高田 公理 著『「流行」の社会学』(PHP研究所 1985年)

「流行」と「サラ金」の共通性に注目

 本書は様々な「流行」現象を取り上げてどんな意味を持つのか、どうして人々に受け入れられたのか、などの多様な視点から解釈を行ない最終的に現在の日本社会の有様と特質をとらえている。
 まず第1章では実際に流行した現象を取り扱っている。それは21項目に及びファッションの事から単身赴任までと非常に広範囲である。ここでは「流行現象」とはいったいどんなものなのか、どんな意味を持つか、これからどうなるのかという問題意識を持って観察されている。「男の編み物」という項目では男性の女性化と共に、女性が女性としての美質を失いつつあると指摘している。
 2章では実際に流行した物の中でも「アマチュアリズム」について述べてある。現代日本社会の生活に適応するには「広範囲な知」が必要と示し、その意味で「家庭の主婦」は偉大なアマチュアとしている。そして著者の職業生活史を通して「知の方法」としてのアマチュアリズムの可能性を検討すると共に、マックス・ウェーバーが表した『職業としての学問』を織りまぜ「学問としての職業」というとらえか方をあらたに指摘している。つまり様々な職業を体験する事で社会に適応する能力が身につくという状況が今日の社会にはかなりの普遍性を持つと著者は言っているのである。
 3章は「流行」とは何か、という最も基本的な部分を振り返っている。どうしてそんな現象が起こるのか、現代社会でどんな役割をもつのか、などの視点から最終的に「流行」は自由にそれを求めることができる「無階層社会」のみに一般化できる物であるとしている。それはまさしく現代の日本社会であり、「近代」の目標であった「生産力の増大」が現実になった社会である。またこの事は巨大な生産力からくる破壊的な消費を示唆し、次の章の「高度大衆消費社会」という観点につながっている。
 本書で最も重要であるのは4章と5章である。ここで著者は「消費者金融」とそれの隆盛をもたらした「日本における高度大衆消費社会の成立過程の解明」を行なっている。消費者金融は日本の「近代化」から「現代化」の推移期にともない普及した。つまり高度経済成長期であり所得の増大と共に消費者の欲求も増大した時期でもあった。またこの時は社会の「無階層化」が実現し、セキュリティ・ニーズやアメニティ・ニーズが昇華できなくなったと著者は指摘している。肥大する欲求が消費者信用による「所得の前倒し、先取り」をすすめたという訳である。さらにその欲求は「機能的効用」から「象徴的効用」へと変化していった。いわゆるブランドが流行したのがその典型で、「記号性」の強調したものに対する欲求の極限の肥大を示している。
 このように消費者欲求の肥大化は実質的な経済の発展はもちろん、社会の文化的側面の変化が大きい意味を持つことがよくわかる。「家族制度」の崩壊もその例である。高度経済成長は豊かな生活を生み出したがその変化によって新たな不安が生起し、それを消化するために平等に与えられた「消費」という行動にひとは導かれると著者は言う。都市生活の不安を消すための消費、社会において自らの存在を顕示するための消費という事が現代の「消費」の意味であり、それを満たす為に消費者金融に行くというメカニズムが成立するのである。
 5章ではお金に関する実際の調査結果が中心に進められているが、そこでは「底の浅い豊かさ」や「みごとな中流意識」そして「際限ない消費欲求」が露呈している。またイメージに関しては「サラ金」は最悪で、消費の信用経済化が進んでいるにもかかわらず否定的なイメージが根強いことが注目される点である。
 著者は「むすび」で現代の日本社会が「豊かな社会」であるとともに「人々の消費行動」によって特徴づけられる社会になりきっていると言明している。またその消費は「記号性のもたらす象徴的効用」の享受によって完結するものだとも示している。それは確かにそうである。本書は1985年に出版されたものだからもう10年経つ訳だが、現在「サラ金」は長者番付にのる程の隆盛ぶりである。又その背景としてブランドといった「記号性」は相変わらず大変な需要であるし、著者の指摘には納得させられる。「サラ金」を巨大な生産力によって支えられる「流行」現象としてとらえ、「流行」と「サラ金」の金銭消費のタイプの同一性を指摘し、この両者の「うさんくさい」という共通のイメージを表す事で、改めて日本社会そのものを特徴づける発想はとてもおもしろく興味深かった。「流行」を「消費」という側面からみる時のよい参考になるのではないだろうか。
(布村 奈津子)

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