第5章 結論

 

 本論文では、文献、資料によっておおよそのブラジル人の様相、諸問題を把握した上で、インタヴュー調査を行い、ブラジル人が関わる場所や11人のブラジル人の生活状況と意識を描いていくとともに、ブラジル人の日本語習得に関する様々な側面について考察を加えてきた。

 今回の調査では4人のブラジル人に話を聞くことができたが、1人1人の姿を詳しく描いていくことで、ブラジル人とひとくくりにされていた人たちそれぞれの背景や価値観、行動様式に触れることができた。ブラジル人の就労スタイルには短期出稼ぎ型に代わって長期的滞在、永住を念頭に置いた滞在、消費生活重視の滞在と、いくつかのパターンが見られるようになった。また、世代にも広がりが生じ、女性滞在者も増加した。これらにともなって、ブラジル人の中から様々な意識や行動が表れるようになったのである。例えば、稼いだお金を遊びにばかりつぎこむブラジル人が一部いる中で、Eさんはその人たちを否定的に見ていた。そして、Fさん、Gさん親子の間には、親は帰国の意志をもち、子供は日本滞在の意志をもつというような意識のずれが生じていた。このように本論文は、そうした多様化するブラジル人の姿を描き出し、今まで見えにくかったブラジル人の状況を知る手がかりを提供した。また、業務請負業者とブラジル料理店というブラジル人の生活に大きく関わる場所を見てきたが、そこの人たちがブラジル人に抱いている感情やその場所がどうブラジル人に関わっているかということをとらえることで、よりブラジル人社会の内部を知ることができたように思う。A社は、企業とブラジル人の雇用関係を円滑にし、日常の両者の意志疎通においても重要な役割を果たしていた。ブラジル料理店K店には、ブラジル人の日本での生活を過ごしやすくするとともに、積極的にコミュニケーションの場を提供する姿が見られた。

 

 今回の調査で見ることができたブラジル人社会の特徴として最も印象深かったのは、ブラジル人同士が緊密な関係を築いているということである。来日や転居の際には家族、親戚、友人を頼って移動し、慣れない土地で生活する負担を軽減しているようであった。また、ブラジル人同士の情報交換が盛んであり、日本で生活するために必要な情報を提供しあうことでよりよい生活を求めているようであった。また、日本語能力の低い者が高い者に言葉の面で頼るという関係ができており、日本社会と接する上での困難を解消していた。そして、この盛んな情報交換や頼る・頼られるの関係は携帯電話の普及により連絡の即時性、容易性を得たことで、近年よりいっそう助長されているようである。実際、調査で出会ったブラジル人もほぼ全員が携帯電話を持っていた。

 このように、ブラジル人が日本で生活していく方法として、まわりのブラジル人との間にある緊密な関係に頼りながら生活していくという姿が見られたのだが、私の問題意識に基づいて、日本語習得と関連したブラジル人1人1人の意識・行動を見ていく中で、必ずしもブラジル人全員がこの関係に頼りっぱなしという状態になっているわけではないことが見えてきた。というのも、通訳として頼られるEさんは、そのような状況を否定的に見ていたし、Dさん、Fさん、Gさんは、動機などは様々であるが、日本語を習得しようと日本語教室に通うという行動をとっていた。

 

 多くのブラジル人のまわりには、業務請負業者の人や日本語能力の高い知人といった複数の言葉の面で助けてもらえる存在があるようで、前述したように、日本語が必要となる場面でもそのような人たちに頼れば、自分が日本語を身につけていなくてもやり過ごすことができるという状況がある。実際、多くの日本語が話せないブラジル人はこのようにしているようである。また、ブラジル人に日本語が必要となる場面は比較的少ないように思えた。職場での勤務時間内は、日本語で説明や指示がされたとしても日本語を聞き取る能力があればそれほど困ることはないようであり、この聞き取る能力は滞在が長期化する過程でわりと多くのブラジル人が身につけていると喜多川(1996)は言っており、実際インタヴュイーもある程度の日本語を聞く能力は身につけていた。そして、聞き取る能力さえない場合であっても、たいていはブラジル人の同僚に通訳をしてもらうことができるようである。日常においては、市役所や病院で特に日本語が必要となるようであるが、このような公共機関には通訳が配置されているところもあり、その他でも日本語が必要となる場面は限られているようである。日本人との付き合いという点では、職場の人との付き合いがそれぞれの会社によって異なるものの多少あり、日本語のできない人は片言の日本語やポルトガル語、ジェスチャーなどを使ってコミュニケーションをとっているようである。しかし、日常的な付き合いを日本人としている人は少ないようであり、全体的に見て日本語能力の優劣に関係なくブラジル人と日本人の接する機会は少ないと言える。この理由としては、やはり言葉の壁が大きいように思えるが、Fさんの言うように日本社会のもつ閉鎖的な性質にも問題はあるようだ。このような状況に加え、ブラジル料理店やポルトガル語メディアといったものが年々増加し、ブラジル人にとっての暮らしやすい環境は徐々に整ってきている。このように、日本語を自分で習得しなくてもやり過ごせる状況はいっそう進んでおり、日本語習得の意志をもつ人が少ないという状況は納得できるものとなっている。

 

しかし、このような状況がいくら進んでいるとしても、やはり日本で生活する限り自分の日本語能力が低いことでの不自由さというものを全く感じないでいられるわけではない。ここで日本語を習得しようとするかどうかという意識の持ち方は個人の多様な状況によって左右される。今回調査で見られたものとしては、それは、親の考え方であったり、言葉の面で頼れる人が身近にいるかどうかであったり、日本での予定滞在期間であったり、将来の展望などであった。また、これらが考慮された上で日本語を習得しようと思い勉強をし始めた者であっても、上記のような、日本語ができなくてもなんとかやり過ごせるという諸要因が大きいということもあり、挫折してやめていってしまう人も多いことが日本語教室の事例から分かる。このように、日本語を習得しなくてもなんとか生活していけるような状況があるものの、そこでのブラジル人の意識の持ち方、行動の取り方は個人で異なり、一概に言うことはできないのである。

 

日本語習得ということに関連させてブラジル人の多様性を述べたが、現在日本に居住するブラジル人の世代、滞在理由、将来展望、ライフスタイルなどが多様であることを考えればこの日本語習得に関する多様性も当然のことと感じられる。このように多様な意識と生活状況をもち、日本での生活者としての側面を強めているブラジル人だが、依然日本人との複雑な関係は続き、両者の社会には隔たりがあるように思える。Fさんはどうして日本人はブラジル人と交流しようとしないのかという質問を投げかけてきたし、日本人は冷たい、差別をするというような発言をしたインタヴュイーもいた。出稼ぎ現象が始まって10年以上が過ぎるが、この辺りで真の共生というものを目指していかなければならないのではないだろうか。