斎藤 茂男 著『子供を愛せない母親たち〜彼女達のストレス〜お子さま戦争』(早土文化 1994年 1500円 255頁)


 この本はジャーナリストである著者が、様々な現場を実際に取材しながら、子どもたちをとりまく現代の「おかしな」状況、そしてその原因をさぐろうとしたものである。4つの章で構成されており、Iが「優秀児願望という熱病」、IIが「子どもを愛せない症候群」、III「”新人類”世代の子育て事情」、IV「保育の新しい役割って何」、そして最後に(あとがきに代えてとして)「子育ては曲がり角にきた」といったような構成内容になっている。
 それぞれの章の内容の一端を紹介していくと、まずIでは、いわゆる「早期英才教育」についての様々な現状が報告されている。ここで筆者は、早期英才教育は、「ホンモノの知力・学力」を育てているのではないとし、またそれは、現代日本の資本主義の中心軸である企業の概念、「効率最優先」といった考え方が育児の世界にも浸透し、子どもからも大人からも、「実体験に裏打ちされた生活」をする余裕をうばってしまったからであるとしている。
 IIでは「なせ子どもを虐待してしまうのか」について書かれている。その理由として著者は「理想と現実のくいちがい」をあげている。つまり、今の若い母親たちはちょうど高度経済成長の時代に育ったわけで、その中で競争意識や効率最優先主義、高学歴志向や目標をたて計画どおりに事を進めるといった行動様式をしっかり身につけながら成長してきたので、子どもにもそういったことを押しつけてしまう。しかし、もちろん子どもは必ずしも理想的に育つわけではないので、そのくいちがいにイラだってしまうのだとしている。また、育児をしながら家の中に閉じこめられてしまうと、自分のしたいことが好きな時にできず、また、何かが積みあがっていく確かな手応えもない、などから「不完全燃焼のような不充足感」が生まれるため、自分のイライラを子供にぶつけるのだともしている。筆者は若い母親たちが、イライラしながら家の中に閉じこめられている状態を何とか解消して、彼女たち自身が生き生きと生きれるようにしてあげることが、子どもたちのためにも大事だとしている。
 IIIでは「無生活派」の若い母親たちの例を出し、「偏差値万能の受験社会」が、彼女らを「生活」から切り離してしまったのだとしている。
 IVでは、保育園の新しい役割について、今までの子どもの保育だけではなく、悩みを抱えたままだれにも相談できなかった「母親」達のための人生相談所としての役割やカウンセリングの場としての役割、その他学習の場としての役割や助け合いネットワークの拠点になるといった役割、が必要になってきているとしている。
 最後の、『あとがきに代えて』の部分では子育てが楽しくないどころか、苦役でさえあると感じている若い母親の多さや、社会全体の、子育てには適さない状況に気をとめつつ、著者は、この状況を根っこのところから大転換させるためには、「男たちをもっと自主的・自発的・積極的に子育てに参画させる」ことや、「家族を超えた助け合いのネットワークをつくりだす」ことが、一つのヒントになるのでは、としている。
 近代社会の効率主義的社会、競争社会、偏差値至上主義、がんばれば目標は達成されるはずといった予定調和的(?)な考え方など、これらのようなまさに近代社会が生みだした諸概念が、子どもたちを苦しめ、そして母親たちをも苦しめているという視点は、非常におもしろいものがあると思われる。
 本書は、ジャーナリストである筆者が書いたものだけあって、非常にわかりやすく、また会話文が多いため、本を読むのが苦手という人にも抵抗なく読み進められるであろう。
 そして本書を、保母さんや若いお母さん達に限らず、男性やこれから親になっていくような世代の人々にも、「方向転換」という意味からも、読んでもらいたいものだと思う。
(奥井 千華子)

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