沢田竜夫、吉田浩滋 『オトコたちの結婚事情』

(1991年 教育史料出版会)

1970年代以降、未婚の男女が目立ち始めてきた。
未婚、独身という状態が、決して自分で選んだものではないという事実が明らかになるにつれ、マス・メディアの論調も、一斉に「結婚できない」という事実を強調し始めている。

農村の結婚難から、マザコン男性など、結婚しない女性の裏側に「もてない男」の存在がクローズアップされ、アジア人花嫁から花婿学校、デートの仕方を教える講座など、結婚したいけれども結婚できない男達をマス・メディアがこぞって取り上げるようになってきた。

この本は、今や社会問題となっている「結婚難」をめぐる男たちに対する取材と検証の結果が書かれたものであり、 「なぜ、今、男の結婚難が問題なのか?」という疑問を解きほぐし、結婚に関する様々な現象や言説の背景や根拠が明らかにされている。

I章「結婚産業に集う男と女たち」では、二つに分かれており、一つはお見合い産業について、もう一つは花婿学校について述べられている。お見合い産業については、その光の部分と影の部分が述べられているのだが、光の部分とは「自由恋愛の解放区」であると筆者は言う。しかし、影の部分として、会員一人一人が本当の意味での「自由恋愛の解放区」を作り得ていないことを挙げている。花婿学校については、「マリッジ」という学校が取り上げられており、お見合い産業の影の部分に光を当てている存在として書かれている。

II章「農村の嫁とり作戦」では、各地の農村の嫁探しに対する取り組みが書かれている。ここでの問題は、東南アジアからの花嫁である。現在の在日朝鮮、韓国人のおかれた社会的立場を考えると、安易に考えることはできないと述べている。

III章「男たちの模索」では、花婿学校の仕掛人ともなった日本青年館と国際結婚の二つについて書かれている。ここでは、親が変わらなければいけないと指摘しているが、父親・母親に教育し直さねばならない現状に、筆者は疑問を投げかけている。また国際結婚については、一定のパターンができつつあるという。それは、欧米人男性と日本人女性、日本人男性とアジア人女性という組み合わせである。ここではフィリピン人女性と日本人女性の比較がされている。また、欧米的ライフスタイルを目指す女性の「今の生活を落としたくない」という考えについて述べるとともに、男女をとりまく情報や幻想のバリアを取り除いていかなければならないことを指摘している。

IV章「結婚できない男は゛マザコン″か!?」では、男性すべてがマザコンの一面を持っていると述べている。しかし、子どもの集団がなくなったことにより、子供たちは家庭や母親に替わる社会的規範を得ることができなくなったのである。母親は男の「命綱」であり、「命綱」を持っている母親の存在が男の安定を維持しているという。しかし、女性は結婚という儀式を通して「命綱」の持ち役を譲りうけることなど望んでいないと指摘している。

V章「会社人間よ、サヨナラ!」では、企業と晩婚化や男女雇用機会均等法について述べている。ここでは、かなりの割合の男性が「必要に迫られて」結婚を望んでいることが指摘されている。本人はさほど切実に結婚を求めているわけではないが、社会の側が不安を煽り立てるのである。また、男性の家事・育児割合の低さ、労働時間の長さなど、様々な問題について述べている。

最後に、「結婚難」のいわれる今日こそ、男にとっての結婚、女にとっての結婚、そして結婚の本質や制度的あり方まで問い直すいいチャンスだと述べており、「男たちよ、そして女たちも、押し付けられた価値観や情報に振り回されず、固定観念から自由であれ!」という言葉で終わっている。

この本では、お見合い産業や農村のイベントなどについて実例を挙げて具体的に書いていて、なかなか分かりやすく、読んでいて面白かった。今まで、「結婚難」という問題については女性側からみることが多かったが、この本で、男性側の事情(農村の嫁不足や花婿学校など)について知る事ができ、新たな知識を得られたので良かったと思う。

(高橋 真奈美)


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