竹内洋『立身出世と日本人』(日本放送出版協会 1996)

 この冊子は、NHKの人間大学という番組において「立身出世と日本人」という題で、1996年1月から3月にかけて放映されたものの教材である。この冊子の著者である竹内洋氏は教育社会学という分野に属しているようだ。冊子の冒頭で著者は、「明治以来、日本人は刻苦勉励の果てに社会的地位を得る『立身出世』を美徳としてきた。そして、この意識は日本社会の成り立ちを規定してきた。『立身出世』を是とする日本人の心性、その歴史とメカニズムを明らかにする。」と述べている。冊子の内容はこの冒頭の文章に集約されているだろう。又、付け加えれば、データに雑誌や夏目漱石の本などを用いているのも特徴といえる(言説分析)。
 先ず、立身出世という語は、近世においては武士(立身)、町人・農民(出世)という形で文節化して用いられた。これは身分文化の相違(武士=儒学、町人・農民=仏教)に由来するものであるが、近代化に伴い、社会的流動性が増大すると、立身出世というひとつながりの言葉として使われるようになったらしい。ここからが本題であるが、立身出世のストーリーはその時代に合わせて変化してきた。すなわち、大幅な上昇移動から小幅な上昇移動へという変化である。そして、立身出世という観念を持つ人々と、その現実のギャップを維持し、成り立たせる仕組みも出現する。その当時の言説が、そのことを如実に表わしている。しかし、現代、この立身出世のストーリーは、上手く作動しない。それは、人々の生活水準の上昇と関連がある。
 さて、この冊子では、受験生の不安感を説明するのに、ミシェル・フーコーの一望監視装置(パノプティコン)を用いている。このことにより、「受験生という制度こそこうしたパノプティコン下の主体=従順な身体に他ならない。」と述べている。又、苦学や独学によって、「成り上がった」人々は、自らのハビュトスの受難に直面すると述べている。
 ハビュトスとは、ブルデューの用いたことばで、身体化された文化といえよう。おそらく、文化資本ということも関わって来るだろう。そして、豊かさのアノミーということばを用いて、現代社会は立身出世の物語を終焉に導いた最大の時代の文脈変化であるとした。それは、豊かな社会が到来した為に、成功・失敗の可能性が小さくなってしまったということを意味している。
 最後に著者は、今の社会は選抜社会であるとした上で、人々はこうしたシステム化された選抜体制下で、目標と競争への焚きつけは主体の欲望からではなく、選抜システムからの外在的な要因にあるとした。そして、日本の選抜システムの特徴は、「傾斜的選抜システム」と「入れ替え」にあると述べた。このような装置によって、社会が維持されているというのは、面白い。社会が変化を迫られた際にこの装置はどのように変わってゆくのだろうか。
(金森希朗)
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