「デモンストレーション(試食販売のアルバイト)のドラマトゥルギー」

人文学科社会学コース 2年  長森由香利

 

目次

 はじめに                      2

1.    マネキンと店員、お客様、社員との関係性    … 2~3

2.行為主体(マネキン)のパフォーマンス         

1)    パフォーマンスと劇的具象化                 3

2)    外面と印象操作               3~5

 3.リアリティとパフォーマーについてをマネキンから分析する

                           5~6                  

 4.マネキンにおける局域                           6~8 

 5.表局域-裏局域での行為主体(マネキン)の「役割」について       

                                                     8~9

 6.マネキンがお客様を選ぶ時の基準                 9

  まとめ                                              9

 

 

 

 

「デモンストレーション(試食販売のアルバイト)のドラマトゥルギー」

 

はじめに

 私は少し前まで、スーパーに出向き、いわゆる試食のアルバイトの者(以下マネキンとする)として働いていたことがあり、少々ながらも、試食販売の仕事だけでなく、その背景や、スーパーの店員との関係も末端ながらに知ることになった。マネキンは、試食する商品についてを熟知するだけでなく、お客様に気持ちよく買っていただけるような自然なパフォーマンスも要求される仕事である。確かに、精神的にはつらく、厳しいために、出入りも激しいのだが、人と直に接することによって、様々な他人とのコミュニケーションを学ぶことのできる場でもある。

 この課題では、スーパーにおいて、お客様や店員などはマネキンといかにして関わり合っているのか、また、試食販売の仕事をゴフマン風に分析するとどのようなものとなるのかを明らかにしていきたい。1章では、マネキンと店員、お客様、社員との関係性をパフォーマー、オーディエンス、チームメイトといった概念から考えながら2章につなげ、2章では行為主体(マネキン)のパフォーマンスについて、劇的具象化・外面からなる印象操作から分析し、3章ではパフォーマーが作り出したリアリティとパフォーマーについて、第4章では、マネキンを局域に当てはめて考え、第5章では、第4章で論じた局域をもとにして表局域-裏局域での行為主体(マネキン)の「役割」についてを述べ、第6章は、マネキンがお客様を選び、商品を勧めるという行動をゴフマン風に分析し、最後にまとめとする。

 

1.マネキンと店員、お客様、社員との関係性

マネキンは、派遣会社を通して、スーパーの店舗で実施させて頂いているといった状況で、ここでは、お客様だけでなく、店舗の店員、さらには時に様子を覗いに来る宣伝する商品の会社の社員もオーディエンスとして機能している。試食販売においては、宣伝商品の企業の社員は、マネキンの実施状況を見るだけのオーディエンスとして機能する。    

しかし、マネキンにとって、店舗の店員は、同じ店舗で働く者としての一時のチームメートでありながら、厳しい目でマネキンのパフォーマンスを見るオーディエンスでもある。

なぜ、同じ店で働いているはずの店員は、チームメートでありながら、厳しくオーディエンスとして監視するのだろうか。なぜならば、マネキンは派遣会社から委託されて仕事をする立場であり、一日、二日単位で実施場所を変える短期バイトで、店舗で働く店員にとってみれば、いわゆるよそ者であるからである。つまり、店舗の店員にとってマネキンは招かれざる客として認識されるのである。よって初めから、マネキンは、同じ店員としてのチームの中には入っているのだが、店舗の店員にとっては浮いた存在であり、つまり、チームの中での友好関係からは遠ざけられている。

また、マネキンと店員の間には、店舗の店員にとっては、通常より、商品を売りさばく、時には店員としても機能してもらう、マネキンにとっては、場所を提供してもらい、アルバイトさせて頂く、といった形での相互依存が見られると同時にマネキンと店員同士は互いに打ち解けることのない隔意なさが見られるといった、お互い、チームメートとしての相互関係が見られる。

そして、お客様は、マネキンに商品の宣伝員でありながら、同時にその店舗の店員であるということを求めている。しかし、マネキンは短期バイトであるため、その店舗について、詳しく知っているわけではない。例えば、「この店には、爪楊枝がどこにあるのか?」とか「この店にはこの商品は置いているのか?」とお客様に聞かれた時に、分かれば、その店舗の店員として、答えるが、もしも分からない場合、マネキンは、よく店舗の構造を知るチームメート、つまり店員に助けを求めて、また試食をするといったパフォーマンスに戻る。ある特定の参加者が投企する状況の定義は、一人以上の参加者の緊密な協力によって作り出され、維持されているという状況にある。よって、お客様に店員と認識されているマネキンは、チームの一員である店舗の店員の協力によって、店員であり、同時に店員とは違う、商品の宣伝や売り込みというパフォーマンスを行っているといえる。

 

2.行為主体(マネキン)のパフォーマンス

 1)パフォーマンスと劇的具象化

では、店舗における、行為主体であるマネキンのパフォーマンスとはどのようなものなのだろうか。パフォーマンスとは、ある特定の機会にある特定の参加者がなんらかの仕方で他の参加者の誰かに影響を及ぼす挙動の一切(ゴフマン 1974:18)とされている。ここでのマネキンのパフォーマンスとは、試食販売の機会に、お客様には、ただ黙々とセールストークを読みこなし、店舗の店員として扱われつつ、新商品などの説明や、販売を行うだけでなく、目立つように大きな声を出したり、わざと間違えてお客様の注意をひきつけたり、ソーセージなどを焼いたりするなどの実演をするなどの行動全てで、店舗の店員、そして、視察にきた商品の会社の社員には、真面目に仕事をしているように見せかけるよう、大きな声を出したり、積極的にお客様に近づいて勧めたり、もっともらしく商品の説明をお客様の前で行ったりするなどの、試食販売で行っている行動全てがパフォーマンスだと考えられる。マネキンは、これらをショーとして演じ、オーディエンスにパフォーマンスを呈示しているのである。

また、マネキンは行為主体として、ごく自然に振る舞い、オーディエンスであるお客様との会話の中で徐々に商品を買う気にさせる。しかし、マネキンの存在を劇的に際立たせつつ自然にお客様に振舞っているように見せるためには、商品の知識を把握しつつ、会話のテンポや内容、言葉遣い、調子、速さ、大きさ、声をかけるタイミングなどを考えなくてはならない。マネキンは、目立つように声の大きさや速さなどを調節しながらも、マネキンとして、積極的にお客様に声をかけたり、勧めたりするといった劇的な自己表出、つまり劇的具象化を行い、お客様を引き付けるようにするのである。

 

2)外面と印象操作

ゴフマンは行為主体のパフォーマンスの中で観察する人々に対して状況を一般的・固定的仕方で反復規定する機能を持つ部分、つまり、行為主体がパフォーマンスの過程で意図的あるいは無意図的に用いる標準的な型の表出装備を「外面」と呼んでいた(ゴフマン 1974:24)。この外面は舞台装置、個人的外面に分かれ、さらに、個人的外面は見せかけ・外見、態度の二つに分けられる。

まず、舞台装置とは、人間の行為の流れがその前で、そのうちで、それに向かって演じられる背景や小道具となっている家具・装飾品・物理的配置・その他の背景となる品々を含める。また、自分のパフォーマンスの一部としてある特定の舞台装置を使用しようとする人々は、適当な位置を占めるまでは行為を開始することが出来ず、そこを去る時にはパフォーマンスを終息させなくてはならない。(ゴフマン 1974:25)

マネキンをこれに当てはめると、マネキンは試食をお客様に勧める前に、パフォーマンスをそつなく行うためにその商品についての会社のHPや、あらかじめ送られてきた資料を読むことによって、その店舗での売り場の位置、商品の概要及び売り込み方などの背景を、そして、清潔に見せるためにトレーやふきん、アルコールティッシュ、テーブルクロス、エプロン、三角巾、商品を売り込むための景品やサンプル(お客様に試食してもらうためのもの)をおいしく頂いてもらうため、ジュースを冷たい状態で飲んでもらうための氷を入れた容器や熱くておいしいスープであることを演出するためのポットなどの装飾品、そして、売れるために、どこに試食品を置いた台をおいて売り込むかを考える物理的配置、

などの装置を用い、売り込みを行っている。マネキンは、些細な事については決定権をもっているが、店員に売り込む場所やどの商品を売り込まなくてはならないかなどを指示され、舞台装置を整えるまでは、試食販売というパフォーマンスを行うことはできず、また、終了する時は、片付けまでを行い、試食販売というパフォーマンスを終わらせる必要があるのである。ここでは、持ち物検査を受けなければ、試食販売のパフォーマンスを終えることは出来ない。

もう一つ、外面には個人的外面がある。個人的外面とは、相当期間にわたって、パフォーマーのおかれる状況が変わっても変化しない、パフォーマー自身と最も密着しているものである(ゴフマン 1974:26)とゴフマンは述べている。これには、地位ないし位を示す記章、服装、性、年齢、人種的特徴、体の大きさなどが挙げられる。さらに、個人的外面は機能に応じて二つに分けられ、パフォーマーの社会的地位を伝える機能をその相互行為の時点にもつような刺激である、「見せかけ・外見」、その行為の時点で、我々にパフォーマーが将来の状況の中ですることを予期している相互行為上の役割を予告する機能を持つような刺激を「態度」としている。

マネキンを個人的外面から考えると、まず、見せかけ・外見から考えると、食品を扱い、お客様に食べて、飲んでもらう行為をするマネキンは、あくまで商品の説明役であり、主役はお客様なので、なるべく地味かつ清潔でなくてはならない。そのために、服装は派遣会社から指定されており、その中身は、灰、紺などのスーツに黒のカーディガン、そして無地のエプロン、黒のパンプス、ローファーなどが決められている。また、容貌から考えると、化粧を濃くしたり、ピアスをつけたり、香水をしたり、マニキュアをすることが厳禁である。(これらを破ると、直ちにクレームが来て帰されてしまう。)これらは、食品を扱う上においてはある程度納得のいくことである。さらに、マネキンは、必ず入店を許可された印である許可証を店舗の人からもらい、分かるところに付けなくてはならない。しかし、この許可証をつけることにより、お客様、店員、商品の会社の社員に対して、安心感を抱かせている。また、店員とは、許可証のバッジの色が違うことがあるが、これも、マネキンの社会的地位を示すものとなっている。これらの外見を整えることで、誠実で安心できるマネキンであるといった印象を与えやすい。

次に、態度から考えると、もし、試食を勧めてお客様が、食べてくれるのであれば、次は売り込みを図るのである。しかし、もし、マネキンの本音=売りたいを前面に押し出すような態度を出してしまっては商品は売れないし、その商品や店舗そしてマネキンに対して、そのお客様の心証も悪くなってしまう。よって、お客様を立てつつ、タイミングを見計らって、気持ちよくお買い上げいただくような態度をとることで、お客様を立てつつも、店員や行為主体であるマネキンをも立て、控えめで、オーディエンス側の立場を考えてくれ、商品を気持ちよく買える、売れる、安心できるマネキンであるという印象を与えやすい。

また、見せかけ・外見や態度の相互的な整合性がパフォーマーには期待されている。(ゴフマン 1974:27)マネキンがもし、ギャル風のメイクや、ミニスカートに、きつい香水を振りまき、マニキュアを塗った状態で、食品をコップや皿に移してお客様に丁寧に勧めても、おそらくお客様は食べてくれないだろう。また、店員や宣伝商品の企業の社員も、扱っている大事な商品を、例え接客が丁寧であっても、だらしない格好をしているマネキンには任せたくないだろう。逆に、いくら外見がマネキンとして相応しいとしても、接客態度が悪かったり、全く仕事にやる気が感じられないような態度をとれば、責任者は任せたくないはずだ。見せかけ・外見と態度がマネキンに相応しい印象を周囲に与えるよう心がける事が、マネキンの仕事をする上でのルールであり、また、どのような組織社会においてもこのことが言える。

よって、パフォーマーであるマネキンが、見せかけ・外見、態度と、マネキンという社会的地位にあった印象操作を行うことによって、それらは整合性を持つようになり、初めてお客様や店員や社員に安心感や信頼が生まれるのである。

 

.リアリティとパフォーマーについてをマネキンから分析する

 ある行為主体が特定の役目を演ずる時に、行為主体は他者のためにパフォーマンスを提供し、ショーを演ずる。パフォーマーには二つの極がある。一つ目は自分自身の行為にすっかりとらわれ欺かれてしまい、自分が舞台に乗せたリアリティを現実そのものだと信じ込むという場合、二つ目は自分自身のルーティンに全く欺かれない、自分自身の行為に信をおかずに相手の信頼にも何ら関心を持たない場合である。一つ目の場合はオーディエンスに生真面目だという印象を与え、二つ目はオーディエンスに醒めている印象を与える(ゴフマン 1974:19-20)とゴフマンは述べている。特に二つ目の場合は、私的な利益、といったことが考えられる場合がある。しかし、次の例に挙げるように、パフォーマーがやむをえなくオーディエンスを欺く場合もある。

これらの例として、私が以前やった仕事の中で、人体に有害な菌を食品の中に混入させてしまい、何千人もの被害を出して信用を失った大手の某食品会社を挙げたい。この会社の製品の試食販売を行っていた時、殆どのお客様は、商品に対して不安がって「だいじょうぶけ、これ?なんかなんがんじゃないがんけ?(何か病気にでもなるんじゃないの?)」と言っていたが、私をその会社の社員だと思い、同情して買ってくれようとした。その事件から一年以上経っていたのだが、やはり、社員ではないので、商品の安全性について自信のない私は、不安があったし、なんだか騙して売っているようで嫌だった。しかし、店舗側としては150個ほどあったその商品を全て売って欲しかったらしく、「全て売ってくれ」と私に何度も強く言っていたし、また、売れないのを見てにらんだりもした。店舗の店員の冷たい視線にさらされるのが嫌で、私は仕方なく、お客様に「大変ですけど、頑張ります。商品は安全です。大丈夫ですよ。」といってその商品を売っていたのである。

この例から考えると、私という行為主体は、お客様というオーディエンスに対して、不安を持つような商品を勧めて売るというパフォーマンスを行っているが、オーディエンスが不安がっていながら、同情心から買ってくれようとするのに対して、行為主体である私も本当は不安であり、良心の呵責を感じている状態で、本当は「安全性については社員でないので私も不安です。それに私は社員ではありません」といいたいところだが、店員を恐れ、醒めているパフォーマーとしてやむを得ず、大丈夫だとオーディエンスに言い聞かせるなどのパフォーマンスを行い、オーディエンスを欺き、売っていたといえる。もし、行為主体である私が生真面目に、「私は社員ではなく、製品も全く分かりません」といえば、オーディエンスであるお客様は誰も買ってはいかなかっただろう。そのことからいえるのは、マネキンは、良いイメージを持たれたり、良い意味で注目されている商品を売るときは生真面目なパフォーマーとして、そして、あまり良いイメージを持たれていない企業の商品などは、醒めたパフォーマーとして接することにより、オーディエンスの反応を悪くしないようにするのである。

また、この例のような事の前提としてパフォーマーであるマネキンとオーディエンスでありチームメートでもある店舗の店員とのやり取りがよく起こる。このチームは大きなチームではなく、今回マネキンが売る商品の担当の店員が主にチームメートとして機能する、小さな単位のチームである。

マネキンは、商品が売れる売れないに関わらず、お客様に商品を勧めるのだが、商品が売れていない時、店員は売上が落ちるのを嫌がり、マネキンを呼び、「よく売れていても売れていなくても「売り切れるほど人気がありますよ」というように」、またもっと売れるように「売れるために売れているような配置の仕方をするように」マネキンに言うのである。

これは、パフォーマンスの方針の維持を図るために、つまり沢山商品を売るという方針を維持するために打ち合わせを行っているのである。売れているという真実をお客様に伝える時はこのような打ち合わせは必要ない。逆にいえば、真実ではなく、売れていないのに売れているように見せかけるという虚偽のために打ち合わせを必要としているのである。

 

4.マネキンにおける局域

 マネキンは、一日中スーパーのコーナーで商品の宣伝や売込みをしているのだが、一時間休憩があり、その時は店員と同じ休憩室で休憩する。このマネキンの一時的な行動範囲を局域で考えてみる。局域とは、知覚にとって仕切りになるもので、ある程度区画されている場所とされている。(ゴフマン 1974:124)また、パフォーマンスが行われるのを表局域、表局域で抑制された行為主体の事実が現れるまたは表局域で行われたパフォーマンスによって人が抱いた印象が意識的に否定されている場所を裏局域とすると、通常のお店では、お客様から見えない所は裏局域であり、表局域は売り場などと考えられる。

マネキンという視点から考えると、表局域に比べ、裏局域の範囲は極端に狭い。なぜならば、マネキンはパフォーマーであるが、オーディエンスがお客様だけではないからである。先に述べたように、パフォーマーであるマネキンにとってのオーディエンスは、お客様、店舗の店員、視察をしに来ている宣伝している商品の会社の社員が挙げられる。オーディエンスが三者であるために、売り場だけではなく、本来裏局域であるはずのバックヤード(スーパーなどで品物などが積んであるところで、店員専用の出入り口もここにある)も、マネキンが派遣社員である立場上、社員や店員がオーディエンスとして行為主体のパフォーマンスを覗いている為に、本来、裏局域として機能している場所が表局域として機能しているのである。それに対し、裏局域である休憩室では、店員はオーディエンスとして機能しなくなり、一通りのことは見逃す。本来表局域でしてはならないこと、つまりタバコを吸ったり、携帯電話で通話やメールなどをする、飲食をするということができるのである。

ゴフマンは、表局域における個人のパフォーマンスを個人のその局域内での挙動が一定の基準を保持し、体現しているという見せ掛けを与えるための努力とし、また、その基準として、@パフォーマーがオーディエンスと会話やジェスチャーによるやり取りをしているときの、パフォーマーによるオーディエンスの扱い方にかかわるもの、つまり丁重さ。Aオーディエンスの視野や声の聞こえる範囲内で、パフォーマーがいかに身を持するかということ、つまり作法 としている。個人的外面に当てはめると、態度は丁重さ、外見は作法となる。(ゴフマン 1974:125-126)この他に、ゴフマンは作法に適った行為は自己が現在いる局域や舞台装置に対する敬意の表明を挙げており、これはオーディエンスに良い印象を与えよう、制裁を回避しようなどの希望に動機付けされているとしている。

これをマネキンで考えてみると、丁重さは、行為主体であるマネキンがパフォーマーとして店員やお客様といったオーディエンスに対し、敬語を使う、にらむなどの失礼な態度をとらず、笑顔で対応する、丁寧な返事をする、周囲に誰もいなくても声を出してセールストークをしゃべること等の態度を示すことである。また、作法は、店員やお客様といったオーディエンスと直接話していなくても、スーパーでの試食というバイトにあった、清潔でありながら、地味で、お客様や商品が際立つような服装をし、このスーパーでの許可を得て仕事をしている許可証などの、地位ないし位を示す記章をつける、といった外見や見せかけを示すことである。また、作法に適った行為としてもこれらは裏付けられる。

また、私はマネキンをしていて、時々疲れからしゃがんだり、ぼーっとしていることがあるのだが、これがオーディエンスに見られてはまずいのである。特に、店舗の店員や宣伝商品の企業の社員には見られては、やる気を問われるし、ひどい時には帰されてその店ないし企業からの契約を打ち切られ、派遣会社から損害賠償を請求されることもある。(過去にあったらしい) よって、オーディエンスに見られてはならないパフォーマンスを、見せかけの勤勉でやる気を見せるのである。見せ掛けの勤勉とは、ゴフマンの例では、労働者がその時点で熱心に働いているという印象を与えるために、必要に応じて熱心そうに働くことが挙げられていたが、大概のマネキン達(私も含めて)は、パフォーマーのみの場合もしくはオーディエンスがお客様だけの場合は、時々休んだり、しゃがんだり、年配の方になると、トイレでサボってタバコを吸ったりということをし、お客様以外の、つまり、店員や宣伝商品の企業の社員などのオーディエンスがいる場合は、真面目に仕事をしているように見せるためにいつも以上に声を張り上げたり積極的に試食を勧めたりして、見せ掛けの勤勉を行うのである。

これと反対であるのが見せかけの余裕である。これも、マネキンを例にとると、試食販売は、店舗の店員に、商品の売れ具合を何度も聞かれるのだが、その時、その商品が売れている時は「売れています」といえるし、実際売り場も商品がおいてあったスペースが空いているのであるが、逆に売れない場合は、少しでも売れているように見せかけるために、わざと商品の配置を変えたり、聞かれても売れている時と同じように、「売れています」と答えるのである。つまり、マネキンという行為主体が、店員やお客様や社員などのオーディエンスに対して、本当は売れていないが売れているように見せかけるために見せかけの余裕を行うのである。

 

5.表局域-裏局域での行為主体(マネキン)の「役割」について

 ここでは、表局域、裏局域の概念を用いて、スーパーにおける試食販売上での役割をゴフマンの理論や概念をもとに分析していきたい。役割については、パフォーマンスを遂行するパフォーマーと、パフォーマンスの対象になっているオーディエンス、そして、パフォーマーのパフォーマンスから排除されている局外者がいる。パフォーマーは表局域、裏局域両方に登場し、オーディエンスは表局域にのみ登場し、局外者は両局域には登場しない。(ゴフマン 1974:169)

試食販売での役割を考えてみると、パフォーマーはマネキン、オーディエンスはお客様、店員、宣伝企業の社員が挙げられる。さらに、局外者として、マネキンの存在を知らない、店舗内ではあっても試食販売とは全く別の場所にいるお客様、または、店舗外の人々がこれに当たると考えられる。これらの、パフォーマーであるマネキン、お客様、店舗の店員、宣伝商品の企業の社員などのオーディエンス、その他の局外者の3者は枢軸的役割として、試食販売という舞台においてその役割を担うのである。

また、別の存在として、オーディエンスと同じように振舞いながら、実はパフォーマーの一員として機能しているさくらがいる。

少し前に、試食販売をある店舗で行っていた時に、社会学コース2年のAさんがたまたま買い物に来ていて、ばったり会い、食べて貰ったついでに、数分間さくらを演じてもらったことがある。この例から考えると、パフォーマーである私は、オーディエンスであるAさんに対し、試食を勧め説明するというパフォーマンスを行ったのだが、Aさんは、さくらであり、オーディエンスと見せかけて実はパフォーマーの一員であるということが言える。また、この種のさくらの例は、周囲に同じ例が多々ある。

パフォーマーであるマネキンは、さくらとしてその店舗の店員、宣伝商品の企業の社員、近所の知り合い等をさくらに仕立て、何も知らないオーディエンスに対して、「無理矢理買わされることはない」「他に人がいるから大丈夫だ」という安心感を抱かせてパフォーマンスの側に近づかせ、商品を試食及び買わせるように、仕向ける場合があるのである。

 

6.マネキンがお客様を選ぶ時の基準

 また、マネキンにとって、多くいるお客様の中から、どのようなお客様を選び、パフォーマンスを行い、商品を試食及び買わせるように仕向けるのだろうか。マネキンにとっては、試食販売をする店舗の殆どが初めてであり、お客様についても、殆どが知らない人である。よって、マネキンはお客様の顔の表情、歩き方、こちらをじっと見る等の代呈示を読み取り、買ってくれそうだ、試食してくれそうだという人を選び、勧めるのである。特に、ゆっくりと歩き、気弱そうな人、例えばお年よりなどは、マネキンに狙われやすく、また、強引に買わされることもある。しかし、これらの顔や表情等の代呈示だけでは判断することが出来ない場合もあり、偽りの代呈示に惑わされ、失敗に終わる事も多い。

 

まとめ

ここまで、デモンストレーション(試食販売)におけるドラマトゥルギ―について考えてきた。

パフォーマーであるマネキンにとって、お客様だけでなく、店舗の店員、さらには時に様子を覗いに来る宣伝する商品の会社の社員もオーディエンスとして機能している。特に、店舗の店員は、同じ店舗で働く者としての一時のチームメートでありながら、厳しい目でマネキンのパフォーマンスを見るオーディエンスでもある。マネキンはよそ者であるために、店舗の店員にとっては、同じ店員としてのチームの中には入っているのだが、チームの中での友好関係からは遠ざけられている関係として考えられる。また、マネキンと店員の間には、相互依存が見られると同時にマネキンと店員同士は互いに打ち解けることのない隔意なさが見られるといった、相互関係が見られる。

そして、行為主体であるマネキンのパフォーマンスとは行動全てにあたり、マネキンはお客様、店舗の店員、視察にきた商品の会社の社員といったオーディエンスにパフォーマンスを呈示している。マネキンは、パフォーマンスとして、オーディエンスを引き付ける劇的具象化や外見・見せかけや態度といった舞台装置や個人的外面を上手く用いて、誠実なマネキンとしてオーディエンスに呈示するような印象操作を行う。

マネキンにおけるパフォーマーには二つの極があり、その時の商品イメージの良し悪しによって、良い時は生真面目なパフォーマーとして、悪い時は醒めたパフォーマーとして、オーディエンスであるお客様に商品を売り込むのである。

また、マネキンにおける局域は、他のアルバイトやお店に比べて裏局域が極端に狭い。その理由には、マネキンが派遣社員であるために店舗の店員もオーディエンスとして機能し、本来裏局域に位置するバックヤードも表局域となるからである。

マネキンは、表局域でのパフォーマンスとして、オーディエンスに良い印象を与えようと、見せかけの勤勉や見せかけの余裕を行うのである。

さらに、局域では、パフォーマーであるマネキン、お客様、店舗の店員、宣伝商品の企業の社員などのオーディエンス、その他の局外者の3者は枢軸的役割として、試食販売という舞台においてその役割を担う。また、それに加え、オーディエンスと同じように振舞いながら、実はパフォーマーの一員として機能しているさくらが存在する。パフォーマーはさくらの存在により、お客様に安心感を抱かせてパフォーマンスの側に近づかせ、商品を試食及び買わせるように、仕向けるのである。

また、マネキンは、お客様の表情や暗示、手がかりなどの代呈示によってターゲットを決めるのだが、しばしばそれは偽りの代呈示となり、失敗することが多いのである。

 

 

参考文献

E.ゴフマン著 石黒毅訳 (1974) 『行為と演技 −日常生活における自己呈示―』誠信書房