2−1 性別からみたヒーロー像


 この章ではヒーローに対するイメージや意識をアンケート結果から分析し、そこから浮かび上がるヒーローの具体像や性別による意識の違いを探っていきたいと思う。

<図A−1>

<図A−2>

 <A−1>の結果からわかるのは男女とも圧倒的にヒーローを「光」のイメージでとらえているということである。「光」とはこの場合クリーンなイメージをあらわすものであると考えられ、それについては進むに従って説明したいと思う。そして<図A−2>からみて文化系と答えた人よりも体育系と答えた人のほうが多いことから、ヒーローを連想させるのはスポーツの分野で活躍する人と思われ、具体的にはイチローや長嶋茂雄などがあげられる。

<図B>

 <図B>をみると男女とも「どちらともいえない」と答えた人が多く、「近い・遠い」の解釈に困ったためではないかと推測されるが、それを除くと男女ともに「近い」よりかは「遠い」と答えた人が多く女性にいたっては(どちらか・・・も含めて)「遠い」と答えた人が半数以上も占めており、「どちらともいえない」をおさえて最も多い。このことを考えるにはまず「遠い」という言葉の解釈を考える必要がある。それで上記の<図A>の結果を関連させてみて推測されることは、ヒーローが体育系を連想させるために肉体的に男性に劣る女性にとってはヒーローは「遠い」ということである。スポーツ界で活躍する女性選手もいるが、日本における人気スポーツ(プロ野球やJリーグ、大相撲など)の中にはいないし「神聖さがそこなわれる」という理由から女性がしめだされているところさえ存在している。また、それはスポーツ界に限らず社会のあらゆる分野において女性が能力を発揮しづらい環境にあることから、ある特定の分野でめざましい活躍をしている人物というイメージのあるヒーローという存在は、女性にとって「遠い」と感じさせるのかもしれない。

<図C>

 <図C>はヒーローの誕生をどの分野に望みますかという設問についての結果だが、元の結果をみると男女ともに無回答が半数近くに達している。<図A−1>の結果からたいていの人がヒーローを「光」、いわば肯定的なイメージとして捉えているのにもかかわらず、この設問に対しては明確な解答を避けた人が多かったのはどういうことか教えてもらいたいが、このアンケート自体のあいまいさに不安をおぼえたのか、それとも「望む」という明確な意思表示になにがしかの日本的性質が作用して腰がひけてしまったのか、今となっては知るすべもないのであまり気にすることもないと思う。それを除けば(上のグラフでは除いた形になっている)、もっとも多いのが「政界」で男女とも次に多い「スポーツ界」を大きく上回っている。この結果は一見<図A−2>の結果(ヒーローは体育系である)と矛盾しているような印象を受けるが、むしろ現在日本にヒーローは体育系=スポーツ界にしかおらず、いまもっとも文化系=政治の世界においてヒーローの出現が嘱望されていると解釈したほうがよさそうである。ついでに付け加えておくと先に「光」をクリーンなイメージとして解釈したのも「影」のイメージに政治家のダーティーなイメージが重ねあっているのではないかと推測したからである。

 以上の意見をまとめると、今日本においてヒーローというのは男女ともにスポーツ選手がまず想起されるということである。そして逆に政界においてはヒーローは不在で今もっとも政界におけるヒーローの出現が望まれている。これだけみるとヒーローにたいする考え方は性別によってあまり変わらないようにみえるが、ヒーローの存在を特に女性が「遠い」と感じていることから僕の推測としては、それが現在の日本女性のおかれている社会的地位を反映しているのではないだろうか。だから社会の表舞台で華々しく活躍するヒーローという存在にたいして女性が特に「遠い」と感じるのではないかとおもわれるのである。そして性別による違いはそれ以外においてはさほどみられない。これが結論である。
担当:三谷

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