岩間夏樹、1995年、『戦後若者文化の光芒〜団塊・新人類・団塊ジュニアの軌跡』、日本経済新聞社

文化というものは絶えず変わり続けてゆくものであり、今のこの時点で当たり前になっているものもすぐに過去のものとなってしまう。特に若者の文化はその変化が著しく、次々と流行や社会問題を起こしてゆく。この本ではそういった若者の文化の変遷、そしてその時代ごとの文化の特徴について、時代ごとの事件やフィールドワークによる考察を交えながら述べている。マスコミで取り上げられる流行には、若者の手によって生み出されたものが多く、また若者の起こす事件、問題には社会が注目する。こうした、社会の中でとかく影響力を持つ若者文化をわかりやすく、要所をうまくつかんで描いている一冊だと思われる。
 この本は全部で四つの章からできているが、第一章「団塊世代文化〜若者文化のビッグバン〜」、第二章「新人類世代文化〜差異化ゲームかシェルターか〜」、第三章「団塊ジュニア世代文化〜着地点の模索〜」と大きく三つに分けた若者文化の各々の概要とその発生した背景などを描き、最後の四章では「若者文化と日本の社会の近未来」という題目の下、現在の若者についてと、その若者によりつくられていく日本の社会の展開と課題を述べている。
 第一章では、若者文化の誕生をまず説明している。現在に通ずる若者文化の誕生の陰には、同質性への信頼感の喪失があるとし、そこから「光クラブ事件」や「日大ギャング事件」といった出来事が起こっていることを紹介している。また、同質性への信頼感の喪失が若者に横のつながり・世代コードを見いださせることになったことも述べている。次に、その同質性の再構築のために、都市に集住してきた若者たちが、共同体的なものを持ち込んだとも述べている。そして、団塊世代が立ち上げた若者文化は三つの焦点を持つと述べ、最後に団塊世代を五つの類型に整理している。
 第二章は、統計的類型化を用い、80年代の若者(大学生)を五つに類型化することから始まっている。そして団塊世代文化の「連帯感の追求」というテーマが、団塊第二世代にとっては釈然としないものであったことを述べ、団塊世代文化が変化を起こしたことを説明している。また、団塊世代文化の変化と併行して生まれてきた新しいタイプの若者像について触れ、「原新人類(文化)」、そして「新人類(文化)」が生まれ出た経緯を述べている。さらには新人類文化をさきの五つの類型から見て、分析をおこなっている。最後には、消費を特徴としたこの文化の批判をもってきている。
 第三章では、はじめに新人類世代文化に対する否定的な分析が述べられ、続けてその後の社会における若者文化の変容を描かれている。新人類世代の下の世代は、新人類世代文化が「人の目」を気にする文化であることに気づき、人目を気にするのをやめ、自分の感覚を頼りにする戦術に転換するようになったことなどが描かれている。次に団塊ジュニア世代のプロフィールなるものが述べられているが、ここで筆者は団塊ジュニア世代はこの時点でははっきりとした形をなしていないと述べている。文化と文化の間には「空白」の時代があるとも述べている。しかしながら、新人類世代文化との相違を確認することを主題とし、調査を行い分析結果を中間報告として載せたりしている。
 第四章では、1995年に起きた「大地震」と「地下鉄サリン事件」に見る、若者像の分析を行っている。そして、地下鉄サリン事件の方では、オウム内での人間関係の形成について述べられている。また、現在のマルチメディアによるコミュニケーション環境の整備による社会のこれからや、オタク的存在のこれからの役割等についても述べ、終わりとなっている。
 今回この本を読んでみて感じたことは、実にたくさんの雑誌・書物等を参考にしているところだった。文化というものを述べるに当たり、その時代ごとの社会状況をあらわすのには、実際に形となっているものを用いることが一番効率のいい方法なのであろう。また、書物だけでなくテレビ・ラジオなどあらゆるメディアを若者文化をあらわすのに用いていることに、視野を広くもち、ゆとりをもって調べることができていると感じた。ただ、フィールドワークによる調査の分析が雑になっており、もう少し読者にわかりやすい形にまでかみ砕いてもらえれば、よりよいものとなったと思う。
 しかし、若者文化というどこから切り込んでゆけば難しい課題に、よく立ち向かって、ここまでまとめることができたものだ、と私は感じた。なかなか面白い本であった。

(野澤佳広)
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