4章  B社の調査報告

 

1節  B社僧侶Oさん インタビューについて

 

2006615日、初めてB社を訪れる。入り口の左手には観音様の石碑が建っている。観音様の足元には動物の石碑も。隣には盲導犬用の四角い石碑もある。その横には渡り通路ようになっていて、1階建ての建物がある。ちょうどL字型のような形で並んでいる。B社の「セレモニー部」と呼ばれる建物はB社納骨堂と祭壇、事務所がそろっている。ここには普段社員が3名いる。30代ほどのスーツを着た男性は事務的作業を行っているようだ。50代ほどの甚平のような服を着た女性は建物内の掃除などを行っている。そして60代ほどの女性、この人がB社に常駐する尼僧のOさんである。服装は白い着物に黒い腰までのものを羽織っている。事務所から出てきたOさんと一緒に1匹の犬も出てきた。

挨拶を済ませ、ソファに向かい合う形で座ったOさんはこちらからの質問を待たずに「もう人間と一緒」と始め、「一番大切なのは『命』。地球上のものはみんな一緒なのだ」と語る。僧侶であるOさんはこの言葉を以後のインタビューでも繰り返している。ここで一度話しを終え、建物内を案内してもらう。

建物は2階建てで、1階に事務所、祭壇、葬儀場、応接室、畳敷きの和室がある。それぞれの部屋はあるが扉で仕切られているということはなく、一通り見回せる格好になっている。2階は全て納骨堂で階段を挟み、部屋が2つに分かれているがどちらも納骨棚でいっぱいである。もう1つの建物も納骨堂であった。新しく建てられたものである。

まずはソファの置いてある応接室のような部屋の奥にある葬儀場を案内してもらう。奥まったところにあるので窓は無い。広さはOさんの話しでは約12畳とのことだったが、それよりも狭く感じられる。葬儀場を入って正面の壁の左半分が祭壇となっている。白い菊の造花が壁一面に敷き詰められている手前に、ぼんぼりや焼香台などが置かれている。部屋の中央に木の箱が置いてある。それが棺である。50cm×30cmくらいの長方形の箱で中は白い布が敷いてあり、蓋にはきちんと覗き扉もついている。人間の棺のミニチュア版といった感じ。その棺を囲むようにイスが7脚用意されている。葬儀に参列するのはほとんど家族に限られるのでこの程度の数で十分なのだろう。

入り口右手は広いスペースになっていて、中央から少し右よりに大きめのテーブルが2台縦に並べられ、その左右にイスが4脚ずつ置いてある。そのスペースの突き当りの壁際には大きな祭壇が設けられている。全体に青い布で覆われ、ここにもぼんぼりや焼香台、ろうそくなど一式用意されている。祭壇中央には「馬頭観音(4)」が祭られている。その名の通り頭に馬が乗った観音様は「動物の守護神である」とOさんは語る。毎朝Oさんは馬頭観音に向かい読経する。観音様の右隣には棚があり、そこにいくつか骨壷が置いてある。これから納められるのだろうか。祭壇の正面には白い布で覆われた椅子が4つほど並んでいる。

入り口正面、事務所の横の階段を上ると2階の納骨堂に通じる。階段を上りきった正面に観音様が2体と木魚、鐘、シンバルのようなもの、ろうそく、線香などがおいてあり、果物も供えられている。賽銭箱のようなものもある。ろうそくや線香も用意してあるので、お参りに来た家族が自由に使っていいらしい。ここでは納めてあるペットの命日や一周忌など、飼い主から要望があればOさんがお経を上げたり、家族自身も上げたりすることもできる。階段の両側が納骨堂になっている。左の部屋が15畳ほど、右の部屋が25畳ほどの広さである。ここの棚には例えば50ある棚に5空きがあるかないかという具合にびっしりと骨壷が納められている。そこには骨壷と一緒に色とりどりの造花と花瓶、写真が納めてある。造花や写真立てなど同じようなものが目立ったのでOさんに聞いてみると、それらは納骨する際にB社で用意しておくものであった。

再び1階に戻る。先の馬頭観音の左隣には畳敷きで1段高くなった部屋がある。部屋の中央にはテーブルと座布団が用意され、床の間のような雰囲気になっている。しかしそれとは違うのが、壁一面が納骨棚になっているということ。ここの納骨棚は2階とは違い、「特別棚」と呼ばれ、一家族が歴代のペットたちのお骨を納めることができる。従って正方形に区切られている棚と違い、横に長く区切られている。そこには「○○家」というようにシールが貼ってある。骨壷の数は家族によって違うが、中には10個ほど納めている家族もあった。棚の上部に額に入れられたペットの写真がずらりと並べられている。

新しく造られた納骨堂は1つの空間で40畳ほどの部屋の壁一面に納骨棚が置いてある。こちらのほうはまだ空きが目立つ。ここの納骨堂の中にも観音様が置かれ、家族は自分のペットだけでなく、観音様にも手を合わせてお参りする。

案内が終わるとOさんへのインタビューを開始。B社は平成6年創業。ペット葬儀社を始めた経緯はB社社長の友人が富山医科薬科大学(現富山大学医学部)の実験動物の処分をしていた。その人が仕事ができないということでB社社長が譲り受け、そのまま一般の動物も受けようということで始まった。Oさんは平成10年からB社にいる。B社ペット葬儀はOさんを含め5名で行っている。

ペットが亡くなってから連絡を受け、遺体を持ってB社にやってくる人はその場で葬儀を挙げる。まず持ち込まれた遺体をキャスターの付いた60×30cmほどの台に乗せ、状態をチェックする。それから遺体を棺の中に入れる。その際遺体には首輪やお花、レースなどをつける。その後家族は「ペット御葬儀受付表」を書く。そこには家族の住所、氏名、ペットの名前、逝去日、生存年数などを記入する欄がある。他にはB社を知った媒介の選択、お骨拾いをするかしないかなどがある。家族がこの表を書いている間にOさんたちは葬儀の準備を行う。自宅に引き取りに行く場合は、棺を持って行きその場で葬儀を挙げる。葬儀は大体30分ほどで終わる。葬儀後は火葬する。B社では一体ずつ火葬する。火葬場は「セレモニー部」にはなく、離れた場所にあるB社本社にある。そこまでペットの遺体を運ぶ。火葬には34時間ほど時間がかかり、その間一旦家族は家に帰ったりするようだ。お骨拾いをする場合はもう一度B社へ出向く。     

葬儀内容よるにグレードというものはB社にはない。家族からの特別のリクエストというものもこれまでになかった。またペット葬儀には特に宗派というものはないので、家族も葬儀の形式まではそれほど気にしないようだ。

お骨は多くの場合、B社納骨堂に納骨される。一般的には四十九日までは自宅に置いておき、その後納骨する。しかし中にはお骨を自宅に持ち帰る家族もいる。後にインタビューしたKさんもその1人である。お骨を自分の気の済むまでは納骨しなくてもよいというのはB社特有のサービスのひとつである。

葬儀後のお参りについて、セレモニー部は水曜日以外午前10時から4時まで開放している。家族は自分の都合のいい日、時間にお参りに来ることができる。1日に平均して10人程度やってくる。「自由にお参りしていかれる」とOさんも語る。家族はお参りに来るとOさんら社員と思い出話をしたり、動物の指導、相談も受けているようだ。また年に1度、9月の第4日曜日に「合同慰霊祭」というイベントを行っている。家族が一度に集合するというイベントはこれだけであるが、「合同慰霊祭」については次節で報告する。

B社では四十九日、一周忌などをしっかり行う。三回忌までは家族へ葉書を送り、法要を知らせる。ここも特有なサービスといえる。「49日はこの世で彷徨っていた霊を天国に送るための日である。これは絶対行わなければならない」とOさんも語る。人間と同じ考えをとっているようだ。ペットを失った家族に対するケアについて、Oさんは「つらい気持ちを癒してくれるのは同じような子である」と語り、ペットが死んでしまったら新しいペットを飼うことを勧めている。そこでペットとの縁、つながりは切れずにつながっていくと語る。ここにA社との違いが伺える。

ペット葬儀に対しても人によってそれぞれの考え方や捉え方がある。そうした中で、B社でペット葬儀を挙げるときに重要なこととしてOさんは次のように語る。

 

O:心なんですよ。思いやり、それが心なんです。人間は感情を持ち、やさしい気持ちを持ち、人間だけじゃないです、動物みんなもってますからね。だからそれを持つにはやっぱり自分の心もその子たちに対して、ほんとに感謝して一緒に出会えたことに感謝して、ありがとう。ほんとにその気持ちが大切だと思う。

 

ペットは人間の悲しい気持ちも忘れさせてくれる重要な役割を担っている。それはもうペットとは呼べず家族の一員であるのだ。

また動物を飼うということはある意味人間の勝手である。そうした上で動物の生き方の理解が必要なのである。Oさんの毎日の読経はペットへの感謝の気持ちも込めて行われているのだろう。そして次のような文面の用紙を私に手渡す。

 

  皆様にお願い!時節柄、日々寒さが厳しくなって参ります。お宅の犬ちゃんはお元気

  ですか?犬ちゃんはまだまだ比較的、外に繋がれている子が多く自由がありません。猫

  ちゃんと違って自由が無いのです。温かい場所、夏なれば涼しい場所、繋がれている以上

  自分で選ぶことが出来ません。もし野生で居たならば、穴を掘り、雨・風・暑さ・寒さを

  凌ぎ、自分で生きることをします。しかし人間の手の中に居る以上、それを人間が考えて

  やるべきことではないでしょうか。

  例えば、寒い冬を乗り越えるために体に脂肪を貯めるため、食事を多く取ります。又犬小

  屋は温かくして上げて下さい。

  年を取るにつれ、暑さ寒さは体にこたえます。人間は何でも出来ます。可愛い子を大切に!

  命を大切に!

 

 Oさんはこの文章を動物病院やペットショップにも届けたいくらいだと語る。今生きている子も大切にしてほしいと願う。「命を大切に!」相手を思いやる心をOさんは一番伝えたいのだろう。

 

 

 2節  毎年1度の「合同慰霊祭」について

 

  B社では1年に1度、9月の第4日曜日に「合同慰霊祭」(以下「B合同慰霊祭」)が行われる。慰霊祭は仏壇の前で僧侶が読経して、B社でペット葬儀を挙げた家族が焼香するという形式をとる。葉書で知らせ、その葉書に氏名とペットの名前を書いて受付に提出する。その際一緒にお布施を渡す。そして受付でカレンダー、お菓子、ジュースが入った黒い紙袋を受け取る。

 「B合同慰霊祭」は午前と午後の部に分かれている。「以前は午前の部だけだったがお参りに来る人の人数が増えて納まりきらなくなったため午後の部も行うようになった」とB社社長は話す。午前の部は1030分から慰霊祭開始と案内の葉書には書いてある。しかし、この日調査に行ってみると開始の1時間前から家族が集まって来ている。

 6月にインタビューに訪れたときと建物内の様子が変わっている。テーブルや椅子、ソファが運び出され、広いひとつの空間にパイプ椅子が120席ほど用意されている。社員の数も増えている。車の誘導員が3人、受付が4人建物内に前回の3人に加え2人。この日は社長も来ている。社長はB社とは別に鉄鋼関係の事業も行っている。「B合同慰霊祭」には助っ人としてそちらの社員を連れてきたようだようだ。

パイプ椅子は馬頭観音に向いている。馬頭観音の前に「動物萬霊等位」と書かれた板が置いてある。その前にはりんごやバナナなどの果物がたくさん並べられ、周りのには花が飾られている。祭壇の前には焼香台が4つ並んでいる。

観察している間にも家族はどんどんやって来る。10時には椅子がいっぱいになってしまった。そこで畳式の部屋にも家族が通される。最終的には建物内に入りきれないほどの人数になってしまった。そこで急遽開始時間を10分早め「B合同慰霊祭」が開始した。

 「B合同慰霊祭」は3人の僧侶の読経で進む。1人はOさん。あとの2人は高岡市のお寺の僧侶である。ここのお寺にはB社の納骨堂がある。

B社社員がマイクで「名前が呼ばれたら順に焼香してください。その際ご導師に一礼してから行ってください」とアナウンスすると、すぐに読経が始まる。そのまま社員はマイクで受付順に「○○様、愛犬(愛猫)○○号」というように読み上げる。Oさんの話では新しいペットを飼うことを推奨しているということであったが、ペットの名前はほとんどが1家族に1匹だった。中には3匹や7匹名前が呼ばれることもあったが、そのときは会場が少しどよめいていた。受付を済ませた家族の名前の読み上げが終わると、今回は出席できなかったが受付表に名前を書いて郵送してきた家族の読み上げが始まる。それが終わると代わって社長が焼香する。ここまで約20分であった。焼香が終わると高岡のお寺の住職の説法が行われる。その後住職は退場し、次に社長が挨拶する。午前11時、「B合同慰霊祭・午前の部」が終了。

午前の部に訪れた家族は150人ほどいたように思われる。椅子に座れず立って焼香の順番を待つ人もいた。そのため焼香が終わるとすぐに帰ってしまう人もいた。慰霊祭が終わると一斉に帰ってしまう。B社セレモニー部は国道8号線沿いに位置し、駐車スペースも限られている。そのため10分もしたらほとんどの人がいなくなってしまった。

遅れてやってきたHさん(次節参照)に声をかけ、何とかインタビューすることができた。インタビューが終わると受付や誘導をしていた人たちは外のテントでお茶を飲んで休憩している。建物中でもOさんたちが昼食をとっている。午後の部は1時受付となっているが、またも12時には家族が到着する。するとそれぞれの持ち場に戻って対応をする。私も午前の部の教訓を生かし、受付を済ませ椅子に座っているIさん家族(次節参照)に慰霊祭終了後インタビューのお願いをしておく。

「B合同慰霊祭・午後の部」も午前の部と同じように進行される。Iさんへのインタビューが終わり、Jさん・Kさんへのインタビュー中、社員によって後片付けが行われる。椅子があっという間には運び出され、テーブルやソファが元の位置に設置される。これで「B合同慰霊祭」は終了した。

 

 

3節  家族の紹介

 

●Hさん家族

 

 Hさんは妻、娘夫婦の4人家族。自宅はB社から車で20分ほど離れた所。B社納骨堂には平成14年に亡くなった雑種犬のチカとプレーリードックのプレオ、平成18年に亡くなったゴールデンレトリーバーのジョニーが眠っている。この日Hさんは知人のお葬式と重なり後から参加することになり、式には妻と妻の母親が参加した。「B合同慰霊祭」にはできるだけ参加しているが、普段のお参りは不定期だという。

 

 郷:そうなんですか。お参りにはいらっしゃらないんですか、普段。

  H:普段そうだね、やっぱり忙しいからね。来ますよ。ぜんぜん来ないわけじゃないけど不定期で。

  郷:どれくらいの

  H:そんなどのくらいって言えないくらい不定期。

  郷:そうなんですか、わかりました。

  H:人間なんて勝手だからね、自分の都合しだいだから。その気になったときに近くたまたま通りかかったら寄っていくっていうのはありますけど。

 

 ペットが亡くなって妻が電話帳で調べ、自宅の近くだったのですぐ来てもらえるかと思いB社に電話連絡した。すると電話してすぐにB社社員が自宅に訪問した。そして翌日納骨堂内の葬儀場で葬儀を挙げる。葬儀を挙げることに対してHさんは「一番いいことかというのは別にして、納得できる」というように語る。「やっぱりこういうところがなかったらね、ゴミ扱いになるからね」とも語っている。行政などに処分を委託した場合、ペットの遺体は一般廃棄物として扱われる。そのことがHさんにとっては納得できないことなのだろう。

 現在のペットへの気持ちは「死んでもかわいい」。ペットを飼うきっかけとなったなれそめは何かと質問するとへへっと照れ笑いしながら生き生きと話してくれた。最初に飼ったのはジョニー。知り合いの家に生まれた子犬をもらった。その1年後、行きつけのラーメン屋で生まれた子犬56匹のうちの1匹をHさんがもらってきた。それがチカだった。妻は寝ている枕元へ酔っ払ったHさんがぽんと子犬を置いたので「何だと思った」と笑いながら話してくれた。

 

 H:ペットの出会いっちゅうのが、わざわざ探しにいくとかってことは1回もない。だから偶然の出会いしかないから。

 

 生前ジョニーとチカはとても仲がよく、寒がりのチカが冬になると毛がふさふさのジョニーの背中にずっと座っていた。プレオとのなれそめはもともと娘の夫のペットで結婚を機に同居するようになった。プレーリードックは地リス科の動物でエキゾチックアニマルと言われ、獣医でも生態をしっかり把握されていない動物ということで、Hさんと一緒に生活するようになってから2年で亡くなってしまった。生態がよくわからなかったといっても「悪いことをしたな」と語る。

 Hさんは現在「2世」となるプレーリードックを飼っている。プレオが亡くなってHさんは大きなショックを受けた。あまりの落胆ぶりを不憫に思った娘が連れてきたのが現在飼っているプレーリードックのミンミだ。これまでの教訓を生かしてかわいがっている。新しいペットを飼うことを勧めるB社の利用者の中でもペットが亡くなってから飼い始めた家族はHさんだけであった。

 亡くなったペットの写真は家中に飾ってある。それだけではなくHさんのパソコンの中にもたくさん保存されている。

 

Iさん家族

 

Iさんは妻と娘の3人で「B合同慰霊祭」に参加。もう1人娘がいて4人家族。自宅はB社から車で15分ほどの所。「便利もいいしね」と妻も語る。普段のお参りは月に1回ほど。自宅での供養は何かしているかという質問に、妻は「写真と線香たてなど一通り揃えてはいるが今はほとんど」と笑う。「亡くなったとき49日までは毎日花とお水と。今はもうしてないですけど」ということである。

 Iさん家族は大阪から富山へ引っ越してきた。大阪に住んでいたときウサギも飼っていた。最初にウサギが亡くなったとき、IさんはA社でペット葬儀を挙げた。B社のことは近所の人に聞いた。B社の場合、ペットが亡くなったらお骨を自宅に持ち帰ることができる。また四十九日や三回忌などの法要を家族にお知らせして行ってくれる。この点がよかったので犬が亡くなったらB社でペット葬儀をすることを決めた。Iさんはこちらの対応を気に入っていて、犬を飼っている人には薦めている。葬儀の感想にも「あそこまでしてもらったらわんちゃんも成仏するかな」と語った。しかし何年かしたらお骨を土に還そうと思っている。

 現在はペットを飼っていない。Iさんは飼いたいという思いもあるが、日中家族がだれも居なくなること、やはり別れがつらいということを考えると踏み切れないといった様子であった。「縁があれば」と妻も言っている。Iさんは次の言葉でインタビューを締めくくる。

  

I:まあこうしてね、飼われて最後まで見届けてもらって亡くなったわんちゃんとかね、うさぎちゃんでもいいけども幸せだよね。やっぱり世の中見てみたらね捨てられて、もうねそれが現実だからね。もっともっとね今日も社長さん言っておられたけどね、なんていうの飼われてて捨てられた犬とかさ、どうやって見届けてあげたいなっていうのが本音のところかな。

 

JさんとKさん

 

 家族何人かで参加する人が多い中、JさんKさんの2人はお互い1人で参加していた。話し始めた経緯について、後の調査でたまたま隣に座ったKさんが式が始まる前から泣いているのが気になって、Jさんから終了後話しかけたことから始まった。いきなりペットについては話しづらかったので最初はまったく関係ない内容で声をかけた。そこからだんだん話しはペットのことになっていった。一方のKさんも隣に座っているJさんの存在が気になっていた。ペットについてやどうして1人で来ているのかということについて話したいと思ってはいた。そこに話しかけられたので2人で話し込むことになった。

 Jさんは柴犬の雑種タロウを10年前に不慮の事故で亡くした。中学校のグラウンドの側溝に落ちて出れなくなった。Jさんはレスキューを求め消防署に頼んだが断られてしまった。そのときの状況をJさんはこのように語る。

  

:側溝に落ちちゃって 、そしたら首輪かなんかがどっかにひっかかってた可能性あるのよ。水流れてるじゃないですか。だけど応答あったんですよ、3日は生きてたんです中で。だんだん返事が無くなって、、うん、、なんか生きたまま、、助けてあげられなくて、、それがいまでも。

 

 レスキュー隊の「人間じゃないから」という言葉にひどく傷けられた。Jさんはその後数ヶ月は食事もまともにとれない状態が続いた。結局タロウを救出することが出来なかったためJさんはお骨を手にすることができなかった。しかしB社社長とたまたま知り合いだったため、B社を設立した際タロウの写真を持ってお参りしてもらった。現在でも亡くなった現場ではお寺の僧侶に来てもらって供養している。B社へは入り口横の観音様の足元に置いてある動物の石造を寄付した。そして「B合同慰霊祭」に現在でも毎年参加している。

 Kさんは平成18年の7月に猫のサクラを亡くした。原因不明の肉腫で6才で亡くなった。近くの動物病院に連れて行ったが治療することができる一番近い所は大阪のほうだと言われ治療をあきらめ、次第に弱っていくサクラを見ていることしかできなかった。

  

K:人間だったら放射線治療とかもどこでもできるのに、動物だというそれだけでなんでそんな遠いとこまで行かなくちゃいけないかっていうか。都会のほうは羨ましいなと思いました。

 

 B社は電話帳で調べた。早朝に亡くなったのだが早いほうがいいと思いその日の午後に葬儀を挙げた。葬儀の感想を涙ぐみながら語る。

 

  :人間と同じにしていただけるんだなって。ほんとに昔だったらこういうふうにはしていただけない時代もあったと思うんですが。ほんとにあの連れて来たときに耳とかにリボン付けてもらって羽がはえて、お棺の周りが白いレースみたいになってて、、よかったです。

 

 Kさんはサクラのお骨を納骨堂には納めていない。これは先のIさんのところでも述べたがB社ならではのサービスである。このことについてKさんはこのように語る。

  

K:実は49日があってこの前法要していただいたんですね、気持ちがついていかなくて頭ではわかってるんですけど、またうちに持って帰ったんです。どうしようかなと思いつつ日だけが、、でも家では毎日お参りをして、線香を一日何回でも(笑)。そして毎日ここには来れないだろうけども、日が経つにつれて来なきゃいけないっていう義務感になったらやだなって思って、それもあってなかなかここに納めれないっていうか。うちにいたらいつでも自分の気持ちが済むだけできるし。そのうち自分のなかで、、ですね。

 

 葬儀後分骨というかたちでサクラの歯を家族4人分もらったが、Kさんはそれだけでは納得できなかった。今回初めて「B合同慰霊祭」に参加した。

 インタビューの最後に何か思うことはないかと質問してみた。Jさんはまっさきに「動物のそういうレスキューの普及を願います」と答えた。Kさんもペットの医療についての地域格差がなくなることを願っているということであった。レスキュー隊や獣医にかけられた言葉にショックを受け、このようなことがないようにしてほしいという気持ちが強いのだろう。インタビュー中もJさんの知り合いのポメラニアンが皮膚病になったが東京に名医がいるというような話になったりして、3人で世間話のように会話していた。インタビュー終了後、2人はそれぞれ連絡先を交換していた。

  「B合同慰霊祭」の約1ヶ月後となる11月2日にJさん、Kさんに電話による追加調査を行った。まずはお互い話し合った経験についてどう感じるかと質問してみた。「ペットを大切にしている気持ちをみんな持っているのだということを感じた。命を大切にしたい」と語った。彼女によれば今までに「B合同慰霊祭」で誰かと話し込むという体験はそんなになかった。Kさんとたまたま隣りだったというだけのことであった。Kさんが泣いているのが気になってJさんから話しかけた。ただしあれから連絡は取っていないということであった。しかしKさんについて「とてもいい人だったので、また是非会いたい。(Kさんと)話してよかった」と語る。電話の最後に私がこれからKさんにも電話をすると告げると、「またお会いしたいです」という伝言を頼まれた。

 その後すぐにKさんの自宅に電話をした。話し合った経験について質問すると「Jさんとは初めて会ったが、話を聞いていて(タロウが亡くなって)10年経っても涙しているし、お骨も手元にない。私は(サクラの)最後を看取ることができたから良かったのかもしれない。話すまでは私だけがとっても悲しくて不幸だと思っていたけど、Jさんのほうがつらかったのではないか。私だったら、Jさんのような体験をしたら耐えられなかっただろう。話しができてすごくよかった」と語った。Jさんの印象をとても愛情深い人だと語る。「B合同慰霊祭」ではKさんはまだお骨を自宅に置いていた。しかしその2日後、納骨を決意しB社納骨堂に納めた。「B合同慰霊祭」でサクラよりも後に亡くなったペットもすでに納骨しているということを知り、そのほうがいいのではないかということで決めたらしい。現在は1週間に1回はB社へ通いお参りをしている。はじめはサクラが25日に亡くなったので、毎月5の付く日(5・15・25)にお参りに行こうと思ったが、それだけでは足りなかった。Kさんにとって今の状態は決して義務ではないのだろう。最後にJさんの伝言を伝えるとKさんは「じゃあ連絡してみよう」ととても喜んでいた。

 2人ともお互いにとてもいい人で話した経験をとてもよかったと語る。そこには前回の涙はもうない。2人のとても明るい声が印象的であった。