見田 宗介 著『近代日本の心情の歴史−流行歌の社会心理学』(講談社学術  文庫 320円)

歌詞分析の古典的名著

 本書では、明治以来の流行歌の変遷を辿ることによって、日本人の心情の深層とその推移を描きだしている。著者は、自分の専攻は社会心理学であるが本書は社会心理学の本ではなく、いわば一つの社会心理考であるとしている。つまり、ここでは著者の解釈・推論が展開されており、この本の方法が、根幹において主観的なものであることを著者は否定していない。
 著者の流行歌への開眼は、同時に歴史への開眼でもあった。目まぐるしい流行歌の盛衰の裏に、それを口ずさみながらやがて歴史の流れの底に姿を消してゆく無名の人々の、いかに切実な情念や願望が仮託されていることか。歴史というものは、そこに参与する無数の無名の人々の一回かぎりの人生の、確執や幻想や打算や愛などの総体としても捉えることができるのではないかというのが著者の考えである。そして、著者はこれらの時代の民衆の心情のありかを知るための資料として流行歌を用い、解読している。
 とはいっても、流行歌という鏡は、時代の民衆の心情を平面的に忠実に反映するのではなく、日常体験の様式化・状麗化・具象化・極限化といった、いくつかの固有の屈折と彩色の傾向性をもっているがために、時代の心情の記号としての流行歌を解読するに際しては、鏡のもっている、このような屈折や彩色の傾向性を逆にたどっていったところに、時代の心情の実情を求めなければならないと著者は強く主張している。
 本書で扱っている素材は、時雨音羽氏の編による『日本歌謡集』(社会思想社 1963)の巻末にある「日本歌謡年表」に掲載された451曲の流行歌である。時期としては1868年から1963年までのものを取り扱っている。本書ではモチーフ分析が行なわれており、それは、あらかじめ「怒り」「うらみ」「やけ」「自嘲」「おどけ」「よろこび」「希望」「覇気」「義侠」「諷刺」「批判」「慕情」「甘え」「くどき」「媚び」「嫉妬」「ひやかし」「あきらめ」「未練」「孤独」「郷愁」「あこがれ」「閉塞感」「漂泊感」「無常感」などの因子を設定し、それぞれの歌にふくまれる因子群を、三人の判定者が判定し、二人以上の合致をみた因子を採用している。
 本書の構成は次のようである。
第一章 怒りの歴史
第二章 かなしみの歴史
第三章 よろこびの歴史
第四章 慕情の歴史
第五章 義侠の歴史
第六章 未練の歴史
第七章 おどけの歴史
第八章 孤独の歴史
第九章 郷愁とあこがれの歴史
第十章 無常感と漂泊感の歴史
 冒頭でも記したが、本書はあくまでも著者の解釈・推論が展開されており、その点においては「科学」的ではない。しかし、民衆の心情、ことに、すぎ去った過去の時代の民衆の心情を、げんみつに科学的・系統的に再現することはほとんど不可能だと思われる。それに、著者は、感情移入や想像力の基礎となるデータの処理を、できるだけ組織的・系統的におこない、また、感情移入や想像力を事実と理論とによってたえず検証し統禦しながら、組織的に活用することに努めており、そのためか、著者の解釈には説得力がある。
 本書の唯一の難点は、取り扱っている素材が古すぎて、1974年生まれの私にとっては本書の内容はどこか遠い世界のことのように思われることであるが、それは仕方のないことであろう。
 私のように、これから歌詞分析を試みようとしている人間にとって、本書は歌詞分析の古典とも呼べる名著であろう。しかし、何もそのような研究に興味のない人が読んでも、気軽に楽しめる本ではなかろうか。なぜかというと、本書は社会心理学の本ではなく、社会心理考の本であるからである。
(倉田 恵子)

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