3節 今は日本が好き

 

西野 あかね  野川 志帆  町田 美奈子

 

 Cさん一家は、富山市にある県営住宅に住んでいる中国国籍の家族である。家族構成は、夫のCkさん(46)、妻のCmさん(45)、息子のCyi君(9)、娘のCykさん(19)の4人。息子のCyi君はZ小学校3年生、娘のCykさんは東京にある大学の1年で今は東京で一人暮らしをしている。このインタビューは、Cmさんが答えてくれた。
 まず初めに夫のCkさんが12年前富山に来て、その1年後妻のCmさんと娘のCykさんが来た。息子のCyi君は富山に来てから産まれている。Ckさんは日本語を勉強するために来日し、日本語学校に通っていた。日本の中で富山を選んだ理由も、その学校が富山にあったからである。来日について家族の反対はなかったのかと聞くと、Cmさんは、「ありません。みんなはいいと話しました」と答えた。日本についての情報はテレビのニュースから得たという。Cmさんは、今は日本のテレビは見ず、中国のテレビをよく見ている。だから、現在中国についての情報もほぼテレビから得ている。Cmさんによると、他の家族は日本のテレビをよく見ているそうだ。
 今住んでいる県営住宅は、誰かの紹介などではなく、「自分で見つけた」とCmさんは話した。家族がみんなそろってから今のこの家に住み始めたそうだ。
 Ckさんは今、国際貿易の仕事をしている。この仕事は始めてから約7年になる。Cmさんは現在仕事はしていないが、過去に2年ほど看護婦の研修生だった経験があるらしい。
 医療保険については、家族全員加入しているそうだ。
 日本の生活について困ったことはと聞くと、Cmさんは「日本語が分からないこと」と答えた。Ckさんと子供たちは日本語が上手だが、自分だけが日本語がダメだとCmさんは言う。家族の中でCmさんは特に日本語を苦手としているようだった。しかし家族から日本語を教えてもらったりはしないとCmさんは言う。Cmさんは子供と話すときは日本語で、夫のCkさんと話すときは中国語を使う。日本語は、Cmさんによれば、CkさんはCmさんより上手だが、やはり一番上手なのは息子のCyi君らしい。Cmさんも、医薬大の研修生時代に本を読んだりし、少しずつ話せるようになっていったということだった。日本語はとても難しいらしく、「どんなことが苦労しますか?」と言う質問では、思わず「・・みんなわかんない。」と発言させてしまうほどだった。日本語を苦手としているCmさんに日本語についての質問ばかりで申し訳ないなと思っていると、町田が「みかんって中国語でなんて言いましたっけ?」と軽く話題を変えた。Cmさんは「ジーズー」と嬉しそうに中国語で教えてくれ、そのおかげで雰囲気も和んだ。
 日本に来た当初、日本語がわからなかったCmさんは中国に帰りたいと思っていた。日本語に慣れたからだろうか、「今は、日本が好き。」と答えてくれ、思わず嬉しくなった。Cmさんに、日本に来てよかったことはと聞くと、日本は道がきれいで、電化製品なども先進の国だと答えてくれた。
 日本には、キリストの勉強をしている時に知り合った日本人の友達が一人いる。住んでいる県営住宅の同じ階の人とは挨拶程度で、友達と言うほど親しくはないらしいが、「日本人は、みんな優しいし」「学校も、子供、毎日楽しい。」とCmさんが語っているように、人付き合いはうまくいっているようだ。
 日本のことをとても気に入ってくれているようなので、今は中国に帰りたくなることがあるのかどうか聞いてみたら、今は以前のように帰りたいと感じることはなくなったとCmさんは答えた。Cmさんは日本に親戚はおらず、家族関係は全員中国にいるので、家族に会いたいときは中国に帰ることもあるが、完全に帰るわけではなく、再び日本に戻ってくるそうだ。「(中国に帰っても)また日本に来たい。」とCmさんが語っているように、日本に対して好感を抱いていることが感じ取れた。Cmさんは、中国にいた時日本はいい国だというイメージを持っていた。Cmさんの言葉から、来日後もそのイメージにほぼ変わりはないようだ。中国にいる家族については多く語られなかったが、Cmさんの母親とCkさんの両親が今までに日本に訪れたことがあるとのことだ。
 休みの日は、家族みんなでスーパーなどに出かけることが多いそうだ。私たちがインタビューにお邪魔した日も、インタビューのあとにみんなでどこかに出かけるみたいだった。とても仲が良さそうで、家族みんなで出かけるのが好きなのだろうと思った。
 家族の中で日本に早く慣れたのはやはり子供の方だったという。Cyi君の通う学校のことや教育についての困った点などを聞くと、日本の教育はいいので困ったりしたことはないそうだ。Cyi君の通うZ小学校には、ほかにも外国人の生徒がおり、中国語の話せる先生もいる。外国人の生徒だけの特別な授業もあるが、息子のCyi君は生まれが日本ということもあって、そのような授業に出ていないし、授業がわからないということもないらしい。
 ここで本人のCyi君にも学校生活のことを聞きたかったので、CmさんにCyi君を呼んでくれるようにお願いした。呼んでいる声が聞こえなかったのか出てくるのが恥ずかしかったのか、Cyi君はなかなか部屋に入ってこなかったので、Cmさんが行ってCyi君をつれてきてくれた。入ってきたCyi君に、挨拶をかわし、早速質問に取り掛かった。
 Cmさんに呼ばれて部屋にやってきたCyi君は、Cmさんの隣に、私たちと向かい合う形で座った。質問をこちらから投げかける前に、Cmさんがインタビューシートに書かれた質問事項をゆっくりと読み上げていった。Cyi君は恥ずかしがりやなのか、ひとつひとつの質問にオウム返しで簡単に答えた。学校は楽しいかという質問に対して、ぼそっと「楽しい。」と答えたので、ほんとに楽しいのだろうかと、一瞬不安にはなったものの、Cmさんの話によれば友達もたくさんおり、仲も良いらしく、どうやら本当に学校を楽しんでいるようだった。Cmさんは、「(Cyi君の友達が)授業終わったら、私のウチに遊びに来る。」ととても嬉しそうに語ってくれた。
 一通りの質問を終えたところにCkさんが再び姿を見せたので、仕事について質問してみようと思いお願いをしたが、用事があるらしく断られてしまった。そこからはCmさんとCkさんのやりとりが頻繁になり、どこかに出かけるような様子だったので、急いで帰り支度をはじめた。Ckさんが一言、仕事は中国との国際交流をしているということを語ってくれたが、それ以上時間がなかったため話を広げることができなかった。
 インタビューも一通り終え、お礼を言ってC家を後にした。私たちの後から、C家の人たちも家から出てきてどこかへ出かけていった。最後にもう一度お礼を言って帰路についた。