M・フリーマン編著『くじらの文化人類学』(海鳴社 1989年)

日本文化としての捕鯨

 本書は、地域的、社会的、経済的、文化的に日本人と深く係わっている捕鯨の中で特に、小型沿岸捕鯨に焦点を合わせ、捕鯨地域でのその社会的経済的重要性を指摘するのみならず、鯨肉の広範囲な贈答関係や、多彩な信仰儀礼の考察から、日本固有の捕鯨文化を例証するものである。その見地から、日本の小型沿岸捕鯨を、商業捕鯨ともエスキモー捕鯨とも異なる第三のカテゴリーにあるものとして、その存続を求めている。
 原生生物の中でとりわけシンボリックな存在である鯨は、欧米エコロジストから深い意味付けがなされ、捕鯨の全面禁止が叫ばれるに到っている。
 IWC(国際捕鯨委員会)は、1944年、商業捕鯨の管理と資源維持をその目的に設立された。設立当初の参加国は7か国、すべて捕鯨国であった。その後、1951年日本の加盟を経て、どんどん加盟国は増加することになったが、その過程は多少問題をはらむものであった。まず1960年代に欧米諸国のほとんどが商業捕鯨から撤退し、1970年代初頭に米国が反捕鯨政策に回るとともに、多くの非捕鯨国までもが勧誘されてIWCに加盟したのであった。そのため1980年代初頭には、IWC加盟国39か国のうち非捕鯨国が30か国、捕鯨国はわずかに9か国と言う有様になってしまった。1982年には、IWCは、ついには商業捕鯨の一時的全面禁止(モラトリアム)を可決した。1988年には、日本において、その捕鯨モラトリアムが初めて施行された。IWCの捕鯨禁止は徹底されており、その管理下にあるすべての鯨種を対象とする「商業捕鯨」に対して適用された。日本においては、南氷洋の母船式捕鯨をはじめ、沿岸の大型捕鯨および、小型捕鯨まで、すべてがその対象に含まれてしまった。しかし、そこには日本の小型沿岸捕鯨がいかに、地域社会に密着し、史的、文化的、生活的、精神的にいかに重要で、その鯨と人間の共生する文化がどれほどかけがえのないものであるかということに対しての理解が著しく欠如していると言える。IWCにおける鯨の資源管理は、生物学的立場のみに立ったあまりに動物保護的色彩の強いもので人間側の問題を軽視していると言えよう。本書は、そういった現状を憂慮した世界六か国の人類学者による国際作業会議の成果として、TWCに提出されたものであり、人間と鯨の共生する社会を捉え、また捕鯨問題を通して文化の相対性への認識を迫るものとして、各国の大きな注目を浴びた一冊である。
 内容としては、自然科学的知識を必要とするような箇所はほとんどなく捕鯨についての社会科学的な考察が、綿密なフィールドワークをもとに展開されている。第1章.捕鯨の歴史的発達の過程に始まり、第2章.日本的捕鯨である小型沿岸捕鯨についての詳細な説明、第3章.社会人類学的視点からの捕鯨文化、第4章.第5章.コミュニティに対する考察、鯨肉の商業的流通、儀礼的流通、に見る人々の鯨に対する経済的、社会的依存度、第6章、房総沖のツチ鯨漁を例に挙げた日本捕鯨コミュニティの検証、第7章.日本の食文化としての鯨、第8章.鯨と日本人の信仰について、第9章.捕鯨文化とモラトリアムの打撃について、そして、終章では生存捕鯨問題と、日本の小型沿岸捕鯨の将来についての記述がなされている。
 この本を読めばいかに、IWCの鯨資源管理が偏ったものであるか、そして、日本の捕鯨社会が今どのような危機にさらされ、どのような問題を抱えているかを理解することができると同時に、捕鯨社会を通じて、自然と人間との調和のとれた共存を願う日本の精神や文化の原点を見ることができ、そのすばらしさにあらためて気付くだろう。
(乾 弘幸)

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