1章 問題関心・調査概要

 

1節 青年海外協力隊とは

 

<青年海外協力隊」とは?>

 

青年海外協力隊(JOCVJapan Overseas Cooperation Volunteers 以下、協力隊と省略)とは、自分の持っている技術・知識や経験を開発途上国の人々のために活かしたいと望む青年を、派遣するJICA[1]、(「独立行政法人 国際協力機構」)の行う海外事業である。派遣期間は原則として2年間で、協力分野は、農林水産、加工、保守操作、土木建築、保健衛生、教育文化、スポーツの7部門、約140職種と多岐にわたる。協力隊に参加するための応募資格は20歳から39歳までの日本国籍を持つ者であり、その募集は毎年2回、春と秋に行われている。 協力隊事業はボランティア性、公募性、国民的基盤の上に立った隊員活動の支援事業という特性を持ち、一人ひとりの隊員の協力活動が主体となる。協力隊事務局はその活動支援の中核的存在として、隊員活動が円滑に進むように、訓練、情報提供などの支援を行う。

協力隊は、相手国からの要請によって派遣され、隊員に求められる技術・知識や語学力のレベルは、個々の要請によって異なっている。

 

<青年海外協力隊に派遣されるまでのプロセス>

 

 青年海外協力隊に参加する際には以下のような手続きを経て、正式に隊員となる。毎時、青年海外協力隊の募集要項によって発表されるが、ここでは大まかな流れを記した。

 

説明会 … 各地で青年海外協力隊事務局(JOCV)が行っている説明会などに参加。帰国隊員の話などを実際に聞くことが出来る。

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応募  … 所定の願書をJICAに提出。もしくは、JICAホームページから応募  

      募集は春募集と秋募集の年2回

1次選考 … 筆記試験:技術試験、語学試験、適性テスト・健康診断:書類審査

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2次選考 … 面接試験:グループ面接、技術面接・健康診断、診察 

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合格通知

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技術補完研修( 随時)二次選考で、専門分野の技術・知識水準は合格レベルに達しているが、相手国からの要請に的確に応えるために、実践的な技術を習得する必要があると判断された場合に、実施されるもの。職種によって内容・期間はともに異なるが、期間は数日から6ヶ月間である。

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派遣前訓練  2次試験の合格者は「隊員候補生」として約80日間の派遣前訓練を受ける。実施場所は東京都渋谷区、福島県二本松もしくは長野県駒ヶ根の訓練所。内容はJICAボランティア講座・任国事情講座・コミュニケーション(語学研修を含む)・安全管理講座・実践活動などである。

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派遣   派遣前訓練を終え、任地へ赴任する。 任期は2年

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2年後 帰国

 

<青年海外協力隊事業の沿革>

 

 ここでは協力隊事業の沿革を簡単に示してみる。まず、日本が海外の国々に対して技術協力や技術支援を始めたのは1954年(昭和29 10月にアジア諸国に対する技術協力に関する協議組織である「 コロンボ・プラン(Colombo Plan)」に加盟したことであった。その後、 962年(昭和37 6月 には特殊法人「海外技術協力事業団」設立される。 964年(昭和39 1月21 、昭和39年度施政方針演説で、当時の池田首相は青年技術者海外派遣を明らかにした。 そして、いよいよ1965年(昭和40)4月20日には 日本青年海外協力(JOCV)、現青年海外協力隊事務局が開設された。その後、1974年(昭和49 8月 国際協力事業団(JICA)が設立された。なお、国際協力事業団(JICA)は、2003年101日付で独立行政法人国際協力機構(JICA)となっている。

アメリカ合衆国には「平和部隊」という組織が存在するが、これは1960年秋、大統領選のさなかに民主党のケネディ候補が創設を公約し、翌61年3月にケネディ大統領令で実施に踏み切ったボランティアである。平和部隊は、アメリカの途上国援助のあり方に猛省を促した点でそれまでの事業と比べて画期的であった。協力隊創設に尽力した末次一郎はその著書、『未開と貧困への挑戦』の中で、このことについてこう語っている。「当時のアメリカ人の技術指導者たちの多くが、現地の風俗や習慣をまったく理解しようとせず、どんなところでもアメリカ式生活に固執し、それだけに、けっして現地住民の中にとけこむことができなかったことへの反省から生まれたものであった」(末次、1964

日本の青年海外協力隊事業はアメリカの平和部隊発足4年後のスタートであったため、平和部隊を手本にしたと思われがちだが、日本の青年を海外(アジア対象)に派遣する計画は、1957年(昭和32)当時から構想されていた。

青年海外協力隊事業は、事業の実施は当時の海外技術協力事業団に委託され、同事業団の中に日本青年海外協力隊事務局が設置される形でスタートした。

その後、昭和49年(1974)8月に日本政府が行う国際協力の実施機関として国際協力事業団(現国際協力機構)が発足し、その重要な事業のひとつとして受け継がれ、名称も青年海外協力隊となり、今日に至っている。

 

<青年海外協力隊の派遣の実績>

 

JICAのホームページ(JICA、2006)に基づいて、20051130日現在、青年海外協力隊の 派遣取極締結国 83カ国 であり、隊員が派遣されているのは74カ国である。

派遣地域はアジア地域・オセアニア地域・中南米地域・ヨーロッパ地域[2]の国々である。

現在、派遣中の隊員数 は2,898(男1247名、女1651) であり、過去の累計隊員数 7,851(男16,677名、女11,174) となっている。(人数には、一般隊員、シニア隊員、短期緊急派遣隊員及び調整員を含む。)なお、調整員を除く隊員数は、派遣中隊員2,707名(男1,130名、女1,577名)で、累計隊員数26,783名(男16,008名、女10,775名)である。

また、青年海外協力隊の派遣職種も多岐に渡っており、農林水産部門、加工部門、土木建築部門、教育文化部門、スポーツ部門の6部門、279職種にものぼる。

000年(平成12 6月には、 青年海外協力隊の累計派遣隊員が2万人を突破 し、2005年(平成17 6月 には青年海外協力隊が発足40周年 を迎え、その事業の重要性はますます高まっている。


2節 本研究の問題関心

 

長い歴史を持ち、多くの協力隊経験者を輩出してきた青年海外協力隊だが、意外なことに彼らの帰国後の経験に関する研究は少ない。一例として、上原(2003)があるが、これは社会心理学的な立場から協力隊員の日本での帰国適応について研究した論文である。上原は1)帰国隊員が日本で経験する再適応困難の主要因の解明、2)途上国での滞在、仕事が彼らの人格形成に与えた影響を調査、3)対象者の帰国適応尺度形成を試みる、という3目的を持ち研究を行った。データ収集の技法は、面接、質問紙法(層別無作為抽出)で行われており、調査対象者は1)元隊員25(年齢範囲20〜60)、および2)進路相談カウンセラー9人(面接)、3)帰国後3年以内の元隊員600人、および4)帰国後5〜10年の元隊員の95人の4グループである。3)と4)の対象者には質問紙送付し、それぞれ240人(回答率40%)、29人(回答率30%)から回答を得た。

上原の調査結果によれば、殆どの対象者が帰国後肯定、否定両面の心身、対人関係等の課題を経験していたが、肯定的感情は1、2ヶ月で終わり、否定的経験は長く(課題により6ヶ月〜1年以上)続いていた。彼らの困難は、身体(下痢、発熱等)、心理(不安感、違和感、孤独等)、対人関係面(家族、旧友、上司・同僚等)に係わっていた。さらに、多くが消費志向、効率・能率追求の日本杜会に対しとまどい、批判的となる傾向が見られた。家族の、帰国者への仕事や結婚に対する「圧力」は特徴的な日本的現象として見られた。また、帰国者達の職探しも現今の不況に影響され大きな課題であった。帰国後の就職に関わる困難の主要因は、帰国者の価値観の変化、日本社会の異文化を持つ者に対する閉鎖性、協力隊への無理解、日本的親子関係、不況等である。上原の研究の場合、どちらかというと量的な調査によるアプローチが多く、調査対象者1人1人について詳細に調べた研究とは趣が異なっている。

その他、森 (2001)や原田(1999)などの研究もあるが、これらの論文はどちらも「看護職」という専門職に特化した場合について研究されたものであり、一般的な協力隊帰国隊員の場合にも当てはまるかというとその点については疑問が残る。

青年海外協力隊を取り扱ったルポルタージュとしては吉岡(1998)が有名であるが、この本の場合、どちらかというと青年海外協力隊の海外での活動の正当性を問うものであり、帰国後の隊員たちの動向に着目した記述とはいえない。

また、協力隊の経験者による体験記も多数出版されているが、こちらも内容は現地での体験を伝えるものが多く、帰国後について記述があるものはほとんど見当たらない。

以上、先行研究を調査した結果、協力隊経験者たちの帰国後についてそれぞれ個別に質的な実証研究をした例は見つからなかった。

よって、本研究においては、協力隊経験者が帰国後にどのような就職の困難に遭遇し、それをどのように乗り越えていったのか、という点に着目し、彼らの帰国後の職業キャリアを辿る形でライフコース分析を行うこととする。具体的には、協力隊経験者に対して個別インタビューを行い、彼らが帰国後にどのようなことを感じ、考えてきたのかを協力隊経験者自身の言葉で語っていただく。

その前に「ライフコース」という概念について少し説明を加えておこう。ライフコース(life corse)とは、年齢によって区分された生涯期間にわたる各種の経歴(career)の束としての人生の軌跡を指す。人生上の出来事や役割移行の時機、間隔、および順序などを指標として再構成される。ライフサイクル概念の無歴史性と過度の斉一性仮定を批判して、歴史的社会的文脈の中での諸個人の生涯展開をとらえようとする包括概念である。(見田編、1986899)

論文では、このライフコースという視点を用いながら、帰国隊員の帰国後の職業生活、とりわけ帰国後の再就職について考えてみることする。従来から、青年海外協力隊の帰国隊員が帰国後に直面する問題のひとつとして、日本での再就職に困難性がある、との問題が挙げられていた。実際に、JICAが発表している帰国隊員の進路のデータからもわかるように昨今の不況で帰国隊員の就職状況は厳しくなっているようである。( 図13参照)平成15年度の帰国隊員の進路状況を図1でみると、帰国隊員で就職した者は全体の37.6パーセントである。自営や復職をした者を含めると、帰国後に職についたものは59.3パーセントで、約6割の人が帰国後何らかの仕事をしているのだということがわかる。しかし、逆に「非常勤・アルバイト」「未決定」「未確認」など、何らかの安定した職業に就いておらず、進学もしていない者の場合を見てみるとその割合は24.3パーセントと非常に大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

平成15年度帰国隊員進路状況
(平成1541日〜平成16331日帰国の青年海外協力隊、日系社会青年ボランティア1138名を対象とした平成1741日現在のデータ)

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

上原(2003)も、最近の不況の影響もあり、帰国隊員の就職の状況が厳しくなっていると指摘している。また、進路カウンセラーらへのインタビュー結果から、上原は帰国隊員の就職をめぐる困難性として、逆カルチャーショックが抜けないこと(任地が故郷のようになり、帰国したときに日本に適応できない状況を指す)、進路を見定めるために時間が必要であること、親など家族との葛藤、国際協力の仕事をしたいと強く志望するあまり、就職が困難になってしまう、などの点を挙げている。(上原、20037083

帰国後の再就職をめぐる困難性という点については、今回のインタビューの中でも指摘されていた問題である。インタビュイーの一人であるMNさんは、帰国後の就職について「帰ってきてからなかなか就職就けないって人間はざらにいますし。」と語り、帰国隊員の就職に関してはもっとJICAが積極的に関与し、帰国隊員たちに対して、支援を行うべきとの考えを示している。

また、青年海外協力隊活動へ対しての評価の「二面性」という問題も大変興味深い問題である。協力隊事業は、表向きでは、多くの若者に、「国際協力」や「国際理解」という言葉とともに、青年海外協力隊員として国際的に活躍する、という「美談」を宣伝し、この活動への参加を評価してきた部分がある。しかし、一方では、青年海外協力隊員としての活動を終了し、帰国した者がこの体験を生かして企業などで就職しようとすると、企業の側はこの経験をあまり評価しないという現実も存在する。そのため、帰国者は日本の社会に適応しようとしたときに、心理的・肉体的に、様々な「圧力」を感じることもあるようだ。今回の調査では、協力隊経験者に直接的に話を聞き、彼らが帰国後にどのようなことを感じ、考えてきたのかを協力隊経験者自身の言葉で語っていただき、この評価の「二面性」がどのように経験されるのか、知ることにその主眼を置いている。協力隊経験者たちの帰国後の困難を通じて見えてくるものは果たして、彼らだけに限定された就職や雇用に関わる問題点なのであろうか。この点もあわせて検証することとする。

 

 


3節 調査概要

 

本研究の調査は、青年海外協力隊の経験者個別インタビューを行い、その結果についてライフコース分析を加えた。

 まず、とやま国際センターのJICAの国際協力推進員であるIさんに、青年海外協力隊富山県OB会のメンバー10人を紹介していただき、2005年9月22日から2005年12月26日までの間に個別にインタビューを行った。インタビューは個別に、だいたい1人30分から40分程度の時間をかけて行われた。インタビューイーは、それぞれ予定のある中、快く調査に協力していただいた。

 インタビューは全てMDレコーダーで録音がなされ、インタビューが終了したものから随時筆者がワープロソフトで文字化し、今回の論文中ではそのデータを使用した。なお文中の敬称は省略した箇所があるので、ご留意いただきたい。

 今回の調査のゲートキーパーとなってくれた、とやま国際センターのJICA国際推進員であるIさん、そしてお忙しい中本調査に快く協力をしていただいたインタビューイーの皆様各位にこの場を借りてお礼を申し上げる。本当にありがとうございました。

 



[1]  JICAJapan International Cooperation Agency(独立行政法人国際協力機構) 青年海外協力隊を派遣している親団体。現在、外務省の外核団体ということになっている

[2] アジア地域(バングラデシュ、 ブータン 、カンボジア 、中華人民共和国、 インド、 インドネシア 、ラオス、 マレーシア 、モルディブ 、モンゴル、 ネパール 、パキスタン、 フィリピン 、スリランカ、タイ 、ベトナム)オセアニア地域(フィジー、 パプアニューギニア、トンガ 、サモア、 ソロモン、 ミクロネシア 、バヌアツ 、マーシャル、 パラオ  )中南米地域(ベリーズ、 ボリビア 、チリ 、コロンビア、 コスタリカ 、ドミニカ、エクアドル、 エルサルバドル、グアテマラ 、ホンジュラス 、ジャマイカ 、メキシコ 、ニカラグア 、パナマ、 パラグアイ、  ペルー、セントルシア、 セントビンセント 、ベネズエラ)ヨーロッパ地域(ブルガリア 、ハンガリー ポーランド、 ルーマニア キルギス 、ウズベキスタン)の各国である。