第6章  結論

 

 本論文ではペットを失った悲しみにどのように対処しているのかという問いに対して「伝統的な悲嘆モデル」と「絆の継続モデル」という2つの理論に着目しながら検討してきた。そこで用いられるのが「悲しみの語り」と「絆の語り」であった。家族がどちらを語るのかを考察することによって、ペット供養の特徴的な面が見えた。ひとつは「伝統的な悲嘆モデル」と「絆の継続モデル」は対立するのではなく、共存しているという点である。第5章第2節では興味深い事例としてJさんとKさんを取り上げて説明しているが、この「共存」というのは「悲しみを語る人」と「絆を語る人」が同じ場面で相対していても、何の違和感も感じられないというものであった。しかしそれだけではない。同節で引用したCdさんの例を見てみると、「悲しみの語り」と「絆の語り」は同一人物の語りの中にも共存しうるのである。どちらかに偏った立場をとるのではなく、曖昧に折衷させるという点がペットロスを語る上での日本型心理理論に合致しているという結果になった。

 もうひとつは、第5章第3節で述べたように、ペット葬儀の場がペットとの思い出を共有したかのような感覚を味わえる他者を供給する場となっているという点である。お参りに来た際、家族は思い思いの時間を過ごし、他の家族との会話もほとんど行われてはいない。ではどうして思い出を共有したように感じるのだろうか。それは第5章第1節で述べたように、絆を持つ行動が共通しているということにある。供養の場で同じような行動をとること、つまり絆の持ち方を共有することによって、他の人も同じ思いだということを認識するのではないだろうか。それは家族で来ている人は家族の中で行われ、同伴する家族が不在である場合は自分の中にある思いを受け止めてくれる他の誰かが必要なのであろう。ペットロスの問題点は理解してくれる「他者」の不在であったが、つまりペットロスを乗り越える効果的な方法はこうした「他者」の存在なのである。ペット供養はこうした大きな役割を担った場と言えるのではないだろうか。

 

 

おわりに

 

 今回の調査を通じて、人とペットの絆は確かに存在すると確信することができた。しかし絆というのは瞬間的に生まれるものではない。日々の暮らしの中で楽しい思い出を共有したり、心に刻んだ思い出を回想することによって生まれ、さらに強いものへとなっていくのだろう。インタビューを行った家族は現在もその絆を確かめ、強化していることだろう。

 最後に、お忙しい中拙いインタビューに快く応じてくださったインタビューイーのみなさま、何回も訪れ調査にご協力いただいたペット葬儀社の方々に心より感謝いたします。