、そのビルの多くは1階部分が店舗となっている。それらのビルは築十何年、あるいは数十年といったものが多い。歩道には、雨よけの屋根が続いている。その屋根は、隣接するビルとビルの1階の屋外の天井付近が連なってできている。屋根を支える柱は塗装が一部はがれていたり、工事中のため青いビニールがかぶさっていたりする。道路でも一部工事中のために、カラーコーンが置かれているところがあった。

シーン自体はとても短いもので10秒を満たない。その間に、スクーターに乗った主人公が、開けた交差点をスクーターのエンジン音を心地よく響かせながら曲がっていく。ほんの一瞬のことである。道路の工事風景や歩道の屋根に張ってある青いビニールシート、反射材の貼られた赤いカラーコーンといったものは全く映っていない。

実際にそこを歩いて通ってみると、スピードを出して走る車の騒音、信号待ちの車の列から洩れるオーディオの音、交差点の数箇所でみられた工事風景や、屋根の一部に張られた青いビニールシート、空中に浮かぶ電線の数々が目にとまる。リアルな生活感みたいなものを感じた。また一方で、建物や小さなアーケード街を人々がのんびりした様子で通る光景や、路面電車が低く強弱をつけて「ゥウ〜〜ン、ガタンガタン」とマイペースに走る様子は趣を感じた。

 

■ シーンB

大手町路地(万葉線電車坂下町電停近くの交差点)

ロケ地ガイドマップの4

<映画のシーン説明>

スクーターの久俊が、かつての恋人佳苗とすれ違い、短い会話を交わすシーン。(ロケ地マップより抜粋)

<ロケ地>

交通量や人通りが多く、路面電車“万葉線”が通り、商店やビルが並ぶ大通りから少し横に道を入ると、このシーンのロケ地となった場所がある。大通りからそこに入ると、ひらけた空間がひろがる。左側には平らな、進むにつれて細くなってみえる道が、右側には右にカーブした上り坂の道路がある。平らな道と坂道との高低差は、坂道側にある人の腰より低い白いガードレールで仕切ってある。この2種類の道路の両端は民家や車庫で囲まれている。ある民家の庭には木々が茂り、シーンの中では緑が鮮やかに写っている。また、登場人物の女性の白いワンピースやガードレールの白色がこの木々の緑によって映える。

実際にその場に立つと、坂の上にある5階建て以上あるマンションや、道なりに10本以上立つ電柱、それらの電柱と電柱にかかる無数の電線が目に付くが、シーンでは、坂の下の部分が使われていて、マンションや電線、電柱は気にならない。また、大通りがすぐ傍なだけあって、スピードをだす車の騒音、赤信号の際に坂道に車が連なる様子、坂の手前の横断歩道を人が行き交う様子、横断歩道の信号が青になるたびに鳴る歩行者用の「ピヨピヨ」というお知らせ音など、その辺りの人や車の行き来が多いにぎやかな印象というのはそのシーンからは感じられない。

映画の中では、その場が大きな交差点に面しているようには感じられない。坂道側上部に立つ、高い建物や幾数本の電柱は映らず、また、人通りや車の通りが多いということも観客に感じさせない景観となっている。

作品の中では、かつての恋人との再会し、微妙な雰囲気が漂うシーンであったので、静かな雰囲気を想像させるが、実際は意外にも煩雑に車が行きかう場であった。

 

■ シーンC

高岡古城公園お堀端(古城公園駐春橋付近)

ロケ地ガイドマップの5

<映画のシーン説明>

いなくなった生徒をスクーターに乗って探す久俊と由紀子。生徒が見つかってよかったとお堀端で微笑むシーン。(ロケ地マップより抜粋)

<ロケ地>

お堀の向こうには、長い年月をかけて成長したと思われる木々の緑が茂っている。お堀にかけられた橋は朱色で、木々の緑によって橋の朱色が引き立つ。江戸時代を思わせるような形につくられた橋、緑の苔に覆われたお堀の側面に積まれている石の数々。どれも、歴史を感じさせる。一方お堀の外側には、高さ1m強の木製の柵、道幅3mほどのコンクリートの道路がお堀に沿って続いている。道路は傾斜が緩やかな坂道で、左右に柔らかな曲線を描いている。道路に沿って、ここ数十年にわたり建設されたと思われる2,3階建て家屋や6階立てくらいのビルがあり、建物の一部は古びて壁面は汚れが目立ちツタに覆われているものもある。また、道路には路上駐車の車も1,2台ある。お堀の内と外は違う景観が存在しているが、お堀の内側と外側、どちらにも木々であったり、苔であったり、ツタであったりと緑などから年月を感じさせる。

制服姿の高校生が自転車に乗って、このコンクリートの緩やかな坂道をくだっていく。朱色の橋をウォーキング姿の中年の男女が渡る。あたりは、催し物で公園を利用する人であったり、登下校姿の学生であったり、時折通る車であったり、ちらほらと人や車の通りはあるが、いたって静かで穏やかな場所である。お堀の水面には鴨が数羽泳いでいる。

映画では、道路側に登場人物が立ち、公園内側のもりもりと茂った木々の緑が背景の大部分を占めている。朱色の橋は、登場人物の背景に、木々の緑と綺麗な色のコントラストになっていた。お堀の奥に広がる青々と茂った木々と、古めかしい木製のお堀を囲む柵が、どことなく落ち着きのある景観という印象を与える。

 

ここでは、以上のようにシーンA,B,Cと抜き出したが、実際のロケ地ガイドマップに載っている徒歩でのコースガイドには6つのポイントがある。ポイントとポイントとの間の景色も作品の中で登場する場面である場合があり、そのコース全体を歩くことで、実際に映画の中の町を散策している印象を覚える。つまり、ある一定の範囲内で、作品中に主人公やヒロインが使用している道路などが複数登場し、そのポイントポイント間の距離を把握することで、登場人物たちが実際にその区域で生活を営んでいたという感覚が沸きやすくなる。これは、ほぼ全編を高岡市で撮影されたという条件があってこそのものだといえる。なお、『8月のクリスマス』記念館は、この徒歩でのコースガイドに盛り込まれていない。記念館までは、駅から徒歩で20分かかり、JR高岡駅発のコミュニティバスや車などの交通機関を利用することが考えられる。

 また、徒歩で回ることがこのロケ地めぐりを楽しむ一つの方法ともいえる。私は、このコースの一部を車で通った経験があったが、歩くことで、じっくりと耳、目からその場を感じることができた。360度の景色を知ったり、ロケ地マップの解説を読むことで今まで何気なく見てきた建物が、実は歴史的な文化財のひとつであったことを知るきっかけになったり、普段は特に意識しなかった交差点が意味をもったものになったり、幾つもの発見に出会えた。同時に、ある地方都市の、とある景色が、映画を観た者にとっては、ひとつの価値をおく景色へと変化することに驚きと面白みを感じた。

 

第五節     ロケ地となった居酒屋

 作品の中で、主人公とその親友が酒を飲み交わすシーンがある。それは、高岡市内にある「炉ばた焼 陣太鼓」という居酒屋(以下陣太鼓)で撮影がされた。外観も室内も、濃い茶色の木目調が特徴的な、落ち着いた雰囲気の店である。陣太鼓の代表、中村氏にインタビューを行った。

 陣太鼓は、以前から高岡FCによる要請でテレビドラマなどの撮影に協力した経験があり、今回も快く撮影に協力した。あらかじめ、高岡FCが映画制作者側に市内の居酒屋を何軒か推薦し、そのなかで、陣太鼓が選ばれた。選ばれた背景には、中村氏曰く、店の雰囲気と直線ではなく曲がったカウンターがあったことの2つが決めてだったのでないかと語る。撮影の際には、店内にカメラを移動させるためのレールを引いたり、冷蔵庫やエアコンなどの機器の電源を切って、音を洩れないようにしたり、大勢のスタッフが出入りしたりと今までのテレビドラマ以上の大掛かりな撮影で驚いたそうだ。 

 映画が公開された3日後、北海道から女性客2名が訪れた。話を聞くと東京で山崎まさよしのコンサートに行った後に、ロケ地高岡を訪れたとのことだった。その後もちょくちょくと映画を観た客が訪れた。中村氏自身、客が映画を観て訪れたかどうかはっきりと把握できているわけではないが、山崎まさよしが何を食べたかと尋ねられることで、映画の影響を感じていたようだ。DVDが発売された3月以降、客の入りは増した。DVDにロケ地マップの縮小版が入っていたことで、ロケ地巡りに来られる方がぐんと増えたようだ。映画公開前に、陣太鼓は地元テレビ局の取材でロケの際に出した料理を紹介したことがある。その時のリポーターの方に「山崎まさよしセット」をメニューに入れることを勧められていた。DVD発売前までは、そのセットを置いていなかったが、DVD発売以降、「山崎まさよしセット」を置くことに決めた。それほど何を食べたかと聞かれる機会が増し、いっそのことメニューに取り入れた方が、店側も楽に対応できると考えたからだという。

 「山崎まさよしセット」を提供し始め、しばらくたってから、中村氏は、観光協会の許可をとり、『8月のクリスマス』記念館に「山崎まさよしセット」の宣伝を兼ねたドリンクサービス券を置くようになった。その効果自体は、微々たるものだと中村氏は語る。実際に記念館からサービス券はなくなっては行くが、持っていった方、全てが店に来られるわけではないという。

店には、記念館と同じように、2度3度と繰り返し来られる方もいるという。中村氏は、映画を通じて店に訪れるようになった方々との、写真やメールや手紙の数々の一部を見せてくださった。内容は、高岡の町についての感想や、中村氏の対応に関するお礼、山崎まさよしのコンサートについての情報などである。また、県外の方からは、各地方の特産物を送ってきてくださるケースも何件かあるという。中村氏はそれらの記録を丁寧にファイルにまとめて、嬉しそうに説明してくださった。中村氏は、映画を観て来られる客を「ファン」と呼び、「ほんとうに、こんな根強い山崎まさよしファンがいるとは思いませんでした」と語る。客の多くは『8月のクリスマス』ファンというより、山崎まさよしファンが多いのかという私の問いかけに対しても、山崎まさよしファンであると中村氏は即答であった。映画を観て訪れる客が山崎まさよしのファンである場合がほとんどであることが伺える。

 邦画『8月のクリスマス』の撮影に協力したことに対して、中村氏は、当初はこのような反響があるとは全く考えていなかったという。予想外の結果に、「全国の方々に、高岡市の陣太鼓の存在を教えてくれた宣伝代を考えると非常に安い」また、「来られる方がみんな高岡をいい町だと言ってくださるのを聞けるだけで嬉しい」と笑顔であった。

 邦画『8月のクリスマス』が高岡にもたらした影響は非常に大きいとも中村氏は述べる。普通の観光客は、高岡大仏や国宝瑞龍寺といった目的地ごとをバスなどで移動して見てまわるが、『8月のクリスマス』のロケ地めぐりにくるファンは、高岡中を歩いてくれるため、全然質の違った人たちだという。

 このように、映画を通じて、ファンとの交流をもつ中村氏だが、現在乗り出している活動がある。それは、平成181224日に閉館した 『8月のクリスマス』記念館の存続をめぐるものである。記念館は、映画のロケのための「鈴木写真スタジオ」として元床屋を改修した建物である。記念館自体、高岡市観光協会がもともとの持ち主から家賃を払い借りている状態であった。高岡FCの北本氏は、のちに記念館にすることは当初は考えておらず、撮影後に建物は壊す予定であったと述べる。そのため、記念館の屋根、窓ガラス、壁など、どれも価格が安いということを優先した造りになっており、耐久面などを考慮されていない。冬場の積雪時などは、もろい屋根に負担をかけないように、観光協会の職員が雪降ろしにあたった。記念館への入館は無料であるが、なにかと維持費がかかるため、期間限定が避けられない状況であり、平成181224日に閉館された。

 だが、第二章三節の記念館のノートからも分かるように、記念館は人々に特別な感情を抱かせる空間である。記念館を一人ひとりが大切な場所と捉えているのが感じられる。閉館を惜しむ声がとても多いのだ。そこで、中村氏は、なんとかその人々の思いに応えようと、動き出した。マスコミを通じて閉館を食い止めたいと地元新聞社に記念館に関する記事を書いてもらったり、店を通して知り合ったファンと協力し観光協会や高岡市長に宛てに手紙を出したりしている。実は、中村氏は、高岡市観光協会の職員と古くからの友人で、記念館の維持が大変なことも良く承知しておられた。それらのことを分かっているうえで、記念館を残したいと語る中村氏からは熱意を感じた。

 私が、平成181224日の記念館閉館の日に、館を訪ねたところ、館内に中村氏がおられた。館は、一旦は閉館するが、それは一時的なことで、また開館する方向で進んでいるとのことだ。

 

第六節     高岡市金屋町という場所と記念館

 高岡市金屋町という場所は、もともと高岡市の観光地のひとつであった。金屋町は、千本格子の家並みと石畳の道によって、古く趣のある町なみをもつ場所である。高岡の鋳物発祥の地であり、400年の歴史をもつ。かつて、高岡に城を築いた加賀藩の前田利長によって、鋳物師7名を金屋に招き、そこで鋳物の作業場を開業させた。前田利長は、鋳物師らを手厚く保護し、金屋町が生まれた。そして現在、高岡銅器は全国90%のシェアを誇る。(金屋町七ヵ町散策マップより)

この金屋町には、観光ボランティアやイベントの企画運営、緑地公園の清掃などを行う、金屋町の住民からなる「町なみを考える藤グループ」という団体がある。その代表である般若氏に、この『8月のクリスマス』記念館についての思いをインタビューによってうかがった。

率直に、自分たちの住んでいる町に、『8月のクリスマス』がロケ地となったことについてどう感じているか尋ねると、全国からとても多くの人々が金屋町を訪れることに大変驚かれていた。その人々の多くが山崎まさよしのファンであり、山崎まさよしという人物についても、これほどの熱狂的なファンを多く持っていることに驚いたと語る。般若氏らのグループは、約半年間、観光協会の依頼で、毎月ローテンションを組み、半日交代制で、記念館での接客を行ってきた。その間に、記念館を訪れる人々との交流もあった。

ここで、注目しておきたいのは、金屋町と『8月のクリスマス』記念館との観光コンセプトの異質性である。金屋町はもともと歴史ある鋳物発祥の地としての観光地であったが、邦画『8月のクリスマス』のロケ地となったことで、新たな観光資源としての価値が加わった。金屋町自体は、2つの見所があるわけだが、人々は、2つの側面を楽しむ場合もあれば、どちらか一方にのみ関心を傾ける場合もある。般若氏によれば、記念館を訪れる人々の多くは、記念館にのみ興味を示す場合が多いという。記念館で接客をしている際に、金屋町の歴史についても説明したい思いから声をかけたが、たいていは、記念館だけで満足して金屋のもうひとつの鋳物についてなどの関心は低いままで帰られると場合が多いという。また、鋳物の町としての金屋町を観に観光に訪れた方には『8月のクリスマス』記念館を案内しても、興味はもってもらえないという。

金屋の2つの側面を共有できない一つの要因として、アクセス方法の違いが挙げられる。鋳物の町、金屋を観に訪れる人々は観光バスで来る場合が多く、『8月のクリスマス』記念館を見に来る人々はコミュニティバスを利用する場合が多いという。観光バスの駐車場とコミュニティバスの停留所の間に記念館がある。そのため、記念館に訪れる人々は、停留所から記念館、記念館から停留所という最短のコースを回る。そのコースだと、石畳通りの金屋らしい町なみを満喫しにくい。一方、鋳物の町、金屋を観に訪れる人々は、記念館より以前に、歴史的な鋳物の町を味わえるコースがあるため、それで満足して帰られる。

人々によって関心が違うのは、筋の通ったことである。だが、記念館のノートからは、一度目に来たときは、金屋の古い町並みに目が行かなかったが、二度目にその趣のあることに気がつき、三度目には記念館と町なみ両方を楽しみに来られたという内容の書き込みがあった。また、2006年になってから、観光協会の方が記念館での接客を引き継ぐことになったが、それを担当している伊藤氏は、私たちが金屋町の町なみについて楽しんで言ってと声をかけさえすれば、歩いていってくれるとも述べている。記念館を訪れることで、金屋町に関心をもつきっかけは増しているといえるだろう。