3章 考察

 

先行研究による指摘や本研究の調査結果によって、青年海外協力隊帰国隊員の帰国後の再就職にはさまざまな問題があることが明らかになった。今回の調査でのインタビュイー10人のうち、大学を卒業し、新卒で青年海外協力隊に参加した人が3名、一方いったん就職した後で、協力隊参加を機に離職した人が7人である。それぞれの場合について、なぜ協力隊に参加し、帰国した後にどのような経緯で再就職したか という観点において見ることで、隊員の帰国後の再就職においてどのような点で困難が発生するのか、ということがわかるであろう。本章では、この点についてインタビュイーの語った言葉を適宜引用しながら質的分析を行い、考察を加えていくこととする。

本研究の考察はインタビュイーを2群に分けてその考察を進めることとする。まず1つ目は「学卒→協力隊参加→帰国後就職」型のライフコースを辿った人々のグループである。これは今回のインタビュイーの中ではMNさん、NNさん、GTさんの3名にあたる。そしてもう一つは「就職→離職→協力隊参加→帰国後再就職」型のライフコースを辿った人々である。これは今回のインタビュイーの中ではKKさん、OTさん、HSさん、MYさん、NCさん、KMさんの7名にあたる。


 

1節 青年海外協力隊経験者たちの離職行動・帰国後の再就職

 

本節ではまず、「就職・離職→協力隊参加→帰国後再就職」型のライフコースを辿った人々の、協力隊に参加する前の離職行動、そして協力隊参加後の再就職について見ていくことにしよう。

「就職・離職→協力隊参加→帰国後再就職」型のライフコースを辿った7名は、全員が協力隊派遣前にそれまで勤めていた職場を離職してからその後協力隊に参加している。本節で分析を行ったインタビュイー7名のうち、特定の職業に関する国家資格を持っていたのは2名で、日本語教師など国家資格ではないが職業に関する資格を持っている人が名、何も資格を持たない人が名であった。

有資格者の場合は、帰国後にも資格を持っていることで再就職がしやすく帰国後の職をあてにできる、という点で無資格の者よりも仕事を離職しやすいのではないか、と考えられる。帰国後に無職になるリスクが少ない彼らの場合、協力隊に参加する際にそれまでの職場を離れることにも、無資格者と比べると躊躇は少ないのではないだろうか。例えば、HSさん、MYさん、KMさんの3人は資格を持っているが、インタビューの中で離職に関する躊躇といったことは語っていなかったし、もう1人の有資格者であるNCさんの場合は、協力隊の前に、オーストラリアにワーキングホリディに行くため、1度離職しており、帰国後も協力隊に参加するために日本語教師の資格を取っていたことからわかるように、そもそも離職に関する躊躇という概念もこの場合には当てはまらない。参加に際しての4人ともインタビューの中で「先行きに関する不安」といった内容は語っていなかったことからもわかるように、有資格者の者が離職してから協力隊に参加する、というライフコースをたどったとしてもさほど不思議ではない。

一方、何も特定の資格を持たない者の場合はどうだろうか。帰国後の就職を保障してくれる方法としては、「ボランティア休職(休暇)制度」を利用して、勤め先に籍は残したまま協力隊に参加する、という方法が考えられる。「平成14年版 厚生労働白書」によると、「従業員が自分の能力開発のために長期間の休暇を取得することに対して、特別の休暇を付与している企業は.%、休職扱いとする企業は%となっており( ()富士総合研究所000)また、ボランティア休暇を制度化している企業は.%、ボランティア休職を制度化している企業は.%となっている(()勤労者リフレッシュ事業振興財団勤労者ボランティアセンター、2001) また、社員のボランティア活動を支援している企業は、993年度調査時に5.3%だったものが、0.9%(06社)に大きく増加しているとし、ボランティア休暇・休職制度、表彰制度等を導入したり、ボランティア活動の情報や機会を提供することを通じて、社員が活動しやすい環境整備やきっかけづくりに取り組んでいる。ボランティア休暇・休職、表彰等の制度導入しているのは調査した38社中140社で、全体の1.4パーセントだった。(()日本経済団体連合会(日本経団連)(2004))

しかし、近年、これらの調査が示すようにボランティア休職制度の体系が整えられてきているとはいえ、まだまだ企業により制度の内容はさまざま、というのが現状だ。事実、長期の休暇、たとえば2年間休職できる制度は青年海外協力隊を意識したものであると思われるが、これを取得するにも、人事の面接を受ける必要があるなどその利用に関してはなかなか複雑な条件がついていることが多い。しかも他の種類のボランティア休暇と比べると、青年海外協力隊のためにこの制度を利用している1社あたりの人数は少ない。また、このような制度が体系化されているのは大企業の場合が多く、地方企業や中小企業でボランティア休職・休暇制度を取り入れている会社は見られなかった。事実、今回のインタビュイー人のうち、人は協力隊参加の前には会社員であったが、ボランティア休職・休暇制度を利用して参加した人は見られなかった。これらのことから考えてみると、現状でこの制度を利用するにはまだまだ厳しい現状があると言わざるをえないであろう。

 一方、今回の調査では、帰国隊員たちの日本での就職活動についても難しい現状が存在することを多くのインタビュイーが語った。中にはすんなりと就職が決まってしまう人もいたが、帰国隊員は一度はこの再就職問題に直面しているようである。

今回の「就職・離職→協力隊参加→帰国後再就職」型のライフコースを辿った調査対象者の場合は、帰国直後の就職において、派遣前と同じ職種に就いた人が人、異なった職種に就いた人が人であった。その内訳は、JICAの国内協力員や国際協力推進員として国際関係の仕事に就いたのがKHさんとNCさんの2人、民間の会社に就職した人がOTさん1人、自営業がKKさん人、自分が持つ資格を生かして専門職に就職した人がHSさんとMYさん、KMさんの人である。

再就職に関する話の中で意外に多かったのが、誰か他の人からの紹介により就職したパターンである。今回の調査対象者たちの中では、帰国直後に就職した時に紹介によって就職した人が人、その後転職をする際に職を紹介してもらった人が人いた。職を紹介してくれた人は、JICAの国際協力推進員だった場合もあれば、協力隊参加前にしていた仕事の同業の人であった場合もあるが、帰国隊員の就職において、「紹介による就職」が一般的なキャリア形成に関わっていることは第1章第2節の図2でも示されている。

 自ら企業を回って就職活動をした人の場合、面接などにおいて自分の協力隊での経験がなかなかわかってもらえずに苦労するようである。今回の調査対象者では、OTさんが就職活動中に感じたことをこう語てくれている。OTさんは就職の面接試験で協力隊経験を話しても、思ったほど協力隊での経験は評価されなかったそうである。帰ってきたら他の中途採用者の就職と全く一緒であるため、協力隊での経験が就職に関して有利に働くことはないのだ、という。JICAでは、協力隊経験者が人材として優れている点として@語学力、A環境への適応能力、B海外での実務経験があること、Cチャレンジ精神があること、の4点を挙げている。しかし、JICAの企業への宣伝とは逆に、帰国隊員の就職活動の現場では思ったほど協力隊経験を評価されないのが現状だ。OTさんは就職において、企業の側が協力隊経験を評価するのは違った点であると考えている。「そういう厳しいところ行ってきて、耐え忍んで、一生懸命やってきたと。(中略)根性は座っとるだろう、と。」そういった点のみが就職試験では評価される、とOTさんは言う。しかし、それはOTさんら協力隊経験者が自らが経験してきた協力隊経験とは全く異質のものだ。

そういった異なったイメージを協力隊経験に与えられることは「感覚的に」違う、とOTさんは言う。

これらの発言からもわかるように、OTさんは、少なくとも帰国後の就職活動においては、協力隊経験への評価は高くないと感じていた。協力隊の帰国隊員が日本での就職活動に苦労している、という現状については前から指摘がされていたが、その具体的な原因は、周囲の協力隊経験への評価と自己が捉える経験との間にあまりに大きな開きが存在するからであるということがわかる。協力隊経験者には自分の体験してきた協力隊経験が自己の内面で構成されている。しかし、帰国後、協力隊経験者たちは自己の「経験」に対して周囲からさまざまな「想像上の協力隊経験」を付与される。この、一般的なイメージの中で語られる協力隊像と、帰国隊員の実体験の協力隊経験との間に大きな食い違いが存在するために、就職などの場での誤解が生まれ、帰国隊員たちの就職の困難性が生まれているように思われる。このことについては、さらに後ろの「第3節 青年海外協力隊経験者の帰国後のキャリア形成に関する困難性」において詳しく述べることとする。

 

 

 

 

 

 

 


2節 国際協力関係の仕事を志望する青年海外協力隊経験者たち

 

今回の調査では、「学卒→青年海外協力隊→就職」型のライフコースを辿った3名のインタビューイーたちの語りから、帰国後の日本での就職において、帰国隊員たちが一度は国際協力関係の仕事に就くことを志望する人がいる、ということがわかった。そのことを受けて、本節では、帰国隊員たちと国際協力関係の仕事への就職、という点について考えてみることとする。

現在、日本において国際協力関係の仕事に関わること可能性が高いと思われる職場はJICA、政府関係機関、国際機関、公益法人、法人コンサルタント、大学・学校法人、NGO/NPO、などである。今回の調査対象者においては、NNさんが帰国後から現在まで、国際協力関係の公益法人で働くという職業生活を送っている。また、GTさんはインタビューの中で帰国後間もないころに一度、国際協力関係の仕事を志望したが実際に国際協力関係の仕事へ就くことは予想以上に難しいと感じたという。MNさんはインタビューの中で、協力隊OBOGの就職先の割合にはJICAが多いが、それは他の分野に進む人が少ないせいであろう、と自らの見解を語った。

多くの帰国隊員は日本での就職の際に国際協力関係の仕事を志望するのは、国際協力関係の仕事の場合、協力隊での活動との間に連続性があり、自らの協力隊での経験を生かすことが他の仕事に比べると容易だから、と考えられる。今回の調査の中では、MNさんは、インタビューの中で富山県警察本部に勤めようと思った動機について「どうせなら、やっぱり人の力になる仕事ができたら」と思い、「自分のこの2年間の経験がいくらかでも生かせたらいいなって思っていた」。彼は「(自分が学んだ)語学ってものも、生かせる仕事に就きたいなって思った」とも語っており、帰国隊員たちはやはり、帰国後の職業や仕事に対して、何らかの協力隊経験との連続性を求めているのだということがわかる。また、GTさんは帰国当初、国際協力関係の仕事に関わることを希望していたが、自分の中の「何か出来るはずだと思ってる自分」と折り合いをつけ、就職をすることに対して悩んだことがある、と語った。

この2人の発言からは協力隊での経験を生かそうとし、時にはそのことで悩んだりする帰国隊員の姿が見て取れる。帰国隊員が日本に帰ってきて、自らの協力隊での体験を仕事の中で生かそうと考えたときに、まず頭に浮かぶのが国際協力関係の仕事だと考えれば、帰国隊員の多くが国際協力関係の仕事を志望する現在の状況も当たり前といわれれば当たり前のことである。

 国際協力関係の仕事を志望する帰国隊員が取りうる進路についてさらに考えてみよう。今回のインタビューで見られた例で考えると、まずNNさんのように国際協力関係の公益法人に就職し、そこで働くという道が考えられる。しかし、NNさんがこの仕事を得たのも国際青年年の論文が1等賞を取ったことがきっかけであり、もとから関わりのあった事務局長から誘いがあり勤務した経緯なども考えると、このような方法で国際関係の職につくことは非常に珍しいといえる。また、帰国隊員が国際協力関係の公共団体に勤めようとした場合も、このような職場のポストが空席になることは通常、稀であるため、帰国隊員が就職することも難しいと考えられる。

 別の進路としては、JICAの国内協力員や国際協力推進員として働くという道が考えられる。国際協力推進員とは、JICAが実施する事業に対する支援、広報及び啓発活動の推進、自治体の国際協力事業との連携促進等の業務を行うために、自治体が実施する国際協力事業の活動拠点に配置されている職員のことである。主に国際協力事業に対する国民からの国際協力の理解の増進と国民参加型協力の促進を図ることを目的とした業務を行っており、たいてい青年海外協力隊または日系社会青年ボランティアのOBOGがその職にあたる。任期は3年間と決まっており、3年間ごとにJICAと契約して働くかたちをとっている。国内協力員は全国の各JICA支部に原則で1名づつ配置されている職員であり、こちらの任期は1年間である。どちらもJICAとの一定期間の契約雇用であるために、契約期間が切れたときに、次の職を自分で探す必要があり、あまり安定した就職先であると言うことは出来ない。また、その雇用数もそう大きくはない。国際協力推進員の数は全国で56人である。(20051130日現在)国内協力員の数は正確な数はわからなかったが、全国の各JICA支部18箇所(国際協力総合研究所を含めない)に一人ずつ配置されていると考えると、単純計算で18人の国内協力員のポストがあるのだということになる(2006112日調査。)現在、2707名の隊員が青年海外協力隊員として派遣されているが、これは青年海外協力隊全体の派遣者数と比べてみるとあまりに少ない数である。今回、実際に国際協力関係の仕事をする帰国隊員がどの程度いるのか、というデータを得ることは出来なかったが、帰国した隊員の多くが国際協力関係の仕事に就くことを一度は志望すると考えれば、この国際推進員、国内協力員という受け皿もそれが帰国隊員の受け皿になりうるほど大きなものであると言うことは出来ない。国際推進員や国内協力員の仕事に任期が設けられており、次々と協力隊OB/OGのなかで受け継がれている実態を見ても、世代交代をさせないと帰国隊員の就職先として機能しなくなってしまうためだと考えることができるであろう。

 もう一つ、これは非常に少ない場合であるが、帰国隊員が国際協力に関わる道としては、NGOを立ち上げるという進路が考えられる。実際、JICAでも帰国隊員に対して、NGO立ち上げの支援をしている「帰国隊員NGO活動支援事業」という制度がある。これは草の根レベルの国際協力活動をおこなうNGO等と、国際協力への熱意や途上国に係る多くの知見等を有した帰国隊員等との共働の機会を提供するというJICAが行う事業の一つである。しかし、これも非営利で活動をするNGOの運営だけではこれを主たる収入源として生活をすることは厳しいであろう。他に仕事を持ち、余暇の時間にNGOを運営するか、普段はアルバイトなどで生活費を稼ぎ、NGOの運営に関わるという方法が考えられるが、どちらにしろ現実的にNGOを生業とし、これによって生計を立てていくことは厳しいことが予想される。今回のインタビューイーでもNGOを運営している、という人は見受けられなかった。

 

 


3節 青年海外協力隊経験者の帰国後のキャリア形成に関する困難性

 

今回、青年海外協力隊経験者への調査をしていて、ある点が気になった。それは、協力隊経験者が自分自身から帰国後の就職活動において、協力隊経験に対する企業側の低い評価を覆そうとPRしようとしないことである。協力隊経験は、考えようによっては就職活動において自己を強力にアピールする武器になるのではないだろうか。

このことに関しては、前出のOTさんの発言をヒントに、協力隊経験者たちが自分の協力隊経験を積極的に語らない理由について考えてみようと思う。OTさんは、インタビューの中で、協力隊を経験したことについて「体験してきた人でないとわからないからねぇ。」と語り、協力隊を経験した者にしかわからない意味世界がそこにはあると暗に示していた。さらに、OTさんは帰国後の就職活動において、企業側が自分の協力隊経験を「ひどい苦労してきたんだ、と。だからこいつは、頑張りだけはあるな、と。」としか評価しないことを身をもって実感している。このOTさんの話からも、「協力隊経験」を通して語られる、帰国隊員側の自分の体験に対する意味付けと、一般の人々が考える「想像の世界」での協力隊イメージはあまりにもかけ離れているため、両者の間には相互理解が生まれていないことがわかる。OTさんは就職活動の中で、就職活動の中で協力隊の経験を積極的には語らないのだとも語っている。たとえ自分が協力隊で経験してきたことと、相手の考える協力隊でのイメージが違っているとしても、「それをたかだかね、面接の場でいうわけにもいかないしね。」とOTさんはいう。

なぜ、協力隊経験者たちは、自分の協力隊経験に対する企業側の低い評価をくつがえそうとしないのだろうか。例えば就職の面接試試験などの中で、帰国隊員たちは自分の協力隊経験を「自己のPR」として戦略的に使用することは出来ないのだろうか。[1]

就職試験で自分の協力隊経験を話すためにはそれがコンパクトにまとめられたものである必要がある。それは就職試験の面接時間には限りがあり、その中でわかりやすいエピソードを面接官に示し、自分について理解してもらう必要があるからである。就職試験で面接官から好印象を持ってもらうためのストーリーであるためには、ストーリーにわかりやすく目をひきつけるポイントがあること、そして話がわかりやすくまとまっていることが求められる。しかし、そのためには、自己の経験を部分的に切り出し、ストーリーをわかりやすく再構築しなければならない。つまり、自分の経験してきたことを部分的に切り売りするような形をとらざるを得ないのである。しかし、それは、語り手たちにとっては、自己の経験がコンパクトにまとまりすぎて具体性がないものに変質してしまう可能性がある。事実、協力隊経験を話してくれた今回の調査のインタビュイーたちの中には、経験の評価、という点に関して、派遣中のさまざまな話を総合的に判断し、そこから初めて言いたいことが見えてくるようなストーリーの語り方をした人がいた。例えば、このパターンのストーリーを語る人として、OTさんを挙げることが出来る。OTさんは、彼自身が協力隊を経験して得たものは、人と人とのつながりの部分が豊かになったことであると語っているが、これは、OTさんがインタビューの中で語った別のストーリーとの相互関係によって聞き手を納得させることのできるストーリーの構造となっている。そのため、OTさんの話の一部分だけどこかを切り取って紹介したとしても、それはもとのOTさんの語りほど説得力をもたないし、話自体の魅力も半減してしまうのである。

さらに、もう一つ、語り手が「協力隊での経験を語る」ということには、それが聞き手に自慢話としてあっさり片付けられてしまうリスクも覚悟しなければならない。私自身、新卒採用対象の就職活動を経験したが、現代の就職活動における面接ではただ単に「自己の成功談」を語るよりも、「自己の失敗の経験から何を学んだか」というコミュニケーションの戦略をとる方が、面接官により効果的に自分のことをアピールすることができる。それは、その失敗経験から成長した自分を面接官に印象付けることができて有利だからである。しかし、帰国隊員たちが自分の協力隊経験を語る場合について考えてみると、語り手の帰国隊員たちは協力隊経験の中の失敗談に重要性は置いておらず、むしろ自分が協力隊経験から受けた影響やその経験によって「変化した自分」について語ることに重要性を置いていることがインタビューの中からは伝わってくる。

今回の調査においても調査対象者たちは実に詳細な、そして鮮明な、任地での協力隊経験をたくさん語ってくれたが、その中には、協力隊に参加し、任地でさまざまな経験をすることによって「変化した私」というストーリーの語り方をする人が多く見られた。この「変化した私」のストーリーにもいくつかの側面をみることが出来た。まず一つ目は、先々の良い思いでになりそうな人間的な出会いのストーリーを語る場合である。これには、NNさんとKMさんのストーリーが該当する。NNさん、KMさんはそれぞれ任地で心に残る印象的な出会いがあり、この出会いが彼らの協力隊経験を語るときにはなくてはならないものになっている、というストーリーを語ってくれた。2つ目は任地で自分が伝えた技術が根付く喜びのストーリーを語る場合である。このパターンには、HSさんとMYさんのストーリーが当てはまる。二人とも自分が携わった協力隊活動によって現地の人々が変わっていく様子がうれしかった、とインタビュー中に語っている。そして、もう一つは協力隊に参加することによって、成長した自分を帰国後の日本社会に持ち込むというよりも一旦それまでの自分をリセットし、ゼロからスタートするパターンの語り、もしくは新たな自分を再発見するパターンの語りをする人の場合である。MYさんとGTさんはこのような語り方で紡ぎ出されたストーリーを語っている。MYさんの場合は帰国後に自分が日本になじむことが出来ずに、帰国後に一度任国のホンジュラスへ戻るという体験を通して、「あぁ私もうホンジュラスにいたいと思っても、ホンジュラスでも生きられない、日本でも生きられない、寒くて生きられない人になってるんだと強く感じて、で、そこでまず、未練もなく吹っ切れたんですね。」という言葉でそれが語られている。GTさんの場合は、帰国後に就職活動で苦労した経験から公務員を目指すことになるのだが、その時の事を「何かすごく自分が甘えてたっていうかね、何とかなるだろうみたいな感じで。公務員試験しかなかったっていう感じはあるんですね。(中略)で、自分の気持ちとかやる気っていうのをかたちに表せないと誰も認めてくれないんだっていうのをすごく感じて。」と語ってくれている。

このような一連の隊員たちの語りを見ていくと、彼らの語るストーリーは、就職活動における戦略的な「失敗談」とは全く種類が異なっていることがわかる。帰国隊員たちの語りは、ストーリーの語られ方自体が違うのである。

また、失敗談を盛り込んでいない経験談は、どうしても相手に「自慢話」として片付けられてしまうリスクを避けられなくなってしまう。語り手である帰国隊員たちは話の受け手が自分の話からどのような印象を受けるかあらかじめ選ぶことはできない。このように自己の協力隊経験を語るためには不利にしか作用しない環境で自分の経験談を話さないといけない状況では、それを克服してまで自分の体験談を相手に伝えるよりは、話すことをやめてしまうという選択を帰国隊員たちがしたとしても、ある意味では仕方のないことだと考えられるであろう。

さらに、文化論的な視点から考えてみると、帰国隊員たちが他者に自分の協力隊経験を語らない理由として、謙譲の文化というきわめて日本的な文化を考えてみることもできる。この文化にあっては、自分のキャリアなどを他者から褒めてもらっても「いえいえ、私なんか大したことないですよ。」と自分のことに関しては過小評価することが多いように思われる。これは、コミュニケーションの中では、文脈(コンテクスト)として、暗に要求されている場合が多く、いわば約束されている部分と言うこともできる。しかし、帰国隊員たちは協力隊に参加することでいわば文化を相対化する経験をして日本に帰国している人たちである。こうした人々が謙譲の文化にのっとったコミュニケーションを当たり前のように使うかというと、むしろそうした日本的な文化は堅苦しい不要なものだという感覚の持ち主が多いかもしれない。

以上の理由から、帰国隊員たちは自身の協力隊での経験を就職活動の面接などの中では簡単に語らないのではないだろうか。語らないというよりも、むしろ「語れない」のである。それは「就職活動の面接の場」という帰国隊員に用意されたステージが語り手である帰国隊員の経験してきたストーリーを披露するのには、趣旨が違いすぎて「使えない」もしくは「合わない」ものとなってしまっているからである。彼らの協力隊でのストーリーは面接試験などで使おうとしても、相手にその全てを伝えることがあまりに難しいからだ。本論文は、ここに帰国隊員の「内的な協力隊経験」と日本社会が人々に求めるキャリア形成との間に存在する深い断絶があるのではないかと推測する。

 


4節 まとめ

 

 本章では、今回の調査で見られた、青年海外協力隊事業に関わる、ネガティブな問題を追ってくる形となってしまったが、青年海外協力隊経験者たちは自己の協力隊経験について否定的な見方をしているだけでは決してない。

 今回のインタビュー調査の中でも、自己の協力隊経験を肯定的に捉える声が聞かれたのも事実である。KKさんは、協力隊に「行ってよかったと心から思ってます。」と語った。協力隊に参加する前の会社員生活では自分の生活をつまらないと感じることが多かったKKさんだが「今はそういったつまんないなぁと自分の生活を思うことはあんまり無いんで、それは、やっぱりいいほうに変わった」と思っているのだという。また、KHさんは、自分の協力隊での経験は「特別なものとは思っていない」と語り、「人が転職をするようにたまたま2年間ボランティア行ってきたっていうか…。」と自分の協力隊経験を語った。HSさんは協力隊が自分にとっては「次にすすむためのきっかけ」になったと語ってくれた。このように、協力隊経験者たちはそれぞれ、自分の協力隊経験について自分なりの「納得」を行っており、ネガティブな印象のみを持っているわけではない。むしろポジティブに自らの経験をとらえ、次のステップに進むための力強い原動力として生かしている人が多いように今回の調査をしながら感じた。

 しかし、青年海外協力隊経験者たちの帰国後のキャリア形成に関して覆いようのない困難があるのもまた事実である。それは、青年海外協力隊経験者に限定された問題というよりも、むしろ現代の日本の若年層の雇用に関する問題である。昨今、企業は正社員の数を限定し、できるだけ派遣社員やアルバイトといった労働力に頼る方向に雇用の構造をシフトさせつつある。また、現在の日本の職業キャリア形成においては、より高い収入やキャリアを求めて転職をすることも珍しいことではないが、このために労働市場においては、中途採用者の就職活動の競争が激化している。しかし、その一方で、この労働市場における「競争」から弾かれてしまった人々はアルバイトに頼ったフリーター生活をしていかざるを得ない。昨今では、「ニート」と呼ばれ、教育も受けず、職業キャリアを積み重ねることもしない若年層の増加が心配されている。こういった人々の中には「ひきこもり」と呼ばれ、自分と社会とのつながりを断ち切ってしまう人々も存在する。彼らが何もしようとしないのは、自らの未来に対して希望が持てないことが原因であるとの意見も聞かれる。こういった日本の、特に若年層の雇用に関する根本的な問題がこの協力隊経験者の帰国後のキャリア形成に関わる困難の根底にあることを忘れてはならない。

さらに、青年海外協力隊事業そのものは、今まで協力隊に参加することが「美談」として語る一方で、「帰国後のキャリア形成に関わる困難」という協力隊経験者たちの苦労は影に隠れて語られることが少なかった。一部の協力隊経験者同士のコミュニケーションの中で語られることはあったかもしれないが、彼らの声が表に出て、語られることは少なかった。そのため、協力隊経験者たちの中には、協力隊での経験を協力隊を経験していない一般の人々に理解してもらう、ということに対して一種「あきらめ」のムードが漂うこともある。しかし、これは、見逃すことの出来ない問題である。今後、若年層雇用の構造問題と同時に、社会の側に多様な職業キャリアを持つ人々も受け入れていくような機能が日本社会には求められるであろう。

 



[1]2章第10節のKMさんのライフヒストリーにおいて、KMさんが協力隊経験を伝えるためにオリジナルの経歴書を作ったことに触れているが、KMさんの場合は、帰国後にJICAの国際協力推進員からの紹介で就職をしており、企業を回っての就職活動はしていない。それゆえ、この場合には含めないものとして考えた。