川村邦光著 『オトメの身体』(紀伊国屋書店 1994)


 斎藤桃代という名の女性が1920年、雑誌『女学世界』の論壇に颯爽と登場した。斎藤氏は、「オトメ宣言」と名づけた自らの文の中で、「人」として、「生命の権威」を樹立し、自立し、保持することがオトメの本性であると、オトメという言葉に、これまでとは異なった新しい意味を付け加えたといってよい。しかし、斎藤氏が「オトメ宣言」を唱えたころ、同時期に1920年代にはオトメ達のすでに変わろうとしていた。オトメという言葉に取って代わって、‘処女’という言葉が広まり始めていった。斎藤氏が「オトメ宣言」で唱えた「オトメ」とはあくまでも若く、ピュアでフリーであったのに対し、‘処女’は男性側からは結婚の適切な対象として、女性側も自ら結婚の被対象として特権化されていった。
 本書は、このオトメから‘処女’へ女性の意識の問題だけでなくオトメの身体の意味付けがどのように変貌を遂げていったのか、その過程を中心に、女性の身体に関する様々なデイスクールを分析し、最終的には‘処女’という言葉に裏付けされているコンセプトがこの時期においてどういうものであったかをのべている。
 著者の主張として、本書の最終章で‘オトメ’から‘処女’への変化の理由は‘純潔ー純血’イデオロギーに基づいた`処女’観の成立があったからだとしている。4、5章で‘処女’性にからんだこの‘純潔ー純血’イデオロギーの内容と形成過程について、著者は様々な当時の人々の文を引用し、細かく分析して述べている。
 途中、女性のセクシュアリティーの問題だけを取り上げ、一見不平等に思われるこの‘純潔ー純血’イデオロギーを、なぜこの時代の女性は支持し、受け入れたのか、という疑問が提示される。それに対し、5章の「‘純潔ー純血’イデオロギーと社会層」のところで、川村氏はより深くつっこんだ考察をすることで解消されることになる。つまり、このイデオロギーを受容し、定着させられたのは、妻が専業主婦化のできる社会階層であるとする。この中産階級の形成する、近代家族を受け皿として、’血‘の生理学的・優生学的な機能性を重視した新たな‘血統’意識が、‘純潔ー純血’イデオロギーを通じて発展する。女性は優生学的な考えに基づいた小産小子のために、家庭の中で家事・育児専念し、自らも貞操による監視・管理ができる。こうして女性は自らのセクシュアリティーをの生産管理を’純血’意識によって操作することになる。処女性と血の純潔が、経済的な価値だけでなく、社会的な価値も持つものとして受け入れられたわけである。
 この本は、当時の女性の身体をめぐる問題を、「オトメ」と「処女」の2つの言葉を視点に、著者は緻密な分析と考察をしているとおもう。今、生きている女性の方は、当時の考え方に違和感を感じると思うが、今後、時代が進み「19世紀終わりの女性の身体観」なんていうテーマの本が書かれたとき、果たして未来の読者達は「今の私たち」に違和感を感じるのであろうか。

(川瀬純)

目次に戻る