中根千枝『タテ社会の人間関係─単一社会の理論』

(講談社現代新書 1967)

《要旨》

第1章

 日本社会、あるいは文化を論ずる際、従来ではヨーロッパを主な対象とした研究から得られた理論・方法を用いて日本の諸現象を整理・説明する方法と日本にしか見られないと思われる諸現象を特色的に取りだし論ずることにより日本社会、文化を説明する方法がある。2つは対極にいるように見えるが、『西欧』という社会構造をモデルあるいは比較対象としている点では同一線上にある。この西欧の異なる社会─日本─への適用はよく見られるものだが、その理論と現実とにはずれが存在する。このずれを、従来では日本における封建遺制、後進性(産業の)などで片づけてきた。しかしこのずれが、西欧の共通した現象とは違う実質的な人間関係、伝統を示す日本文化の質的なものである。本論では、上のいずれの立場とも異なり、日本社会の構造を最も適切に測りうるものさし─社会構造─を提出し、そのレベルにおいて他の社会との比較を行うという方法をとる。これにより、基本的に変化の少ない個人・集団の関係(考え方、行動様式)を考察し、その社会の構造的なあり方をとらえるものである。

第2章

 社会集団の構成要因─『資格』と『場』

 社会を構成する人々の認識・価値観と相互関係を持ち、社会構造の考察を端的に示 す。

  1. 資格・・・社会的個人の属性をあらわす。この属性の共通性により集団が構成される。
     例)職業、血縁、身分などの資格。インドなどに見られる。
  2. 場・・・・地域、所属など一定の枠によって集団が構成される。
     例)○○村、○○会社、○○大学の成員など。日本に見られる。
 ここでは、Aの場を強調する日本の社会集団の分析をとり上げる。
・特徴─社会的位置づけが場によって行われ、枠が集団認識に大きく関っている。
     場が主体的なものとされ、自己の存在を示す拠所となっている。
     伝統的道徳的正当性・妥当性に支えられる。(イエ)
     成員の全面的参加が硬性の要件(結束力)
     封鎖的集団の構成─私生活と会社の密接性(日本的企業集団)
     ウチ─ソト意識・・・一体感、枠を保つための排他性
     非社交性、地域性である。(存在する生活圏が狭い)
     集団との距離が近い(離れたらおしまい)
     所属集団は1つという単一社会

第3章

 場によって構成される日本的集団の構造には『タテ』の組織という共通構造がみられる。このタテ関係は官僚組織など同列におかれない関係であり、同一集団内、同一資格保持者間でも『差』の設定が存在することによって精緻な序列が形成される。 この傾向が強いため、日本では能力制ではなく序列制に比重がおかれる。この序列制は終身雇用制と密接関係にあり、根底に能力平等主義が存在する。(能力による判定は簡単ですむ)そのため能力評価の範囲が狭く、判定すらも枠の中で行われていつ点で他国と比べて特異である。
(ここで、ヨコ社会の例として中国、インド、チベット、イギリス、アメリカと比較 している。)

第4章

 このような社会構造による社会の全体像は、企業別、学校別というような縦断的層化であり、闘争関係は上下や対立関係ではなくヨコ=並列関係とのあいだに展開される。(例 日本の労働組合─連帯間がない、内輪の結合組織) こうした日本的イデオロギーは人間平等主義に根差している。これは能力差を認めない性向に関係しているが、このことにより実際の社会では能力平等のずれが起こり、ぬるま湯的な道徳が発生している。しかし、平等主義により、努力する個人が増えることも日本人の常識の根底に存在する。

 日本ではあらゆる層において同類集団ができない。これがさらにタテ関係を強くし、ヨコ関係を弱くする。同類は互いに敵であり、個人は同類の中では孤独である。この競争は現実的表現となり、結果として格付けの要因となる。また、格付けがさらなる競争を助長し、個々の集団の結束を固め、集団の孤立性、封鎖制を招いている。並列競争は活動を活発にし、競争を刺激として仕事を推進した点で日本の工業の近代化に大きな貢献をしたが、同一のことを皆がする点でマイナスがおおきいといえる。 この反分業精神で一役割を持つ集団がお互いに相互依存関係に立ち、社会的に統合される。1つ1つが自己完結的に構成されるワンセット主義である。この構造の根底には中央組織の行政網による支配が存在するのである。

第5章

 集団の構造についての説明(簡略)

 日本的集団の構造的長所と短所

 上に挙げた点は、集団が強くなるほどこのような構造を内包する。枠が小さい、あるいは存在しない場合、特に派閥、封建関係は集団に必然的なものであるにも関らず非難される。

第6章

 リーダーと集団の関係

 これらの要因により、リーダーのディレクターシップが欠如しており、(権限の制限)派閥の影響や決断の優柔不断的側面が日本社会においてうきぼりにされている。リーダーは集団の一部にすぎない。集団はリーダーの力でというより内外の条件に支えられている。

 権威主義と平等主義も特徴の一つである。前者が強い場合、ワンマンリーダーとして独断・権力の不当行使が行われる。後者ではリーダーと部下との相対的な力関係が重要になるが、平等主義のもとでは下が強くなるのでリーダーは弱くなる。2者の間にはルールがあり、一定の制約がある。個人より集団が優先している日本社会を表す一因である。

 よって、リーダーには個人の能力が重視されるのではなく、人間的な情、包容力が重視される。そのため、リーダーには年長者がつくことが多い。リーダーよりも内部事情が集団の実力を表しているのでいかに集団の力を発揮させるかに比重がおかれる。

第7章

 日本には、欧米で見られる契約精神が欠如している。これは終身雇用制などではこのような契約関係が生まれないからである。日本はより自分たちにあったものとして生涯雇用を打ち出したのだ。ここには、感情的要因が大きく関与している。日本的リーダーは目的達成が重要ではなく、人間関係の和を保つことがその存在理由である。その集団はたいていが一生続く共同体関係であり、この場合『師』は1人である。恒久的な単一のタテの人間関係が強く存在しているのである。

 人間関係が深く関わる集団構造において契約関係は起こりにくい。感情があることでタテ社会は弱者に安住を生み、集団の帰属意識を高める。人間的なつながりに日本人の価値観が強くおかれている。

 相対的な価値観により、日本人は論理より感情を優先するといえる。このことから知的活動においてマイナスであると言える。しかし、論理のない世界に遊ぶ─リラクゼーションとしての貢献─というような重要な社会的機能を担っている側面ももっている。このことが、日本の文化が外国人に理解出来にくい性質を持ち、国際性がない原因ではないだろうか。

《考察・感想》

 日本的な人間関係について基礎的なことを書き表しているものだと思う。筆者も述べているが、タテ社会などの言葉が使われ始めた頃の論文であり、日本社会の構造をその特質を挙げることによって述べている。いろいろな国が比較対象としてあげられているが、西欧的物差しでの比較ではなく、日本社会の構造を述べた上で比較している点がわかりやすいものだった。

 この論文で最も言いたいことは、日本の集団社会は人間的感情に比重をおくタテの社会であると言うことだと思う。西欧的基準を示していないので、批判めいたものだけでなくあくまで客観的に社会構造を示している点でとても参考になった。

(酒向 裕子)


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