第2章    ブラジル人を取り巻く諸問題

 

第1章ではブラジル人増加の背景、人数の推移、ライフスタイルの変化について見てきた。では、ブラジル人が日本で滞在するにあたって抱える問題としてはどのようなことがあるのだろうか。(財)海外日系人協会では、日本国内にある主要地域の国際交流協会などにおける相談統計の集計・分析を行っている。『日系人本邦就労者動向調査報告書』(1997)によれば、「依然として労働問題にかんする相談が多いものの、社会生活面にかんする相談件数も増加しており、また平成5年度あたりから教育・保険・医療・税金問題が急増している」とあり、「日常的な問題に(ブラジル人の)意識が移行しはじめた」ことが指摘されている[同書 p.7]。このように、滞在の長期化、家族滞在の増加などによりブラジル人が日本での生活者としての側面を強めていく中で、ブラジル人が抱える問題の性質も変化しているようであるが、ここではこの生活者としての側面に関わる諸問題に注目し、その中でも特によく言及される問題である居住・教育・医療の3つの問題を取り上げていくことにする。なお、ここで参照した文献の中には、ブラジル人に限定せず広くニューカマー外国人について論じられているものもあるが、そこにはブラジル人も含まれているものとして参照している。

 

 

 

第1節 居住をめぐる問題

 

 ここでは、居住をめぐる問題として、住宅入居問題、日本人住民とブラジル人住民との共生という二つのテーマを取り上げる。

 

 まず、ニューカマー外国人の住宅入居問題についてだが、石井・稲葉の論文(1996)では、地方自治体の役割を中心に問題点と具体的な方策が検討されている。以下、その内容を参考に記述していく。

 民間住宅における外国人への入居差別は厳しい。外国人に対して入居を拒否する貸主は多く、その理由としては、言語問題、生活習慣の相違、友人の連れ込み、家賃不払い、又貸しなどがあげられることが多い。そして、実際の経験からこうした拒否を行うケースもあるが、偏見から入居を断る貸主も多くみられる。また、外国人が入居できる住居は、日本人が入居したがらない条件のところが多く、希望の条件の住居に入居するのはかなりむずかしい状況である[石井・稲葉 1996 p.42]。

 しかし、こうした状況を改善するための公的機関の対応はほとんど行われていない。不動産屋などの宅建業者に対しては、免許を与えた建設大臣および都道府県知事が、宅地建物取引業法第1条にもとづき不当な民族的差別をせずに住居を保証する責任があると考えられるが、貸主などに対しては、民事不介入の原則上、現実には法的に規制するのはむずかしいとされる。石井らはこのような状況を指摘した上で、差別解消のための条例を施行するなどの地方自治体が独自に対応しようとする動きや、住宅に関わるトラブルの現状を把握するための相談窓口の設置、貸主などに注意を促す努力が必要であると指摘する[同書 p.42-43]。

 建設省は、1980年以降、「公的住宅の賃貸における外国人の取り扱いについて」(1980年2月建設省住政第9号)などにより、公営住宅、公団住宅、公社住宅において、永住者等および外国人登録を行っている者を原則として日本人に準じて取り扱うように指導している。しかし、その実施状況は、かならずしも通達の通りではなかったため、1992年に建設省住宅総務課から各都道府県あてに公営住宅の入居資格について、また建設省民間住宅課から各都道府県の住宅供給公社に対し、賃貸住宅に関して、永住許可を持つ者および外国人登録を行っている者を、日本人と同様に取り扱うよう示した通達が出された。現在、公的賃貸住宅においては、外国人登録を行っている外国人であれば、原則として入居制限はない。しかし、外国人登録を行っている外国人であっても、公営住宅はすべての外国人にとって身近な選択肢であるとはいえない。これは日本人も同じ条件であるが、公営、公団住宅では、現に同居、または同居予定の親族があることが入居条件となっており、単身者が申し込むことはできない。また、入居に際しては、多くの場合保証人が必要である。しかし、ここで石井らは、合法的な滞在資格をもち、家族をともなって来日しており、保証人についても一定のあてがあるという点で日系人はニューカマーの中で公営住宅に入居しやすいグループであると指摘している[同書 p.43-44]。

 今後の課題としては、外国人の場合、日本人と比べて住居探しが困難な状況があることから、適切な住居を得るという「結果の平等」に関しては、公的住宅に関する情報をより多く外国人に知らせ、条件についてもケースに応じて検討するなどの公的住宅が果たしうる役割はまだあるとし、各地方自治体によって、居住する外国人の性質が異なるため、その地域に居住する外国人の要求の傾向を把握し、きめ細やかな対応をするべきであると指摘している[同書 p.46]。

 

 次に、日本人住民とブラジル人住民との共生について松岡の論文(2001)を参考にブラジル人集住団地の状況と問題、これからの取り組みについて見ていくことにする。

 愛知県豊田市の保見団地は、総戸数3,553戸の大規模住宅地であり、約1万人の住民のうち3千人から3千5百人が外国人と推測され、そのほとんどがブラジル人である[松岡 2001 p.215]。

 保見団地では、1999年の日本人右翼と一部ブラジル人の衝突がきっかけとなり、その後右翼が「ブラジル人出て来い」と団地内を街宣して回ったり、右翼の車が何者かに燃やされるなどの事件が相次ぎ、警察が「矯正プロジェクト」を発足させ、24時間体制のパトロールを行うまでに至っている。また、その頃の保見団地は日常的にも治安に不安を感じるような状況にあった。一部の「性質の悪い」ブラジル人に注意した人が仕返しを受けるということがあり、ブラジル人全体への不信感につながっていた。一方、落ち着いた生活を望む多くのブラジル人は、このように一部ブラジル人の悪行のために自分たちも不信感をもたれることに不満を感じつつも、彼らを注意することで後から仕返しされることを恐れていた。また、右翼の街宣活動のため外出を控えるということもしていた。このように、保見団地の問題は、マナーやルールを守らない人がいて「いらいらする」、「不愉快だ」というレベルを超えて、「身の危険を感じる」ところまでになっていた。しかし、マナーやルールに関わることも大きな問題となっており、具体的にはごみ出しに関することや迷惑駐車・違法駐車、外国人青少年によるぼや事件、万引き、窃盗などである[同書 p.215-217]。

 

保見団地における問題の原因としては次のようなことがあげられている。1、業務請負業者が従業員の寮として部屋を借りるが、従業員の管理・指導が不十分である 2、保見団地のような大規模過密型の集合住宅は、隣人関係が希薄になり生活モラルの低下を招き、破壊行為がはびこるという性質をもっている 3、外国人住民の急増により匿名性が一層高まり、このことは住民の不安を増幅させ、また、悪質行為者のたまり場になるなどの治安の悪化を招いている 4、家庭環境の不安定さや日本の学校での受入態勢の不十分さのため非行に走る日系人の青少年が増えている 5、国や地方自治体としての外国人住民と共に暮らす「多文化共生」のビジョンが欠落し、地域での個人の努力に頼ってしまっている、などということがある[同書 p.218-221]。

 

 今後の地域づくりを考える視点としては、「多文化共生の仕組みをいかにつくるか」、「集合住宅でいかに快適に住まう仕組みをつくるか」という二つの視点をあげている。前者においては、「外国人も含め共に社会・地域をつくる」という理念を明確にし、総合的なビジョンを示すことが重要であるとしている。また、日本語教育機会の保障や行政サービスの多言語対応、人権への配慮や社会参加の機会保障、相互理解の促進などの課題に対し、対処療法的に対処するのではなく、総合的な施策をもつことが必要となる。後者においては、二つの方向からの取り組みが必要であると述べられている。一つは、「管理」、つまり財産としての住宅や住環境の保全と、入居契約を守るといった集住の最低限の秩序を保つための管理で、主に大家の守備範囲である。もう一つは、「コミュニティづくり」、つまり住んでいる人同士が、空間と他者に積極的に関わり、集住の楽しさを演出し、より心地よい住環境を形成するための活動であり、主に自治会活動などが担う[同書 p.227-229]。

 最後に、今後取り組まれるべき重点課題をまとめている。1、外国人住民の生活の安定をはかり、使い捨ての安価な労働力として位置づけられないように、日本社会の中で義務と権利の両方を共に担い享受できるようにする 2、外国人青少年に関する施策を充実させ、外国人であるということで将来の選択を制限されることのないような社会にする 3、匿名性が高まることで、違法入居者や悪質行為者が流入したり、住民同士のコミュニケーションが妨げられたりすることを防ぐため、特定のエスニックグループの集住化を回避する 4、お互いの考えを知り話し合う意見交換の場を共有し、コミュニティづくりに取り組む、などのことである[同書 p.229-230]。

 

 

 

第2節 教育をめぐる問題

 

 近年、ブラジル人の日本への出稼ぎについて、滞在の長期化と家族滞在の増加という状況がしばしば指摘されている。このような中、日本の学校に就学するブラジル人児童生徒数も飛躍的に増加していると思われる。これは、全国の小中学校に在籍する外国人児童生徒のうち、日本語教育を必要とし、ポルトガル語を母語とする者が、1991年は1,932人であったが、1997年では7,438人となっていることからも推測できる[駒井 1998 p.255-301]。ここでは、このように短期間に急増したブラジル人児童生徒を日本の学校がどのように受け入れており、それについてどのような問題点が指摘されているのかを見ていきたいと思う。

 

 まず、外国人の就学に関する法制度的枠組みについて検討する。現在日本において、外国人に就学の義務は課せられておらず、彼らには義務としてではなく、希望すれば就学が認められるという「許可」としての教育の機会が提供されている[太田 2000 p.147]。このような現行のシステムにおいては、不就学が生じたり、就学する際にも積極的には排除されないものの日本人と同等の権利は付与されず、外国人児童生徒の就学上の様々な不都合が仕方のないこととして見過ごされるという状況が生じたりしている[太田 2000 p.162-163]。また、就学後は外国人児童生徒を日本の子供と同様に扱うことが原則とされており、日本人と同等の行財政上の待遇を得ることができる一方で、この原則の下では、民族的、文化的背景の相違が配慮された教育内容を期待することはできない[太田 2000 p.147-148]。

 

 次に、外国人児童生徒が日本の学校に就学した際、実際どのような指導形態がとられているのかを見ていく。文部省は1992年度から日本語教育が必要な外国人児童生徒の日本語教育および適応指導を担当する専任教員の加配措置を講じており、加配教員が配属されている学校では、特定の時間に当該児童生徒を原学級から日本語教室に取り出して日本語指導を行ったり、教科学習の補助指導を行ったりしている[太田 1995 p.64]。その他の形態としては、「巡回指導方式」や「拠点校(センター校)への通級方式」などがある。前者の方式では、ボランティアとして、あるいはパートタイムで市(町村)の教育委員会に雇用された日本語指導員が、当該児童生徒の在籍する学校を訪問して日本語の指導を行う。後者の場合は、日本語教育の拠点校に指定された学校に当該児童生徒が特定の時間に通って日本語の学習をする方式である[太田 2000 p.169]。また、教科指導の形態として、TeamTeaching(通称T.T)指導というものがある。このT.T指導は、原学級において加配教員などが外国人児童生徒の隣について、学級担任ないし教科担任が行う授業の内容を補足説明する形態をとる[中西、佐藤 1995]。しかし、こうした取り組みがなされる一方、外国人児童生徒の少ない学校では、教員が空いている時間を使って個別的に指導するところから原学級で日本人の児童生徒と同じ内容を学習させるところまであり、各校の事情によって指導形態は大きく異なっている[佐藤 1995 p.44-46]。

 

 それでは、外国人児童生徒に対する日本の学校の教育について、どのような問題点が挙げられているのだろうか。日本語教育と適応教育の2つの観点から見ていくことにする。

 日本の学校における教授言語は日本語であるため、学校生活に適応し、授業を理解するには、日本語能力が必要不可欠という大前提があり、日本語指導に力点をおいた外国人児童生徒教育が行われている[池上 2001 p.160]。この日本語指導における問題点を、太田は次のように指摘している。

第一に、外国人児童生徒は比較的短期間に日常会話程度の日本語(顔の表情やジェスチャーなど、言語の意味理解の助けとなる非言語的要素を多く含む「社会生活言語」)を習得し、母学級での教科学習が可能であるかのように見えるが、実際にはほとんどの外国人児童生徒は教科学習に必要となる言語(イラストや写真が掲載されていない書物などを読む場合のように、言語それ自体以外に言語の意味理解を助ける手がかりがない「学習思考言語」)を習得していないため、原学級の教科学習についていくのが困難となっている[太田 2000 p.172-173]。

第二に、外国人児童生徒は日本語を確実に身につけていく一方で、母語での会話や読み書きをする機会が限られており、母語を保持することが困難な状況にある[太田 2000 p.178]。子供の第二言語の習得、および知的発達において重要な役割を果たす母語を喪失するという大きな代償にも関わらず、日本語における学習思考言語能力の習得にも至らないという事態により、思考や表現の道具としての言語をもたない子供達が生み出されている[太田 2000 p.179,182]。

第三に、日本の学校で実施されている「補償的日本語教育」のもとでは、日本語を話せず、理解できないことが学業上の最大の問題であると捉えられ、十分な日本語能力を身につけることが学習活動にアクセスする要件となり、問題を解消する唯一の方途と考えられる。一方、子供のもつ母語能力は否定、あるいは無視され、母語能力を基礎としてその上に日本語能力を養成するのではなく、母語を除去して日本語に置き換えている。また、このような教育のもとで、自己の言語や文化に負い目を感じだすというように、子供の自尊心や自信、アイデンティティという心的な面においても既存の日本語教育は否定的に作用している[太田 2000 p.183-184]。

 このように現在の日本語教育が様々な問題を抱えている原因として、外国人児童生徒に対する適応教育が「外国人児童生徒を日本人児童生徒と同様に扱う」という原則に基づいているためということがある。この適応教育においては、日本語を話さず、日本での生活体験もない子供達に対して、日本の子供と同じ行動をとることができるようにするのが当面の目標となる。よって、日本語教育においても、「授業がわかる」日本語能力ではなく、「みんなと同じ行動をとることができる」日本語能力の習得にとどまるため、授業理解に困難をきたす結果となってしまうのである[太田 2000 p.218-220]。日本の学校は、「日本人のための学校」という基本的性質を有しており、また、ある文部省関係者は学校を「日本国民を育成する国民教育の場」と規定する発言をしている。このような状況があるため、日本の学校の適応教育は外国人児童生徒に学校への一方的適応を求めることになり、彼らを否応無しに「日本人にする」結果をまねき、抑圧する。太田は、日本の学校の外国人児童生徒に対する対応の基調は、国民教育の枠組みの中で行われる適応教育にあり、これは彼らの独自性を奪い去る「奪文化化教育」であると批判している[太田 2000 p.221-223]。

 

 

 

第3節 医療をめぐる問題

 

 近年、生活者としての側面を強めているブラジル人にとって、医療をめぐる問題は切実かつ重要な問題として立ち現れてくる。その中でもブラジル人が抱える医療問題としてよく言及される医療保険と年金制度の問題についてここでは論じていく。

 

 日本の健康保険法に国籍条項はなく、皆保険の原則は外国籍の者にもあてはまる。つまり、外国籍定住者であっても日本人の場合と同様の制度が適用されるのであり、国民健康保険(以下、国保)あるいは社会保険に加入することになっている。社会保険制度の適用事務所に雇用されている者であれば、事業主や労働者の意志に関わりなく、強制的に社会保険に加入しなければならない[池上 2001 p.230]。布川は、社会保険の加入要件とブラジル人労働者の就労状況について次のように記している。社会保険は、事業所単位で適用を受け、そこに勤務する人が被保険者となる。その家族も被扶養者として社会保険にカバーされる。すべての法人事業所および5人以上従業員のいる個人事業所(飲食業、サービス業、農林漁業等を除く)は、強制適用の対象である。被保険者資格は、臨時的、季節的雇用ではなく常用的使用関係にあり、勤務時間・日数が一般の四分の三より短くないことである。これらを満たせば、国籍に関係なく被保険者資格が生じる。日系ブラジル人の就労状況を見ると、ほとんどの人たちが、事業所規模、就労期間、就労時間など被保険者たる条件をいずれもクリアーしている[布川 1997 p.199-200]。しかし、現実には外国籍定住者が雇用労働者として就労していても、社会保険に加入していない場合が多い(3)。その第一の理由としては、多くの外国籍定住者の就労形態は業務請負業者を介した間接雇用であり、派遣元の業務請負業者側が保険料の原則半額負担を回避しようとするということがある。第二の理由としては、社会保険は厚生年金保険の加入とセットになっているため、長期滞在を予定していない外国人にとっては厚生年金分の負担(収入の約8%)が掛け捨てになると認識され、その負担を免れるために社会保険加入の届け出をしないということがある。また、現在病気でないからという理由で社会保険の加入を拒む外国籍定住者も少なからずいる[池上 2001 p.230-231]。

 一方、国保の加入要件は「外国人登録をした上で1年以上の日本滞在を予定している場合」とされ、社会保険に加入できない、または、しない外国籍定住者が国保に加入していた。外国人労働者の国保加入における問題としては、2年目以降の国保保険料が高額になるため滞納する者が出てくること、日系ブラジル人の地域的・職業的移動が激しく、移動の際に必要な手続きを怠る外国人が多いため、市町村単位での国保関連事務に支障をきたすこと、国保を使って母国では高額となる歯の治療をするなど、国保の「食いつぶし」と形容されるような利用が見られること、などのことがあった[石川 1995 p.167-168]。

 このような実態が認識されてきたため、1992年3月31日、厚生省保険局国民健康保険課長は各都道府県厚生主管部長あてに「外国人に対する国民健康保険の適用について」という通知を出し、国保の適用対象となる外国人の基準を明確化した[池上 2001 p.231]。それ以後、自治体の対応は二極化してきた。一方では社会保険適用事業所で就労している日系ブラジル人の国保加入を制限する自治体と、他方では事業所を通じた社会保険加入が何らかの理由で困難な場合には、生命に関わる問題でもあるので、とりあえず国保加入を認める自治体とへの二極化である[布川 1997 p.202]。

 布川は、日本の医療保険制度にカバーされているブラジル人は2割強、多く見積もっても3割には達しないと推計している(4)[布川 1997 p.193]。このことから、ブラジル人には無保険者が多数を占めていることが分かる。無保険者にとっては医療費の負担は重く、受診を躊躇させる要因となっている。また、命に関わる重病や不慮のけがの場合、無保険のために深刻な問題が生じうるし、治療を受けることができたとしても多額の医療費を請求され生活の基盤が崩れる事態に陥りかねない[池上 2001 p.229-230]。

 

 次に、年金制度に関してだが、外国人には公的年金制度加入にメリットが感じられず、加入が極度に少ないという事実があり、宮島・樋口は年金制度の課題として、日本の国民年金や厚生年金は、外国人の離日時の還付制度も、他国の年金制度との通算協定による整合化の仕組みももたなかったことを指摘している[宮島・樋口 1996 p.32]。しかし、1995年にはドイツとの間に通算協定の見通しが生まれ、同じく95年度施行の年金改正法で国民年金、厚生年金の脱退一時金が制度化されるという年金制度の手直しがされた。しかし、在日ドイツ人の外国人登録者は約4,000人弱と数が限られているほか、そのほとんどが経済的に保障された就労者であり、協定それ自体の意味は限られている。また、脱退一時金に関してその概要は、厚生年金に関しては、6ヶ月以上の被保険者期間をもつ外国人が年金受給権を得られずに帰国する場合、帰国後2年以内に請求を行うと、一時金が当人に支払われるというものであった。しかし、脱退一時金の還付額は支払った保険料に対して低いという問題、3年間以上滞在しても還付額は頭打ちという問題があり、「払い損」の感情をぬぐい去ることは難しい。また、事業主に対する還付はないため、脱退一時金制度の新設が、事業主が外国人被雇用者の社会保険加入を進めることにつながるとは評価しがたい点が指摘されている[宮島・樋口 1996 p.33-34]。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



(3)社会保険に加入している外国籍定住者数に関する統計はなく、また、そもそもどれだけの外国籍定住者が雇用労働者として働き、被保険者資格を本来的に有しているのかを示す公的資料もない[布川 1997 p.200]。しかし、布川は、浜松市で1996年に行われた外国人検診会の受診者データから、日本の社会保険にカバーされているのは10%ほどのブラジル人であると推計している[布川 1997 p.204]。

 

(4) (3)と同様の受診者データから推計している[布川 1997 p.193]。