第3章 富山県におけるブラジル人の様相

 

 この章では、インタヴュー調査のフィールドとなる富山県のブラジル人の様相について、統計資料と高岡市で日系人労働者に関する調査(5)を行った島田の論文(2000)と[富山大学1] を用いて論じていくことにする。

 

 

表3−1 富山県のブラジル国籍外国人登録者数の推移

年度

 1985

 1986

 1987

 1988

 1989

 1990

 1991

登録者数(人)

  16

  22 

  31

  36

  56

  259

  671

 

 1992

 1993

 1994

 1995

 1996

 1997

 1998

 1999

 2000

 1,314

 1,851

 2,139

 2,644

 3,145

 3,563

 3,419

 3,333

 3,729

           『とやまの国際交流 第35号 2001』 富山県総務部国際課 p.198より作成

                       各年の数字は12月末現在のものである

 

 

 表3−1は、1985年から2000年における富山県のブラジル国籍外国人登録者数の推移を表したものである。本論文第1章に、日本全体におけるブラジル国籍外国人登録者数の推移を表記したが、それと比較しながら推移の様子を見ていきたいと思う。

 日本全体ではブラジル人登録者の増加が1988年に始まっているのに対し、富山県のブラジル人登録者が増加し始めるのは1990年である。その後、日本全体では1991年まで大きな伸びが見られ、1992年から1997年までは漸増が続いているが、1993年、1994年の伸びは小さくなっている。富山県においては、1993年までの各年の伸びには目を見張るものがあり、1994年に少し増加の勢いが弱まるものの、翌年の1995年から1997年までは1990年代前半のような増加が見られる。その後、日本全体では1998年、富山県においては1998年と1999年に減少が見られるが、その後は両方において再び増加に転じるという推移が見られた。

 このように日本全体と富山県のブラジル人登録者の推移を比較してみると、2つの推移はよく似た増減の仕方を示しているが、その時期にずれが生じていることが分かる。ブラジル人登録者が増加し始める時期には2年ほどのひらきが見られ、また、1990年の入管法改正の影響が全国版では改正直後に極端に表れているのに対し、富山県においては、直後というよりはむしろ1992年、1993年の増加の方が大きいものとなっており、より影響が表れていると言える。このようなずれが生じたのは、1990年代前半はブラジル人登録者がいくつかの都市に集中する傾向にあり、富山県のような地方の都市にブラジル人登録者が分散していくのには数年を要したからであると考えられる。

 

 

         図3−1 国籍別外国人登録者の割合

  

 平成13年度『在留外国人統計』法務省 p.8p.48-63より作成

                                 平成1212月末現在

 

 図3−1は日本全体と富山県においての国籍別外国人登録者数とその割合を表すグラフである。2つのグラフを比較すると、富山県の外国人登録者の国籍に関する特徴として、韓国・朝鮮国籍の割合が小さく、ブラジル国籍の割合が大きいことが分かる。しかし、同じ南米であってもペルー国籍の割合は日本全体より小さくなっていることも見てとれる。富山県のブラジル人登録者の数は他の都道府県と比較するとそれほど多くはないが(6)、富山県内で見ると、外国人登録者に占めるブラジル人登録者の割合は他の国籍に比べ大きなものであると言える。

 

 

 

 

 

 

表3−2 富山県市町村別ブラジル国籍外国人登録者数(上位8市町村)

 高岡市

 1,474

 砺波市

201

  富山市

  552

 魚津市

192

 新湊市

251

 小杉町

161

小矢部市

209

 上市町

100

       『とやまの国際交流 第35号 2001』 富山県総務部国際課 p.197より作成

                                 平成121231日現在

 

 

 表3−2は、富山県の市町村においてブラジル国籍外国人登録者数が多い8市町村のブラジル人数を表した表である。高岡市の人口が172,957人、富山市の人口が321,435人であることを考えると、いかに高岡市にブラジル人が集中して在住しているかが分かる。また、地域的に見ると、呉東地区よりも呉西地区の方がブラジル人の多い地域となっていることも分かる。

 高岡市は、アルミ、化学、パルプ工業が基幹産業となっており、ブラジル人労働者の需要が大きいことが推測できる。また、島田はアンケート調査の結果より、高岡市に居住している日系人には高岡市内で転職を行う人が多いことや、高岡市居住者の高岡滞在期間が平均3,8年と長いということ、また、ブラジルから直接高岡市に来る日系人や、一度ブラジルに帰国した後、再来日する場合にも直接高岡市に来る日系人がいることから、日系人にとって高岡市は日本の中でも比較的生活しやすい環境だと認識されていると述べている[島田 2000 p.60]。このように、労働力需要とブラジル人にとっての住みやすさを兼ねそろえているため、高岡市にはブラジル人が集中していると考えられる。

 

 

 これまでの統計資料によって、富山県のブラジル人の人数やその推移、市町村別人数などを把握することができた。では、次に、富山県に在住するブラジル人の生活や労働の実態はどのようであるかということを島田の論文によって見ていく。

 

 まず、高岡地域における世帯構造と居住形態の特徴を述べている。当地域では、家族単位の生活が一般的であり、中でも子供と暮らしている人が比較的多いことから、家族の呼び寄せによる地域への定着化が進行していると考えられる。居住形態としてはアパートが多く、「会社の契約したアパート」に居住している者の人数には及ばないが、「自分で契約したアパート」や「持ち家」に居住している日系人も多いことから、日系人自身の意志で住宅を探し、業務請負業者に依存しない日系人も当地域では生活していると指摘している[島田 2000 p.55]。

 次に、高岡地域に来た過程などについて次のように述べている。日系人が高岡地域に来た時期については1994年以降が多い。また、来日直後に高岡地域に来る者が多く、特に1995年から1997年にかけて直接来た者が多い。ブラジルから直接高岡地域へ流入していることから、ブラジルの日系人社会の中で高岡地域の情報がある程度知られていることが考えられる。直接高岡地域に来ていない日系人の前住地には、東海地方と富山県内が多く挙げられている。高岡地域に来た理由としては、「紹介された仕事先だから」というのが一番多く、次いで「親戚や知人がいるから」、「仕事を探すため」という順になっている[同書 p.57-58]。

 次に日系人の労働に関して、島田は次のように述べている。ほとんどの人が工場で働いており、業種別に見ると、アルミ関係が最も多く、次いで電気部品関連、機械部品関連という順になっている。特定の企業に集中して雇用されている傾向は見られず、職場は分散的である[同書 p.58]。アンケート調査の結果、最も就業者が多かったアルミ製品製造企業における日系人雇用に関する調査部分(7)では、このような企業が日系人を雇用する理由について次のように言っている。高岡市の近年の労働市場は、高校卒業者の進学率上昇による若年労働力不足に加え、北陸全体が女性の就業率が高く、特に正社員の割合が極めて高いため、パート労働力となるような女性を確保することも難しい状態となっている。従って、当地域のアルミ製品製造企業は中小規模の大手企業の下請け企業であるため、特に慢性的な労働力不足が生じている。この労働力不足を補うという意味で日系人労働力が利用されている[同書 p.[富山大学2] 62]。男女による業種の違いは確認できなかったが、賃金には男女による格差が見られた。男性は13001500円、女性は9001000円の人が多く、これは男性が工場内での立ち仕事、女性が座っての作業というように、仕事内容の違いが反映されたものであると考えられる。また、日系人対象のアンケート調査において高岡市居住者の職業経歴を分析したところ、ほとんどの者に転職経験があることが分かった[同書 p.58]。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



(5)島田は高岡市において当地域の日系人の就業構造を明らかにする目的で200010月、日系人対象のアンケート調査を行っている。アンケート回収数65のうち、富山県在住の日系人は57であり、これには3名の日系ペルー人が含まれる。質問項目は、来日時期、来日動機、居住地、職業、生活状況についてである。島田はアンケート調査より日系人の居住地域として回答のあった高岡市とその周辺地域(富山市、新湊市、砺波市、小矢部市、小杉町)を高岡地域と呼んでいる[島田2000 p.55]。

 

(6) ブラジル人登録者の多い都道府県は、上位から愛知県(47,561人)、静岡県(35,959人)、長野県(19,945人)となっており、富山県は全国で18番目にブラジル人登録者が多い都道府県となっている。[平成13年度版 『在留外国人統計』法務省 p.62より]

 

(7)島田は、実際の生産現場では日系人はどのような労働力として位置づけられているのかという問題意識のもと、200010月、アンケート回答で最も就業者の多かったアルミ製品製造企業に対してアンケート調査を行っている。高岡市の「アルミニウム懇話会」に加盟しているアルミ製品製造企業48社のうち、31社から回収し、うち11社が日系人雇用の経験があった。調査内容は、企業規模、製品特性、日系人雇用開始年、日系人従業員数、日系人雇用動機などについてである[島田2000 p.60]。