『薬物依存・・・ドラッグでつづる文化風俗史』 仲村希明著  講談社  (1993)


 麻薬と覚醒剤はどう違うのか。同じ麻薬でもモルヒネやヘロインなどのアヘン系とコカインはどう違うのか。大麻は無害なのか。一世を風靡したLSDとはなんなのか。一口に薬物依存といっても一般人の私たちの疑問は尽きない。
 時代と場所が変われば乱用される薬物も変わってくる。本書は、歴史の流れとともに変転する様々なドラッグの薬理・精神作用から歴史的・社会的背景までを、戦後世界の文化風俗とともに解説している。「薬物嗜僻こそ人間存在の基本原基である」とドイツの精神医学者は言ったそうだが、薬物はもはや人間につきものなのだろうか。
 本書は3章で構成されている。
 まず第1章「薬物乱用とは何か」は、薬物乱用の定義と分類、薬物依存を起こす生理学的ならびに心理学的メカニズムの説明、また、薬物依存の疫学や、社会・文化的背景から、現在の世界各国における薬物汚染の状況を考察している。
 第1節「薬物乱用の時代」では薬物が乱用されてきた歴史を簡単にまとめている。次に第2節「薬物依存の定義と分類」では化学的・医学的視点からの説明、第3節「薬物汚染の疫学」では、世界の麻薬事情を、どの国の、どの社階層に、どんな薬物が流行し、それがいかに波及していったかという疫学的視点から見ている。第4節「薬物依存の生理的メカニズム」では動物実験の結果や、さらに医学者としての立場を生かし人格的側面にまでふれている。
 この章は総論的で非常に幅広い内容につい書かれていて、わかりにくいところもあった。しかしここで著者が強調している事は、現在当面している薬物汚染状況が決して1度にもたらされたものではないという事である。次の章ではそうなった要因・背景が更に詳細に時代を区切って説明されている。
 第2章「戦後から高度経済成長期の薬物乱用」では1章をふまえて、各論的である。ここでは、薬物依存が多発してきた時代、終戦直後の覚醒剤禍から高度経済成長期の睡眠剤遊びまでの時代を区切って、流行薬物が、なぜ当時の社会に浸透していったかのを探っている。
 第1節「覚醒剤物語」では、敗戦直後に起こった第1次覚醒剤禍の社会的背景を、第2節「薬物乱用の空白期」では、昭和30年代の社会も人心も比較的安定した時代(しかし、この間にも1960年代の薬物乱用多発期の準備がされていた。)についてみている。そして第3節「心の薬」では“心に効く薬”、つまり精神病患者の治療薬が大衆化した要因・背景について、第4節「麻薬物語」では高度経済成長期初期「麻薬禍」の状況、第5節「睡眠剤遊びのティーンエイジャーたち」は若者へと薬物が波及していった過程と背景について述べられている。
 この章で注目したいのは、こういった薬物がいかにマージナルからごく普通のサラリーマンや主婦、さらに若者へと浸透していったかという点であろう。「麻薬=やくざ」という方程式は崩れ去りいまや誰もが麻薬を入手できる時代となったのだ。
 第3章「現代をいろどる薬物乱用」では、現在なお若者の間で流行している大麻などの幻覚剤の意義について考えている。さらに当局の取り締まりにもかかわらず、成人層の間にいっこうに終息しない第2次覚醒剤禍と、現在流行しつつあるコカインとの共通性を探り、これら興奮剤と言われる薬物が、現代流行している社会的背景についても言及している。
 第1節「シンナー遊び」では現在なお続いている青少年の社会問題であるシンナー乱用について、第2節「幻覚剤LSD物語」ではLSDの説明や、これら幻覚剤によって引き起こされる幻覚体験についてまとめている。第3節「マリファナ物語」では、特に若者の間でマリファナがサイケ・ドラッグとして流行感覚で志向された背景、第4節「現代のドラッグ、コカインと覚醒剤」では、コカインの流行や、日本における第2次覚醒剤禍の背景について書かれている。
 この章の最終的結論として、これら麻薬の汚染がいまだに長引いている原因に、経済成長が伝統社会のモラルを変化させ、麻薬密売に対する罪悪感が希釈したことや、麻薬許容度の変化を挙げている。薬物乱用が全世界で深刻化してきたのは、第2次大戦後、特に麻薬天国となった米国ではベトナム戦争後から、日本では高度経済成長期後期からであった。これは非情の歩みを止めぬ工業化社会が、伝統的なコミュニティ社会を破壊して、ストレスを増大させ、心の渇きを癒すために人々がドラッグを求めた結果なのである。
 最後に著者は、今こそ行き過ぎた工業化の歩みを反省して人間性を回復し、心の薬などに頼らずに済む精神的に豊かな生活にかえるべきではないだろうかと締めくくっている。
 最近では、薬物に関するニュースは特別珍しいことではない。知らず知らずのうちに、私たちの感覚は麻痺して、どこか緊張感に欠けてはいないだろうか。小学生が覚醒剤に走り、高校生は学校のトイレで薬の快感に酔う。そういう時代だからと言い切る前に、もう1度こうなった背景について深く考える必要があると思う。本書はあらゆる意味で私たちに警告しているような気がしてならない。

(山本絵里佳)

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