川口 弘、川上 則道 著『高齢化社会は本当に危機か』(あけび書房 1989年)

高齢化社会危機論はうそだ

 日本の人口は、21世紀に向けてますます高齢化が進展し、1965年には老年人口1人を生産年齢人口12、3人で扶養していたのが、2025年には2、3人で扶養しなければならない、とよく言われる。そのため、社会保障制度や税制の変更がどうしても必要だと強調するのが「高齢化社会危機論」である。この考え方は、いまやかなりの人々にとって常識になっているかのようである。しかし、本書では、経済的な面から「高齢化社会危機論」のあやまりを指摘している。
 本書は第T部、いま、なぜ高齢化社会危機論なのか、と、第U部、高齢化社会は危機じゃない、から成っており、第T部は川口氏、第U部は川上氏が担当している。
 第T部の一章は、日本の人口「高齢化」とは?と題して、何歳以上を「高齢」とみなすかの基準には、個人差や時代の差があることや、高齢化の原因、高齢化のスピードなどが述べられている。二章、三章では「高齢化社会危機論」の論点と問題点を提示している。いろいろな「高齢化社会危機論」の中で共通に見いだされる論点は、
1.21世紀になると、日本は西欧先進諸国を追い越して「超高齢化」に到達する。しかも、その速度も速いので、経済的、社会的対策が困難になるということ。
2.老年人口を生産年齢人口で割った、老年人口指数が大きく上昇するので、生産年齢人口の経済的負担が過重になること。
3.年金制度では、受給額も受給者数も増えるが、生産年齢人口割合は低下するので、社会保障制度を変更する必要があること。
の3つである。
 論点1では、日本の高齢化が他国より急速であるといわれているが、それほどでもないし、対応できること。
 論点2では、老年人口と生産年齢人口の比率ではなく、従属人口(老年人口と年少人口)と、労働力人口の比率で考えるべきだということ。
 論点3では、1986年の年金制度改悪や、日本の年金水準がすでに先進国並みというのはまちがっていること、実質所得水準の上昇を無視していること。
 以上を問題点として挙げている。
 第U部では、高齢化がもたらす扶養負担の中身と重さについて述べられている。高齢者と非高齢者の生活費の比較や、世代間の扶養関係の高齢化に伴う変化から、高齢者の扶養は、問題となるほどには社会的負担ではないという結論を導いている。また、高齢者扶養形態を、私的と公的、自己と他者の4つで区分し、私的・自己、私的・他者、公的・自己、公的・他者の4つに分類すると、一般的には公的・他者扶養が望ましい形態といえる。ここで、「高齢化社会危機論」を政府が強調する本当の理由は、高齢者の扶養負担が社会にとって重くなるのではなく、公的扶養の比重が高まっているからである、としている。また、「高齢化社会危機論」をささえる議論の一つとして、高齢化社会は経済成長率をひきさげるという説があるが、これに対しても、就業者比率は低くならないし、高齢者扶養の負担の重さで生産活力が阻害されることはない、と主張している。
 以上、さまざまな側面から、「高齢化社会危機論」のあやまりを指摘しているが、本書のまえがきにもあるように、この問題をこのような立場から扱った本は、おそらく初めてだろう。今まで疑ったことのないことが実はうそだった、と裏切られたような感じがする。しかし、国民経済の面から考えると危機ではないということだが、個人的なレベルで考えてみるとどうだろうか。本書では、第U部六章で「在宅介護か施設介護かについては費用負担問題と切り離して考えてみるべき」と述べられているが、ここでもう少し、個人が選択をするときに、経済とどう関わるのかについての説明が欲しかった。何でもすぐ信用してしまうのではなく、疑ってみることの必要性を教えてくれる本である。
(河合 久仁子)

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