2−4 生活の満足度及び社会的地位からの分析


生活の満足度や社会的地位において人々が思い描くヒーローのイメージにはどのような違いがあるかをグラフや表の結果から考察し、現状から生じる人々の意識の違いやヒーローの概念をも導き出したいと思う。

図2-4-1

 このグラフ(図2-4-1)は生活の満足度が、自分が望むヒーロー像にどのような影響をあたえているかを示したものである。このグラフから極めて特徴的なものを取上げ、生活の満足度と自分の望むヒーロー像との関係を考察してみたい。先ず、「頂点にたつ強者」・「常識を覆す」に注目してみる。これらは、生活に不満を覚えるほど、割合が高くなり、特に「常識を覆す」を見ると、他が14%、13%なのに対して、「生活が不満な」人は、26%で2倍である。「常識を覆す」が「生活に不満」を感じる人に多い理由は、不満な現在の生活を常識から生じたものとし、それを転換してくれることを期待しているからこもしれない。また、「頂点に立つ強者」が多い理由は、経験から強者=正義の意識が根底にあるからではないだろうか。これらから、生活に不満を感じる人は、満足していない現状を打破し、自分を導いてくれる強い存在を望んでいると言えるのではないだろか。次に、「他人のために生きる」・「普通の人」・「独力で必死に生きる」に視点をあててみよう。最初の2つはともに「生活に大変満足している」人が、他と比較してかなり多い。逆に、「独力で必死に生きる」は「生活に大変満足している」人にはいない。これは、(経済的、時間的、情緒的、感情的、他)余裕の違いから起こると考えられる。余裕が生じると、倫理的意識が高揚して自分よりも不幸な人々を変えたいと思う道徳的感情が高まると考えられる。しかし、自分にとっては現状を維持したい感情にとらわれる。現状を維持するには、他人との調和や既成的規律、保守的伝統が大事である。これらから、生活に満足している人は、現状を維持し、強く倫理的観念を持った存在を望んでいるといえるのではないか。下に示した図2-4-2、図2-4-3を使い、ここで導き出されたことをさらに検討してみたい。

図2-4-2      図2-4-3

 
 グラフ図2-4-2(左上)は生活の満足度が、ヒーローのイメージ(体育系─文化系)にどのような影響を与えるかを示したものである。このグラフを見れば、生活に不満を覚えるほど、ヒーローのイメージを体育系と捉え、生活に満足を覚えるほど文化系と捉えているのがわかる。特に、ヒーローのイメージを体育系と答えた人に着目してみると、「生活に大変満足している」人が32%に対して、「生活が不満な」人は63%で約2倍という顕著な違いがみられる。体育系の意識には、強行して上の者が下の者を導く風習がある。ここで、「生活に不満な」人がヒーローのイメージを「体育系」に希求するのは、納得する存在であるヒーローが強く自分を導いてくれることのを望んでいるからと考えられる。そのようなヒーローに追従することは、自分の利益にもなるのである。今までの説明を変数なしに簡単に整理するとヒーローとは自分の「願望」を代わりにかなえる存在であるということが導きだせる。しかし、それだけではあるまい。例えば、グラフ図2-4-2を違った観点からもう一度見てほしい。体育系は体力を主に使う肉体労働者を現し、文化系は頭脳を主に使う管理労働者を現しているということも考えられる。可能性の問題ではあるが、「生活に満足している」人は、管理労働者が多く、「生活に不満を感じる」人は、肉体労働者が多いのこもしれない。そのことから、ヒーローとは自分の「分身」のような存在であるという仮説が創られる。この仮説の真偽を図2-4-3、図2-4-4、図2-4-5、表2-4-6を使い、以下に説明してみるとする。
 グラフ図2-4-3(右上)を見てほしい。このグラフは生活の満足度により、ヒーローのイメージ(ヒーローは下品である)にどのような違いが生じるかを示したものである。グラフを見れば、明らかに「生活が不満な」人ほど、ヒーローのイメージを下品とする傾向がみられるのが認識される。生活が不満であるのはなんらかの理由、経済的、時間的、衛生的、環境的、教育的その他色々な理由が挙げられる。それは、負の因子であり、「下品」もまた負の因子であり、明らかに同じ因子であると考えられる。そのことを意識すると「生活に大変満足している」人は、負の因子である「下品」をヒーローのイメージに持ってくる人がいないことと関連があるのではないか。(一概には言えないかもしれないが)ヒーローは自分の現状、経験から生じるのではないだろうか。これは、先程述べた「分身型」ヒーローを説明するものと一致する。次に下に示す社会的地位との関係を見てほしい。

図2-4-4


グラフ図2-4-4を見てほしい。これは、社会的地位の違いが、自分の考えるヒーロー像にどのように影響を与えるかを示したものである。この図をみると、社会的地位が上位の人だけが残りの三つの社会的地位と異なったヒーロー像を持っているが、その三つはこれといった特徴もなく三つが大体平均的であるのが分かる。1つの大きな違いとして、「人生の目標」・「ストレスを解消する」が言える。「人生の目標」についてみると、社会的地位上位では、他の2倍以上であり、また、「ストレスを解消する」も2倍とまではいかないが、他を凌ぐものがある。もう一つの大きな違いとして「心の支え」・「何でもない」が言える。両者ともに言えるが社会的地位上位には存在していない概念である。ここで、「何でもない」はうまく説明することができない。(私は一種のひけ目のような感情の現れであると考えている。)この特徴的差異から、社会的地位が上位であるとヒーローを心の一生の支柱とするものではなく、一生の間、いつかは到達できるものであると考える傾向があるのではないだろうか。そして、到達できるものであるため、自分では解消不可能なストレスを解消してくれる存在程度にしか考えていないのかもしれない。(どのようなストレスであるかは考えしかねる。)


注:グラフばかりでしたので、これ(↑)は表にしてみました。その名も「ウヒョーッ」(右表ーっ)
グラフ図2-4-5を見てほしい。これは、社会的地位の違いによるヒーローのイメージ像(遠い─近い)を表したグラフである。グラフから社会的地位が上位になれば、ヒーローのイメージを「遠い」と考えない傾向があるようだ。また、若干ではあるが、ヒーローのイメージを「近い」と考える傾向が見られる。これは、社会的地位が上位であると、どの分野にしろ、権力を自らの手に握ることができるからではないか。どの時代をみても権力には、力が伴い、権力を背景に動かす者・動かされる者が存在し、ヒエラルヒーの構造関係がなり立つ。自分が頂点に立つことにより、主観的なものの見方が増し、自分にヒーローを同一化、投影化させていると言えるのではないか。次に表2-4-6を見てほしい。これは、ヒーローが「財界」にいると答えた人の割合を社会的地位別に表したものである。この表を見ると、ヒーローを「財界」にいると答えた人は、社会的地位が上位の人に多い。現在は莫大な資本が流通する時代であり、資本所有の量により、地位が決定するといっても過言ではない。財を多く所有すれば、ひと・もの・かねの三大要素を自由に操ることができる。その操り方により、人はヒーローに成りうるのではないか。人々の意識の中にそのような概念が根づいていると言える。故に、社会的地位が上位の人に「財界」にヒーローがいると答えた人が多いのだろう。付け加えると、ここには、載せてはいないが、「財界」にヒーローを望むと答えたのは、社会的地位が上位の人だけであった。これも、参考にしてほしい。上に示したことから、ヒーローを自分と投影化・同一化していると考えてもいいだろう。

人々の意識のなかにある2つのヒーロー像があると私は考える。それは、一方は(願望型)ヒーローであり、もう1方は(分身型)ヒーローである。
では、(願望型)ヒーロー像について説明してみようと思う。生活状態や地位が自分の満足いくものならば、人々は現状を維持し協調性を大事とするヒーロー像を持ち、逆に、生活状態や地位が自分の満足行かないものならば、現状を打破、破壊し創成するようなヒーロー像を持つのである。それは、現状を維持、破壊と様々だが自分の願望から生じたヒーロー像であり、人々のその時の意識の持ちようにより様々と変化し、進行的なイメージが強いと言える。次に、(分身型)ヒーローについて説明してみようと思う。人々は自分の生活条件、経験や地位、要するに自分とヒーローとを投影化・同一化させることにより、自分の分身のようなヒーロー像を持つのである。これは、自分が体験・経験したことから生じたヒーロー像であり、完了的イメージが強いと言える。この二つが個人それぞれが持つヒーローの概念を決定させているのである。
注:ここで使用したヒーローのイメージの要素(体育系─文化系、ヒーローは下品か?、遠い─近い、財界にヒーローは存在するか)はすべて、有意水準5%未満で満たしている。そして、これらしか満たしたものがなかった事を理解しておいてほしい。

担当:米山



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