『口伝(オラクル)西洋哲学史 考える人』池田 晶子 中央公論社 1994

 この本、実に爽快な一冊です。読み終えた直後の一瞬までは………。
 この本、書名のとおり『考える』本、である。その思考の自由自在な動きと、時々見せる実に新鮮な飛躍。その鮮やかさは爽快の一言に尽きる。
 そしてもう一つの重要な要素。それはなんといってもその透明感、限りなく透明度が高くて、どこまでも深い淡水湖がその最も近いイメージかもしれない。自由自在に飛び回る思考がその深度をどんなに深めても、陽光は常にその水面を照らすのと同じ明るさで深部を照らしてくれる。そんな透明感。
 読む僕も同じように、明るく、深く沈んでゆく。そして読み切ったその瞬間、湖そのものが消えてしまう。そう、完全に透明になってしまうのだ。その瞬間に訪れる衝撃、その喪失感といったら………。ほんの暫くのあいだ僕は、思考することをすっかり忘れて立ち尽くす。
 その喪失感はあの感覚に似ている。二本の線の出会う点、交点を求めて考えていったところが、その二本が平行線であったと知ってしまったときのあの、失望感。何も、引っかからないのだ。陽光は湖水のどの水分子によっても反射されないのだ。そこまで透明になってしまったところに一体、何があるだろう?
 しかししばしの呆然のあとに、小さな予感。それが平行線でなく、漸近線かもしれないという小さな予感。実際、平行線も漸近線も大して変わらない。その線を忠実に一歩一歩辿っていっても、永遠にその交点にまで辿り着くことは出来ないのだから。この点に辿り着く唯一の方法。それは飛躍だ。辿ることを止めて、一気に無限を飛び越すあの、飛躍。その飛躍の予感。
 勿論その飛躍は本書の中には求めるべくもない。この意地悪な本は読者を、何もない透明な場にぽーんと放り出して、『あとはご自由にどうぞ。』と、突如その思考を打ち切ってしまう。あ!と気付いたその瞬間、今まで頼りにしていた杖も地図も、道標も何もかもが消えてしまうのだ。爽快感は一瞬にして、巨大な喪失感へと裏返る。しばしの呆然。そして覚醒。目を覚ました僕は手探りで動き始める。そこで信じうるのはただ、あの、飛躍の予感のみである。

(渡辺 毅)
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