第2章 4家族の日本での生活

 

第1節 家族の絆

 

大野 和也  山室 圭介

 

 高岡市の市営住宅に今回、インタビューに応じてくださったAさん一家の住まいがある。インタビューは、Aさん宅で行わせていただいた。その際、Asさんの妹のSmさんに通訳をしていただいたので、受け答えの大半はSmさんを介して行われた。Aさん一家は、私たちのつたないインタビューに丁寧に答えてくださった。
 Aさん一家は高岡市在住のブラジル人家族である。一家3人で暮らしていて、夫のAgさんは36歳、妻のAsさんは38歳、娘のAaちゃんは8歳で小学2年生である。夫妻の出身地はサンパウロで、Aaちゃんも生まれはサンパウロだ。Asさんは日系3世で、彼女の祖父母は沖縄県の人だそうだ。日系2世の母親は日本国籍を持っているが、Aさん一家は全員ブラジル国籍である。ブラジルに住んでいた頃の仕事は、Agさんはコンピュータのチップの組み立て、Asさんはデパートで靴の販売を行っていた。
 AgさんとAsさんが最初に来日したのは14年前の1991年で、Asさんの兄弟3人も一緒だった。日本へ行くことに関して、家族からの反対はなかったという。来日してからはずっと富山に住んでいる。来日の目的は仕事で、ブラジルで日本での仕事が先に決まっていて、それから日本に来た。日本に来る前は日本について何も知らず日本のことを調べたりもしなかったので、日本のどこに行くかも知らなかったそうだ。日本で住み始めた家が古い家で、豊かな国というイメージを持っていた日本で、ブラジルでは見たことのなかった汲み取り式のトイレを初めて見て驚いた。また自動車の運転もブラジルとは反対で、慣れるまでは難しかったそうだ。日本に来てつらかったことは、家族がブラジルにいるのでブラジルが懐かしく感じられること。また、日本には、なにも知らない状態で来たので当初はとても寂しかったそうだ。日本に来てよかったことは給料がいい点。その給料でブラジルに家を買えたし、Agさんの母親にお金や電化製品などを送ることができたので、よかったと話してくれた。また、ブラジルで生活していると給料が少ないため子供に欲しいものを買ってあげられないが、日本では、プレゼントをしたいときにできるそうだ。
 インタビューの中で、Agさんがブラジルには帰りたいけどずっと日本に住むことになるだろうと話していたので、その理由を聞いてみると、今述べたように、給料がいいこと、加えて、安全であること、教育が充実していることを挙げた。Aaちゃんを育てる面から見ても、集団登校があったり、学童保育があったりするので、両親は安心している。ブラジルは、治安が悪くて、がっしりした体格のAgさんでも、街を歩くのは怖いそうだ。ブラジルの学校では、音楽や体育の授業がなく、教科中心だそうでいろいろな教科がある日本の学校にはその点で満足している。 Asさんの母親、父親、Asさんを含めた7人の兄弟は全員日本に住んでいる。兄弟は全員結婚しており、義理の妹などを入れると家族は30人くらいになるそうだ。7人兄弟のうちSmさんを除く5人は近くに住んでいる。また、母親も同じ市営住宅に住んでいて、両親が仕事をしている間はAaちゃんをあずけている。Asさんの兄弟も仕事の間子供を母親にあずけるそうだ。このため母親とは毎日顔をあわせる。ブラジルには、Agさんの両親や兄弟、Asさんの叔父や叔母,いとこがいる。ブラジルにいる家族とは、電話で週1回、40分ぐらい話をする。
 最初、AgさんとAsさんは、派遣会社に所属し、車の部品を作る工場に3年半勤めた。住まいは、小矢部にある派遣会社の寮に住んでいた。その頃、給料は上がっていたそうだが、ブラジルにいるAgさんのお母さんが病気になったため、その仕事を辞めてブラジルに10ヶ月間帰った。その後、夫妻は、再び派遣会社に所属し、アルミの塗装をする仕事に派遣されていた。このときも、高岡にある派遣会社の用意した寮に住んでいた。2年間この仕事をしていたが、出産のためと家族に会うためという理由で仕事を辞めてブラジルに6ヶ月間帰った。その頃は、日本語に自信がなく、異国で出産することが不安だった。なお、現在は、高岡市内にポルトガル語が通じる病院があるので、不自由はしていない。再び日本に来て、Agさんは、現在の仕事に就いた。Asさんは、日本に戻ったころは、Aaちゃんの育児に専念していたが、派遣会社員として、2年半ほど自動車の部品を作る工場で働いた後、3年前から現在のアルミ会社で働いている。Agさんは現在会社員で、工場で働いており、砂で自動車の部品の型を作っている。就業時間は2人とも8時から17時で、残業があるときは、Agさんは19時まで、Asさんは18時半までの就業時間になる。通勤にはそれぞれの自動車を使用している。自動車は家の前ではなく、少し離れたところに停めてあるそうだ。仕事で困っていることはあるかと質問すると、Agさんは仕事で高熱を使うためこれが一番つらく、Asさんは冬場会社の中が寒すぎると答えてくれた。
 今の住居は四つ目である。一つ目、二つ目の住居は派遣会社の寮で、どちらも仕事を辞めて帰国する際に出ている。二度目の帰国から戻ってきてからは一軒家を借りて住んでいた。しかし、当時Agさんの仕事が少なく、給料が少なくなってしまったこと、Asさんが育児のために働けなかったことがあり、1年で一軒家を離れ、Asさんの弟さんが住んでいた現在の市営住宅に5,6年前に移ってきた。このようにブラジルでは、家族が近くに住むことが、けっこうあるそうだ。実際、Agさんの家と、Asさんの家とは、100メートルぐらいの距離にあったそうだ。このことから、現在の生活は、住居の面に関しては、ブラジルに住んでいたころとあまり違いはないのではないかと感じた。
 Agさんの家では、衛星放送でブラジルのテレビ番組が見られるので、日本のテレビ番組を見ることはまずない。例外として、Agさんはスポーツ、Aaちゃんは、KATTUNが出演している番組を見るそうだ。Agさんは、とにかくサッカーが好きで、ブラジルはもちろん、ヨーロッパの試合も見るそうだ。地元サンパウロのチームの試合を収めたDVDを私たちに嬉しそうに見せてくれた。また、最近は、ポルトガル語で買い物できる店があったり、映画もポルトガル語版のDVDがあったり、電話での申し込みがポルトガル語でできたり、運転免許もポルトガル語で試験ができたりするので、日本は住みやすいと感じている。また、インターネットで大体毎日、1時間ぐらいブラジルのニュースを見ている。
 困ったことがあったときはYさんに相談する。アパート探しや市役所からの手紙の内容を教えてもらうなど、いろいろYさんは手伝ってくれたそうだ。会社に日本人の友人がいる。近所の人とは、冗談を言ったりしてよく話す人が3人ほどいて、その他の人とは挨拶をする程度。おばちゃん達のほうがやさしいらしい。また、外国人同士でよく集まったり、旅行したりする。大体はブラジル人だが、ときどき日本人も来る。休日は、春には公園やプールへ行ったり、みんなでバーベキューをしたりする。冬にはスキーやスケートを楽しむ。Agさんは、休みの日に会社の友達や、兄弟の勤め先の友人を集めてサッカーを楽しんでいる。夏は庄川の河川敷でサッカー、冬は氷見の体育館でフットサルをするそうだ。昔は、チームに日本人がいたが、今はいない。しかし、Agさんが通っているジムの先生のチームと試合をしたりして、日本人との交流はあるようだ。また、会社では、6人の日本人と会話をする。ブラジルでは、友人は、家族ぐるみの付き合いをするそうで、自分の家族を友人に紹介するのが当たり前なのだそうだ。友人を自宅に招待したのに、友人のうちに招待されず、また、そのことから、日本人が家族のことを恥ずかしいと思っている様に感じられるそうだ。そのような点から、日本人は冷たいという印象を受けるそうだ。また、日本人の感情が伝わってこないので、心が冷たいとか、愛がないとか、感じられるのではないかとも語ってくれた。
 Agさんは勤め先の会社で社会保険に、Asさんは国民健康保険に入っている。健康保険については、風邪などで何度も使っていて入っていてよかったと思っている。家族のことを考えるととても大事なもので、保険料がもったいないと感じたことはないそうだ。
 日本語は、AgさんとAsさんは、職場で一緒に働いている日本人に教わりながら覚えていった。しかし最初は職場に通訳がいて、会社で日本語を使うこともあまりなく、日本語があまり必要でなかったため、日本語を勉強しようとはあまり考えなかったそうだ。Aaちゃんは保育園の頃から日本語に触れており問題はないという。普段、家族で話すときはポルトガル語で会話している。Agさんは日本語に対し、今もまだよくわからない、難しいと話しており、あまり自信がないようだった。また、Smさんによると日本語は、ポルトガル語と違って動詞が最後にくるところが難しいそうだ。
 Aaちゃんの通う学校にはブラジル人の先生がいて、月、木、金と学校に来て、月曜と金曜にブラジル人の生徒を対象にポルトガル語の授業をしている。ポルトガル語の授業は3時間目に行われており、そのときクラスでは算数が行われている。この先生は学校では授業以外ポルトガル語は使わないということだ。先生はそのほかに、保護者には日本語が読めない人が多いので保護者向けのお知らせをポルトガル語に翻訳したり、保護者会でブラジル人のために通訳をしたりするそうだ。また、週に一回ぐらい市役所にいて、ブラジル人の通訳をしているそうだ。


山室:どんなことして休み時間は遊ぶ?
Aa:んー、かくれんぼ。
(約10秒沈黙)
山室:えーと、授業、国語とか(Aa:うん)授業やっとるとき先生の話とかちゃんと分かりますか?
Aa:まあまあ。
山室:まあ、あはは。(約6秒沈黙)かくれんぼとかして遊ぶ友達って何人くらい?
Aa:んー、5人はおる。
山室:だいたいいっつもおんなじ人?
Aa:うん。
山室:それは、日本人?
Aa:ばっかり。
山室:日本人。(約9秒沈黙)んとー、なんか将来の夢とかは?うふふ。
Aa:(??)将来。(*たぶん「将来ってなに?」ってSmさんにポルトガル語で聞いている。)
(*SmさんとAaちゃんがポルトガル語で話している)
Sm(Aa):あのー、将来ってどういうこと?
山室:大きくなったら何になりたいとか。
Aa:なにもなりたくない。(山室:あははは)


 このようにAaちゃんは私たちの質問に日本語で答えてくれた。読み書きもできるそうで発音も完璧だった。授業は、概ね理解しているようで、授業中言葉がわからなくなることもない。おばあちゃん(Asさんの母)やAgさんの通訳をすることもあるそうだ。Agさんの話からもAaちゃんが日本語に苦労している様子は見られなかった。Aaちゃんは休み時間が好きで、日本人の友達5人くらいでかくれんぼをして遊ぶのが楽しいそうだ。将来のことについて聞いてみたが、まだ何かになりたいといったことは考えていないようだった。
 最後にインタビューの中で私たちは、「家族」という言葉を多く耳にした。このインタビューのためにわざわざ、金沢から通訳のために来ていただいたAsさんの妹のSmさん。終始、AgさんとAsさんにじゃれていたAaちゃん。言葉の通じない異国で働くAgさん、Asさん。そして、これまで書いたことから、彼らの「家族」に対する強い思い、絆を感じずにはいられない。