「パークゴルフ・ライフ――個人とコミュニケーションの高齢期スポーツ――」

 

目次

 

はじめに・・・1

 

第1章     問題関心

 第1節 高齢者問題・・・2

 第2節 高齢者のスポーツ活動の行方・・・3

 第3節 高齢期スポーツとは・・・4

第4節 ゲートボールについて・・・5

第5節 パークゴルフについて・・・7

第6節 高齢期スポーツの調査にあたって・・・8

 

第2章     調査報告

 第1節 調査方法・・・10

 第2節 パークゴルフ南郷と集まる人びと・・・10

第3節     大会での聞き取り調査結果・・・15

第4節     やっぱりスポーツ志向――インタビュイーAさんの場合――・・・19

第5節     南郷は1番の理想――インタビュイーBさんの場合――・・・22

第6節     これからぼちぼちやろうかな的な――インタビュイーCさんの場合――・・・24

第7節     やればやるほど――インタビュイーDさんの場合――・・・26

第8節     本章のまとめ・・・27

 

第3章     分析

 第1節 高年層と中年層

第1項     健康を目的としない高齢期スポーツ・・・29

第2項     活躍できる高年層・・・30

第3項     中年層の台頭・・・31

第4項     新しい課題・・・32

 第2節 相対立する志向

  第1項 コミュニケーション志向――“非”地縁的な交流――・・・33 

  第2項 個人志向――コミュニケーション志向と並ぶものとして――・・・35

 

第4章 結論・・・37

 

引用・参考文献リスト・・・40

 

 

 

 

 

はじめに

 

 日本では平成6年に高齢化率が14%を超え、高齢社会を迎えた。諸外国と比較しても日本の高齢化のスピードは速く、そのために起こりうる問題について、昨今ではさかんに論じられるようになっている。しかし、私たち皆が迎える「高齢期」という時期について、いまだそれがどのようなものであるかを私たちは正確には把握していないのが現状であろう。

 私たちはさまざまなライフスタイルを選択できる時代に生きている。同様に、高齢期についても多様なライフスタイルが選択できる時代なのである。そこで、本論文では高齢期のひとつのライフスタイルとして、スポーツ活動を選択した人びとを対象に調査をおこなっている。高齢者の実態を知り、これまで遅れていた高齢者のスポーツ活動研究に一考察を加えるものである。特に、彼らが重視する高齢期におけるコミュニケーションに関して、重点的に分析をおこなっている。

第1章では、高齢者にまつわる問題を述べたあと、高齢者のスポーツ活動について先行文献を引用しながら論じていく。次に、昭和50年代にブームであったゲートボールと、現在人気上昇中のパークゴルフの概要を述べ、最終節では私の問題関心をまとめている。

第2章は、調査方法と、その結果である。調査対象は富山県大門町のパークゴルフ南郷でパークゴルフをおこなっている50代〜80代の人びとである。第2節から第7節までは、南郷でおこなわれている練習の参与観察、パークゴルフ大会の出場者に対しておこなった聞き取り調査、70代2人と50代2人におこなったインタビュー調査の結果をのせてある。最終章では調査結果のまとめをおこなっている。

第3章は分析である。パークゴルフの参加者を年齢で区切った2タイプにわけ、それぞれの特徴を述べる。さらに、パークゴルフの魅力、参加者が抱いている2つの志向について考察している。

第4章では全体を振り返り、結論とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1章 問題関心

 

第1節 高齢者問題

平成16年版高齢社会白書によると、日本の65歳以上の高齢者人口は、2431万人(200310月1日)である。総人口1億2762万人に占める高齢者の割合(高齢化率)は19.0%となっている(内閣府共生社会政策統括官,2004)。これは約20年前の1984年頃に予測された、2010年に高齢化率は18.8%を越える、という予測より約5年も早くその数値を超えてしまったということである。同白書によれば、日本では1950(昭和25)年での高齢者人口は総人口の5%に満たなかったが、1970(昭和45)年に7%を超え(いわゆる高齢化社会)、1994(平成6)年には14%を超えた。そして現在は「高齢社会」とよばれる時代となっている。さらに、2020年まで高齢者人口は急速に増加し、また総人口が減少に転ずるために高齢化率は上昇を続け、2015年には26.0%、2050年には35.7%に達すると見込まれている。日本では国民の3人に1人が高齢者という社会の到来が予測されているのである(ibid.2004)。

さて、このように急速に高齢化が進んだ現在、高齢社会がもたらす影響、介護制度や医療保険、労働力の問題などは今日さかんに論議されている。しかし、私たちの誰しもがいずれ経験する高齢期がどのようなものか、高齢者とはどのような存在なのか、高齢社会とはどのような社会なのか、ということに関してはいまだその実態を正確には把握していないのが現状であると思われる。大橋謙策は「日本では、高齢者の位置づけがいまだ十分でなく、人生五〇年時代の“老人観”がいまだ根強く残っている。」(大橋 1985: 11)と述べたが、20年前のこの状況と、現代では大差ないように感じる。

高齢期とはどのようなものなのか、という疑問のひとつの答えとして、高齢者の喪失体験はよくいわれることである。小笠原祐次は高齢者の生活における6つの喪失をあげた。労働能力の喪失、経済的自立の喪失、健康の喪失、日常生活の維持の喪失、社会的役割の喪失、社会関係の喪失の6つである。要約すると、高齢者はまず定年退職等により労働能力を喪失し、そのことから働いて所得を得るという経済的な自立を失う。それから、高齢者の疾病率は高く、健康の喪失が起こり、日常生活の維持・自立の喪失が起こる。働くこと、健康、日常生活自立の喪失は社会的役割の喪失につながり、「社会的なさまざまな活動からの孤立」という社会関係の喪失が起こるということである(小笠原 1985: 141-142)。

このような喪失を高齢期に入った人びとは少なからず経験することになる。そのような状況もあって、高齢者に対して“老人”というイメージは消えることがないのだろう。

さらに、渋谷望は、近年「高齢者=弱者」のイメージから、「ポジティブな」イメージや「多様な」イメージといった2つの新しい高齢者像がつくりあげられている、ということを述べた。もっとも、「ポジティブな」高齢者というイメージを押し付けていくことは、「弱者」という「画一的」な高齢者イメージと同様に画一的であり、また「多様な」高齢者の中には「弱者」も含まれていて当然であることを指摘している(渋谷 2002: 184-187)。

以前からある「老人観」を受けて、今度は新たに「アクティブな高齢者」イメージをつくりあげようとする動きに疑問を提示しているのである。

高齢者が「弱者」や、その逆の「ポジティブ」であるというような画一的なイメージに当てはまらないということは事実であるが、その両者を包含した「多様な」高齢者ということは間違いではないように思う。私たちが多様な趣味、嗜好を持ち、自由にライフスタイルを選択できる時代に生きているということであれば、現代の高齢者にとっても、私たちの老後においても、同じように多様なライフスタイルを望む考えも生まれてきて当然なのである。平均寿命が延び、自分たちの老後をどう生きるのか、どのようなライフスタイルを選択していくかということは、誰しもが考えさせられる問題なのである。

本論文は、現代の多様化するライフスタイルにおいて、高齢期にスポーツ活動を選択した人びとの姿を報告するものである。事例として富山県でおこなわれているパークゴルフを取り上げ、大門町パークゴルフ協会と大門町にあるパークゴルフ場、パークゴルフ南郷を調査のフィールドとした。高齢者のスポーツ活動の実態をそのままに映し出すことを目的としており、主にインタビューという手法を用いて調査をおこなっている。

 

第2節 高齢者のスポーツ活動の行方

 高齢者のスポーツ活動に関する調査研究は、80年代後半におこなわれているものが主である。しかし、彼らのスポーツ活動についての詳細な記述のある論文は少なく、その個人の経験やその中で形成される人間関係にまで及んだ調査は日本ではおこなわれていなかったようであり、発展途上であるといえる。

藤田ら(1986)は、愛知県犬山市老人クラブ連合会会員の60歳以上を対象とした質問紙調査をおこない、「高齢者の生活の諸相、スポーツや身体運動に対する意識や実態を明らかにし、彼等のスポーツ活動を成立させるための諸条件」を求めようとした。それによると、高齢者は静的ないしは受動的な生活態度の者が多いようだが、旅行やスポーツ活動などの能動的行動への転換を求めていること、同様に「するスポーツ」に対する期待が大きいこと、しかしその当時の高齢者向けスポーツはゲートボール、というパターンが形成されていた、ということである。そして、高齢者がスポーツ活動を形成するためには人的関係の条件整備がいっそう必要となっており、孤独からの脱出、社会関係への復帰などの高齢者固有の問題解決のためにもなおざりにはできないとした。

そして、坪田・藤田(1988)は、岐阜県の多治見市在住の4555歳の将来高齢者に向かう年齢層(中年層)と6570歳の高齢者(高年層)を対象に、質問紙による調査をおこない、体育・スポーツ活動についての態度や意識から、高齢化社会に向けての高齢者のスポーツ活動のあり方を提示した。中年層と高年層を比べると、熱心に続けているスポーツや運動がある者は、中年層のほうがやや多かった。その種目は中年層では「ゴルフ」、「散歩」、「体操」、高年層では「ゲートボール」、「散歩」、「歩け歩け運動」であった。男女とも中年層の過去のスポーツ経験は極めて豊富であり、幅広いスポーツや運動経験を持っていた。特に45歳の人たちのスポーツ経験率は際立って高いということであった。中年層が高齢期に入ったときのスポーツや運動意欲も高いものであった。つまり、中年層と高年層では過去のスポーツ経験、スポーツ実施状況、スポーツ実施意欲などに質・量の面において大きな格差がみられるのである。その中年層の人たちのほとんどが、当時高齢者に人気のあったゲートボールには関心がなく、将来もやらないだろうが、つきあいや他に適当なスポーツがなければ始めるかもしれない、という結果が出たことから、当時の高齢者のスポーツ状況が貧困であったことを述べた。それらをふまえ、高齢者が若者とともに共有できるスポーツ環境の整備、柔軟で多様なスポーツのあり方が追及されるべきという結論に至っている。

今日の高齢者をとりまくスポーツ環境は、いくつかの高齢者向けスポーツがあらわれたことからも、当時の貧困な状況とは異なった様相を呈している。それらのニュースポーツを取り上げて改めて見直し、高齢者が実際におこなっているスポーツ活動がどのような特徴を持ち、彼らがそこで実現しようとしているものはどのようなものであるかを探っていきたい。

 

第3節 高齢期スポーツとは

中島豊雄は、仕事から解放された高齢者が、自分たちの前にある無限の余暇を過ごす手段を持ちえていないことを述べた。しかし彼らは、何か活動したい、社会の中で一定の役割を果たしたいと思っており、高齢者のスポーツの問題は「現在生きるこのような老人たちのスポーツを指すと同時に、現在働きざかりの人びとの、やがて迎える老後のスポーツである」(中島 1988: 221-222)とした。

 上記にならい、本論文でも高齢者のスポーツ活動に関しては65歳以上の人びとと、それ以前の遠くない将来、高齢者の仲間入りをする人びとを含めた世代に幅を広げ、調査をおこなった。したがって、「高齢者スポーツ」では65歳以上の高齢者のみに限定されてしまうと考え、それよりも広い範囲の世代でおこなわれているスポーツを「高齢期スポーツ」とよぶこととし、本論文でも用いている。また、前出の坪田・藤田(1988)が、4555歳の人びとを「中年層」、6570歳の人びとを「高年層」として調査をおこなったように、本論文では65歳以上の人びとを「高年層」、それ以下の年齢層を「中年層」として表記している。

中島はさらに、同論文で高齢期スポーツの特質として3つをあげている。第1の特質は、高齢期のスポーツが「体力の消耗の比較的少ない活動や、心身の健康維持のための活動に限られがちであること」、第2の特質は、「経済的にゆとりのない生活の中でおこなわれること」、第3の特質は、「ひとりあるいは地縁的関係で結ばれた少数の人たちの間でおこなわれること」、というものであった(中島 1988: 222)。

 この3つの特質とも照らし合わせ、今日の高齢期スポーツのひとつであるパークゴルフについて考えていきたい。

 

第4節 ゲートボールについて

 坪田・藤田は6570歳の高年層では「ゲートボール」、「散歩」、「歩け歩け運動」などが熱心に続けている実施率の高いスポーツ種目である(坪田・藤田 1988: 97-99)という調査結果を明らかにしている。当時の高齢者にとって、最も人気のあったスポーツのひとつにゲートボールがあげられる。しかし、高齢者のスポーツ活動について、その個々の意識や実態に迫る文献が日本では限られており、当時の人気種目であったゲートボールに関する文献もまた少ないのが現状である。

坪田・藤田は当時「ゲートボール=高齢者」というイメージまで定着していたことから、ゲートボールについてふれている。そこでは中・高年層ともゲートボールに対してあまり関心がなく、特に中年層では関心のないものが圧倒的に多いことが述べられた。さらに、ゲートボールの魅力については中・高年層で若干の違いがあるものの、全体としては、各年齢とも肯定的反応を示していたという。特に、中年層に関しては、45歳の約90%が関心がなかったにも関わらず、ゲートボールの魅力については中年層のほうが肯定的反応を示したことが述べられた。この点について中年層が「日ごろ散見するゲートボールが運動の質・量の点からみて現段階では高齢者にふさわしいスポーツ(身体活動)であると評価しているためではないか」と論じた(ibid.: 103-109)

 高齢者にとってゲートボールはふさわしいものであるが、自分たちが高齢者になったときにそれをおこなうかどうかはわからない、あるいは45歳の時点では、自分の老後にどのようなスポーツをおこなうか、ということ自体に関心がないのかもしれない。

 平松(1985)は、広島県尾道市在住の60歳以上を対象とした質問紙調査により、ゲートボール実施群と非実施群の比較からゲートボール参加者の日常生活の社会的背景を探った。それによると、高齢者の社会参加(スポーツ活動、ボランティア活動、教育講座、趣味のつどいなど)に関して、彼らが地域活動をおこなう理由としては、ゲートボール実施群・非実施群とも「健康によい」、「世・人のため」、「仲間が得られる」、「楽しい」が高率を示しており、中でも健康によいがやや高率を示したことを述べた。高齢になるにつれ自分の健康に高い関心と注意を払っているということである。一方、ゲートボールを愛好する目的は人間関係・仲間づくりが半数を占めた。健康や体力維持など身体的効果を求めるものは少なく、社会的効果や心理的効果を強く求めているということであった。

つまり、高齢者の意識として自分の健康に関する意識は高いものの、実際におこなっていたゲートボールというスポーツ活動をとおしては、健康よりも人間関係、社会関係を意識しているということであった。当時の高齢者にとってゲートボールは人気の高いスポーツ種目であったことからも、ゲートボールの運動量や、魅力、おもしろさが高齢者にはうけていたことがうかがえる。

次に、このようなゲートボールの概要を清水(1985)に従って簡単に説明する。

 

(1)ゲートボールのルール

ゲートボールはもともと欧米でおこなわれていたクロッケーを参考に、日本で考案されたものである。富山県ゲートボール協会は昭和56年に設立され、約35の市町村協会が加盟している(富山県ゲートボール協会,2003)

コートは15m×20mまたは20m×25mで、その中に3つのゲートと1本のゴールポールをたてる。木製またはプラスチックのボールをスティックで打ち、決められた順番に決められた方向から通過させ、コートの中央のゴールポールに打ち当てて終了となる。

 試合は1チーム5人ずつで、2チームが対戦する。チーム構成は、監督1名、競技者5名以上の7名以内。監督は競技者を兼ねることはできるが、主将を兼ねることはできない。競技者のうち、1名が主将となる。5名が競技に参加し、1競技中に2名までが1回限り交替ができる。交替したものは再出場できない。監督はコート内の自チームの競技者に指示を与えることができる。

 勝敗はどちらかのチーム全員が他のチームより早くゴールポールにボールを打ち当てて、プレイが終了したときである。あるいは制限時間(30分)が設けられているので、時間内にいずれのチームも全員があがっていないときは、ゲート通過やあがりの得点で勝敗を決める。

 

(2)用具

 スティックは木製で、槌および柄のあるT字型で、槌の長さは24cm、槌の両端の打球面(スティックヘッド)の直径は4.5cm、柄の長さは71cm80cmである。

 ボールは直径7.5cm、重さは200g240g。赤色が5個、白色が5個で、赤色には1、3、5、7、9の奇数番号、白色のボールには2、4、6、8、10の偶数番号がボールの外面2箇所に書かれている。

 ゲートはΠ字型(コの字を90度左に回転させた形)で、直径1cmの金属製丸棒で、内側が22cm、脚長は35cmである。

 ゴールポールは金属製または木製の丸棒で、直径2cm、長さ35cmである。

 

(3)ゲートボールの特徴

 ゲートボールには「スパーク打撃」というプレーが存在する。

まず、自分のボール(α)を打って、他チームのボール(β)に当てる。このことを「タッチ」とよぶ。次に、αが停止した位置の横にβを置き、αを片足で踏んでスティックでαを打つ。その衝撃でβを移動させることを「スパーク打撃」とよぶ。同様に、αで自チームのボールにタッチし、スパーク打撃をおこなうこともできる。このスパーク打撃によって、自チームのボールは次のプレーに有利なように助けることができ、相手チームのボールは不利な位置に移動させることができる。

 この「タッチ」と「スパーク打撃」というルールがあるために、個人で単純にボールを進めていくことができない。「個人プレーは慎み、いかにしてチームプレーをするか」を常に考えていくスポーツである。

 

高齢期スポーツといえばゲートボールというイメージは、誰しもが持っていることだろう。ゲートボールは昭和50年代に爆発的なブームとなり、愛好者も300万人を越えたという。しかし、現在ではゲートボールの人気は衰え、競技人口もまた半減してきている。

 西尾達雄は1985年、毎日新聞に取り上げられた「ゲートボール論争」について述べている。72歳男性の投書がきっかけとなって、『討論 ゲートボール』は企画されたという。タイトルは「ゲートボールに背を向ける」というもので、その後の投書者たちは「ほとんどが男性のかなりの高齢者」であった。彼は新聞へのいくつかの投書の内容を、スポーツの「選択の自由」という観点から3つにわけている。それは「ゲートボールを『やる自由』」、「ゲートボール以外のスポーツを『やる自由』」、ゲートボールをやる自由を認めながらも、「それを『やらない自由』」、というものであった。(西尾 1985: 22-24

 ゲートボールをやっている当事者、つまり高齢者自身からスポーツの選択の幅の狭さ、また、それ以外の選択肢の少なさに対して苦言を呈しているのである。

また、坪田・藤田は、当時の高齢者が限られた高齢者向けと思われるスポーツをおこなわざるをえない状況にあり、多種多様なスポーツ経験を持つ世代が高齢者になったときに、ゲートボール一辺倒ではなくなることを予測した(坪田・藤田 1988: 75)。

彼らが予測したとおり、現在ゲートボールの人気は下がってきているのである。さらに、高齢者向けと思われるニュースポーツがいくつか世の中に出てきている。特に本論文で取り上げるパークゴルフは、全国的にも高齢期スポーツとして人気の上がっているスポーツである。

 そこで、現在人気の下がってきたゲートボールに反し、人気が上昇しているパークゴルフの魅力とはどのような点にあるのかを探っていきたい。 

 

第5節 パークゴルフについて

 富山県でおこなわれている高齢期スポーツにはゲートボール以外に、パークゴルフ、グランドゴルフ、ペタンク、マレットゴルフ、ターゲットバードゴルフなどがある。特に、パークゴルフ人気は新聞などでも取り上げられ、近年富山県でのパークゴルフ愛好者が急増していることが書かれている。パークゴルフ協会富山県支部への加入者は平成6年の発足当初より約5倍になり、2200人をこえたという(北日本新聞2003年9月28日)。

 以下、パークゴルフの概要を国際パークゴルフ協会(2004)に従って説明する。

 また本節以降、パークゴルフをPGと表記することとする。なお、固有名詞の場合はそのままの形で表記している。

 

(1)PGのルール

PG1983(昭和58)年、北海道の幕別町で生まれる。公園で遊び始めたので、パークゴルフ(PARK GOLF)と名づけられる。愛好者は推定70万人、全国に約910コースがあり、193の公認コースがある(2004年3月)。富山県には大門町パークゴルフ協会をはじめ、県内には14協会ある。現在大門町パークゴルフ協会は結成5年目。会員数は約280人である。

コースはハーフ9ホール(パー33)、1ラウンド18ホール(パー66)。1ホールの距離はおよそ20mから100m以内、パー3からパー5に設定されている。ボールをいれるカップの大きさは直径20pから21.6p。中央にピン(旗)が固定されている。

プレイはスタート位置(ティーグラウンド)から打ち始め、カップに入れるまでの最小打数を競う。ゲームの単位は1ラウンド18ホールで、ストロークプレーとマッチプレーが一般的である。ストロークプレーは、1ホールごとの打数を記録し、18ホールの合計打数を競うものである。マッチプレーは、1ホールごとに勝ち負け、引き分けを決め、18ホールを合計して成績の良い順に勝ちとなる。

スタート順は、1番ホールのみジャンケン等で決め、2番ホールからは前のホールの成績が良かった順に打っていく。打順が決まったらオナー(最初の打者)は、先にプレイをおこなっている組が次のホールに移った(ホールアウト)のを確認してからティショット(第1打)を打つ。ティショットのときには、同じ組の人はティグラウンドの外で静かに待ち、近寄ったり打者の前には出ないようにする。全員が打ち終わってからフェアウェイに出る。

 

(2)用具

 クラブは重さ600g以下、長さは86cm以下。ヘッドは木質で、打球が飛び上がらないように打球面には傾斜角度をつけない。ボールはプラスチック製で、白・赤・青・黄・橙などのカラフルな色がある。重さは8095g、直径6cm。第1打目を打つときには、ボールをのせるティを利用する。ティは高さ2.3p以下で、弾性ゴムを使ったラバーティが安全で最適である。カップに立てられたピンは、直径12o〜25o、高さはカップのふちから2〜2.5mである。

 

(3)PGの特徴

PGのコースには1打でグリーンに届くホールがあり、カップも大きいのでホールインワンをだしやすいことが魅力になっている。

また、親、子、孫で楽しむことのできる3世代スポーツであり、「競技志向」よりも「コミュニケーション志向」に重きがおかれている。

PGの特徴については第2章調査報告から詳しく述べていきたい。

 

第6節 高齢期スポーツの調査にあたって

 第1節から第5節までに述べてきたことをふまえ、本節では私の問題関心をまとめておきたい。

 第1節であげた、小笠原の高齢期における6つの喪失を理由に、現代も「高齢者=弱者」イメージを作り上げることは容易となっている。だが、体力や健康といった肉体的衰えはある程度仕方がないとしても、高齢者を労働力として用いることや、高齢者の社会的役割、社会関係を維持していく、あるいは再形成することは、高齢者が老後新しい人生を送る中で考えられないことではない。高齢者を単なる「弱者」として扱うことは問題である。

 ただし、高齢者に対して「アクティブな」イメージや「豊かな」イメージをまわりから一方的に与えることによって高齢者自身が窮屈な思いをすることにもなりかねない。そのようなイメージを押し付けていくのではなく、柔軟な高齢者像が必要とされる時代であり、彼ら自身が自分たちのライフスタイルを選び取っていく時代なのである。

そこで、本論文では高齢期にスポーツ活動を選択した人びとを対象に調査をおこなっている。高齢者のスポーツ活動はゲートボールの出現により隆盛を極めた。しかし、その時代においても彼らのスポーツ活動に関して、それをおこなう個人の経験やそこで形成される社会関係・人間関係にまで踏み込んだ研究は日本では数少ない。当時の高齢者がスポーツ活動をとおして求めているもののひとつに、人間関係があるという調査結果もでているが、そのことを質的調査を通じて具体的に把握する研究はおこなわれてはこなかったのである。

さらに、当時のゲートボールブームは落ち着きをみせ、かわって近年高齢者向けのニュースポーツがいくつかあらわれてきている。30年程前にブームであったゲートボールの人気が落ち、中でもPGというニュースポーツの人気が高いのはなぜか、ということが本論文の疑問の出発点となっている。現在人気のあるPGの特徴を調査、分析し、高齢者のスポーツ活動を改めて見直す作業である。そこから発展し、高齢者固有の問題ともいえる喪失体験について、高齢期のスポーツ活動で補える部分はあるのか、という点にも注目している。さらに、高齢者がスポーツ活動をとおして実現しようとしている社会関係・人間関係について考察をすすめていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2章 調査報告

 

第1節 調査方法

 大門町にあるPG場、パークゴルフ南郷で、実際にPGをプレイしながら数回にわたり参与観察をおこなった。PG大会では、7月に富山県下村でおこなわれた第2回北日本新聞社長杯、8月には、南郷で毎月おこなわれている大門町パークゴルフ協会の定例会を見学した。また、9月20日から30日までの間に南郷でおこなわれた3大会では、合計約30人の参加者に簡単な聞き取り調査をおこなった。

 それから、南郷利用者のAさん(男性72歳)、Bさん(女性72歳)、Cさん(男性57歳)、Dさん(男性58歳)の4人にインタビュー調査をおこなった。この4人は、いわゆる高齢者にあたる65歳以上の高年層(AさんとBさん)とそれ以前の中年層(CさんとDさん)として選んでいる。ABDは大門町パークゴルフ協会員であるが、Cは会員ではない。インタビューの質問事項は大会での聞き取り調査でのものとほぼ同じものである。

 第2節では、パークゴルフ南郷の概要と南郷でプレイする人々の様子、特徴を述べる。第3節では、3大会での聞き取り調査で、PGの魅力に関して述べられたことをまとめた。第4節以降はABCD、4人のインタビュー報告である。特に、PGの魅力に関すること、ゲートボールに関すること、PG仲間との人間関係について注目し、まとめた。第8節は4人のインタビュイー結果のおおまかなまとめである。

 

第2節 パークゴルフ南郷と集まる人びと

(1)パークゴルフ南郷について

 富山県の大門町にパークゴルフ南郷はある。南郷中学校跡地を利用して、今から5年前にオープンした。冬季期間(1215日から3月15日)と月曜日は休場となるものの、それ以外の9時から17時まで(夏季は18時まで)の間、使用料200円を払えば何回でもプレイが可能である。受付には管理当番がいて、南郷にやってきたら受付をすませ、入場証をもらってプレイができる。クラブ、ボールなども100円という安価で貸し出ししている。シーズン券もあり、8000円で100名程が購入するという。この金額の安さはPGのひとつの魅力となっている。

PG場はゲートボール場よりもずっと広く、南郷の場合広場面積は7206uである。PG場の規模は地域によってそれぞれ違ってくるが、18ホールの南郷は、利用者が増えてきたこともあり、狭くなってきたそうだ。現在36ホールに拡張工事中である。土日は100人を越える人たちが利用している。また、大門町パークゴルフ協会や、地域、老人クラブなどが主催するPG大会もおこなわれている。夏季は土日にはほとんど大会がはいり、午前、午後と1日に2大会おこなわれることもある。老人クラブなど、高齢者のみのPG大会では平日に大会が開催されることも多い。

 

(2)南郷の人びと

以下、南郷に集まる人びとの特徴的な姿を報告する。あげられている具体例すべてフィールドノーツからの引用である。

 

PG練習の光景

南郷では主にストロークプレーで練習や大会はおこなわれている。基本は4名で、人数が足りないときは3名のグループがいくつかできる。南郷では、1人で練習をしていたり、夫婦、祖父(母)と孫など2人のグループを見かけるときもある。

 

<グループをつくる>

南郷にやってくると、受付をすませ、入場証をもらい、それを帽子や衣服などにつける。入り口を入ってすぐのところには、屋根つきのベンチとテーブルが置かれている休憩所がある。そこに来て、休憩をしている人や、プレイし終わった人などに声をかけ、2〜4名でグループをつくり、アウトコース(Aコース)、またはインコース(Bコース)の1番(A-1またはB-1)からスタートする。グループが形成できないときは、ひとりでも練習をしたり、休憩所でほかの人を待つなりする。

練習で1コースをまわり終えると、もう1度同じメンバーとまわることもあるが、別の人と組になりプレイをすることのほうが多いようだった。

私はある練習で18ホールをまわり終え、休憩所のテントに向かった。そこでは何人かの人が話をしたりしていた。先の時間帯におこなわれていた大会を終えた人たちのようであった。練習で一緒にホールをまわっていた60歳代の女性は、休憩所の近くにいた1つの組に声をかけた。だがその組は3人だったようで、そのグループに入るのをやめた。するとその女性は、インコースにいるふたりの組にいれてもらおうと、私をさそってくれた。私は先の練習で疲れてベンチに座っていたのだが、その女性は立ってきょろきょろと次に一緒にまわることが可能な組を探していたようであった。

また、大会などではできないことだが、南郷で練習しているときには途中で他のグループと合体することもある。

ある練習で、私は60歳ぐらいの男性にプレイの仕方を教わりながらホールをまわっていた。その途中で、あとからまわっていた2人の組が私たちのところにやってきた。9コース目(A-9)だったので、最後だからいっしょにやりましょうということで、4人組になった。やってきた2人組のうちのひとりは少し前に、単独で練習をしていた人であった。その人はもうひとりの人と組をつくり、今度は私たちといっしょになり、最終的には4人になった。

 このように、練習では固定された人とではなく、いろいろな人と組になり、プレイをおこなうことが多いようである。最初に決めた組も、コースをひとまわりすれば自然に解散し、また別の組と一緒になっていく。もう1度同じ組でまわったり、休憩をとったりすることなどはすべて自由におこなわれている。

 

 <没頭する>

 PGをする人たちは、ゲームやプレイに夢中になる。PGに関した話題以外の余計な話をすることはとても少ない。

60歳ぐらいのある男性にプレイを教わりながら練習していたときのことである。彼は私が女だからということで、ボールの飛距離がのびたり、カップに入ったりするととても喜んでくれた。コースをまわりながら、いつも南郷へ来ているのかと質問すると、彼は毎日ではないらしく、仕事のようなものをしていると話していた。いつから始めたのか聞くと、今年から始めたと言った。しかしこのような話は長くは続かず、彼は私の質問に答えるよりも、私にプレイを指導することに夢中になっているようであった。

参加者の中には、1打ごとに声をかけあったり、よいプレイがでればそれをほめたりするような賑やかな人もいる。

ある練習で一緒になった60歳代の女性は、早々に自分の打ったボールを他のプレイヤーのボールにあててしまい、「きゃあ!」と口を手で覆い、片足をあげ、小さな声で叫んだ。また同じ組の別の男性はボールを打つたびに、それからカップにいれるたびに、また、はずすたびに大きな声をあげる。「うー」とか、「おー」とか、「あー」とかいったようなものである。ボールがころころと球速なく転がると、彼は「いけいけ!」と体を近づけ声を出していた。それがカップからはずれてしまい、やってしまった、と彼は大げさに肩を落とし、落胆していた。

夏季は日暮れまでの時間が長いので時間を忘れてしまう人もいる。

同じ日の練習で一緒になった寡黙な70代男性は、選手たちが少なくなってきた頃、もう1コースまわろうとしていた。彼は奥さんらしき女性に「もう6時5分やよ。」と止められるまで時間を忘れていたようであった。

 練習中の参加者たちは、それぞれがPGに熱中している。自分が打ったボールの行方を真剣に見つめ、黙々と歩くような人をよく見かけた。練習中に他者との会話を弾ませる場合もあるのかもしれないが、私が参加した練習ではあまりそのようなことはなく、彼らは熱心にプレイを続けていた。

 

 <グループを離れる>

 PGをしている高齢者たちは皆好きなときに来て、自由にグループをつくり、そして好きなときに帰っていく。

夏のとても暑い日、昼頃になり私は練習を終わらせ休憩所に向かった。そこでは同じように練習を終わらせた人たちが何人か集まっていた。ある男性が、「もう半分まわるけー。」と聞くと、ある人は「暑い暑い。」と連発した。「こんなんじゃできない、風がなくて暑い。」と彼は言う。時間も11時半頃なので、最初の男性が「やめた。俺はまた昼から来るちゃ。」とベンチから立ち上がった。彼は私のとなりにいた男性に、「わしは3時半か4時ごろくるわ。」と伝えると、声をかけられた男性は「それならわしは1時頃から来てまっとるわー。」と元気よくこたえていた。

そしてこの男性は「あんた少しまわるけ。」と今度は私に声をかけた。私たちはPG場に戻り、練習することになった。

練習が終わった人たちは、昼頃には1度自宅へ帰り、昼ごはんを食べてまたPG場にやってくるようであった。そうやって帰っていく人もいれば、練習が物足りないと別の人に声をかけ、残ってプレイする人もいた。

参加者の中には自分の予定していた分の練習を終えると、そのまますたすたと帰路につく人もいた。練習では仲良く話していたが、休憩所にとどまり世間話をしたりすることもなく、また誰かに気兼ねすることもなく帰っていったのである。

ある練習のことであるが、インコースをまわりおえ、私たちは休憩所に向かった。一緒にプレイした女性は、同じ組だった3人に向かって「ありがとうございます。」とだけ言うと、休憩所に戻り、そのまま何も言わず駐車場のほうへ向かっていった。彼女は帰るようであった。

PGの練習をおこなっている参加者たちは、皆真剣にプレイに取り組んでいた。世間話等を聞くことは少なく、会話の内容はPGに関する話題が中心であった。練習自体もひとりでおこなうことも可能なので、多くの人はひとりでやってきて、ひとりで帰っていった。途中から参加したり、抜けたりすることも自由で、仲良しのグループが常に行動を共にしている、という雰囲気でもなかった。

 

PG大会の光景

 大会では休憩所に集まった人たちの会話が聞こえてきたり、プレイし終わった人たちの様子を観察したりすることができた。練習のときと比べて、選手たちは楽しそうであり、張り切っているようであった。地域でおこなわれるローカルなPG大会と、県大会などの大きな大会とでは雰囲気が異なる部分も出てくると思われるが、ここでは大門町パークゴルフ協会の定例会など地域での大会のフィールドノーツを参考に、大会での特徴を述べる。

 大会では、選手たちが自分の出番を待っている間、自分以外の選手や別の組を観察できる。選手のプレイを見て、大勢の観衆が一斉に声をあげるような場面は練習では見られないものである。

定例会での開会式が終わり、選手たちはぞろぞろとPG場のほうへ歩いていく。この日は7時〜9時の間に生源寺地区の大会がおこなわれていた。先の大会選手たちと入れ替えが始まった。私がPG場に着いたころには、インコース、アウトコースそれぞれで2組目が出発したころであった。順番待ちの人が大勢休憩所のテント下にいた。ちょうどアウトコースでは3組目が出発するところで、私に気づいた男性が近くにきて、「あれが女性チャンピオンや。」、と教えてくれた。私が以前いっしょにプレイした女性であった。しかし、彼女は最初の1打目がOBにいってしまった。すると順番待ちの選手たちは、「あー。」と残念そうな声をあげた。

選手たちは大会で自分たちのプレイを終えると、運営に関わっていなければ閉会式までの時間をそれぞれ好きなように過ごしていた。参加者たちと成績について話したり、何気ない話で盛り上がる様子も見受けられた。

大会が進むと、コースをすべてまわりおえた人たちが休憩所に集まってベンチに座り、テーブルで点数を計算していた。同じ組の人の点数を聞いたりしている。ある人は「OBが2つもでたからだめやー。」といって、ベーと舌を出した。休憩所に集まってきた選手たちは点数の計算が終わると、今度は閉会式のため、グラウンドのほうに向かっていった。残った人たちは、差し入れのコーヒーやスポーツ飲料をそれぞれ飲んでいた。休憩所ではコーヒーの話題に花が咲いた。低糖と微糖はどっちが甘いのか、という内容であった。私の横にいた参加者たちは楽しそうにスコアを書いていた。スコア表にはビッシリと4人分の数字が並んでいる。ある人はまだプレイ中の人を待っているようであった。その人がプレイを終え、休憩所にやってくると「応援にきたんやぞ。」と話しかけ、一緒にグラウンドに向かっていった。60歳代のある女性は、生源寺自治会の大会と大門町の定例会の両方に連続で出場したようだった。彼女は、「やっぱり練習したからかねー。」と、今回のスコアがよかった理由を話した。先におこなわれた生源寺の大会に出場したことが、その後の定例会での練習のかわりになり、良い成績につながったというのだ。だがこの女性は「私ら(優勝は)全然狙ってもないから。」と言って歩いていった。

優勝を狙っていないと言い切る人もいたが、選手たちの様子を見ていても大会の成績は気になるもののようであった。

閉会式をおこなうグラウンドでは、順位表が掲示されていた。スコアと名前が書かれた木の札を大きな板にはっていくのである。選手たちは話しているのでなければ、長い間その順位表ができあがるのをじーっと、あるいは横目でちらちらと見ながら待っていた。

この日は同一点数であがった人が2人いたためプレイオフがおこなわれ、優勝をかけた選手たちのプレイを見ることができた。

一旦、閉会式がおこなわれるグラウンドに皆が集まっていたものの、大抵の人たちはプレイオフを見るためにもう1度PG場に向かっていった。

PG場で、最初の選手がボールを打った。そして次の選手がティグラウンドに立った。まわりはしーんとなった。選手がボールを打つと、OBにはいってしまった。観衆からは「あらー。」と声がもれた。これで、最初の選手がパーであがれば優勝となる。観衆たちは、先回りしてピンのところで待つ人や、コースの真ん中で見る人、コース内にはいっている人、選手に合わせて歩いていく人など、さまざまであった。最初の選手がパーであがり、「ありがとうございました。」と言った。まわりからは「おめでとー。」と声が上がった。

このプレイオフのように、皆で選手を見つめること、また見つめられるということも練習ではなかなかないことである。

ローカルの大会といっても、参加者は決して少ない数ではない。閉会式までの間、選手たちは好きなように行動していた。また、閉会式がスムーズに進行しない光景も見られた。

プレイオフが終わるともう1度グラウンドに戻り、閉会式がはじまった。続けて表彰がはじまった。1位から6位くらいまで賞があり、飛び賞、当日賞などが男女それぞれにあるので、予想以上に時間のとられるものであった。入賞者にはジュース1ケースやハチミツなど、いろいろな商品が与えられた。司会役の人が、なかなかスムーズに進行することができなくて、「なんだあれー。」というようにさんざん野次がとんだ。無事閉会式がおわると、皆さっさと片付けを始めた。テーブルをたたみ、倉庫に運び、テントをたたんだ。役員が決められているのだと思うが、車に乗り込み、すぐに帰っていく人もいた。私が帰ろうとする頃には、もう1度練習をおこなうつもりなのか、PG場に向かう人もいた。

別の日におこなわれた地域の大会では、閉会式の前に昼食がだされた。そこでも、参加者たちは思い思いに過ごしていた。この大会の閉会式がはじまる前、30人ほどがテントの下にいた。今大会では昼食にカップ麺とおにぎり、お茶がだされた。参加賞はボールペンと卵であった。カップ麺用のお湯も用意されていた。選手たちはテントの下や木陰などで昼食を食べていた。女性5人が移動して、橋の上や溝のあたりに腰掛け、皆で食べていた。他にも4人、3人、5人の男女混合の組ができていた。

 また、別の大会ではマナーに関して注意が飛ぶこともあった。この大会での昼食には大鍋でつくられたトン汁がふるまわれた。閉会式がおこなわれるグラウンドにはテントが立てられ、その下には各自スコアをつけられるようにテーブルとイスが置かれていた。地面には大きな水色のシートがひかれた。トン汁はそのシートの上で食べなければならないようであった。しかし、イスに座ってテーブルでトン汁を食べようとしている人もいた。ある選手は大きな声でシートの上で食べるように促していた。

 大会では練習のときと違って、参加者は選手のプレイを皆で眺めたり、いくつかのグループを形成し、閉会式を待ったりしていた。そこでは楽しそうに会話をしたりする光景もみられた。各自が好きなようなやり方で過ごす雰囲気は練習とはかわらず、大会が終わるとすぐに帰っていく人や、もう1度PG場に向かっていく人などもいた。

 

第3節 大会での聞き取り調査結果

まず、聞き取り調査をおこなった3大会についての概要を述べる。9月20日におこなわれた水戸田地区防犯パークゴルフ大会は、大門町の水戸田地区(水戸田、生源寺、水西)という比較的狭い範囲の中でおこなわれたものである。質問に答えてくれた人たちは50代の有職者がほとんどで、大会には地区の行事として参加し、練習などには参加していないという人が多かった。回答者は男性7人、女性6人の13人である(50代7人、60代以上6人)。9月24日の大会は、シルバー人材センターに登録している人たちが参加した大会であった。60代以上で、練習でよく顔を見かける人たちに回答してもらった。回答者は男性5人、女性2人の7人である(70歳以上6人、60代1人)。9月30日の大会は大門町老人クラブ連合会の健康イベントのひとつとしておこなわれた。大門町の各地区(大門、水戸田、二口、浅井、櫛田)から20名が選ばれ、参加した。回答者は男性5人、女性2人の7人である(70歳以上3人、60代4人)。1024日は大門町パークゴルフ協会の会員のみ参加できる定例会であった。この日は砺波市から参加している男性(70代)と女性(60代)2人に質問をした。

質問事項は以下の通り。

1、名前・年齢・職業・住所

2、PGを始めた動機・PG

3、練習頻度

4、大会参加頻度

5、PGの魅力

6、PG仲間との関係

7、これまでのスポーツ歴

8、用具(クラブ)について

 本節では、私の問題関心と関連している「5、PGの魅力」についてまとめている。それぞれの大会参加者から聞かれたPGの魅力、会話中にでてきたものは、「人間関係」、「健康」、「プレイ」、「個人」という4つに分類することができた。

 

(1)人間関係

 ここには「人間関係」、「友達」、「交流」、「コミュニケーション」など人との関わりに関する答えがあてはまる。

 

「多くの人と知りあうこと」

「顔の知らない人でも仲間が広がっていく」

「大会で友達ができる、交流できる。つきあいが広い、富山県内や石川県の友人(PGがきっかけ)ができる」

「たまにしか来ないけど、こういう大会で知らない人とも知り合いになれる楽しみがある」

「人間関係。近所にいると人のうわさが耳に入ってくる。ここに来たら楽しいわ」

「話ができる。知らない人と友達になれる」

「若い人とやって楽しいわ」

「みんなと話す。チームワーク。人間関係」

「友達」

「仲間が多くなった。楽しく会話ができる」

「いろんな人との交流」

「同じ町内におっても知らない人、現役のときの職業が違う人とのつきあい(会社は範囲のせまいつきあい)」

「地域の人とのコミュニケーション。はじめての方とも顔をあわす。同じメンバーとやっていてもおもしろくない」

「年寄りが主、プレイ中や休憩中に知らない人と話す。(外に)出やすくなった。町の交流。話をしなかった人と話す」

「プレイも楽しい、はまるが、それよりも交流が楽しい」、「普段は近所の方と顔をあわせない(名前と顔が一致しない人もいる)」

「上手にはならんけど、若い人と話すのがいい」

「ふれあい。みんなと顔をあわす。競技じゃない、親睦。憩いの広場」

PGの目的は地域住民の親睦と、楽しくやること」

「友達と会える。話をする(PGに関する話題)」

「4人グループの雑談がすごく楽しい、コミュニケーションがすごく楽しい」

 

大会で聞き取り調査をおこない、回答を得た27人のうち20人の参加者たちから、PGの魅力として「人間関係」・「交流」という答えがあげられた。PGはプレイやルールも簡単であり、県内にいくつかあるパークゴルフ協会の会員でなくとも、PG場に来さえすれば練習に参加することができる。そのため、「知らない人」とも知り合いになる機会が増える。そのような人たちと会話したり、交流したりすることが、参加者にとってはうれしく、楽しいものであるようだ。

 

(2)健康

 ここには、「歩く」、「リハビリ」、健康の「回復」・「維持」などのニュアンスを含むものを集めた。

 

「足が丈夫になった。健康にいい」

「ぼけ防止。健康管理ができるようになった」

「健康を保っているのはPGのおかげ(脳梗塞がきっかけで、PGでリハビリをはじめた)」

「風邪とかひかない。健康管理」

「体力づくり、体調をととのえる」

「リハビリ。健康。ぼけない。座っていてはだめ」 

「いい運動」

「医者にあまりかからなくなった。血圧の薬が1日3回だったのが1回になった」

「健康にいい」

 

 27人中11人がPGの「健康」という魅力をあげた。自分の健康については高齢になればなるほど、大きな関心を払うようになる。それは自分の体が大きな負担に耐えられなくなるからであろう。高齢期スポーツにおいては、「健康によい」、あるいは「負担が少ない」という要素が必要であろうと思う。PG参加者からも、PGが自分の健康に良い作用をしたという話がいくつか聞かれた。中には、大きな病気やけがから劇的に回復したという話や、PGでずっとリハビリを継続しているという話もあった。自分のペースでおこなえることや、体に負担の少ない軽スポーツという点でPGは高齢期スポーツにふさわしいものであろう。

 

(3)プレイ

 ここでは、PGをスポーツとして純粋に楽しんでいる様子が感じられるものを集めた。

 

「難しいところ、明日もまた行って挑戦しようと思う」

「自分なりの成績を上げていく」

「その日その日のクラブのふりかたによってスコアがちがう。いいときと悪いときがある」

「スコアが1回1回ちがう」

「球を追いかける。プレイ自体。あきない」

「ストレス解消。カーンとあてる」

「外で(広いところで)やるから気分がいい」

「スコアよくなりゃおもしろい」

「おもしろい、難しい」

「点数がよかったとき」

「短い打数でカップにいれること」

 

 PGは、屋外の広いところで、芝生の上でおこなうスポーツである。そのようなハード面での良さがスポーツとしての魅力のひとつとなっている。もうひとつは、スコアや点数をあげて上手になっていく楽しさである。PGはルールやプレイ自体は簡単で誰でもできるスポーツであるが、上手になるにはそれだけの練習をこなす必要がある。また、その日によって、体調や芝生、コースによっても成績が異なってくる。このことが参加者にとっては「難しい」ことであり、魅力のひとつでもあるといえる。

 

(4)個人

 ここではPGの特徴である、個人競技という点に魅力を感じているものを集めた。

 

「ひとりで来て、ひとりでもできる」

「個人競技。自由にできる。ひとりでできる」

「個人だから、自分の好きなときいつでもできるし、やめてもいい。成績は自分。ゲートボールなど団体はそうはいかない」

「便利。ひとりできてやれる」

PGは個人のスコア。悪ければ自分、良ければ自分」

 個人でできる、というPGの魅力をあげた人の数はそれほど多くはないが、団体競技であるゲートボールと比較して個人プレイの良さをあげる人が何人かいた。参与観察をおこなっていても、個人個人で自由にやっているという印象が強かった。

 

第4節 やっぱりスポーツ志向――インタビュイーAさんの場合――

 

(1)PGとの出会いから現在まで

Aさん(72)は大門町パークゴルフ協会の会長をしている。60歳で中学校教員の定年を迎え、友人の会社に2年程お世話になり、そのあと大門町水戸田の自治会長を引き受け、6年ほど世話をする。

当時、県が大門町に県有地の草の始末を委嘱しており、それがAさんの自治会にまわされていた。その空き地の草を刈り、泥で埋めてソフトボールなどをやっていたが、その熱も冷めていく。

 10年ほど前に町の体育指導員がPGを紹介した。もともとゴルフの知識があったこともあり、Aさんは水戸田の人たちと県有地にPG場をつくりはじめた。泥をかぶせ、手製のカップをつくり、徐々に芝生をはっていった。最初に9ホールつくり、1年ほどで18ホールにした。水戸田の2030人程で楽しんでいたところ、大門町の福祉厚生課がPGの講習会を開いた。Aさんはそこで始めてルールの詳しい解説や、「PGの心」を聞いた。「1番問題なのはとにかく、紳士淑女のスポーツである。他人を思いやる心とかね、他人に迷惑をかけないとか。自然を大事にするとか。そういうメンタルな面と言えばいいのかな、心の面に非常に感動して」Aさんはますます賛同したという。PG大会などもおこない、少しずつ水戸田地区で広めていこうとAさんは考えていた。そのようなときに、大門町が水戸田地区の南郷中学校跡地に18ホールのPG南郷をつくった。県有地で集まっていた人たちと結成していた同好会は、大門町パークゴルフ協会となる。

 

(2)PGの魅力

PGの特徴に関して、Aさんは「18(ホール)やらなきゃだめとか9(ホール)やらなきゃだめとかいう制限はまったくないわけです。自分の都合のつく時間やったら1番から2番3番まできたら、『お、時間きた。みなさん、私これでいそがしいから』と言って抜けていってもだーれも文句言いません。それが、やっぱりいいことじゃないかな。で、自分の成績が他の人に影響するわけないやろ。まったく個人やね。自分だけ。社会性がないかもしれんけど、でもいっしょにまわっとりゃコミュニケートはできますからね。そういうのは生かして、あと自分のプレイに対する、成績に関するものはもう自分の責任、自分だけの問題。他の人にまったく関わりはないでしょ。そういうとこもいいんじゃなかったかな。」というふうに語っている。

 また、PGの仲間からは、「PGをするようになって医者にかかる回数が減った」という話はよく聞くそうである。それは大門町の協会でなくても同じだろうとAさんは考えていて、軽く運動をしている人と、運動しなくなった人との違いという意味では当たり前だと思っているそうだ。

 AさんにPGの人気の理由をたずねると、「やっぱりスポーツ志向。運動をやって楽しむ、やね。それと健康志向。人間というのは孤独では生きていけませんからね、社会性を求めますから、本当は人とのコミュニケーション志向というのが(強いはずだけれど)。ただしそれはあんまり強くないね。パークゴルフの1番根元にはそれもあるんだけどね。そっちは表に出てなくて、やっぱりスポーツ志向と健康志向かな。」と笑って言っていた。

ゴルフをやるにしても時間と金がかかる。それに比べてPGはクラブにしても1本だけでよいので非常に経済的である、という魅力もAさんは語っていた。クラブの値段は高いもので5〜6万するものがあり、中級品で2万円程だという。「高いクラブを買ってくるとそれが話題になってひとしきり話がはずむみたい。そうすると高いクラブ、高いクラブとみんな選ぶ傾向があるみたいやね。私はその中でもへそまがりで、クラブでスコアが関係するわけないですよ。」と話し、Aさんが使用しているクラブは1万5千円程だということを教えてくれた。

 

(3)ゲートボールについて

県有地ではゲートボールを先にやっている人たちがいた。その人たちからゲートボールも勧められ、Aさんはスティックも買った。だが、「難しい」、「思うようにいかない」、「そうするとみんなに迷惑がかかる」、という感想を持っている。ゲートボールは「高尚なゲーム」だと言い、「いまだに監督になる自信はないね。」と語った。

ゲートボールが団体スポーツであることの不都合をAさんは次のように語った。「ゲートボールは団体競技であって、みんな同じ考え方を持たなきゃ強くなれない。それに技術がともなわなきゃならないわね。それらがあって、やっぱり年寄りというのがあるんだろうな。年寄りというのは、融通がきかなくて、頑固やね。そういうのが心の問題に関わってきているところもあるのかな。」ということである。

「ゲートボールはね、頭が涼しくないと勝てないんですよ。順番にボールを打っていくわけやけどね、目的を達成するために相手のボール、自分のボールも全部先を読めなきゃだめなわけ。しかも、カーンゆうてぶつけられてはじきとばされる。あわれやよ。人にあてられたら、どこかにふきとばされて。そういう意地悪、ほんとは意地悪じゃないんだけど、ゲートボールをやらない人はあれは意地悪なゲームだと言うわね。それは作戦じゃないか。はじきとばして。でもそんなのみんな考えとかなきゃ。そりゃね、パーではできない(笑)。それで、しかもね5人でやるんだけど、ひとりひとりが勝手に自分で想像してやったらまとまらないわけ。5人とも同じ目標、同じ方針に従ってやらないと強くならないわけね。そしたら監督という人がいて、その人の指示通りやったら勝てる。だからその監督さんが頭のいい人で、作戦の上手な人やったら勝てるんです。監督さんは『あんたのボールここもってこられ、ここもってこられ』とおっしゃるらしいんだね。その他の人がそのとおりにやるわけだけど、いけばいいんですね。だっていつもいくわけないじゃない。ここに転がすつもりやったけど、ここにいってしまったら、そのために相手から攻められて全滅ということがあるわけやろ。そうなると、そこへやった人が、楽な人だったらしらん顔しとるけど、普通の人やったら責任を感じるじゃないですか。そうすると重たくなるわけ。」

ここにはゲートボールをすすめていく難しさが語られている。まず、ゲートボールが監督を必要とする団体競技であり、その指示に従ってプレイをおこなう難しさがある。そして、「監督になる人がやっぱり辛いのかな。監督におされる人というのは人柄もいいんかな。その人がまずギブアップしていくんや。その立場が責任ある立場やろ、一所懸命勉強したり考えたりしてやってるわけやろ。うまくいかなかったり、まわりからいわれて、それならやめる」と、思い通りにプレイが進まないと、まわりからの風当たりが強くなることもあるようで、責任のある監督がやめていくこともあるのだという話もした。それから、ゲートボールのスパーク打撃を例にあげ、それはルールなのだから仕方ないのだが、そのためにゲートボールをしない人たちの間にはゲートボールは意地悪ゲームだという認識があることを述べた。また、スパーク打撃があるためにプレイも難しく、頭を使って考えねばならないということであった。

 だが、Aさんは「私はゲートボールの方が、年寄りの頭をぼけさせないように、いろいろ考えながらやるにはいいと思います。」とも話している。PGやグランドゴルフなどのスポーツが広がってきたこともあり、ゲートボールのマイナス面が意識されるようになったのではないかというふうにAさんは考えているようであった。

 

(4)パークゴルフ南郷について

 南郷に来る人たちの中には、現役で働いているという人たちが何人もいる。Aさんはそういう人たちを育てていく必要があると考えている。後継者のような人たちがいないと、先細りの危険性もある、という理由からだ。だから、「いつもやっていて上手になったからその人たちといっしょではとてもやれない、という雰囲気にしたらまずい。」のだと話す。ただ、そういう気持ちが協会員全体に浸透しているかどうか、という点にはあまり自信はないと述べた。

 

Aさんは、大門町でPGを広めていったということもあり、PGの魅力や特徴について詳しく話してくれた。Aさんは特に、PGの個人プレイのよさを強調していたように思う。また、ゲートボール経験もあり、ゲートボールが団体競技であることで、不都合を感じたようであった。しかし、ただ単に他のスポーツを毛嫌いするのではなく、ゲートボールやグランドゴルフ等の高齢期スポーツの良い面を認めつつ、Aさん自身はやはりPGを最良のスポーツとしてとらえているようであった。

 

第5節 南郷は1番の理想――インタビュイーBさんの場合―― 

 

(1)PGとの出会いから現在まで

 Bさん(72)は65歳くらいのときに体を壊し、友人に誘われスイミングを始めた。そのころから大門町の保健センターが開いていた健康教室にも出かけるようになった。そのときの最後の1日にPGの教室が開かれ、それがきっかけでPGを始めることになる。

 PGをはじめた頃は、スイミングとPGに熱中した。そして1年ぐらいたつと、体が回復し、PGは「ほんとの趣味みたいに」なった。ちょうどその頃から、県の仕事を個人的に請けるようになる。「はじめてした頃はね、体壊してそれだけだったから、もうこれに熱中してたんですよ、スイミングと両方ね。で1年ぐらいたったら、おかげさまでパークゴルフ、歩くことと、スイミングで、体が回復したもんでね。ちょうど、その体が回復したときに、県の仕事が入ってきて、おかげさまで。パークゴルフしたことで、それとスイミングしたこととで、まだ働けるようになったってことですよね。」

現在は県の仕事や、パークゴルフ南郷の管理当番などで忙しく、練習にはあまり来れず、週に2回来ることは大変だという。しかし、富山県パークゴルフ連合会届出事務局長を務めていることもあり、大会には毎回出席しているということだ。

Bさんは今までに、PG以外でやってきたスポーツはないという。はじめのうちはPGの入賞のカップなどを家に持って帰ると子どもたちが驚き、笑っていたという。「はじめのうちは町長杯なんかもらっていったらね、子どもたちがなんでうちにこんなスポーツのカップがくるんだって言ってみんな笑って。なんていうかな、考えられもせんゆう。そんなふうに笑ってましたよね。」

 

(2)PGの魅力

BさんにとってのPGのおもしろいところを聞くと、「イメージスポーツだから」という答えが返った。「自分がそこへやりたいなと思ってそこへイメージ描くでしょ。そのとおりにいったときがものすごくうれしいのよ。」と語った。それから、「ここだと、ひとりでここへ来てでもできるでしょ。それが、いいんじゃないでしょうかね。自分たち夫婦だけで行っても、そこへ行ったらあいてるとこにいれてもらって。ふたりだけでやっててもそれですむしね。」と話した。

また、PGの人気については、「どうしてかなと思うね。はじめはみんな『えー』言いながらみえるんだけど、1回2回してるとやっぱりおもしろみがつく。はいればはいったで、『あ、うれしい』と思うでしょ。はいらなければ、『どうしてかな、いれたい』と思う。それでついねえ、はまってってしまうんですよ。」と話した。それから、BさんはPGが経済的にも肉体的にも負担がなく、手軽にできることも人気の理由として挙げた。富山県内の他のPG場と比べて、南郷は200円出して1日中いることができるという割安感があり、繁盛しているのではないかと考えているようである。走ってまわるわけでもなく、自分の体に合わせて歩く、そして、球を追いかける、ということがおもしろいのではないかと語った。

 

(3)ゲートボールについて

 Bさんはゲートボールをやったことがないそうだ。「私はゲートボールを知らずに直接こっちに来たからね。ゲートボールの感覚はわからないけど。(ゲートボールをしたことがある人は)あれは団体競技なんで、なかなか、ちょっと入りにくかった、と言っておられた。何人かそろわないとゲームができないからね。」とBさんは話していた。

 

(4)パークゴルフ南郷について

 Bさんは「若い人がたくさんおられるところに行くと、ものすごく点数がね。こうレベルが高いとちょっとできないけど、ここはみんなだいたい似たようなものだから、楽なんじゃないかねえ。わりとそんなに点数にこだわらないでやってるというか」と述べている。南郷利用者の年齢層が高いことで、高齢層にとってもやりやすい雰囲気をつくっているのではないかとBさんは考えているようだ。他のPG場ではプロのように、上手で若い人たちがたくさんいるようなところもあるそうだ。そういうところだと、Bさんは行きにくくなるという。パークゴルフ南郷はその使用料の低額さに加えて、「ちょっと体をほぐしてこよう」という気軽さがある点で「1番理想」と感じているようである。

 

(5)人間関係について

 PGをとおして仲良くなった人たちについて尋ねると、自分から声をかけてPGにさそった人たちは何人もいるが、いっしょに遊んだりする時間的余裕をBさんは持っていないのだという。スイミングをやっていたときもひとりで行っており、友達をさそっていたらとてもじゃないがあわせられないと話している。「いっしょに旅行でも行こうかーとかそういう時間が合わせられないからね。ちょっと、申し訳ないと思う」そうだ。

 しかし、南郷にはPGをとおして仲良くなり、グループをつくって、他のPG場へ行き、近くで1泊する、というようなことをしている人たちもいるという。「さっきこられた人たちは大正生まれの人たちが2人はいってるのよね。もうだいぶ年配だわね。75歳以上の人たちは。その人たちはここの例会に来ても優勝するとかいうことはなしに、でも楽しんで来ている。例会にさえあんまり出てこずに、ここに来て楽しんで、そして何人かでグループをつくってどこかに行って、それで楽しんでるって。」そういう人たちに対してBさんは「いいでしょう、ねえ、80歳になってこうしてできるんだもの。」と、自分のことのように話した。そして、そういう人たちが「なんの抵抗もなしに来られるような雰囲気をつくりたい」と考えている。

 

 BさんはPGをスポーツとして純粋に楽しむひとりである。PGが気軽におこなえるスポーツであることや、うまくいったときの喜びを語っていた。自分の健康を意識し、はじめたものではあるが、健康が回復すると、PGは「趣味のひとつ」として位置づけられるようになる。PGで人間関係が広がったり、知り合いが増えたりすることはあったようであるが、それを深めるということを自分からは積極的にはせず(できず)にいる。だが、南郷に来る人たちが良い人間関係を築いたり、自分よりももっと高齢の人たちがPGで楽しめることを期待している。

 

第6節 これからぼちぼちやろうかな的な――インタビュイーCさんの場合――

 

(1)PGとの出会いから現在まで

Cさん(57)は現在会社員である。10年ほど前、当時Aさんたちがやっていた県有地でのPGの大会にさそわれ、Cさんは1度参加したことがあるそうだ。それから3、4年前にあった水戸田地区のPG大会に出場し、その頃からPGを始めた。昔は地区のゴルフ大会やソフトボール大会にも出場していたが、どちらも現在は参加していない。

Cさんは仕事もあり、大門町パークゴルフ協会の会員でもないので、頻繁に練習に来ることはない。大会は年に3、4回地区でおこなわれるものに出るくらいである。クラブも所持していなかったが、今年秋に購入した。今後は土日など練習にも顔をだし、PGを継続していくつもりだという。

Cさんは健康を意識してかどうかはわからないが、ランニングを20年以上続けているという。スキーも30年以上続けていたそうで、最近はジムにも行って、エアロビクスをしたという話をしていた。スポーツは好きなほうで、不得意なものは遊び感覚で、いろいろなものを連続的にやってきている。

 

(2)PGの魅力

PGのおもしろいところは「だれでもできるし、そんなに大げさな道具もいらないし(中略)まあ気軽にできるのがいいんじゃないですかね。ひとりでも行けるし。」と答えた。1日1万円単位でかかるゴルフと比べて、PGはクラブを1本持っていれば安いし、南郷の場合は1日200円でできるから、ということである。Cさんはゴルフの経験もあるので、ゴルフのルールとほとんどいっしょであるPGは「わかりやすいし、やりやすい」と話した。

また、PGを「親睦のひとつ」と捉えていて、地域の大会が終わったあとの懇親会などで、顔見知りとたまに顔を合わせ、騒いだりすることもいいんじゃないか、と考えている。

 

(3)ゲートボールについて

ゲートボールについては、会社の行事などで若い人たちとしたことがあるという。だが、「今やっている人たちはじいちゃんばあちゃんやからね、ほんとのじいちゃんばあちゃん。私の母親もずっとゲートボールをやってるんですよ。(中略)それにあれはチームだからね。そんな人たちといっしょにやろうという気はないわね。」ゲートボールのプレイに関しても、「ゲートボールっていうのはほんとに意地悪ゲームで、なんか好きじゃないね。相手の球にぶつけて、それを外にほっぽりだして、だもんね。」と話していた。

Cさんはゲートボールに関してはあまり良いイメージを持っていないようであった。今やっている人たちが、自分たちとは年齢的に離れていて、そこに入ろうという気持ちが持てないことや、ゲートボールのスパーク打撃というルールをさして、それがあるためにマイナスイメージを抱いているように思われた。

 

(4)パークゴルフ南郷について

 Cさんは南郷以外のPG場へは行ったことがなく、「あんまり真剣にやってないから」と笑っていた。また、「あそこに来ている年寄りはけっこう優しい」と感じているようである。世代が違うという印象を受けることもなく、80歳を過ぎた最高齢の人よりも自分の点数が10点も低かったことを話していた。「上の人のほうがよっぽどうまいもんね。毎日行ってるから。(中略)年に何回かしかやらないものと、毎日やってるものと、だから年関係なしにできるというのはいいんだよね。」と話した。

 

(5)人間関係について

 PGをやっている人の中には、Cさんと同じ地区の顔見知りの人は多いという。同級生のDさんもそのひとりである。しかし、PGの大会をとおして仲良くなったという人はいないと話した。「PGで親しくなったとかいう、特別そういうのはないけど、だいたい4人ぐらいでいっしょにまわると初めての人が必ずいるから、そのときはそれで、親しくはなるけど、でもそのあとまた付き合いが続くということはあんまりないね。ただ同じ地区だから、またなんかほかで会えば、あーこんにちはという感じでね、また話にはなると思うけど。」

と話している。

 

Cさんの場合、年齢も若いせいか、健康に関することを目的のひとつとしてPGをしているわけではない。一方、ランニングはずっと継続しているし、ジムなどに行くことにも積極的である。さらにPGが楽しいからやっている、という目的もきかれなかった。それでも、クラブを購入し、今後はPGを継続していくつもりだと話していた。

Cさんは、地域の集まりにはなるべく顔をだすようにしている、ということも9月にあった大会での聞き取り調査のときに話していた。つまりCさんは、PGに限らず地域の行事などには以前から参加するようにしており、PGもそのひとつだったのかもしれない。ランニングなどよりも肉体的負担は軽く、またPGにかかるお金が安いこともあり、老後も続けていけるスポーツとして考えているのかもしれない。社会的関係を深めていく、という意識も感じられなかったが、南郷の入りやすい雰囲気がまたひとり、仲間を増やしたということかもしれない。

 

第7節 やればやるほど――インタビュイーDさんの場合――

 

(1)PGとの出会いから現在まで

 Dさん(58)はPGを本気になってやりはじめて、2年程である。それ以前はゴルフをやっていた。肩を壊してから、ゴルフクラブをふりまわすことができなくなり、PGに転向した。ゴルフをしていた頃もPGの大会には参加しており、練習もしないで優勝したこともあった。当時はまだまだ力があったので、PGよりもゴルフのほうに興味があり、おもしろかったそうだ。「パークゴルフというと、こういう小さいところでだから、思いきり打てないでしょ。私ロングが得意なんです。こんな短いところよりもロングで思いきり打つことが好きなんです。」と話していた。

 Dさんは営業マンをしていて、「スポーツが3度の飯より好き」だと言い、若い頃から野球やソフトボールをやっていた。ソフトボールでは県の大会で優勝して中部地区の大会にも出た。野球はチームをつくって監督をやったり、少年野球を教えていたこともある。それらのスポーツも孫ができたころにほとんどやめて、現在はPGのみである。

 練習は土日には顔を出すようにしている。大会にはだいたい出ていて、今年は県の大会もよく出場したということである。県大会などが近づくと、前日までには必ずコースをチェックしにいく。いつも練習していたとしても、大会ではカップの位置が変わるので、自分で予想して練習をする。成績は「結果的にはいいほうだ」と話し、県の大会ではたいてい20位くらいには入っている。それでも必ずOBを3回ほど出してしまう、ということがとても残念なようだ。Dさんはロングやホールインワンなどは得意だが、上手な人はOBをほとんどださないのだと話した。

 

(2)PGの魅力

 Dさんは、練習もしないで優勝したことがあるので「こんな簡単なものは、と思いましたけど、やればやるほど奥があるっていうんですか。なかなかね、難しいです。」と話した。年配の人たちは、健康のためや親睦をはかるためにやっておられる方もいると思うけれど、と前置きし、「私の場合は自分の目標を立てて、そのとおりやれた、という充実感がやっぱり。」とPGの魅力についてDさんは答えた。大会に出ることもそのひとつで、Dさんにとっては楽しみのひとつだという。「次は何位までに入りたいという希望がある。」のだと話していた。

 また、ゴルフは1回行くと、1万5千円から2万円かかるのに対し、PG500円あれば1日プレイできるという、金額に関することもPGの魅力として述べていた。

 

(3)ゲートボールについて

 Dさんは体育指導員を長くやっていたこともあり、ゲートボールをやったこともあるという。ゲートボールは監督をいれた5人でのチーム競技なので、チームがひとつにならないと勝てない、と話していた。PGは、自分ひとりの力だけだが、ゲートボールのような団体競技にはひとつになるというおもしろさもあるが、難しさもあると述べていた。

 

(4)パークゴルフ南郷について

Dさんは、16年程前からPGを始めた小杉町と比べて、大門町は遅くから始めたので、遅れていると感じている。小杉町は非常にレベルが高く、また同じ年代の方も非常に多いのだと話す。「県の大会に行っても小杉町の方に勝つことがまずできないんでね。大門町でも私らが1番若い世代に入りますんで、もう少し若い方が、40代からやっぱりやったほうが50代で県の大会に行っても必ず間に合うと思いますがね。だからもう少しはやくからこれをやってれば、県の大会に行っても他の町のみなさんにひけをとらなかったんじゃないかと。今非常にそう感じてますよね。」と述べた。Dさんは常に小杉町や他の地域を意識していて、「長年やってればやってるほど、同じところで練習はしたくない、各県下のPG場をまわりたい」という気持ちが芽生えてきているそうだ。他の場所でいろいろな方と知り合うと勉強にもなるし、年配の人でも技術の優れている方がいるからだと話す。

 

(5)人間関係について

DさんはPGをとおして仲良くなった方もいると話していた。「県の大会に出ますとやっぱり顔なじみの方ができますんで。懇親会とかそういうのがあるとやっぱり楽しいですよね。」大会の途中、昼食時には同じ地区の人でなくても知っている人と話をするという。「とにかくPG場に行ったらほかの話はないですよね。県の大会に行くとどうしてでも、あそこのPG場に次行ってみない、だとかね。いろいろなって、連絡とりあってですね。」PGを始めて2年だが、今年は県大会にも何回かでたので、友達もだいぶ増えたと語っていた。

 

DさんはPGに熱中しているひとりである。年齢が若いこともあり、大会に出て良い成績をとることや、自分自身の技術を向上させることがDさんにとっては重要な部分を占めている。インタビューでは、プレイのことや富山県でもPGの上手な人たちのことなどがよく話題になった。以前はゴルフをやっていたので、その当時はPGのプレイ自体は簡単なものだったようだ。しかし、肉体的に制限がかかったときに、PGの運動量の少なさはDさにとって都合の良いものだったのだろう。

人間関係についても、特にPG仲間と交流を深めたいという意識は感じられず、それよりも地域外の上手な選手たちとのPGを通した交流で、勉強になったり、技術の向上になったりすることを喜んでいるようである。

 

第8節 本章のまとめ

 本章では、PGの客観的な特徴と、語られるPGの魅力についての報告をおこなってきた。それらについて本節でもう1度整理したいと思う。

 大会での聞き取り調査では、PGの魅力について、「人間関係」が最も多くあげられた。地域の知らない人たちと知り合う、交流するということなどである。「健康」に関する魅力は特に、高齢層の人たちがあげたものだった。健康維持につながる、体が回復した、というものである。PGのスポーツ的なおもしろさとしては、「個人」と「プレイ」があげられた。個人競技なのでひとりでできるということが参加者にとっては気楽なようである。さらに、ルールやひとつひとつのプレイ自体は簡単であるが、上手になるには難しいスポーツであるため、それを向上させていくことが楽しく、魅力となっているようだ。

 インタビューでは、4人それぞれのPGを始めたきっかけが語られた。AさんはPGというスポーツを知って、自分たちから積極的に開拓していった。BさんとDさんはそれぞれ健康上の理由があって、PGを始め、その結果はまっていった人たちである。Cさんは他のスポーツも経験してきて、PGも地域の交流のひとつとしてやり始めた。そして今後はもう少しPGをおこなっていこうという意識を持っている。

PGの魅力についてはAさんとBさんが個人競技であることの魅力を語った。Dさんはスポーツとしてのおもしろさ、上手になることに対する欲求を満足させるスポーツとしてPGは語られた。Cさんは人びとと交流できることが良い点だと話した。また、4人ともPGをしていく上での料金の低額さ、用具も少ない手軽さをひとつの魅力としてあげている。

ゲートボールについては、4人とも経験は浅く、Bさんに関してはやったこともなかった。それぞれ、団体競技という点や、スパーク打撃についてのマイナスの認識があることから良いイメージは聞かれなかった。しかし、健康に良いという点ではPGもゲートボールも同じであり、現在のようなさまざまな高齢期スポーツがあらわれなかったとしたら、ゲートボールがとってかわられることはなかったのではないか、ということをAさんは語った。

南郷については、大門町パークゴルフ協会の中心的人物であるAさんとBさんは、競技中心になるよりも他の人たちが入りやすい雰囲気をつくりたい、という気持ちがある。それに対してCさんは、南郷に来ている人たちは優しいと感じているので、南郷がそのような雰囲気を持ち合わせているという一面は確かにあるようだ。一方Dさんは、大門町がPGをやり始めたのが最近のことなので、他の地域との差を感じているようである。それは彼が、県大会に出場するような上手な選手のひとりであることも影響しているのかもしれない。年齢も若いせいか、PGの技術を向上させることに熱心で、他の地域でもPGをやってみたいという気持ちがある。

PG仲間との関係について、インタビューでAさんに詳しく聞くことはできなかったが、Bさんの場合は自分からさそってPG仲間を増やしてきたが、それらの人びとや新しく知り合った人たちとの親交を深めたくてもそうできない状況にあるそうだ。Cさんに関しては、まだPG歴が浅いことも関係しているのかもしれないが、知り合いにはなるが、それ以上深くつきあうことはないという。Dさんは県大会などで知り合った人たちと、PGを通したつきあいを楽しんでいるようであった。

 

第3章 分析

 

第1節 高年層と中年層

第1項 健康を目的としない高齢期スポーツ

 本論文では、高齢期スポーツの調査にあたり、対象となる人びとを65歳以上の高齢者のみに限定せず、それ以前の年齢にあたるPG参加者も含めた調査をおこなってきた。本節では65歳以上の高年層と、それ以下の中年層の特徴について述べたい。

南郷でのPG参加者は50代〜80代が主である。当然のことだが、65歳以上にもなると、無職の人が多い。そういう人たちと、50代の有職者たちとでは、南郷の利用数、経験も違ってくる。南郷の平日の利用者はほぼ高年層であるといってよいだろう。

海老原修は高齢者の運動・スポーツへの社会化を考えるときに、「過去に運動・スポーツを実施している者は、連続的にその志向を保持し、かつ実際に行おうという意欲をもっている」という「連続説」が有効であることを述べた(海老原 1985: 352-354)。南郷でのPG参加者には、ゴルフをやっていた人や他のスポーツをやってきた人も少なくない。しかし、PGをやりはじめた人の中にはこれまでスポーツをまったくやってこなかったという人たちもいる。ではPGをやり始めた理由とは何であろうか。

 3大会での聞き取り調査では、なんらかの体の具合が悪くなったことをきっかけにPGを始めたという人が何人かいることがわかった。そのような話は特に高齢層の人たちの間で聞かれた。足や肩が悪くなり、PGでリハビリを始めた、という人たちを含め、同調査で回答をしてもらった27人のうち13人が健康についての話をしている。そういう人たちにとって、PGは健康が維持できる、または健康を回復させることのできる、という点がひとつの魅力となっているようだ。「医者にかからない」、「風邪をひかない」、「薬の回数が減った」など、具体的な効果も聞かれた。実際に、自分自身の健康が回復した、という人でなくとも、まわりからそのような話を聞くことが多々あるようで、私自身もいろいろな人から健康回復の例を聞くことになった。一般に、高齢者がスポーツ活動をおこなうときに、「健康」を目的のひとつにすることは当然考えられることである。実際にPGでも、健康を回復した人たちは存在し、そのような効果を期待してPGに参加している人もいる。

一方、中年層は高年層と比べてまだ体に不都合を感じている人たちが少ないのか、健康を目的としてPGをしている人はほとんどいなかった。同調査では、主に70代の人たちが健康に関することを述べ、50代ではまったく聞かれなかった。Dさんは、肩を悪くしたことをきっかけにPGを本格的に始めたが、それを治したり、調子を維持したりしていくことが目的となっているわけではなかった。「健康」に関することがあくまでもきっかけとなり、PGについては「健康」以外の面で魅力を感じているようである。

 健康を目的としてスポーツをおこなうならば、PGでなくともよいはずである。高齢期スポーツは今ではいくつかあらわれてきているし、もちろんゲートボールでもよいはずである。ゲートボールが体によいことは広く知られていることでもある。では中年層がPGをおこなう目的、理由とはなんだろうか。中年層がPGの魅力として最も多くあげたものは「人間関係」・「交流」というものであった。

50代を含む中年層の人たちは、Dさんのように仕事のない日には練習に熱心に参加し、大会にも積極的に出場している人もいれば、Cさんのように地域の行事等でPGの大会が開かれるときなどに参加し、年に数回程度しかPGをしない、という人たちもいる。Dさんのように、PGの技術向上を目的として熱心に参加するのでなければ、Cさんのように練習はせず、年に数回程度「地域の交流」を目的として大会に参加するということになろう。Cさんのような人の場合は、PGは日常生活に組み込まれているわけではない。だが、地域の行事として大会がおこなわれるぐらいに、PGはだれでもできるスポーツとして一般的なものになっているということがいえるだろう。

ただ単に地域行事としてPGに参加している人もいるのだろうが、中にはもっと練習に参加したい、今後していきたいという人や、仕事をやめてから熱心に通うようになった人もいる。中年層にとって、PGは今後継続していく理由があるスポーツなのである。それは、彼らにとって、PGに自分の健康を維持できるという魅力があるということよりも、PGを通して人びとと交流できるという魅力があるからなのであろう。

 ただし、「人間関係」・「交流」・「コミュニケーション」という魅力については中年層のみに限らず、高年層からもあげられ、全体として最も多くの人からPGの魅力としてあげられている。これらの魅力については次節で詳しく述べたい。

 

第2項 活躍できる高年層

 高齢者がスポーツをやる上で、その肉体的衰えは一般のスポーツでは致命的なものである。野球やバレーボール、サッカーなどのスポーツでは激しい動きが要求され、絶対とは言わないまでも、高齢者には厳しいものがあろう。しかし、PGにおいてはそのような激しい運動はほとんどない。PG場はそこそこの広さはあるものの、走ることもなく自分のペースで歩いていくだけのスポーツである。クラブは決して重いものではなく、高齢者が振り上げることも可能である。Dさんのように、ゴルフクラブを振り上げることが負担になった人でも始めることのできるスポーツなのである。

このようにPGは肉体的に負担が非常に少ないスポーツであるので、必然的に高齢者にとってやりやすく、楽しめるスポーツとなっている。それに加え、時間的余裕のある高齢者、それも高年層の人びとが練習にも頻繁に参加し、中心をなしているといえる。3世代スポーツということが謳われてはいるが、南郷においての日々のPG参加者は時間のある高年層の人たちにほぼ限られている。 

 Cさんは高年層の人たちに対して、「全然もう、上の人のほうがよっぽどうまいもんね。毎日行ってるから。(中略)年に何回かしかやらないものと、毎日やってるものと、だから年関係なしにできるというのはいいんだよね。」と述べている。AさんもPGは回数をこなし、慣れさえすれば上手になると話した。「経験の差が大きい」スポーツなのである。高年層の人たちはまず、平日、休日を問わず練習に来ることができるので、中年層と比べ練習量が多く、そのため経験も豊富になってくる。ということは、同じコースを利用しているのであれば、そのコースの特徴なども把握し、それぞれの場所に適したプレイができるようになる。このことが地域の大会などでも非常に有利となってくる。Dさんは、県大会のような大きな大会と地域の大会との違いについて、「地域の大会ですと、やっぱり毎日通っておられる方とか、そういう方はやっぱり上手ですよね。どこへ打てばいいかとかそういうのもわかりますんで。」と話している。通常のスポーツではその肉体的制限からなかなか上達ができなかったり、上位入賞ということが難しい高齢者であっても練習をこなし、経験を積みさえすればそれらも夢ではなくなるのである。そして実際に、高年層の人であっても、毎日の練習に顔を出すことの少ない中年層の人たちよりも、大会で良い成績をあげている人たちがいるのである。

それに加えて、PGはゴルフとよく似たルールの上でおこなわれており、表彰や商品も多くの人が受けられるようになっている。つまり、一般のスポーツでは優勝者や入賞者のみに与えられる栄誉が、PGでは多くの人に与えられるようになっている。ゴルフのルールをうまく踏襲している例である。これによって、スポーツにおいて今までカップや賞状に縁がなかった人たち、それらから離れて久しい人たちでさえ、表彰されうるのである。さらに、大門町パークゴルフ協会の定例会では、同じ得点であれば、高齢の人のほうが順位があがるというルールを設けている。この点も、中年層、若い人たちよりも高齢の人たちにとってうれしい仕組みが備わっているといえよう。

高齢になればなるほど、スポーツにおいてはその劣位が目立ってくる可能性があることは事実であるが、PGではそうならないような仕組みが出来上がっているのである。高齢者がさまざまな面で活躍できる場がPGには存在するのである。  

 

第3項 中年層の台頭

 もちろん、PGは高齢者だけのスポーツではない。PGの県大会へ出るときには、地域ごとに予選がおこなわれ、上位入賞者のみ出場することになる。いつものコースで充分に経験を積んでいても、大会では違うコースを使用することが当然でてくる。違ったコースにいけば、慣れてしまったコースでプレイすることとはわけが違う。ということは、高年層の人たちが地域の大会で活躍できるのと同じように、県大会などのいつもと異なるコースを使用する場合にも活躍できるとは限らない。南郷での定例会でいつも上位に入る男性(66)も、大会のあとに、「違う場所へ行くと緊張するのか思い切って打てない」、「芝生の長さも違うから」、ということを話していた。慣れ親しんだコースとは違うコースに対応しきれなかった、ということであろう。

 そして、そのような場は、若い力の活躍が目立ってくる場であるのかもしれない。若い世代に入るDさんは、地域の予選を通過し、今年はよく県大会にも出場したと話していた。練習量としては高年層の人びとよりも少ないはずだが、これまでのゴルフ経験や、若さという力があるためにそのような良い結果を生んでいるのだろう。大会の前日にはカップの位置がかわるので、同じコースで「いつも練習しててもだめなんですよね。」とも話している。Dさんは大会前にはコースの下見に「隠れて」行ったりするそうで、PGに熱心に打ち込んでいる姿が見受けられた。さらに、Dさんにとって南郷は、他の地域よりも遅れているとさえ感じることがあるようであった。小杉町と比べて、「小杉町の方はね、非常にレベルが高くて、同じ年代の方が非常に多いんですよ。」と話しており、PGの技術をもっと上げていきたいという強い希望を持っている。

 PGには経験を積んだ高年層が活躍する場面も確かにあり、若い力を持つ中年層が活躍する場面もまたあるのである。それゆえに、両者にとって魅力のある、楽しむことのできるスポーツとなっている。

 

第4項 新しい課題

PGが高年層、中年層ともに楽しめるスポーツであることは事実である。ただし、Aさんは次のように語っている。「あんまり競技中心になってもらうと、スコアを意識してもらうと、いろいろな面で、普及する立場からするとマイナスになるところもでてくる。」ということである。南郷が「PGの上手な人びとの集団」になってしまい、他の人が入ってくることができない雰囲気をつくってしまうと、PGの後継者がいなくなってしまうおそれがあるという。一方、Dさんのように自分のレベルをあげていくこと、大会などで良い成績をとることが大きな目標となっている人もいる。しかし、そのような雰囲気がさらに広がっていくことで、身の狭さを感じたり、入りにくいといった印象を高年層に与えてしまいかねない、ということもまた事実なのである。Bさんは、「若い人がたくさんおられるところに行くと、ものすごく点数がね。こうレベルが高いとちょっとできないけど」と述べている。南郷以外にはレベルの高いPG場や人びとが現に存在しており、高年層の人たちにとっては力の差を感じ、入りにくいという印象を受けてしまうこともあるといえる。

西尾は先に述べた「ゲートボール論争」の出現が、「現代社会におけるスポーツの意義や価値に対する認識の広がりを示すと同時にそれらの問題点を考えさせるものでもある」(西尾 1985: 22-23)として、ゲートボールの「競技性」についてふれている。それによると、ゲートボールは運動量は少ないが、技術的達成を満足させるものであり、競技性の高いものであった。そのため、弱いものいじめせず、「楽しく」やりたいという娯楽志向と「競技志向」が対立することになったのだという(西尾 1985: 25-26)。

これはどのスポーツにも内在する問題であるが、高齢期スポーツの場合、その世代間によっての対立が生じる可能性もあるだろう。中年層は必然的に技術をあげていくこと、勝利を目指すことを目的とするだろうが、そのような競技志向を持ち合わせていない人も中にはいる。地域の大会であっても「優勝なんて狙ってもいない」という人もいるくらいである。

今のところ南郷では、そのような対立はなさそうであった。それは、高年層と中年層の間の目的の違いがひとつの理由としてあるだろう。高年層にとっての大きな目的のひとつに「健康」がある。そして、毎日の練習に参加できる人はその分、地域の大会で活躍できる可能性がでてくる。中年層の場合は、あまり練習に来ることができなくても、その気になれば県の大会で活躍することができる可能性を持つ。PGの技術向上を目的としていない中年層にとっては、「地域の交流」が果たせればそれで満足できる。それぞれの目的意識が少しずつ異なった方向を向いているために、また両者がそれぞれに活躍する場があることもあり、両者の対立が目立っていない。

高年層と中年層という世代間だけでなくとも、「競技志向」と「楽しみ志向」の対立は起こりうる。しかし、練習にあまり来ることがないCさんが「(南郷に)来ている年寄りはけっこう優しい」、「だれでも受け入れてくれる」というように、南郷には「入りやすい」雰囲気が存在している。AさんやBさんといった組織の中心的人物が、「良い雰囲気」を意識していることが内部対立のないもうひとつの理由ではないだろうか。スポーツ活動をおこなう当事者たちが心がけていくことで、さまざまな高齢期スポーツがこれからも広がりを見せていくことだろう。

 

第2節 相対立する志向

第1項 コミュニケーション志向――“非”地縁的な交流――

 小笠原祐次は、スポーツが高齢者に重要な効果をもたらすとして、その有効性を4つあげた。1つ目は、身体的な健康、活動性がもたらされること、2つ目は社会的な関係を広げていく手段になること、3つ目は自分の生活に対する刺激になること、4つ目はスポーツや運動そのものの喜びがある、ということであった(小笠原 1985: 149-150)。

2点目にあげられているように、高齢者がスポーツ活動で社会関係をどのように広げるのか、あるいは開拓するのかを知ることが本論文でのひとつの観点であった。というのも、前出の小笠原(1985)でもあげられたような6つの喪失を高齢者が経験するのなら、それらを克服できるようなさまざまな場面もありうるからだ。現代のライフスタイルの多様化によって、高齢期の生き方も変わりつつあるだろう。そのひとつの選択肢としてスポーツ活動があり、PGがある。スポーツ活動においては、健康と社会関係を維持、回復できる可能性がある。特に、人間関係・社会関係については平松(1985)からも、本調査からも高齢期に入る人たちが望んでいるということがわかった。では、PGをとおしたコミュニケーションとはどのようなものであるのだろうか。

南郷の雰囲気は良いもので、けんかがあったり、大きな声が聞こえることもなければ、たくさんの人を気持ちよく受け入れてくれる場所だと私は感じた。調査をおこなう私を快く受け入れて、仲間に入れてもくれた。しかし、客観的に見ていて、仲が良く、いつもいっしょにいるグループというものは数が少ないように思う。行き帰りは皆自由で、好きなときに来て好きなときに帰る。集団ではなく、個人で動く。練習中はプレイに没頭し、休憩所に集まって話し込む、ということも多くはない。Aさんは「練習をしている場合なんかはあんまり人のスコアは、それをたねにしてさかんに会話するというようなことはあんまりないね。」と話している。大会での聞き取り調査でもある男性(71)は「プレイ中は余計な話はしない、楽しみながらPGの話題」と言っており、Dさんも「PG場に行ったらほかの話はないですよね。」ということを言っている。参加者の会話の多くがPGの話題であるようだ。また、別の参加者とPG場以外の場所で会うこともあまりなく、地域の行事があるときぐらいであるという。参加者の多くが、「PGをすること」を目的に南郷に集まっているといえる。  

もちろん、PG場以外でもつきあいのある仲の良いグループがないわけではない。Bさんは、南郷の中にできた仲の良いグループについて語ってくれた。「その人たちはここの例会に来ても優勝するとかいうことはなしに、でも楽しんで来ている。例会にさえあんまり出てこずに、ここに来て楽しんで、そして何人かでグループをつくってどこかに行って、それで楽しんでる」ということである。そういう人たちに対してBさんは、そのようなグループをつくることもまったくの自由として認めている様子であった。お互いが緊密な関係にあるグループが南郷の中にないわけではないが、それらがメインとなった集まりではないといえるだろう。現にAさんも、PGの目的の1番根元には人とのコミュニケーション志向もあるのだけれど、南郷の中では目立っているわけではない、ということを話している。

 しかし、参加者の多くから―あまり練習に来ていない中年層、練習にも積極的に参加している高年層の両者の間で―PGでのコミュニケーションという目的、魅力があげられている。参加者にとって南郷での交流は、彼らの社会関係の維持、再形成という欲求を満たしているはずなのである。

つまり、多くの人が語る「人間関係」・「交流」という魅力は、PGを生活の中に選び取った人たちとの限定的な関わりであり、PG場やそれ以外での深いつきあいや、広いつきあいというものはおこなわれていないのかもしれない。また、それを求めていないともいえるのではないだろうか。極端にいうならば、南郷に来て、そこに集まった人たちの中に入り、PGをすることができればよいのである。「PGをすること」、あるいは「南郷に集まること」という「交流」に満足し、それ以上のつきあいを求めることはないが、PGをとおして自分たちは社会的につながっているのだと感じることができているのかもしれない。

さらに、「人間関係」や「交流」という回答の中には、「地域の人たち」との交流というものがあった。確かに、富山県内のいくつかの市や町にPG場はあり、それぞれパークゴルフ協会も存在している。だが実際には、参加者たちは市や町を離れ、PGをしにいくことがある。大門町の協会には、砺波市や高岡市の住民でも会員となっている人がいる。砺波市にはPG場はないが、高岡市には協会も組織されている。Aさんは、そういう人たちに対して「高岡の市民だから高岡の(PG場に行かねばならない)、という意識がないわけ」と話している。大会での聞き取り調査でも、PGを目的に北海道などの県外にまで出かけていく、と話していた人がいた。そのことを考えても、PG場でおこなわれている交流は必ずしも地域性を持ったものではないといえる。

ただし、それぞれの市や町では地域行事としてPG大会がおこなわれる。これらの参加者にとっては、PGは地域のつながりを強化させる意味合いを持つ。行事としての参加者は、南郷での練習にほとんど来ていない人、50代の人びとが多くいる。この中年層の50代の人々にとって、老後の社会関係について、それらが喪失されるという意識があるのかもしれない。もしあるとすれば、そのために、地域関係の活性という期待を持って参加しているのだろう。Cさんもインタビューで、PG大会などは「親睦のひとつ」ととらえて参加しているということを話していた。彼らにとって、地域での活動は失われていく関係を食い止める可能性がある。よって、彼らにとってのPGは地縁的なコミュニケーションをとれる、という大きな意味を持つものであるだろう。運動会や婦人会、青年会などの地域行事ではそのときだけの交流になってしまうが、PG場があり、そこに来れば地域の人たちと顔を合わすことができる。それも、自分の意志で参加・不参加を選択できる。それだけでも社会関係を保っている、と感じられる要素となるであろう。

 

第2項 個人志向――コミュニケーション志向と並ぶものとして――

 「自分の都合のつく時間やったら1番から2番3番まできたら、『お、時間きた。みなさん、私これでいそがしいから』と言って抜けていってもだーれも文句言いません。それが、やっぱりいいことじゃないかな。」と、Aさんによって、PGの個人志向は語られた。大会での聞き取り調査でも、特に高齢層の間でPGが個人プレイであることのよさをあげる人がいた。「ひとりで来てひとりでできる」、「自分の好きなときいつでもできるし、やめてもいい」などである。だれかといっしょにやらなければならないという決まりもなく、自分の好きなときに来て帰ることができたり、ひとりでもPGのプレイそのものを楽しむことができるというよさである。客観的に見ていても、PGは自由な雰囲気のあるスポーツであった。4人1組でまわるものの、途中で抜けること、加わること、帰ることなど、他人の行為にはあまり口出しをせず、他人の行動に注意を払っているのはプレイ中のみともいえる雰囲気である。

例えば、高齢期スポーツのひとつであるグランドゴルフは、富山県には専用の練習場がない。そのため、ルールに人数制限はないが、練習をするときは前日からグランドゴルフ仲間に声をかけあい、練習場に用具を設置したりして準備をおこなわなければならない。PGとは違い、思い立ったときにすぐできるというものではないのである。砺波市でグランドゴルフを7、8年やっているある男性(71)も、PGはひとりで来てプレイすることが可能な点が便利だと述べている。

この「個人志向」にはふたつの意味があるだろう。ひとつは上記のようにひとりでプレイできる点である。PGはすることもやめることも自由であり、だれかと合わせる必要もないのである。

もうひとつは、団体競技と違って自分の成績が他者に影響しないというメリットがある点であろう。Aさんは、ゲートボールが団体競技であり、皆で力を合わせることの難しさをあげていた。Dさんも、PGは自分ひとりの力だけだが、ゲートボールの場合はチームがひとつにならないと勝てないと話している。スパーク打撃によって自チームのプレイが邪魔されたり、監督の指示通りにボールを動かすことができない場合があるという難しさである。自分のプレイや成績が他者にまで影響してしまうという不都合がゲートボールにはあるようだ。

年をとって、肉体的にも衰えてくると、体や力を使う場所ではそこでの役目が果たせなくなる。思うようにいかないことも多々あるであろう。特にスポーツの世界においては団体競技であれば、ひとりの選手のひとつのプレイには大きな責任がかかってくる。つまり高齢者になれば、その責任を果たせないという負い目を負いやすいということである。「PGは個人のスコア。悪ければ自分、良ければ自分」という意見や、「自分の成績が他の人に影響するわけない」という意見からも、PGでの成績評価が「個人」であり、自分がどんな成績をとろうが、あるいはスコアや技術を追求していこうが自由であるということは、高年層にとって魅力的な要素なのである。

前項で述べたように、PGには中年層、高年層のコミュニケーション志向を満足させるという魅力がある。しかし、一方では(特に高年層の間で)、「個人」でできるという魅力がPGにはある。これはある意味では対立の関係にある要素である。PGで人びととの交流を求めているが、それによって自分たちの行動が制限されることを嫌う。本当にひとりになって社会関係を失ってしまうことにはやはり抵抗があるのだろうし、人びととの交流もまた必要だと感じているのだろう。PGはひとりでやれるという気楽さの上に、それをおこなうことで、コミュニケーションができるというふたつの対立する思いを同時に叶えているのである。

ある選手(60代)は、南郷に来ると近所のうわさも聞こえてこないので楽しい、というふうに語っている。この選手にとって地縁関係は煩わしいものであるが、PGでの人間関係はそれには当てはまらない。なぜなら、PGでの人間関係は地縁関係から独立したものであり、PGを好み、選択した人たちの集まりであるからだ。そこではコミュニケーションをとりながらも、他人に煩わされることなく、自分の思うままプレイを楽しむことができる。「地域の」人たちとの交流を望んでやってくる人たちもいるが、やはり人びとはPGというスポーツを選んだ人たちとの関わりを純粋に楽しんでいるのである。

これは少数派の意見であるかもしれないが、高齢者や私たちにも近所や地域という枠の中でのつきあいを煩わしいと感じていることがないとは決していえないのではないかと思う。それらから開放される場が南郷であり、PGであるとするなら、他から関与されない「個人」の独立を保ちながらの「コミュニケーション」が現代の高齢者には必要とされ、PGという高齢期スポーツをとおして形となっているのである。

 

 

 

第4章 結論

 

 これまでに述べてきたことを整理し、結論としたい。

まず、PGはその参加者が必ずしも「健康」を目的としておこなっているわけではないという点に注目できる。高齢になればなるほど自分の健康に対し関心を持つようになり、スポーツ活動においても健康に良い効果を求めるようになる、というのが一般的な見方であろう。PG参加者の高年層の間では健康を維持、回復することが目的となっている人たちもいるが、それだけを目的としてやっている人の数は少ない。中年層に入ると、「健康」という目的を答える人はまったくいなくなった。これは、平松(1985)でも同様の結果がでている。PG参加者においても、健康よりも人間関係を求める傾向が強いといえる。

 また、スポーツ活動において「年齢」はハンディを負いやすく、高齢になればなるほどその劣位が目立ってくる可能性がある。しかし、PGはその「年齢」を感じさせないスポーツであるという点が特徴的であり、高齢の人たちが満足できるスポーツなのである。PGはその性質上「経験」の差が大きく、現在のところ練習にも毎日のように通える高年層は中心的な存在としてまわりから認められている。彼らは充分な技術を身につけ、地域のPG大会等でも活躍している。加えて、南郷の定例会では、点数が同じであれば高齢の者の順位があがる、というようなルールが採用されている。これは、高年層が周辺化されないような工夫であり、高年層が活躍できるようになっているのである。

中年層にとってのPGの魅力・目的は、「人間関係」・「交流」という答えが大部分を占める。中年層のうち日々の練習に参加できる人は少なく、地域行事でPG大会等がおこなわれるときのみ参加する程度である。また、中年層の中にはDさんのように練習にも意欲的で、県大会にもよく出場しているという人もいる。このような人の場合、必然的に高年層よりも練習の回数は少なくなり、経験も浅い。しかし、PGはルールやプレイ自体も簡単なので、ゴルフの経験があったり、ボールを飛ばす力がある中年層は、その努力次第では県大会などの大きな大会に出場し、好成績を残すことも難しくはないだろう。そうすると、ひとつの地域にとどまることなく、県外にも簡単に足を運び、幅広い交流ができるようにもなるだろう。

南郷においては、高年層と中年層がそれぞれ活躍する場があり、両者にとって楽しめるスポーツとなっている。さらに、南郷での入りやすい雰囲気が多くの人を受け入れ、参加者数を増やしているといえよう。

PG人気の理由のひとつに、その交流の仕方がある。PGの魅力として参加者から最も多くあがったものが「人間関係」・「交流」というものであった。

南郷でのPG参加者たちは、ひとりで練習に参加し、帰っていく人が多く、PG場以外での交流もないようであった。練習での会話の中心はPGに関連したものであり、世間話のようなものもあまり聞かれなかった。ということは、彼らが求めている「交流」とは、PGを選択し、集まった人たちとのコミュニケーションであるということがいえるだろう。PGを好み、PG場というひとつの世界にやってきた人たちと、そのときだけの交流をおこなっているということである。

さらに、彼らが望んでいる交流のもうひとつの特徴とは、「個人志向」が認められた上での交流、ではないだろうか。PGはプレイ自体が個人競技であり、ひとりで来てひとりでプレイすることもできる。いつ練習に来てもいいし、やめてもいいのである。また、ゲートボールなどの団体競技と違って、自分の成績が他者に影響することがないので、「年齢」というハンディを負った高年層の人たちも、引け目を感じることなく思うようにプレイできるのである。

ここでもう1度、第1章第3節であげた中島豊雄の高齢期スポーツの3つの特質について考えてみたい。その3つの特質とは1、「体力の消耗の比較的少ない活動や心身の健康維持のための活動に限られがちである」、2、「経済的にゆとりのない生活のなかで行われること」、3、「1人あるいは地縁的関係で結ばれた少数の人たちの間で行われること」というものであった。PGにおいても1・2についてはよくあてはまっているといえる。1に関連する点でいえば、PGのプレイは体の負担が少ないものであるし、健康維持にも効果がある。2については、PG参加者の大部分は定年を迎え、職から離れた人たちであるが、PGにかかる金額は少ないといえる。ゴルフの場合は1度に1万単位でかかってしまうが、PG場の使用料はどこへ行っても数百円であり、クラブも1本ですむのである。

ただし、3について、PGの場合は地縁的関係の結びつきは少ないスポーツだといえないだろうか。

南郷でのPG参加者は大部分がその近くに住んでいる人たちである。これは他のPG場でも同じであろう。しかし、参加者の多くはPGをとおした交流で満足しており、それ以上の広がりも地縁関係の強化も望んではいないようであった。PG場は普段感じるような地縁的な煩わしさから開放されるともいえる世界なのである。

例外的に、PG参加者には日々の練習には参加しておらず、地域行事としてのPG大会のみに参加しているという人たちもいる。彼らの多くは中年層であり、そのような人たちの目的は、地域のつながりの活性化であるかもしれない。もちろん、地域という基盤がPGにはないわけではない。行事などをとおしても、結果として地縁関係が強化されるということはありうるだろう。それによってPG以外での交際が深まるというわけでもないが、そこでのコミュニケーションをとおして、人びとが「地域」とつながっていると感じることもあると予測される。そう考えると、PGが限定的な関わりで成り立っているスポーツであっても、「地域の」交流として受け止めている人も中には存在し、そういう人たちからPGの魅力として語られることがある。

このような中年層は、まだ高齢期を経験していない世代であり、近い将来の高齢期に対しての心配や不安もあるだろう。彼らの多くが「地域」のつながりを強調することは、社会関係が失われる可能性のある高齢期に向けた備えのようなものだといえるかもしれない。

しかし、このような傾向にある中年層は、「外へ出て、近所の人たちと仲良くつきあってほしい」、「社会関係を持ってほしい」という一般的な期待を自ら取り込み、「地域」とのつながりを強く実感したいという意識が働いているのではないだろうか。現に高齢期に入った人たちは「地域」ということにはさほどこだわらず、PGをおこなう人たちと、PG場での交流を楽しんでいる。

最初にも述べているが、高齢者をとりまく私たちが高齢者イメージを付与している。例えば、「元気な高齢者であれ」、「働く高齢者であれ」、「地域の人びとと仲良くつきあう高齢者であれ」、といったような類のものである。高齢期にさしかかるとさまざまな喪失を経験する。それに対して私たちは、それを「埋めなくてはいけないもの」として考える。高齢者の6つの喪失が現に、高齢者の大きな不安であったとしても、それらをどうするのかは私たちが決めることではない。スポーツ活動をとおして社会関係を維持しようとか、再形成しようとかいう思いを持つことがない高齢者がいたとしてもおかしくはない。スポーツを純粋に楽しみたいという欲求のみであってもおかしくないのである。

 昭和50年代にあれほど強かったゲートボールブームさえ下降線をたどったように、まわりから与えられたスポーツであっても長くは続かない。その点、PG参加者にはそれをおこなう自由があり、しない自由もある。現代の高齢者には選べるだけのスポーツがいくつかある。PGをしている人たちは、本当にそれを選び、純粋におこなっている人たちであるといえる。 

 高齢期スポーツの開発は以前より提唱されつつあることであった。しかし、高齢者イメージが貧困であったために、「与える側」に立った私たちは高齢者が望むものを理解していなかったといえるだろう。今回、富山県の大門町という地域でのPGというスポーツをとりあげ、PGの性質や魅力について分析していくと、高齢者が望むものがどのようなものなのか、ということが少しずつだが見えてきたのではないかと思う。PGは現在のところ、高齢者が最も楽しめるスポーツのひとつであることは確かである。彼らは、地縁的な関係を強化させていくことにはさほど重点を置いておらず、個人という自由を認められた上でPGというスポーツを、そこに集まる人びとと楽しんでいる。「高齢者」とはいえ、その感覚は私たちとほとんどかわらないものである。無理矢理に押し付けられる集団の中では反発感を覚えたり、好きなときに自由にやりたいという欲求だって持っている。高齢期という自由な時間だからこそ、そのような欲求が現れて当然なのかもしれない。

 高齢期スポーツを考えるとき、わたしたちは「与える側」ではない。高齢者のニーズを決めつけてスポーツを用意するのではなく、スポーツをおこなう側に立つ高齢者の要望をとらえていく必要があろう。これからの高齢期スポーツの発展に本論文の結果が生かされていくことがあれば幸いである。

 

 

 

 

引用・参考文献リスト

 

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